「自分ならそうする」という見方について
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。 まずはおめでとうございます。
ということで今回は、 自分ならそうするという話をしていきます。
はい、自分ならそうする、ですね。 人に対する見方ですかね。
自分ならではね、あなたはあなたのことですね。 あなたが自分自身で思うこと、人を見た時に自分がする行動、発言、行いと違うことをしている
誰かを見た時に、この人こういうふうにするんだ、こういうような喋り方をするんだ、 こういう行動をとるんだ、自分ならこうするけどな、そういう人に対する見方ですね。
こういう考え方はおそらく日常的にしているんじゃないかなと思います。 どうしてもこう人というのは、もちろんいいことなんですけれども、
自分を中心として、自己中とかそういうことじゃないですよ。 自分をその起点として誰かを見て、その物事の判断を下す、ジャッジをするというようなこと。
これをすることは自然なことですよね。 別に全く悪くないです。
他者への不快感の原因
ただこうした考えを人に対して当てはめてしまうと、 自分の行いと違う人を見た時に不快になるケースがあるんですね。
もしかしたら該当する心当たりがあることでもあると思うんですけれども、 特に無理してやっていること、本当はやりたくないけどやらないといけないなということをやっていたり、
本来はこういう自分じゃないんだけれども、 今この場に適切なのはこういう振る舞い方だから、ちょっと頑張ってこのように行動しようとか喋ろうとかね。
そういうことをしていると、逆にそれをしていない人ですね。 なんであの人こういうふうにするんだろうと、自分ならこうするのになぁということをやっている人を見ると、
自分は頑張っているのに、あの人は頑張っていないというふうに。 自分だけね、頑張って、なんだかバカみたいじゃないかというふうにですね、そのように思うこともある。
ただこれらのすべての原因は、自分の行いを人に当てはめているからですね。 自分ならこうするんだけれども、あの人はこうしていない。
不快感を減らすための考え方
そこに不快感が生じるというのこと。 ですからもし仮に人に対するこのような見方が日常的になっているということであれば、
それを当てはめないようにするというような行いからですね。 これも考え方の一つで、
自分ならそうするけど、この人はこうするんだな。 そっか、そういうこともあるよね。というふうにですね、思うわけです。
またその別の見方というか、他人に対して不快感を覚えるような見方をしているその日常的な思考の中には、
自分ならそうするのに、この人はそうしないんだ。 なんでそうなんでしょうと、と思ってしまうことが状態化しているからということも言えますね。
あくまで、いついかなる状況においても、自分自身がこのような行い発言をするということと、
自分以外の人が発言行動をするということに相違が生まれるというのは、それも私ごく当然のことであって、別々の人間ですからね。
言われればね、それはそうでしょうというように、聡明なあなたは思っていただけることかと思うんですけれども、
なんだかこう人に対して不快感を覚えているなということがあると、もしかしたらこのような挙動をとっているのかもしれない。
これも、あまたあるコミュニケーションの技術のうちの一つ、人に対する見方というものの一つではありますが、
思い当たる節がもしあれば、自分に対する見方と同じように人に対して見ていないか、
こうしたところにフォーカスを当てて、人間関係に臨むということも一つ技術ですね。
自分と他者の違いを受け入れる
つまり何が言いたいのかというと、自分ならそうする。これは人に対する見方ですね。
あなたから見て相手をどう思うかというところ。とりわけ無理してやっていることをやっていない人を見ると不快になるということがあります。
それはなぜかといえば、自分ならこうするのに、これをやっていない相手はおかしいというふうにですね、決めつけてしまう。
つまり自分を相手と同一視して当てはめてしまっているということです。
ただ考えてみれば当たり前ですけれども、自分と相手は違う人間であって同じなわけがないですね。
自分がやることも相手がやるとは限らない、むしろその機会の方が少ない。
であればどういうものの見方をするかといったら、自分ならそうするけどこの人はこうするんだな、そうか、そういうこともありますよね。
というように思うわけです。
これが別の方向で、自分ならそうするのにこの人はこうするのか、それはそういうことはおかしいよね、というように思ってしまうとどうしても不快感を覚えてしまうものですので、
人に対して、いやこれはちょっと、自分はこうしないのに、というふうに思うことがあれば、このような考え方を取り入れてみてください。
仮にこのような考え方をしていたとしても別におかしいことではないですからね。
すごく当然。
あなたの人生の主役は当然あなたですから、その主役を中心として人に対して物事を見るというのはそれは別に当たり前のことであって、
だからあなたはダメなんですよって言ったことではないですよ。
全くそんなことはないです。
特に気にやむ必要もなく、ただそのような事象が起こったら、じゃあこうしてみようというように、
次に進むための技術の一つですから、これは使うことで効果が発揮されます。
主には内省にですね、自分自身の内省に使える。
人に対して不快感を覚えない自分になるということ。
これの一助となります。
というようなところですね。
はい。ありがとうございました。