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たとえばなんですけど、スポーツの知らいをちょっと想像してみてほしいんです。サッカーでもテニスでもいいんですけど、ああいうのって明確なルールブックがあって、スタジアムとかコートっていう安全がしっかり担保された枠組みがありますよね。
そうですね。きっちり管理された空間ですよね。
ええ。時間がくれば試合は終わるし、スコアボードを見れば勝者と敗者がきれいに分かれている。とても分かりやすい世界じゃないですか。
はいはい。人間の手によってコントロールされた秩序ある世界ですね。
だからこそ私たちは安心して熱狂できますし、明確な結果に爽快感を覚えるわけです。
そうなんです。でも、もしその舞台が大自然に変わったらどうでしょう。
大自然ですか?
ええ。ルールブックは一切なし。相手は人間の都合とか思惑なんて全くお困りなしの、気まぐれで時にすごく残酷な自然そのものです。もちろんスコアボードなんてどこにも存在しません。
なるほど。圧倒的な大自然の前では人間のちっぽけさが浮き彫りになりますよね。そこでの戦いって単なる点数の奪い合いじゃないですから。
そう、そうなんですよ。
生きるか死ぬか、そして過酷な環境の中で人間としてどうあるべきか、という非常に根源的で泥臭いドラマが展開されることになりますね。
まさにそれなんです。今これを聞いているあなたが、もし釣りなんて人生で一度もやったことがないという人だったとしても、今日私たちが飛び込む世界には間違いなく心を強烈につかまれるはずです。
ええ、間違いないですね。
今回の深掘りで取り上げるのは矢口孝夫先生による伝説的な作品、釣り基地三平です。単なる釣りのハウトゥーを教えるものだと思ったら間違いなんですよ。
はい、単なる釣り漫画という枠には全く収まらないですからね。
ええ、これは大自然を相手にした企画外のヒューマンドラマなんです。
よし、じゃあ早速これを紐解いていきましょうか。
お願いします。昭和から平成にかけて社会現象ともいえる釣りブームを牽引した名作ですよね。本当にすごい偽強力でしたよね。
はい、矢口先生ご時世の異色の経歴とか自然に対する恐ろしいまでの観察眼がこの作品の根底には脈々と流れているんですよ。
私も最初、魚を釣って喜ぶ少年の明るい元気なお話くらいに思っていたんですが。
ええ、パッケージの印象かとそう見えますよね。
そうなんです。でも読み始めてすぐにその認識が吹き飛びました。釣りの知識がゼロの私でも夢中になったのは、そこに人間のエゴとか環境問題、あるいは過酷な運命を乗り越えようとする人々の生きる力がすっごく生々しく描かれていたからなんです。
まさにそこがこの作品が時代を超えて愛される理由ですよね。釣りのテクニックだけじゃなくて、釣りと人間の関わりを通して人間の本質を得るえて出しているんです。
はいはい。
例えば盲目の少年であるイクオーというキャラクターが登場するエピソードなんかは非常に象徴的ですね。
えっと、ちょっと待ってください。目の見えない少年が釣りをするんですか?
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そうなんですよ。
釣りって水面の浮きが沈むのをじっと目で見て、タイミングを合わせるスポーツじゃないですか。視覚がなければどうやって魚がかかったことを知るんでしょうか?
そこで登場するのが彼が釣れている犬のハチなんです。
ハチ?犬ですか?
ええ。ハチは盲導犬ならぬ釣り犬なんですよ。
釣り犬ってどういうことですか?初耳です。
あのですね、ハチは水面に浮かぶ浮きをじっと見つめているんです。
そして魚が食いついて浮きが水中にピクッと沈んだその一瞬にワンと短く吠えるんですよ。
え?すごい。
イクオー少年はその吠え声という聴覚のサインを頼りに瞬時に鞘を引いて合わせるんです。
つまり、動物の視覚と人間の反射神経が言葉を超えた完璧なあうんの呼吸でリンクしているんですよね。
うわ、それはすごいですね。
単にハンデを乗り越えるというだけじゃなくて、犬との間に築かれた絶対的な信頼関係がないと成立しない釣りなんですね。
そうなんです。目の見えない彼にとって釣竿の先から伝わってくる魚の命の鼓動とか水の流れの感覚って私たちが想像する以上に鮮烈なはずなんですよね。
確かに研ぎ澄まされていそうですよね。
そしてもう一つ、全く別の角度から人間を描いたのが、刑務所から脱走した囚人のエピソードです。
脱走犯ですか。ますます釣り漫画の枠を越えてきましたね。
人生がうまくいかなくて、罪を犯して逃亡の身となった彼がある川に行き着くんです。
そこで彼は伝統的な落ち屋湯の転がし釣りという手法を試すんですよ。
転がし釣りというのは普通の釣りとは違うんですか。
全く違います。餌を食わせるんじゃなくて、複数の針がついた重い仕掛けを川底に沈めるんです。
そしてそれを石の隙間に沿って文字通り転がすように引きながら川底にいるあゆを引っ掛けるという非常に泥臭くて繊細な感覚が求められる釣りなんですよ。
なるほど。引っ掛けるんですね。
はい。彼は冷たい川の流れに腰まで叱りながら、足の裏から伝わる川底の石の形とか、竿先から伝わる水流の微妙な変化を捉えていくんです。
つまり大自然の意気揚々を全身で感じ取っていくんですよね。
逃亡生活で極限状態にある人間が冷たい水の中でただひたすら自然と向き合うわけですね。
そうです。その圧倒的な大自然のスケールと命のやり取りに没入していく中で、彼はふと気づくんですよ。
自分が犯した罪のちっぽけさとか、自分の人生の本当の重さに。
ああ、なるほど。
そしてやがて自死を決意して人間性を取り戻していくんです。
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すごい話ですね、本当に。単に魚を釣り上げるんじゃなくて、川の流れや自然との対話というフィルターを通して、自分自身の魂を浄化していくプロセスなんですね。
まさにその通りです。
つまりこれって単なるスポーツ漫画とより、大自然を相手にしたバトル漫画でありながら、人生の教訓が詰まったヒューマンドラマなんですよね。
となると、物語の中心にいる主人公の少年も、ただの釣り好きの子供じゃないってことですよね。
はい、もちろんです。主人公の三平三平、トレードマークの大きな麦わら帽子に明るい東北弁、天才的な感を持つ自然児ですが、彼の存在感こそがこの作品の最大の魅力です。
あの、ずっと気になっていたんですけど、三平三平って苗字と名前で同じ言葉を繰り返していますよね。なんだか一度聞いたら忘れられない独特のリズムがありますが、どうしてこんな名前になったんですか。
実はこの名前、3つの要素が組み合わさってできているんですよ。
3つもですか。
はい。まず、Kの三平は、実在したプロ野球選手の三平春樹孫から捉えられています。そして名前の三平は、カムイデンなどの歴史的な名作を生んだ漫画家の博都三平先生から拝借しているんです。
野球選手と大先輩の漫画家さんの名前のミックスだったんですね。でも、なぜあえて同じ言葉を繰り返したんでしょう。
そこが一番面白いところで、矢口孝押先生ご自身のルーツが隠されているんです。矢口先生の本名は、高橋孝夫とおっしゃるんですね。
あ、高橋の孝と孝夫の孝、繰り返されている。
そうなんです。ご自身の本名が持つ、最初と最後に同じ音が来るという独特なアイデンチキーを、主人公の名前にも投影して、三平三平という名前が誕生したんです。
わあ、作者自身の魂が名前にまでしっかり刻み込まれているんですね。
ええ、本当に深い思い入れがあるんだと思います。
そして、そんな天真爛漫な三平が成長していく過程で、絶対に欠かせない人物がいますよね。常にサングラスをかけている風雷棒吊り師の行進。
はい、行進ですね。人気のキャラクターです。
彼が三平の兄貴分であり、完璧すぎる師匠として登場しますが、正直言って私、彼のプロフィールを見た時にちょっと戸惑ったんです。
ほう、どのあたりに戸惑われましたか?
だって、あゆかわ財閥っていう巨大企業のオツ王子で、大学で法律を学んで弁護士資格を持っていて、さらにはフェンシングの腕前はオリンピック代表レベルって、えっと、ちょっとスペックが高すぎませんか?
ああ、確かにそう見えますね。
泥臭い自然を相手にしている物語の中で、彼だけハリウッド映画のスーパーエリートみたいで、読者が感情移入しづらいんじゃないかと思ったんです。
へえ、文字締めだけを並べると浮世離れしたスーパーマンのように見えますよね。
でもここで非常に興味深いのが、あの行進がなぜそんなハイスペックでありながら風雷棒として放浪しているのか、そしてなぜ常にサングラスをかけているのかという点なんです。
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あ。
彼が背負っている悲壮な過去があるんですよ。
え、あのサングラスはただのファッションとか格好つけじゃないんですか?
違います。実は彼、右目を失明しているんです。
え?
少年の頃、父親の釣りに同行した際に、父親が振りかぶった釣り針が彼の右目に刺さるという悲惨な事故が起きました。
わあ、それは痛ましい。
綾川財閥のトップである父親は、自分のせいで後取り息子の未来を奪ってしまったと深く絶望するんです。
それを見た行進は、自分が家に居続ける限り父親にひけ目を感じさせ苦しめてしまうと悟って実家を飛び出して風雷棒になったんです。
なんてことだ。恵まれたお坊ちゃまなんかじゃなくて、家族を深く愛しているからこそ、自ら孤独を選んだ人だったんですね。
そうです。深い傷と優しさを抱えた大人なんですよ。
そして、彼がなぜ三平にあれほど深く関わるのかは、三平自身の過酷な愛あちに知るとよく分かります。
そういえば、三平はいつも一平じいさんと二人暮らしで明るく笑っていますが、彼のご両親はどうしたんでしょうか?
実は三平は生まれる前に実の兄を水難事故で失っているんです。
そして、そのショックで直後に母親も亡くなっています。
さらに父親は出稼ぎに行った先の北海道で事故に遭い、記憶喪失になって行方不明のままなんですよ。
ちょっと待ってください。あんなに無邪気で太陽みたいに明るい少年が、想像を絶するような喪失感の中で生きていたんですか?
そうなんです。だからこそ、両親は三平にとって、単なる釣りのテクニックを教える師匠という枠を完全に超えているんです。
なるほど。
遺旧不明の父親の代わりであり、生まれる前に死んでしまった兄の代わりでもある。
お互いに欠けてしまった家族のピースを、釣りという行為を通して埋め合わせているような関係なんですよ。
そう言われると、お二人のやり取りの見え方が全く変わってきますね。
両親はただ優しいだけではありません。王子禅の恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、三平がキャスティングの技に無休になりすぎて、周囲の危険を恋並みくなった際には、本気で怒鳴りつけ、冷たく突き放すことすらありました。
命に関わることだからこそですね。
ええ、本当の家族のように厳しく接するんです。
中途半端な態度は取れない。真の愛情ですね、それは。
そして、昭和版の物語の終盤では、唯一の憎しんであった一平爺さんが亡くなってしまいます。
その際、記憶喪失の父親が戻ってくるまでの間、なんと御親が三平を引き取って同居する決意をするんです。
えっと、そこまで?
さらに、三平を人生の師匠と慕うジャセマサハルという少年キャラクターにとっても、御親は特別な大人として描かれます。
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彼らは血の繋がりを完全に超えた、強固な疑似家族を形成しているんです。
深いですね。うーん、単に魚を釣って喜ぶだけじゃなく、人間同士の魂の結びつきを描いていたからこそ、大ブームになったんですね。
でも、それほど熱狂的に支持されていた昭和の連載は、1973年から10年間続いた後、なぜか突然終わりを迎えてしまいますよね。
はい。
なぜ矢口先生は絶頂期に字から幕を引いてしまったんでしょうか?
矢口先生御自身の言葉によれば、他のテーマの漫画も描いておきたいからという理由でした。
なるほど。
漫画家としての幅を広げるため、あえて最大のヒット作に終止符を打ち、三平という存在を御自身の心の中に封印されたんです。
クリエイターとしてのストイックな決断だったんですね。しかし、そこから約20年もの長い沈黙を経て、2001年に平成版として奇跡の復活を遂げますよね。どうやってその強固の封印は解かれたんですか?
きっかけは、2000年に行われた矢口先生の漫画家生活30周年パーティーでした。そこには全国から熱烈なファンが集まったんですが、彼らが口々に、もう一度三平君に会いたいとか、先生三平を描いてくださいって直接懇願したんです。
目の前でファンからの熱いアンコールは浴びたわけですね。
もう三平は描く前と意地を張っていた矢口先生でしたが、20年経っても全く色褪せない読者の愛情の深さに問いに心が動き、編成版をスタートさせる決意をされました。
ファンの熱意が歴史を動かしたなんて胸が熱くなりますね。でもここで一つ素朴な疑問なんですが、
はい、なんでしょう。
現実の時間で20年も経ってからの復活なら、読者としては大人になった三平の姿を見たいと思うのが普通じゃないですか。
例えば、ハリーポッターが最後に大人になって家庭を持った姿を見せたように、なぜ先生は彼を成長させなかったんですか。
ここでね、一つ重要な問いが浮かび上がってくるんですよ。矢口先生が持っていた格好たる美学です。
先生は編成版の単行本の中で、読者に向かってこう語りかけています。
サラリーマンになって結婚し、仕事と家庭の狭間までに揺れながら、妻の顔色をうかがって休日に釣りをする三平を見たいですか。
うわぁ、それは。確かに満員電車に揺られて疲れた顔で釣竿の手入れをする三平は、えっと、リアルかもしれないけど、絶対に見たくないです。
ですよね。矢口先生は三平を純粋な少年のままで描き続けることを選びました。読者の心の中に生きている大自然を自由に駆け回る永遠の少年。その作品が持つ普遍的なロマンを現実の時間の流れから守り抜いたんです。
なるほど。現実の生々しさよりもファンが愛した夢を壊さないことを選んだんですね。でも、主人公が少年のままだからといって、平成版が単なる昭和版の焼き主だったわけじゃないんですよね。
全く違います。まず、連載のスタイルが大きく変わりました。昭和版は週刊誌で毎週締め切りに追われながらの連載でしたが、
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平成版は矢口先生のパーソナルマガジンという形で、全編が描き下ろしのスタイルで不定期に発表されたんです。
つまり、ご自身が本当に納得いくまで時間をかけてじっくりと作品を作り上げることができる環境になったんですね。
その通りです。しかも、その雑誌一冊の中には、漫画の本編だけじゃなくて、矢口先生ご自身の長編インタビューとか、幼少期の実定研を綴ったエピソードなどもふんだんに盛り込まれていました。
いや、ここからが本当に面白いところなんですが、ということは、平成版って、ただ新しいエピソードが載っている続編というより、長年待ってくれたファンに向けた超豪華なディレクターズカット版ボックスセットみたいなものだったんですね。
まさにその表現がぴったりです。ファンにとってはたまらない贈り物だったはずです。そして、物語の内容面でも大きな進化がありました。
昭和版の初期は架空の地名が使われることが多かったんですが、平成版では実在の地名を舞台にして、そこにフィクションのドラマを織り混ぜるという手法を積極的に取り入れたんです。
実際にある場所を描くことでリアリティがさらに増したわけですね。具体的にはどんなエピソードがあるんですか?
例えば、秋田県のタザゴコ固有の種であったクニマスを描いたエピソードです。作中ではキノシリマスという名で呼ばれていますが、
この魚は昭和初期に国策として行われた発電所建設や水質変化の影響で、現実の世界では絶滅してしまったとされていた悲劇の魚です。
人間のエゴで消えてしまった命ですね。
しかし、漫画の中では実はあの時、一平爺さんが密かに卵を保護して別の場所に放流し、命を繋いでいたという展開になるんです。
現実の悲しい歴史に漫画ならではのロマンと救いを重ね合わせた環境問題を深く考えさせる壮大なストーリーなんですよ。
現実の絶滅の歴史を知っているからこそ、そのもしものフィクションが深く胸に刺さるんですね。
他にもスケールが途方もなく大きな話があります。
ロシアのカムチャツカ半島へ幻の巨大イワナを釣りに行く編があるのですが、
ロシアまで?
ええ、なんとこのエピソードの中で、同行者の先祖である実在の商人、タカダヤカエがどんな人物だったかを説明するために、丸々2冊分ものページを開いているんです。
釣りの漫画なのに、登場人物の先祖の歴史的背景を語るためだけに単行本2冊分ですか?どんだけ深く掘り下げるんですか?
蒸気を逸した熱量ですよね。さらに最終巻では、ノト半島でのタコスカシという伝統的な漁法に挑戦します。
タコスカシ、それはどういう漁法ですか?
タコがカニなどの獲物に抱きつく習性を利用したもので、長い竹竿の先に擬似絵をつけて、岩いげで揺らし、タコがおびき出されてきたところを、もう一本の竿につけた網ですくい取るという、非常に原始的で職人技が求められる漁法です。
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ほうほう。
矢口先生は、その手元の絶妙な動きとか、タコのぬめり、さらには磯の匂いまで伝わってくるほど、実在の土地の文化や歴史を丹念に描き込みました。
描きどろしで時間があったからこそ、一つの漁法や土地の匂いに対して、そこまで深く潜り込めたんですね。
それにしても、矢口先生の自然現象や風景に対するこだわりってちょっと尋常じゃないですよね。
あの、これを全体像と結びつけて考えてみると、矢口先生の故郷である秋田の原風景への、ある種の執着ともいえる深い愛情が見えてくるんです。
と言いますと?
例えば、初期の名作にカルデラの青舟というエピソードがあります。これは、秋田県に実在する貝沼というカルデラ湖がモデルになっています。
はい。
そこで、三平は青く輝く伝説の舟を見つけて釣ろうとするんですが、その際、水中の光の屈折、いわゆる突レンズ効果について非常に詳細に描いているんです。
水面に角度がついていることで、水中の魚が実際のサイズよりも1メートル近くも巨大に見える、という工学的な錯覚の現象ですね。
光の屈折のメカニズムまで解説するんですか。ただ、「うわー、すげーでかい魚がいたぞー!」って魔法みたいに描くこともできるのに、あえて科学的な根拠とかリアルな自然の法則を提示するんですね。
そうなんですよ。矢口先生は、銀行員から漫画家に転身される30歳まで、秋田の豊かな自然の中で育ち、実際に川や山でどっぷりと遊んで生きてこられました。
ご自身が直接経験し、肌で感じ、観察してきたからこそ描ける圧倒的なリアリティなんです。
なるほど。
ファンタジーのような巨大余も、この緻密な自然法則の描写があるからこそ、私たちは本当にいるかもしれないと強烈な説得力を感じてしまうんです。
つまり、ここまでの話ってどういう意味を持つんでしょうか。
釣り基地産平という作品は、ただ魚を釣るだけの漫画なんかじゃ決してありません。
人間の思惑を超えた大自然への生き栄の念、厳しい環境の中で生き抜こうとする親子の絆、そして魚親から産平、さらには次の世代へと受け継がれていく命の熱量、
まさに人間が自然とどう向き合い、どう生きていくかを描いた人生の教科書だということです。
その通りですね。釣りの勝ち負けや超過の数を競うのではなく、自然という鏡を通して自分自身の魂と向き合う、その心髄が一切の妥協なく描かれているんです。
これを聞いているあなたも、もし釣りの知識が全くなかったとしても、産平と魚親の血のつながりを超えた熱い絆や、矢口先生の狂気すら感じるほどの自然への愛と執念に、きっと心を動かされたはずです。
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そして矢口先生のその情熱は、漫画を描き終えた後も決して消えることはありませんでした。
晩年、先生は日本の貴重な漫画文化が散出し、海外に流出してしまうのを防ぐため、
ご自身の全原画を含む約40万点もの原画を秋田の横手市増田漫画美術館に寄贈し、未来の世代へ残すためのアーカイブ活動に全身全霊を注がれたんです。
40万点。ご自身の作品を守るだけでなく、日本の漫画という文化そのものを次の世代に手渡そうとされたんですね。
最後の最後まで本当にスケールが大きく熱い方です。
はい、本当に偉大な功績だと思います。
さて、今回の深掘りを通して大自然と向き合う人々の、そして矢口先生の圧倒的な熱量をお届けしてきました。
最後にあなたに一つ問いかけたいと思います。
矢口先生が自らの人生を削って描いた40万点の原画を次の世代へ託したように、もしあなたに次の世代の子どもたちに50年後まで残してあげたい情熱や記憶、あるいは風景があるとしたら、それは一体何でしょうか。
自分がこの世界を生きた証として何を未来へ手渡すことができるのか、私たち自身の生き方が問われる非常に深く考えさせられる問いですね。
スタジアムのスコアボードには残らなくても、誰かの心に深く、永遠に刻まれるもの、それこそが私たちが本当に残すべきものなのかもしれませんね。
ということで、今回の深掘りはここまでです。お付き合いいただきありがとうございました。
次回もまたあなたの好奇心を刺激するとびきり面白いテーマを深掘りしていきますのでお楽しみに。