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#065 ボランティアという共同体の、曖昧な境界線
2026-04-29 19:44

#065 ボランティアという共同体の、曖昧な境界線

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我孫子市に限らず、ボランティア団体の境界線の曖昧さってあるよね、という話してるけど…やっぱ我孫子的な田舎風のコミュニティだったところもあるのかな?
都会だとどうなんだろ。もしくは規模次第なのか。海外だとまた違うのか。目的によるのか。永久に考えれる…。

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サマリー

このエピソードでは、ボランティア団体の境界線の曖昧さと、それに伴う人間関係の難しさについて語られています。長年活動してきたメンバーが調和を乱したことで脱退を促すことになった事例を通して、包摂と排除の境界線の引き方の難しさ、企業との比較、そしてボランティア活動における安全性や柔軟性について考察しています。

ボランティア団体での問題発生
我孫子市民のひとりごとです。
今日は、ボランティアの話をしたいんですけど、
ちょっとね、ある私の所属しているボランティア団体で、問題の架柱にあるので、
なんていうのかな、細かく喋れないっていうのと、
でも、これはすごい良い問いだな、考えるべきだなって思ったので、喋りたいなって思ったんですけど、
うまく喋れるかどうかわかんないなっていう、前置きをちょっとしてから、本題に入りたいと思います。
簡単に言うと、そのボランティア団体の中で、ある一人のボランティアの方が、
すごい柔らかい言葉で言います。
調和を乱す方なので、何度か話し合いが行われた末、
ちょっと脱退してもらうかっていう話になったのを、
私は目の当たりに見ていて、見ていてというか、経過を旗から見ていて、
すごい考えさせられるなっていうことがあったんですよね。
問題メンバーの特徴と団体の対応
その対象の方、男性なんですけど、その男性の簡単に特徴をまとめると、
ボランティア団体には10年ぐらいいたのかな、
そんな短い期間とかじゃなくて、結構長くいて、支援を続けてこられてたと思うんですけど、
まあどうも問題として上がってきたのは、ここ最近の1年、2年とかの話だそうです。
だからその歴史とかあまりよく知らないです。
知らなすぎるので、私がその男性の方に対してどう判断できないんですよね。
できないんですけど、まあ私があっさりね、もう3回4回話したことあるぐらいの感覚で言うと、
ちょっと頭が固くて高圧的かな、みたいな感じでした。
で、本当にその書面、文章ではその団体側の意見と、その該当する今回の主人公の男性の方の言い分がそれぞれ公開されて、
私もそれはいくつか読んで、それを真として正しいとして受け止めるっていいのかわかんないですけど、
読んでると、これは私的にはもう良くないんじゃないかなと思います、みたいな感じで判断しました。
で、私が一番今回学びになったのは、その長年サポートしてきた男性を団体側で包摂するのか、
それとももうダメだねって、ちょっとこれ以上はダメだねってなって排除する、異物として取り除く、
すごい今強い言葉を使ったんですけど、取り除くのか、排除するのかっていうのの境界の決め方がすっごい難しいなって思いました。
ボランティア団体の境界線の曖昧さ
で、これはもう私的には結論がパキッとは出てないんですけど、ボランティアっていう団体の特性上、なんだろう、境界を曖昧にすることがメリットでありデメリットになるなぁと思ったんですよね。
で、その今回の対象のね、主人公の男性が、これが企業に勤めてて、この団体がね、ボランティア団体が企業で、企業勤めだったらどうだったのかなって思うと、
まあすごい細かい何十ページにもあたる規則にのっとって、これがいいよね、ダメだよねっていうのを判断して、それにその反してない、規則に反してないなら、男性には権利があるので、
労働者の権利っていうんですかね。
なので、簡単に出すことができないんですよ。
日本企業だったらですね、外資系とかだったらすぐにレイオフになると思うんですけど、労働者基準法で守られているので、規則にのっとっていれば簡単には除外できないし、反しているなら、もう懲戒処分があるなぁって思いました。
ただ、ボランティアになると、団体としての団体登録してるから、階層とかそういう規則みたいな、階の説明文みたいなやつって一応あるっちゃあるんですけど、ほとんどないに等しいんですよね。
どちらかというと、こう作りながらみたいな感じなので、それはそのボランティアって目的が大事なんですけど、その場を維持するっていうのが重要なのかなって思います。
企業は分かりやすいですよね。利益が一番の目的なんですけど、ボランティアっていうのは、社会問題を例えば解決したいっていう、それもそうなんですけど、その解決したいって思う仲間が、同じ志を持った仲間が集まって、
大体は少人数ですよね。少人数で取り組んでいく。少人数ってなると、なんだろう、個性もすごいバラバラじゃないですか。真ん中の普通の基準ってめっちゃブレるますよね。母数が少ないんで。
母数の多い企業とかだと、その真ん中ってなんとなく例えば3000人の会社だったら、3000人のうちの2000人ぐらいの中央値とかがあって、なんとなく普通決まる。企業文化とかに近いと思うんですけど、決まると思うんですよね。
それがまあ10人、20人、30人とかのボランティア団体で、しかもその明確に利益を追求するっていう目的があるわけじゃなくて、ふわっとこうなったらいいよね。で、さらにその活動を続けてって、もっとこうなったらよくないみたいな感じで、すごく柔軟に目的が増えていくなって。
本当に今回改めて、ボランティアってこんなだなってちょっと私の中でストーンと音を認識したところがあったんですけど、そういうのだなと思って、ゆるやかに変化もしますよね。柔軟すぎるので、すぎるって言うと変ですね。とても柔軟なので。
で、その変化に、まあそのダメだなって思ったら、NOとかを突きつけることはできると思うんですけど、なんせその目的がすごく曖昧なので、NOも何もなんつーのかな、まあやってみたらいいよねみたいな感じにはなりやすいのかなって思います。
で、会社だとその新しい挑戦に対して、よくも悪くもだと思うんですけど、短期的に評価するタイミングがありますよね。プロジェクトが始まって半年とか1年、まあもう3ヶ月とか短いかもしれないですけど、数字を出してこうだったよねっていうことで、続けるかやめるかみたいなのあると思うんですけど、
全然今回ボランティアの中で新しい取り組みをするとか、そういう話は別に関係ないんですけど、ちょっとした変化とかは、なんだろうな、雰囲気で進んでいくっていうことを言いたい、私は。雰囲気で変化することもあるなぁみたいなことが思いましたね。
変化への抵抗と企業文化との比較
で、その時に、しれっと変化してるかもしれないんですけど、変化ってすごい嫌な人もいるじゃないですか。
で、私はどちらかというと、その男性、主人公の男性が、主人公って言い方どうなんですかね、主人公の男性が、変化に対して、もう逐一これはどうなんだ、みたいなことを、まあ提言することが多かったのかなって思うんですけど、
そうそうそう、なんか起業的だな、この人はって思ったんですよね、この方は。
で、会社っていちいち理由が必要じゃないですか。でも私も今、ボランティアの中にいてそう思うんですけど、あんまいちいち理由いる、みたいな感じになってくるんですよね。
ちょっとこの感覚なんなんだろう、あんまり言語化できてないんですけど。
だからその男性がちょっとおかしいんじゃないのって言ってたことに対して、私は全部、別によくない人でも、みたいなことが多かったなって思って、で、他の方もそういうのが多かったので、ちょっとこの男性めっちゃ文句言い過ぎじゃないっていうのが多かったんですよね。
他にも指摘されている問題はいくつかあるんですけど、そういうところがありましたと。
そういう時に、ちょっとこの団体等にこの男性の思想は合ってないんじゃないのっていうのが、まあ結論の一つとしてあったんですけど、それまでには団体側と主人公の男性の度重なる話し合いはあったようです。
それも行儀惜しいものじゃなくて、ちょっとあの、一対一で腹割って話そうよ、みたいな、どうも柔らかい感じではあったみたいなんですけど、何回話し合っても全然すれ違うみたいなんですよね。
これが企業だったら、上司と部下だとか、上下関係があったりして、いやもうこうしてくださいって言えるけど、なんていうのかな、役所、役員かどうかみたいな違いはあるにしても、ボランティアってあんま上下関係がないんですよね。
だから一人一人がこうなんか主張できるような気がするみたいなところがあって、であとはその、まあ企業だと利益追求があるからだと思うんですけど、昇格もしくは降格っていうポジションのね、上下の変更とかもあるんで、
この人ダメだな、みたいな言われたら、あの全然成績出てないよってなったら下がるし、もしくは成績が良かったら上がって、この人が今一番偉いんだ、みたいな周りからちゃんと認識されるとかもあると思うんですけど、
よくも悪くもボランティアって対等的なので、対等的だけど団体を運営している人たちっていうのは一部、やっぱり役員としていて、そこも難しいですよね。運営するってすごく難しいので、
ある意味、ただね、自分たちが実施する、手を動かして働くっていうのとはまたすごく違う、難しい面とかもあるので、そこのリスペクトは絶対必要だと思うんですけど、
まあでも、一人一人ってなると対等かなって思うので、話は平行線になりやすいっていう構造の問題があるんだなって思ったんです。
話し合いの平行線と脱退勧告
なんか今回、本当ボランティアっていう構造上の問題が生まれて、結構みんな苦労したんだなって思ったので、私的には本当学びが深いなって思ったんですっていう話、本当にずっとその話。
で、その話が平行線になっていった先にどうなったかっていうと、もうその自主的にちょっと大会してくださいっていうことを、主人公の男性側にお願いをしたそうなんですけど、
嫌ですってなって、すごい男性側の言い分もあって、結構いろんなことを、団体側からこれがどうなんだって言われてるけど、これはこうだから全く問題ないですっていうのが本当に何ページも、
何ページっていうか、どんぐらいって、何千字って言うんだかわからないですけど、結構なボリュームで反論があったんですけど、それを見た時に私が思ったのは、まずその直感というか感覚として、やっぱなんか根本的に変みたいな。
変な人だなとか、あと誰のためにやってんのかなとか、そういうのはまずありました。
確かに団体にあってない感じするみたいなところがあった一方、男性の言い分も、なんか正しそうには見えるんですよね。
それは、やっぱり明確にルールとか規則がないボランティアの中でのことなので、変なところから、だってこういうもんじゃん、みたいなことを言われると、そうじゃないとは言い切れないから、
そうじゃないっていうには、だってこう決まってるよねっていう何か文字が必要なので、なんか細かく反論しにくいけど、大雑把には、なんかあんまあってないんじゃないかなっていうのがあって、でもそれを説明するってすごい難しいなって思うんですよね。
で、今回おそらくそのボランティアの規則が変わるんですよね。ちょっと具体的にはわかんないんですけど、ないしなくても本来は動くだろうと思われる境界線、規則を作ることで、
最低限の出口、出口っていうのかな、出口戦略っていうか、出口じゃないか、その団体という集団の、
広い丸の外側の境界線はあった方がいいんじゃないかっていう方向性になってますっていう感じです。
ボランティアにおける境界線の必要性
でもそれは結構重い判断だったんじゃないかなって、ちょっと推察、邪推していって、ボランティアってやっぱ、今回改めて思ったのは、境界線が特に曖昧なんだなって思って、それはね、なんか友達レベルで曖昧なんじゃないかなって思います。
友達って普通、境界線、明確に決めないじゃないですか。自分のお互いの、1対1の友達がいたとして、お互いの世界の境界線が交わらなくなったら、どっちかが離れるとか、どっちも離れるってあると思うんですけど、でも別に名分はしないじゃないですか。
ここまでが友達ですなんて言わないじゃないですか。それに近いと思ってて、その曖昧さっていうのを持った方が、保ち続けた方が多分柔軟性が高いんだろうなって思うんですよね。
だって企業って境界線がはっきりしてるから、柔軟じゃないじゃないですか。わかんないけど。そうそうそうそう。
すごくちっちゃい企業とかだと、そんなバチバチに決まった規則とかがある、そんなにはないと思うんで、結構柔軟かもしれないんですけど、
1,000人、3,000人、1万人とかなってくるにつれて、規則ってもう辞書かよっていうぐらい増えてくると思うんで、なんだろう、すごく動きにくいところはあると思うんですよね。
っていうのとは対照的だなって思ったんですけど、でも時には境界が必要になることがあるんだなぁと思って、あれかな、人数の問題なのかな、団体、集団の規模、大きさの問題なのかもしれないんですけど、
これってあの、なんだろう、私の浴び腰に限らず、本当にボランティア全体的に言えることなのかなって思うので、ちょっと長々とね、思ったことを言ってみました。
ボランティア活動の意義と安全性
ちょっとね、何言ってるのかわかんないなって感じかもしれないんですけど、そもそも情報もぼやっとしているし、あの、パキッとしない話なので、ずっと曖昧だよねっていう話しかしてないんですけど、めちゃめちゃ勉強になりました。
っていうボランティアって本当面白いなっていう体験でもあったかなと思います。
はい。
そういえばそのボランティアでそのサポートする対象がどうなのかっていう話には触れなかったんですけど、やっぱそのボランティアって何か課題を解決したい、社会に貢献したいとかそういうのがあって、その問題を解決する、サポートされる側の問題が解決したよねっていうのはもちろん大事だと思うんですけど、
やっぱやる側の安全性、ボランティアをする側っていうのがもしかして一番重要なのかなっていうのをふと思いました。最後に。さらに意味わかんない話をつけだしました。はい、以上です。
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