便利すぎるカタカナ語に潜む“無責任さ”と、誰もが口にする「リソース」という言葉への違和感
ビジネスの現場やIT業界はもちろん、日常生活や学習、さらにはゲームの世界に至るまで、私たちは日常的に「リソース」という言葉を耳にします。「人的リソースが足りない」「PCのリソースを監視する」「リソース不足で計画が遅れた」——まるで当然の共通言語であるかのように使われているカタカナ語です。
しかし、「リソースが不足しているので対応できません」と告げられたとき、胸の奥にどこかモヤモヤとした違和感を覚えたことはないでしょうか。「言っていることはもっともらしいけれど、結局何が問題なのかさっぱり見えてこない」という、捉えどころのない歯がゆさです。
このモヤモヤの正体はいったい何なのでしょうか。
ある日、jazzywada氏とAI(Grok)との間で行われた対話ログの中に、この違和感を紐解く大きなヒントがありました。そこには、言葉の本質と、便利すぎるカタカナ語を安易に使うことで生じるコミュニケーション上のリスクについての深い気づきが収められていたのです。
便利すぎる言葉の裏に潜む「具体性の欠如」と「無責任さ」を解き明かし、言葉の解像度を上げて誠実なコミュニケーションを取り戻すための3つの気づきを、一緒に辿ってみましょう。
そもそも「リソース(resource)」とは、どのような概念なのでしょうか。英語の resource(資源・資材・手段)をカタカナにしたもので、日本語の「資源」「資材」「人手」「材料」に近いイメージを持ちます。基本的には「何かの目的を達成するために使えるもの・材料・力」という意味で用いられます。
対話ログの中でも整理されているように、この言葉は実に幅広い分野で使われています。
- 一般的な意味: 自然リソース(石油・水・森林など)、プロジェクトで使えるもの(お金・人・時間・機材など)。
- ビジネス: 人的リソース(人材)、予算リソース(配分する資金)、特定事業へのリソースの集中。
- IT・コンピュータ: PCのリソース(CPUの処理能力やメモリ容量)、サーバーのリソース(処理負荷や使用量)、Webリソース(ネット上のファイルやページ)。
- その他: 学習リソース(教材・動画・書籍など)、ゲームのリソース(必要なアイテムや素材)。
jazzywada氏は当初、「人間が働きかけて、何かを“でっちあげる”(作り出す)ときに必要な“元”となるもの、というくらいの意味だろうか」という素朴で直感的な問いを投げかけました。何かを形づくるための「元」という捉え方から一歩踏み込み、対話を通して抽出された本質的な定義は、以下の通りです。
料理を作るときの食材や調理器具・時間、新商品を開発するときのお金・人材・設備・技術情報・時間、プログラムを書くときのプログラマーの労力やPC性能・開発ツール——これらすべてが「リソース」に含まれます。対話の中で集約された核心は、次の言葉に表れています。
「人・お金・時間・道具・情報・エネルギー なども含めて、『何かを達成するために使えるもの全般』を指す」
人、お金、時間、道具、情報、エネルギー、場所。本来であればそれぞれ全く異なる性質や対策を必要とする概念が、なぜ「リソース」という一言で片付けられてしまうのでしょうか。
それは、この言葉が「何かを成し遂げるために投入できるもの全般」をひとくくりにできる、非常に使い勝手の良い「万能のバケツ」だからです。しかし、あらゆる要素を一つのバケツに放り込めてしまう便利さがあるからこそ、私たちの思考や発言が大雑把になり、解像度が下がってしまうという罠が潜んでいます。
対話の中で得られた最も大きな洞察は、「リソースが足りない」というフレーズが周囲に与えるネガティブな影響についてでした。
「リソースが足りない」という表現は、一見すると合理的で専門的な理由のように聞こえます。しかし実際には、何が(人?お金?時間?場所?スキル?)、どれくらい足りないのか、本当に別の手立てはないのかという「具体」が一切見えてきません。そのため、聞き手には「できないことの言い訳を、意味もなくしているだけ」「無責任な発言」と捉えられてしまうのです。
この問題について、対話ログでは次のように鋭く指摘されています。
「リソースが足りない」だけだと、「なんか足りないらしいけど、何が足りないのかよくわからないし、責任の所在も曖昧」という印象になりやすい。
ここで重要なのは、抽象的な言葉を使うことが単なる「言葉遣いの好み」にとどまらないという点です。
「リソースが足りないから無理です」と処理してしまう心理の裏には、何が本当の問題なのかを自分自身で考えることをやめてしまう「思考の放棄」と、自分自身の責任から目を背けるための「心理的防壁(保身)」が働いています。
言葉の解像度を下げて曖昧な概念に逃げ込むことは、自分の思考の解像度をも下げてしまい、問題の根本原因を見失わせます。結果として、自分自身の責任の所在まで曖昧になり、誠実な課題解決の機会を自ら手放してしまうことになるのです。
「リソースが足りない」と曖昧にごまかすのではなく、不足している要素をありのまま具体的に伝えるだけで、コミュニケーションの誠実さと伝わりやすさは劇的に変わります。
対話ログに示された「曖昧な言い方」と「責任ある(具体的な)言い方」を比較してみましょう。
- 曖昧な言い方: 「リソースが足りないので対応できません」
- 曖昧な言い方: 「リソースの制限により機能を削ります」
- 曖昧な言い方: 「リソース不足のため来月までお待ちください」
何が不足しているのかを具体的に言葉にすることで、聞き手側も「それなら追加の人員を手配しようか」「予算の配分を組み替えようか」「納期の優先順位を見直そうか」といった、次の具体的なアクションや解決策の検討へと即座に移行できるようになります。ただ「できない」と突っぱねるのではなく、次の展開を生む会話ができるかどうかが、誠実さの差となって現れるのです。
この気づきを得たjazzywada氏は、「可能な限り『リソース』という言葉を使わないようにする」という決断を導き出しました。
これに対しGrokも、「具体をぼかしてしまうことが多い言葉だからこそ、使わないようにする判断はかなり健全である」と強く賛同し、「『人が足りない』『時間が足りない』『お金が足りない』『場所がない』のように、具体的に言う方がずっと誠実で伝わりやすい」とそのスタンスを高く評価しています。
「リソース」というカタカナ語は、多種多様な「使えるもの」を包括できる非常に便利で使い勝手の良い言葉です。しかし、その便利さに頼りすぎてしまうと、伝えるべき重要な事実が隠され、思考も対話も大雑把になってしまいます。
安易なカタカナ語で物事を片付けるのをやめ、自分の言葉で「具体的に何が不足しているのか」を明確に語ること。
言葉の解像度を上げることとは、単に言葉遣いに細かくなることではありません。それはそのまま**【思考の解像度を上げること】であり、自分自身の課題に嘘をつかない【誠実な人間関係・仕事の信頼関係を構築すること】**そのものなのです。
明日、仕事や日常の会話の中で「リソースが足りない」と言いそうになったとき、一度立ち止まってみませんか?
そして、「本当に足りないものは何か(人なのか、時間なのか、お金なのか、場所なのか)」を、自分の言葉で具体的に発信してみてください。たったそれだけの意識で、あなたの思考はどこまでも明晰になり、周りからの信頼と伝わり方は大きく変わるはずです。
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!