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odajin
プロダクトの責任者的な自分になるのか
なんかそういうLISTENを作ってる時って
どういう側面が出てきてるんですか
jkondo
何やろう
odajin
美しくコードを書きたいとか
分かんないですけど僕はプログラマーじゃないので
jkondo
そこはそんなに
そんなにって言ったらあれですけど
なんかでもどうかな
書かれたことをうーんって考えてて
これはこうするのがいいって
パンと見える瞬間っていうのがあって
そうなったらすぐ作るし
なんかまだちょっと
これなのかなこれなのかなって
見えたって感じにならない時はちょっと寝かす感じですが
odajin
その見える見えないは
実装可能かどうかみたいな
技術的な部分が大きいんですか
jkondo
いろいろですね
今初めてそんな視点で考えますけど
結構複合的な気がしますね
odajin
どんな要素がそこにはあるんですか
jkondo
もちろん技術的に
ある程度綺麗なというか
無理のない
ちゃんとした設計が作れるかというか
実装できそうかっていうのもあるし
僕は結構UIとして
イメージが湧くかみたいなのもあったりするんですよ
この画面にこういうボタンがあるのは
なんかありな気がするとか
ここにこんな変なUIがくっつくのはちょっと
なんか無駄な感じがするとか
そういうインターフェースとして
こういう機能がくっつくのって
イメージ湧くか?みたいな
インターフェースもありますし
あとは他とのバランスで
それってあの機能とよく似てるんで
分からなくなったりするんじゃないかなとか
全体としてそれが無駄に見えないかっていう
もうちょい広い視野のことですとか
もっと広くすると
歴史的に見てこういうのってたまに出てくるけど
すぐ使われなくなるよねみたいなのになってないかっていうのもあります
odajin
その入れたはいいけど
使われなくなっちゃうみたいなものを
作ってもそれは意味がないというか
jkondo
一部の人には意味あると思うんですけど
やっぱり作れるもんって限られてるんで
できるだけたくさんの人に共通で
メリットを感じてもらえるものから作りたいとは思うんで
そうなった時に一人だけを喜ばすものよりは
やっぱり10人100人の人が喜んでくれるものからやりたいっていうのって
その時にやっぱりこれはごく一部の人が喜ぶものなのか
多くの人が喜んでくれるものかとか
一瞬盛り上がるけどなくなるものか
ずっと長く使ってもらえるものかとか
そういう人数かける時間みたいなのがあるかもしれないですね
odajin
じゃあやっぱり使ってくれる人のことを考えるというか
ユーザー視点みたいなものはすごく重要なんですかね
jkondo
ユーザー視点というか結局人の行動ってそんなに変わらないと思うんで
例えばですけどミクシーに足跡機能ってありましたよね
今例えばLISTENでエピソードページを見た人を全員記録して
誰が閲覧したか全部見えるようにしますっていうのをやれば
もっと顔が見えるようになって配信者嬉しいですって
例えばやってくれませんかって要望が来たとするじゃないですか
それは確かに見えたらちょっと嬉しいかもしれないってまず思いますよね
でも歴史をひも解くとミクシーで起きたことっていうのは
見えすぎてなんか既読するみたいな感じで
見てるのになんで星も押さないのみたいなことに繋がったわけじゃないですか
結局それで気を使いすぎて見えないとか
いざこざが起きて廃止になったっていう歴史があって
それが今インスタのストーリーとかだったら逆にOKなわけですよね
見た人は見えるようになってるけどなんとなくOKと
それってなんかフェイスブック社にメタ社に文句言っても仕方ないから
なんとなくそういうもんだと思って受け入れてる日本人みたいなのがあって
でも日本の企業が足跡機能つけると文句言い始めるんですよね
みたいな歴史的な事実としては一応あるじゃないですか
ってなった時に日本企業であるLISTENが足跡機能みたいなのつけました
でもそれが気になって閲覧できなくなっちゃいましたとかって
なったりする可能性があるなとかっていうのを思うと
ちょっと踏み込みすぎかなとかそういう時に
これがちゃんとずっと長く受け入れられて
残りそうかどうかみたいなことを考えて
これならいけるって思うかどうかっていうのがあるかもしれないです
odajin
それはやはりプロダクトオーナーというか、
サービスの生みの親としての責任者としての感覚みたいなものなんですかね
jkondo
僕がどうっていうよりは人が何を求めてるかだと思うんですよ
結局もっと見たいっていう欲だったり
見たことを人に知られたくないっていう欲というか願望だったり
それぞれの人の思っているやりたいことのバランスだと思うんで
僕が決めることでもないっていうか
odajin
近藤淳也という個人というよりは
LISTENだったらLISTENっていう
サービスが主語になってるというか
jkondo
いやーっていうかもう使ってる人が主語ですね
人がやりたいことにしか歴史って進まないと思うんで
odajin
なるほど
そういう意味では
ああいうユーザーの声をディスコードとかで直接聞きながら
開発をしていくっていうのは近藤さんとしては
自分として望んでるスタイルというか
僕あれ見てて最初思ったのは
こんな色んなのが飛び交ってきて
ブレちゃわないのかなとか
わずらしくないのかなとか
そんなにみんなで開発されてるわけじゃなくて
近藤さんが中心で一人でやってらっしゃるんで
大変じゃないのかなみたいに結構最初思ってたんですけど
ちゃんとそこにはユーザーの生の声を直接聞くみたいなのが
開発者としては大事にしてるってことですか
jkondo
全てがそこですね
一番大事なのが
ありがたいというか
それがなかったらちょっと難しいと思いますね
続けるのが
odajin
ちなみに近藤さん自分でも使ってるじゃないですか
ユーザーとしての自分と開発者としての自分みたいなのは
視点が違って見えたりするものがあったりするんですか
jkondo
自分が使ってるからまず
大体このほうがいいよねっていうのが
人に聞かなくてもわかるっていう意味で
絶対自分がユーザーだったほうがいいと思うんですし
絶対ユーザーだったほうが有利だと思うんですけど
ただやっぱり僕の使い方は僕の使い方でしかなくて
全員が同じ使い方とか同じ性格ではないじゃないですか
そうすると自分と違うタイプの人に使ってもらえるようにするには
自分と違うタイプの人がどう感じてるのかっていうのを知る必要があって
そのためにはやっぱりたくさんの方の意見とか声を聞いてないと
すぐわからなくなると思うんで
むちゃくちゃ貴重ですね
なんかそれ結構僕「IBUKI」で学んだことで
僕自身がトレイルランナーで
odajin
そこから始まったっておっしゃってました
jkondo
その後いろんなレースで「IBUKI」を今使ってもらってるんで
レース会場に行くことがすごい多いんですよね
レースの主催者さんとか選手の方とものすごい話す機会が多いんですよ
現場に行くのは大変なんですけど
「IBUKI」やってて思ったのが
昔ブログとか作ってた時と違いとして
めちゃくちゃ現場に足を運んで
いつも使ってる人の様子を見ることができるんで
開発がブレない全く
次に必要なものは勝手に見えるっていうか
様子見てたら今ここが困ってるとか
こういうのやってあげたら絶対喜ぶやろうなみたいなのとかが
様子見てたらわかるんで
作って外したことがほとんどないんですよ
よくわかったんです
めちゃくちゃそれは大変なんですけど現場に行くのは
でもやっぱり使ってる人との接点をちゃんと持つっていうのは
外さない開発のためにはめちゃくちゃ大事なんだなっていうか
逆に言ったらこんだけ接してたら
ほぼわかるんやなって自ずと何がいるかがっていうのが
結構「IBUKI」の学びで
だからそれをとにかくどうやったら維持できるかっていうのを考えてます