広島市出身の大女優が、今年、没後20年を迎えました。
日本演劇界を支え続けてきたカリスマ的女優、杉村春子。
広島に生まれ、広島に育った彼女は、築地小劇場の入団試験を受けたとき、試験官の演出家・土方与志(ひじかた・よし)にこう言われました。
「キミは、ひどい広島訛りだねえ」。
自分では気づかぬほど、ふるさとの言葉は体に沁みついていました。
試験に落ちたと思いましたが、
「使い物になるかどうかはわからないけど、3年くらいはセリフなど言えないつもりで標準語を学ぶなら、まあ、いてみなさい」
と言われました。
広島の女学校の代用教員をしていましたが、劇団の合否を待たずに辞めてしまっていたのです。
「しかしあれだねえ、こっちに入れるかどうかわからないのに、仕事を棒に振って東京に出てきて、キミってひとは、思い切ったことをするひとだ」
そういって土方は笑いました。
「まあ、いてみなさい」
そのたったひとことが、女優・杉村春子の原点でした。
たまたまオルガンを弾きながら賛美歌を歌う役に欠員ができて、演奏できる杉村が抜擢されました。
女学校の先生をしていたことも役に立ったのです。
でもそのときは、ただ歌うだけで、セリフはありませんでした。
以来彼女は、言葉に敏感になりました。
芝居とはすなわち言葉であると、セリフの勉強に最も心を砕いたのです。
文豪・三島由紀夫は、こう評しました。
「姿の水谷八重子、セリフまわしの杉村春子」。
三島は、杉村の演技、とくにセリフまわしに惚れて、彼女は、三島戯曲になくてはならぬ存在になりました。
幾多の困難を乗り越え、演劇史に残る足跡を刻んだ女優、杉村春子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
日本演劇界を支え続けてきたカリスマ的女優、杉村春子。
広島に生まれ、広島に育った彼女は、築地小劇場の入団試験を受けたとき、試験官の演出家・土方与志(ひじかた・よし)にこう言われました。
「キミは、ひどい広島訛りだねえ」。
自分では気づかぬほど、ふるさとの言葉は体に沁みついていました。
試験に落ちたと思いましたが、
「使い物になるかどうかはわからないけど、3年くらいはセリフなど言えないつもりで標準語を学ぶなら、まあ、いてみなさい」
と言われました。
広島の女学校の代用教員をしていましたが、劇団の合否を待たずに辞めてしまっていたのです。
「しかしあれだねえ、こっちに入れるかどうかわからないのに、仕事を棒に振って東京に出てきて、キミってひとは、思い切ったことをするひとだ」
そういって土方は笑いました。
「まあ、いてみなさい」
そのたったひとことが、女優・杉村春子の原点でした。
たまたまオルガンを弾きながら賛美歌を歌う役に欠員ができて、演奏できる杉村が抜擢されました。
女学校の先生をしていたことも役に立ったのです。
でもそのときは、ただ歌うだけで、セリフはありませんでした。
以来彼女は、言葉に敏感になりました。
芝居とはすなわち言葉であると、セリフの勉強に最も心を砕いたのです。
文豪・三島由紀夫は、こう評しました。
「姿の水谷八重子、セリフまわしの杉村春子」。
三島は、杉村の演技、とくにセリフまわしに惚れて、彼女は、三島戯曲になくてはならぬ存在になりました。
幾多の困難を乗り越え、演劇史に残る足跡を刻んだ女優、杉村春子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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