00:07
ごう
はい、みなさんこんにちは、こんばんは。康太郎雑技団チャンネルです。このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対話を通して、さらに次の作るを表現する番組です。
今日はお二人の方にお越しいただいております。まずは千秋さんよろしくお願いします。
ちあき
はい、千秋です。よろしくお願いします。
ごう
はい、ありがとうございます。GOさん、よろしくお願いします。
ちあき
はい、GOです。よろしくお願いします。
ごう
よろしくお願いします。
今日はどんなテーマで話をしましょうかというふうに、以前3人で話をしたんですけれど、
経年変化って言葉ってよくあるじゃないですか。
ちあき
うん。
ごう
で、経年変化ってよくあるよねっていう言葉にちょっと引っかかりがあって、
いや、変化じゃなくてやっぱり経年美化なんじゃないかみたいなところの話をこの3人でしたことがあって、
今日はこの経年美化というようなところで、ちょっと3人で話をしていきたいなというふうに思ってますという感じなんですけど、
この経年美化っていうようなところを聞いて、まずそうですね、
豪さんは思うところとか、普段お仕事を通す中で感じるところとかあれば伺いたいなというふうに思いますけど、どうですか?
ちあき
はい、ありがとうございます。
ごう
すぐ浮かぶのはですね、木材の経年美化のことをやっぱり連想しますね。
普段はその自然素材、木材を使った住宅の設計をしているので、
そういった経年での美化っていうのをいつも仕事で見ているってこともあるので、最初の連想はやっぱり木材かなという感じですね。
しあきさんはどうですか?
ちあき
はい、私も偶然木材を使って家を作りをしているので、木材ももちろんなんですけど、
もうちょっと生活の身近というか小さいものでいくと、
革とか革製品とか、あとデニムとか、漆器っていうか漆の器とか、
そういったものを長く使って大事に使っていくうちに味が出ていくっていうような、そういうのも経年美化かなと思います。
03:03
ごう
ありがとうございます。
僕がちょっとこう、その経年美化っていうところでお二人ちょっとまず伺いたいのは、
木材とか革とかデニムみたいなところがあると思うんですけど、
その美しいなって、ああこれなんかすごいいいなって思うところってどんなところなんですかね?
ちあき
なんかビジュアルで言うとなんかこう艶が出るとか、あと色が変わってくるとか、
ちあき
そういうのはなんか美しいなって感じますね。
そうですよね。
ごう
そうですね。木材で言うとこう、飴色に変化してきたりとか、
ちあき
ですかね、ビジュアルで言うとそういったことなのかなと思うんですけど、
でも美しいってなんだろうって考えることがやっぱり大事かなと思うんですよね。
美しいって何ですかね?
ちあき
なんかテーマでっかいね。
ごう
そうそう、美しいとはね。
ちあき
そうですね。
ビジュアルじゃないところの何かがあるのではないんですけど。
ちあき
そうですね。大事に思う気持ちがくっつくと美しい感じがしますね。
ちあき
美しいって人間の感情だから、
ちあき
なんかそんな気がします。
ごう
主観ですよね、美しいって。
ちあき
そうですね。
本当に。はい、どうぞ。
主観っていうことで言うと、なんか人間の記憶とか、
例えばお手入れをするものであったら手入れをした記憶とか、
ちあき
一緒に誰かと時間を過ごした記憶とか、
そういうものが物にくっついていると、そのもの自体が愛しい感じがしたり、
引いてはそれが美しいなって思うような気持ちって感じがしますね。
ごう
そうですよね。愛着が湧くみたいなところとセットで考えられるのではっていう仮説はありますよね。
ちあき
そうですね。
06:02
ごう
なんかイギリスに民家を見に行ったことがあるんですけど、
ちあき
イギリスの家って、向こうは地震がないせいもあるんだと思うんですけど、
ちあき
すごい長く、長持ちしているというか、
だいたい地区250年とかなんですね。
すごい。
ちあき
すごいんですよ。
ちあき
だから、やっぱりそれだけの長い年月、もちろん同じ人が住んでいるわけじゃないから、
だんだんいろんな家族であったり、家自体を売ったりして住みついているんですよね。
ちあき
住みついていく過程で、もちろんお手入れをしたり、
壁を自分で塗ったり、修理も自分でやったりということをやっていくんですけど、
やっぱり向こうのイギリスの人たちっていうかヨーロッパの人たち自体が、
家のメンテナンスは家事だと思っているんですよね。
ハウスキーピング。
だから、日本だと何か壊れたりするとすぐ業者さんを呼ぼうみたいな感じですけど、
イギリスの家ってヨーロッパの家はみなさん自分でまず直すし、
いろいろその、普通は業者さんを呼ぶところを、
ちあき
割と自分で全部何でもやってしまうんですよね。
ちあき
そうやって手をかけて長く住みついていくっていうことが、
美しさにもつながっているなっていう感じにしますよね。
ごう
ちょっと話していいですか。
家を修理をするっていうのも、
自分でやるみたいなところの話があったと思うんですけど、
父親が川の卸をやっていた、バッグのトン屋をやっていたみたいな関係もあって、
昔から川にも結構触れることがあって、
川靴なんかも結構、最近はみんなスニーカーの文化が多いんですけど、
仕事上も履く機会があるので履くんですけど、
ちあき
やっぱりリペアに出した靴って、
愛着というか、これ完全に俺のものみたいな感じになるんですよね。
ごう
一回修理に出すっていうことで、
完全にこれ僕のものだったりとか、
ちょっと手間をかけると違うかもしれないですけど、
改造ってあるじゃないですか。
プラモデルを改造するでもバイクを改造するでもいいんですけど、
ひとつ手をかけることによって、
自分の魂がそこに乗るみたいな感じのところがあるような気がしていて、
09:04
ごう
それによって長い時間所有したりとか、
さっきで言うと、
愛着がおはくみたいな話になってくるのかなって今ちょっと思いました。
ちあき
そうですね。
ごう
なんかあれですかね、
身体性とちょっと関わってくるような気もしますね。
ちあき
取り口。
ごう
その、何でしょうね。
自分で顔を磨いたりするのもそうだし、
自分で手を動かさなくても、
それを誰かにお願いするっていうのもいいと思うんですけど、
何かそういう行動を取っているっていうことが刻まれていく。
刻むね。
何でしょうね。
主体的な行動なのかな。
逆に愛着が湧かないものって何ですかね。
確かに。
面白い、それ。
愛着が湧かないものね。
携帯電話とか死ぬほど触ってますけど、
何かそこまで愛着が湧かないじゃないですか。
確かに。
いや、こんなこと言うと何か、
ちあき
明日僕の携帯電話壊れそうで嫌なんですけど。
ごう
ゼロではないですけど、
愛着が湧かない。
他の革靴とかに比べると、
ちあき
死ぬほど触ってる。
ちあき
でも何か若い子たちとかは、
割と携帯デコったりしてるから、
すごい愛着ありそうな気もする。
大人になるとデコらない。
ごう
ちょっと経年美化から離れそうで、
あんまりそっち行っちゃいけないと思うんですけど、
手間をかけることによって、
オリジナル、自分のオリジナルが出てくるっていうところで、
離さずに、
そこによって、
ちあき
所有するというか、
ごう
そこによって、
自分で手をかけたっていうことによって、
その本によって、
ちあき
意外と自信みたいなのが出てくるのかな、みたいな。
ごう
所有の概念とかと関わってくるのかなと思うと、
ちあき
いや、所有とは違う。
12:03
ごう
なんだかここがちょっと、
ちあき
当然クリアにならなくて全然いいんですけど、
家にずっと着続けてる洋服とかないですか?
ごう
ありますね。
ちあき
ありますね。
ごう
それもそういう感じかな、みたいな。
ちあき
あるわ。
ちあき
そういうのって、
本当にボロボロになるまで着るけど、
着に行ってないのって、
綺麗なままだけどずっと着ないみたいなのありますよね。
ごう
ね。
なんすかね、説明できない着心地。
ちあき
身体性。
ちあき
その身体性解明したい、みたいな。
ごう
ここに生きてますよね。
そいつと、あそこの服と。
ちあき
確かにね。
ちあき
さっきのイギリスの家の話にすると、
それってほら、250年とか300年だから、
1個人の愛だけじゃなくて、
誰かが手をかけたっていう、
その愛の記憶ごと、
次の人に渡されるんですよね。
そうやって、
愛の記憶が次の人に渡される、
リレーみたいなこともできちゃう。
ちあき
ただ手をかけただけではなく、
ちあき
その手をかけたっていう記憶とか、
物語感みたいなものが、
ちあき
理解になるんじゃないかなって思ったり。
今の千彩さんの話を受けて思ったことは、
ごう
設計をしているときに、
めちゃくちゃ愛着が湧いてくるじゃないですか。
ちあき
わかる。
ごう
現場が始まって、
どんどんそれが作られていって、
どんどん一人で勝手にって言ったらですけど、
愛着が湧いていくんですよね。
でもそれはもちろん自分の所有別ではないですし、
引き渡されていくものなんですけど、
ちあき
そういう愛着の持ち方もありますよね。
ごう
ありますね。
ちあき
生み出すときに。
ちあき
本当、こういう形になって、
こういうお部屋ができて、
ここで家族がご飯を食べるんだろうなとか、
一人でいるときはここに座るかもなとか、
ちあき
いうのを想像しながらお家を作って、
ちあき
家をだんだんできてくると、
現場の鍵っていうのを、
現場側が持ってるんですね、公務店とかが。
15:02
ちあき
私も公務店で働いてたから、
現場の鍵を私が持ってて、
現場で打ち合わせするとき、
お客さんが来て帰られるときは、
家の中にいて鍵を閉めるのは、
私の係なんですよ。
でも、家ができあがって、
鍵をお客さんに渡すと、
今度は私が、
じゃあまたって言って、
ドアを外に入れる側なんですね。
その入れ替えが、
ちょっと懸念な形だけど、
ちあき
すごく面白いなと思って。
ちあき
分かりますね。
多分、どちらもその家に対する
愛着がある時点なんですよね、すごく。
ごう
そうですよね。
いいのありますね、そういうことは。
お二人の話を聞いてると、
僕は設計もしないし、建築も。
家にある洋服みたいな、
どうしても毎度毎度同じ服を着ていて、
この前、日焼けしちゃったポロシャツなんか
また着て、
嫁に怒られるみたいなのがあったんですけど、
ちあき
そこって、
ごう
今お二人の話を聞いてて、
手間とか愛着っていう中に、
ちあき
思い出みたいなのが乗っかっているのかなって。
ごう
そのシーン、洋服の場合は具体的に
パパンって出てこないんですけど、
お二人の作るプロセスが振り返られるのかなみたいな。
ちあき
時間の経過の中のものが出てくるのかなって思っていて、
ごう
それを僕は自分の家の洋服で言うと、
どうしても捨てられない洋服があって、
その洋服の着心地と
合わせて、
あの時にこういうところで着てたなみたいな、
思い出がふっと浮かんでくるみたいな、
そういうのってやっぱり、
今の家のお話を聞くとやっぱりあったりするんですかね。
ちあき
思い出はキーワードですね。
ちあき
みなさん、小さい赤ちゃん用の椅子とか、
なかなか捨てられずにいたりしますよね。
ちあき
そうですね。
縦替えの時とか、
ごう
なかなかありますよね。
ちあき
やっぱり思い出があったりするんですよね。
ごう
古い家のランマを、
これは新しいお家でも使ってほしいとか、
ちあき
言われますよね。
大工さんに言わせると、
そんなに大きなものを使ってほしいとか、
18:04
ちあき
同じものなんですけど、
捉え方がやっぱりね、
違いますよね。
そこにやっぱり思い出とか、
愛着が。
今ね、たまたま、
ごう
先輩が設計してるお家で、
ほぼほぼ完成ですよね。
大工さんに言わせると、
そんなに高級なランマじゃないのにね、
ちあき
って言われたりすることがあるんですけど、
そういうことじゃないんですよね、きっとね。
もうほぼほぼ完成してるのは、
お父さんが亡くなられたんだけど、
もともと大工さんで、
自分で設計して作った家っていうのを、
建て替えて、
二世帯住宅にしますっていう家なんですよ。
昔の家の、
昭和の家って感じの家なんですけど、
今の家って、
天井と壁に見切りとかがあんまり入ってない、
つるっとした感じになってるんですけど、
それをわざわざ昔ながらの回り口っていうのを入れて、
昭和なデザインのまま、
レイアウトなんかも昔っぽい感じで、
昔の建具をそのままドアを使ったりとかして、
もう本当に、
お母さんが亡くなったお父さんが建ててくれた家と、
ほぼ一緒の感じにしてほしいっていうご要望を、
まさにいい感じの家で作られて、
2階はめちゃくちゃ今風の家っていう、
子どもさんの世帯が住まわれるんで、
でもそういう、
新しく新築だけど、
ちあき
すびつぐみたいなこともあるんだなと思ったりして、
素晴らしいお仕事ですね。
ちあき
見に行きたいですね。
ごう
つぐっていう言葉はいいなと思っていて、
つぐとか、
家はすごくわかりやすいですよね、
つぐっていうところの象徴で、
経年美化のところでいくとやっぱり時間をかけて、
ちあき
わかんないですけど、
ごう
受け取る側の思いもあったりとかするのかな、
それまで、
例えば、
時計なんかがわかりやすいのかな、
結構、
両親が使ってた時計を今つけてます、僕みたいな、
高校時代の友達がめちゃくちゃ高級時計を持っていて、
何だよこれとか言って、
これちょっと父親からもらったんだよね、
みたいな感じの、
そういう風?
そうですよね、
21:00
ごう
今、
ちあきさんがまさしくおっしゃったような、
その時間の経過の美しさとか、
素敵さ加減ってやっぱあるなと思っていて、
そこにやっぱり経年美化みたいなところの発想が出てくるんですけれど、
僕らはどうしてそこに素敵だと思ってしまうんだろうか、
みたいなところがあるんですよね。
やっぱり自分の中の思い出と重なる部分があったりするのかな。
思い出はありますね。
思い出を作るために生きてるって三浦純が言ってましたよ。
ちあき
おー、なるほどね。
僕すごい良い言葉だなって思ったんですけど、
本当ですね。
ごう
何も持っていけないんですよね、あの世には。
でも多分思い出は何とかなるかもしれない、
ちあき
持っていけるかもしれないみたいな。
ごう
思い出と共にあるパターンが多いかもしれないですよね、
ちあき
経年美化はやっぱり。
ちあき
そうですね。
何かあの世に持っていけないっていうのもあるし、
ちあき
思い出はずっとみんなに残していけるかもしれないしね。
あー、そうですね。
ごう
確かに確かに。
ちあき
それが次いでいくっていうことにもつながっていきますよね。
ごう
その次っていうところで言うと、
いっぺんのとは言わないですけど、
ひとかけらのというか、
昔でわかりやすいところを言うと、
柱に身長をこう、
傷をつけていってみたいな。
ちあき
はいはい。
ごう
っていうのって思い出じゃないですか。
ちあき
そうですね。
ごう
その傷じゃないけど、
ガッと入れたところを見ると、
その映像が多分僕らの中には頭の中で出てきていて、
あんなちっちゃかった子がー、みたいな。
ちあき
そもそもそんな感覚ですかね。
ごう
なんかそれを見て単純に、
ちあき
この時120センチで、
ごう
あんま思わないですよね。
事実をそのまま受け取るというよりは、
何かやっぱり想像しますよね。
ちあき
多分それが自分のじゃなかったとしても、
ごう
想像をかきたてられるものに対して、
そこに自分の愛着はないかもしれないけど、
そういう誰かの思い出があるんだろうな、
24:00
ごう
って想像できるものはやっぱり、
美しいと思えるかもしれないですね。
ちあき
確かに。
ごう
永年美化ちょっと追求したいですね。
もう今話聞いてて、
柱の傷でいうと、
傷も思い出になるし、美しさになるんだと思って。
ちあき
そうなんですよね。
ちあき
小学校が廃校になったりするときに、
小学校の机を小材屋さんとかに売って、
そういうのを集めて売っているお店があるんですよね。
長野かな?
リビングセンターっていうところなんですけど、
リビセンで、
本当に美容院が潰れたときの、
美容院のパーマのお釜がついた椅子とか、
小学校の机もだし、
昔何かあったお店で使われてきた色んなものが、
使用用途としては新しいもののが、
それはみんないいのかもしれないけど、
かつてここでこういうお店があって、
そういうふうに使われてきたものたちっていうのに、
みんなそれぞれ何か思いを馳せて、
何か買っていくんですよね。
ごう
分かる、それ分かる。
小学校のときの椅子って、
番号振られてるじゃないですか、サイズで。
5とか。
ちあき
ありますね。
ごう
あの椅子欲しいなといつも思います。
家に置いてあったらめちゃくちゃぎこちないんですけど。
ちあき
映画館の椅子とかね、
亡くなっている映画館の椅子。
飲食店で使ってたお皿たちとか、
小学校の床材の木、
一本一本に全部値段がついてたりとか、
どっかの開店祝いで配られた、
お店の名前が入った鏡とか、
昔あったじゃないですか。
ああいうの売ってるんですよ。
物語の集積です、本当に。
ごう
本当ですね。
話が尽きないんで、
そろそろあれなんですけど、
次回のテーマをちょっと投げ込んでいいですか。
全然当初想定してた以上の話が出てきたんですけど。
ちあき
本当ですね。
ごう
次回のテーマは、
なぜ我々は経年美化に惹かれるのだろうか、みたいな。
そんな感じで話したら面白いかなって思いますので、
今日は一旦こんな感じで、
27:01
ごう
次回皆さんお楽しみください。
お楽しみにお待ちくださいって感じで。
こんな感じで、
今日は終了したいと思います。
ありがとうございました。
ちあき
ありがとうございました。