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はい、ベースボールカフェキャンチューセーザボでございます。
第1弾のオトダガ2に続きまして、このベースボールカフェキャンチューセーにも引き続き、
椿ライドさんにお越しいただいております。自己紹介をお願いします。
はい、椿ライドです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
私、zaboと、それからライドさんが入っております日本ポドキャスト協会というものがございます。
ここでですね、4月5月の共通トークテーマというのがありますよね。
はい。
ハッシュタグ緑ということで喋っていこうかというふうに思っています。
ライドさんはご自分の番組もすでに配信が済んでいるんですよね。
話しましたね。
先代物と、それから平安時代には色のことをこういうふうに呼びましたよみたいな話があったことがあります。
そうですね。
もっと年版の話をいっぱいしてましたね。
緑だけに留まらない話が多かったです。
詳しくは文化社を聞いていただきたいと思います。
はい。
ということでベースゴールカフェキャンチューセー野球の番組でございます。
まずは緑といえば野球。
南海フォークスがぱっと思い浮かびます。
ライドさんも昭和の終わりぐらいのトークを多くされるじゃないですか。
そうですね。
南海フォークスも昭和の終わりとともに大江フォークスに変わって今はソフトバンクフォークスになっていると思うんです。
ライドさんが心に思う南海フォークスの思い出なんかを語っていただけると助かるなと思うんですけども何かありますか。
南海フォークスの思い出という意味でいえば弱かったなっていうのが一番です。
僕ね、ちょっといきなり平成になった時の話になっちゃいますけど
予備校行ってた時の予備校の先生が南海なくなっちゃってる時なんですけど
ずっと広島対南海の日本シリーズが見たいっていうことをずっと念願にしてたっていう人がいまして
また代わり者がいらっしゃるんですね。
南海は南海電鉄だから企業名なんだけど、関東の人なんで
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広島対南海だと企業の匂いがしないって言ってたんですよ。
レインボー出したら申し訳ないけど、ヤクルトとか日本ハムっていうと企業の名前だなって。
どーんとついてますね。
じゃなくて、広島は地名ですし、単純に地名ですし。
南海も知らない人、南海電車とか鉄道会社はやっぱり地元の人じゃないとピンとこないですからね。
そうですね。
あと近鉄とか西鉄みたいに鉄ってつかないので、余計鉄道会社だなって気づきづらいとかもあるから
そうかそうか、なるほど。
そういう意味で、企業の匂いがしないからこの日本シリーズが見たいって言ってた人がいたなっていうのがあるんですけど
それが結局見れず自慢で南海じゃなくなってしまったっていうのがあって
その背景にはやっぱり南海がその頃弱かったからっていうのもあるかなと思ってて。
それが何年くらい前の話なんでしょうね。
1980年代後半ぐらいだと思いますね。
僕ちょっと何も見てないんで、もしその時に優勝してるとかあったら申し訳ないんですけども。
今日は脳資料で喋りたいと思ってますので、全然OKです。
完全に脳資料です。
40年弱くらい前っていう話ですよね。
そうですね。
ただ選手でいうと、加藤田選手がいたので、ホームランバッターがいたので
そんなに弱いかね?みたいな感じはありますけどね。スター選手もいるじゃないかっていう気分はありましたけど。
加藤田裕光。通算本売り出すは歴代第3位だったかな。
めちゃめちゃ打ちましたよ。
そうですよね。
大澤治、野村勝也に続く第3位ですよ。
あ、野村さんも南海だ。そういえば。
僕そこまで言っちゃうとリアル世代じゃないからあれなんですけど。
でもそれでも野村さんとかエモヤンとか南海といえばみたいなイメージはありますけどね。
あとあれだ。阿部さんだ。
リアルな話じゃなくなっちゃったけどいきなり。
いやいや、わかりますよ。阿部さんが一番短い資料でしたもん。僕らにとって。
スポーツニュースよりも阿部さんの方が短い何回も知れる資料だったんですよ。
僕ちょっと、ブックホームが全盛期だった頃に何冊かピックアップして読んだりしてたんですけど。買って読んだりしてたんですけど。
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ちょっと歴史的資料の要素あるんですよね。
あります。
ドカメンとかと違って、阿部さんって実際のプロ野球に即してある程度書かれてるので。
そうなんです。
長島が引退して、監督になって背番号90になった時に、阿部さんも背番号90なんで。
長島って言われたら長島じゃなくて阿部さんだったみたいな表紙とかがあるんですよね。
短話の回の表紙とかで。
みたいなことが織り込まれたりとか。
阿部さんがベラボに活躍してても何回も最下位だったりするんですよ。
ちゃんとその年のシーズンに合わせてるから。
時系列合わせるんですよね。
そもそも阿部さんをスカウトしてくるのは野村さんだったはずなんですよね。
スカウトしてくるのはスカウト担当の岩立嗣郎という人。
そうかそうか。
悪風の野球の歌にも出てる。
そうなんです。
当時の監督さんがプレイングマネージャーとして。
現役権監督として野村勝やってたんですよね。
それこそエモヤンとかが現役の頃ですよね。
そんなあたりですよ。
そもそも加藤田博光と影浦安崎阿部さんが同い年なんですって設定として。
そうなんだ。
晩年の頃になって、ソフトバンクになる前が。
大映かな?大映かソフトバンクかちょっと分からないですけど。
その頃にまだ現役だった阿部さん、影浦安崎がオチアイと話してるシーンがあるんですよ。
オチアイの練習中かなんかなんですけど、オチアイの方が年下なんですよ。
そうなんですよ。
マジでびっくりしました。
オチアイがギリギリ現役ぐらいの頃なんだけど、阿部さんの方が年上。
たぶんオチアイ・ヒロミツ・ニポハムの時代なんでしょうかね。
マジクロウ氏なのかな?
かもしれないですね。
オイオチと行くわけでしょうね。
いい話してたんですよ。
ヒットの延長がホームランってわけじゃないじゃないですか、みたいなことを言い合うシーンがあって。
いわゆるホームランバッタータイプの2人はそういう考え方ではないっていうことを話してるくだりがあるんですよ。
なるほど。ヒットの延長がホームランなのか、ホームランの打ち損ながらヒットなのかっていう論がありますよね。
楽しいですね。
楽しいですね。
確かに緑色のユニフォームのイメージは、リアルタイムで見た記憶があるっていう意味で言えば、門田さんに集約される。
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あとはキャッチーだったので、香川星。
ドカベンと言われた。
そう。
奈美賞の牛島香川の香川星ですね。
とかの印象はあるけど、やっぱり架空の方で言うと阿部さんの印象。
阿部さんって漫画の背拍子自体も緑色だったりするので。
そうですよね。
やっぱり南海だから緑にしたのかもしれないですけど、やっぱり印象は強いですよね。
水島慎二先生が南海好きだったのか。多くの作品の背拍子が緑なんですよ。
熱烈な南海ファンですよね。
熱烈な南海ファンです。
しばらく背拍子90は、阿部さんが延載中は誰にも助けさせなかったみたいですよ。
みたいなことも聞いたことありますよ。
フォークスが優勝するまで日を反らないって言ったけど、勝つまでかな。
あまりにどうにもなんなくて諦めたってエピソードとかも聞いた。
そうですよね。
不思議にも今年、この2022年に亡くなってしまった水島慎二先生ですけども。
多分南海好きの水島先生は今のソフトバンクフォークスのあり方ではない。もっと荒々しい。
例えるならば今のヤクルドだとか、昨年のオリクスだとか、このようなチームを理想にされてたかもしれませんが。
個人的にはそう思ってるんですけどね。
チーム自体が大阪のチームだったじゃないですか。
関西を代表するチームって言い方しちゃうと阪神タイガスってことになるかと思うんですが、
あそこはコークランド神戸なので兵庫県。
まさに大阪っていう意味で言うと本当は南海で。
大阪球場でしたっけ?
来るお客さんも本当に地元の人で。
ナンバーの駅がすごい近くにあったんですよね。
あれその後球場取り壊すお金はかけたくないから、グランド住宅展示場で使ってたりしましたね。
僕は大卒1年目その近所に住んでて、1回横を通ったことがあります。
あそこらへんの文化の感じで、よくそれこそチンプレイコープレイみたいなのが映像で出ますけど、
お客がやじったりする流れで、角田選手とかに
角田は豚マン食うか豚マンみたいなこと言ってるのが流れたりしてたんですよね。
こういうフードのチームなんだなっていう象徴的な感じがしたんですよね。
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そのままあって欲しかったチームではありますけどね、その癖の強さっていう意味でも。
いわゆる古き良きっていう。
みたいなところがありますよね。
やっぱりそのユニフォームも緑色って、ヤクルトが差し色的に使ったりすることもあるけど、
基本的にはメインのカラーが緑って何回以降ないですよね。
あの色をどんどん使ってるチームはないですよね。
ないですよね。だからちょっと残念ですね。
詳しくないんであんまり話さないですけど、メジャーだとアスレチックスが緑ってメジャーだけど。
鮮やかな緑ですね。
鮮やかな緑ですね。
緑と黄色のコントラスト。
なんか渋めの緑もいいですよね。
そうですよね。
あとはベルトレスっていうの分かります?
ベルトレス?ああ、はいはいはい。
ユニフォームを着る時に腰に巻くベルトは、普通は革製の金属がついたベルトなんですけど、それがない時期もあったんですよね。
なんかうっすら覚えてるというか、何か見た気がします。
金鉄やハンガキを取ったかもしれないな、みたいなこともありました。
今はもう平成以降からはないと記憶してます。
いろいろそういうのもね、ストッキングを思い切り出す感じとは、今は全然見えないぐらいじゃないですか。
普通にズボン履いてるみたいな感じのユニフォームの履き方だけど、昔はね、割とストッキングのところのカラーが、チームカラーの色が見えてる感じとか。
今はオールドスタイルと言われる履き方になってますね。
ああ、なるほどなるほど。
みたいな、着こなしの話もできました。
あと一個、雷道さんに宇多丸さんの話が聞きたいんですよ。
かつら宇多丸さん。
野球関係なくなりましたけど、ミドリッツな感じでね。
椿雷道さんは、大跡がよろしいようでという落語の番を言わされていらっしゃいます。
僕45なんですけど、大体近辺の方がリスナーさんに多いんですけども、
かつら宇多丸さんが回答者、そして司会、この地域の焦点を多く見てらっしゃる方も多くいらっしゃると思います。
そうですね。
ぜひ、かつら宇多丸さんの話を聞かせてください。
かつら宇多丸さんの話か。
そう言われて、改めて言われると難しいですけど。
僕ね、本当に裁判年にあるとして言うと、
ウカウカしてると、宇多丸師匠の落語を聞く機会を逃しかれないなって不安になったことがあって。
あの、師匠が80代ぐらいの年代でしょうか。
そうですね。
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お正月に新宿の水広亭でやる時に、鳥を撮るんですよ、宇多丸さんが毎年。
なので、それに元日に行ったんですよね。見に行ったんです。
まだ元気で、普通に鳥で落語をするとかやって。
見れてよかったなって思って。
翌年を迎えて、これまたプレイを見たけど、今年見逃してなくなっちゃったら嫌だなって思ったので。
また見に行ってってなって。
恒例になって3年か4年間続けたんですよ。
毎年毎年。
お正月元日に見に行って、元日に宇多丸師匠が鳥を撮ってるっていう。
最後のシーズンですね、鳥を撮るっていうのを毎年毎年見てて。
何年目かに予定はされてたんだけど、体調が悪くなって帰られて。
他の方が、たぶん翔太師匠が出たんだと思うんですけど。
代わりに翔太師匠が出て。
春風邸翔太師匠ですね。
そうです。今、少し前の方ですね。
結果から言うと、その年に亡くなったんですよ。
っていうような経験があったので。
宇多丸師匠はちょっと気にしてた人ではあって。
やっぱりでも、もともとにさっきもおっしゃってた通り、
商店で初めて落語化という。
落語に触れるっていうと語弊があるので。
落語化に触れる機会としては商店が最初で。
僕らが見始めた頃は、やっぱり怪盗席にいて。
そうですね。
僕が見始めた時は、たぶん南信介さんが司会だったと。
そうなんですか。やっぱりお兄さんですね。
そうですね。あれって子供の時から見るので、
本当に年齢の差が出やすいところだと思うんですけど。
宇多丸師はやっぱり、今はちょっと休まれてる楽太郎さんの演楽さんが
今やってる役回りみたいな感じで、一番最初に手を挙げて
センスのいいお手本みたいな答えをするっていうポジションが
一つあって、役割的に言うと。
そういう意味から始めたのかと。
そうなんですね。センスのいいお手本になったんですね、あれは。
最初に手を挙げて、こういう感じのお題の説明されるんだけど、
答え聞いてみないと、どういうやり方するのかよく分かんないなって時があるんですね。
見てる側として。
ああ、なるほど。
こう言ってください。そうすると私が後悔しますので、
さらにこう言ってくださいみたいなこと言われると。
ってなるんですけど。
先代の演楽さんがそうよくおっしゃってる。
わかりやすいのを宇多丸師匠がやってくれるので、
なるほど。
そういうことなんですね。分かりました。
どうぞ続けてください。
社会風習とか政治ネタとかも、やっぱり今は演楽さんがやってるようなことを
宇多丸さんがやってた印象ですね。
なるほど。
批判的な、ちょっとブラックな、そういう要素もあったなという気がしていて、
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その後司会になられて、いまだに商店のタイトルがオープニングのアニメが流れると
今でも名誉司会者みたいなのが出てますしね。
司会になってからもやっぱり回し方も上手でしたしね。
存在感が強かったですよ、宇多丸さん。
そうですね。やっぱり商店の顔でしたよね、一番ね。
かぶりもんをかぶった時の決まり方は一番良かったと思うんですよ。
もちろん良くなりましたね。
結構いろいろ苦労もされてるし。
そもそも裕郭のお坊ちゃんまでいらっしゃるんでしょうね。
そうですね。横浜の眺め町っていうところの人ですね。
NHKの家計を振り返るみたいな番組見たことあるでしょ?
はいはいはい。
お母さんがあの界隈で、ビッグスリー的な女郎屋のおかみさん。
女郎屋って言い方でいいのかわからないですけど。
それぞれのお店のボスみたいなのが大物が3人いたうちの1人だったらしいんですよ。
いわゆるこの間やってた鬼滅の刃の裕郭編のおかみさんのトップ3名と思ったらいいですよね。
そんな感じですね。
相当大物だったみたいですね。
やっぱりそういう文化が近いと落語とかも身近は身近だったんでしょうね。
でもレシリして一回やめてセールスマンやってまた落語かなって。
結構苦労されてた。
面白いエピソード結構ありますよ。
商店のオーディション受けた時はまだ若手だった頃なんですけど。
オーディション2つ目。はい。
男子が審査員というか、立川男子っていう役労働家さんがTV局と組んで企画してるやつだったので。
採用・不採用を判断するのは立川男子っていう人がやってたんだけど。
いろんな人が芸をやるんだけど、なかなかオッケーが出ないっていうのを見てて。
これ普通のことやっても絶対無理だなと思って。
自分の番が来る前にお蕎麦を注文しといて。
蕎麦。はい。
講座に上がって座布団に座って、審査員さんにその蕎麦を運ばせて。
いきなり蕎麦を食べ始めて、ザル蕎麦なんですけど、ザル蕎麦を食べて。
食べ終わって、お蕎麦様でしたっていうダジャレを言うんですよ。
ただそれだけなんですよ。
ちょっとマニアックな古い話になりますけど。
徳川無生さんっていう人が過去にそういうことを知った。
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なんか芸をやってくれって言われて蕎麦だけ食ったっていうエピソードがあるらしくて。
それのパロディにさらにダジャレを載せたっていうことだったらしいんですよ。
それを立川男子っていう審査員側の人がそのエピソードを知ってたので。
大喜びして、宇多さんも徳川無生さんの話知ってたのかって大喜びしたらしいんですね。
それがきっかけで商店に選ばれたみたいなことがあったらしくて。
イリージョンだねと。
そういうことですね。
今みんな年齢層高くなっちゃってるんですけど、商店の中で。
長生きされてていいことなんですけど。
始まった頃って若手落語家にチャンスを的な。
若手の人にもテレビに出る機会をとか客を浴びさせたいとかそういう感じで。
おそらくテレビ創世期だった頃なんでしょうね。
そうなんですよね。
一緒に上がっていこうというような。
そういう感じでしょうね。
そういう緑つながりの話でいうと、ルーキーで入ってきた桂宮寺さんっていう人が宇多丸さんの色を引き継いで。
同じ協会なんでね。
そうですか。
若草色みたいな黄緑色っぽい緑色の。
申し訳ない。最近見てなくて申し訳ない。そうなんですね。
そうなんですよ。ちょっと良かったかなって。
昨日見たら米助出てた。みんな紫着てましたよ。
昨日は元ラク太郎の円楽さんが今、退病されてリハビリ中なんで応援する意味でみんなで紫っていうのをやってたんですけど。
一番端っこにいる、一番右端にいるルーキーが桂宮寺っていう人で。
業界的には楽譜界では若手のすごい勢いのある大罰的で、ちょうどに選ばれてるみたいな感じの人なので。
若手でもう一個欲しいです。
ちりちりのあの子、なんて言いましたっけ。
りゅうていこちらくん。
こちらくん、こちらくん好きなんです。一句してください。
りゅうていこちらくんはお父様楽譜家さんで。
お父さんのりゅうていちらくさんって人は、それこそ米介さんとか小柚澤さんとかとすごい仲良い友達だったりしたので。
あの二人からめちゃめちゃ可愛がられてるんですね。こちらくさん。
そういう家柄なので、リアルに江戸っ子みたいな人なんですよ。こちらくさん自身が。
なんかわかります。
正直教養はそんなにないですけど。
仁義に扱ったりとか、割と気が短くカチンとくるようなところもあったりとか。
でもすぐ、一瞬そうなるだけで、あとは笑ってたりとかね。空っとしててあんまり気づらないとか。
何でしょうね。華がありますよね。
華ありますね。本当に江戸っ子っぽい感じの人なので。
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あの人の楽譜で、江戸っ子が炭火を切る、バーって幕を立てるようなシーンなんていうのは本当にハマります。
大工調べですね。
あの人の大工調べは本当に綺麗。
噛むときは噛みますけど、でも良いデッキのことが多いと思います。
噛んでなんぼっていう部分もあります。
そこで負けずに、勢いでバーって蹴っちゃうっていう機会はある。
若手としては面白いんじゃないですか。
はい、ベースボールの中間抽選、どうだ?こんなもんで良いだろう?思い出すし。
良いですか?
要は満足なんです。
それは何よりでした。
雷道さんと楽譜の話ができたのは非常に嬉しいです。
なんかすごくね、目の下にね、心の汗が溜まってるんですよ。
ちょっと拭かせてもらいますね。
嬉しかったな。東でバカって一個言っておいてですよ。
今日はこの辺りにしておきたいと思います。
お相手は椿雷道さんでございました。
ありがとうございました。