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みなさん、こんにちは。ナビゲーターの伊藤由美子です。
建築士伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い空間という意味になります。
この番組では、居心地の良い場、空間とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、
そして、日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
建築士伊藤由美子のCozy Space第16回、
今月のマンスリーゲストは、潜在意識の専門家、東洞博美さんです。
由美さんは、潜在意識の専門家として講座を行ったり、個人セッションしながら、
最近では、「潜在意識3.0」というタイトルの、
臓器との対話で人生をアップデートする方法を書かれた本を出版されています。
今回は、潜在意識の専門家として活動するまでのお話をしていただいています。
では早速、東洞博美さんのインタビューをお聞きください。
その潜在意識の専門家という形で、10年以上前から活動していらっしゃると思うんですが、
そこに行くまでの経緯をちょっと知りたいなと思ったんです。
この仕事に至るまでのということですよね。
本の後書きとか読むと、
短大に入って、その後卒業して、
一旦会社に勤めるんだけど、弁護士を目指したくて、
法学部に編入したって書いてあったんで、
そこから潜在意識の専門家って思ったので、
その流れがまたやっぱり面白いなって思ったんですよね。
おそらく何か繋がってきてテーマに至っていると思うので、
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その辺りをお話ししていただくことって大丈夫ですか。
経歴で見ると、すごく不思議な経歴を比較的持っている方なのかなって。
弁護士を目指すと思って。
今お話ししてもらったように、判断院で一回社会に出ているんですけど、
人のサポートをしたいというのはかなり前から思っていて、
当時は一回社会に出た時は旅行代理店に勤めていたんですよね。
それもお客様のサポートには違いないじゃないですか。
旅行を通してということなんですよね。
それで楽しかったですし、やりがいとかもあったんですけれども、
自分の心の中で自分探しみたいな時期があって、
これじゃない、あれじゃないみたいな時期があったんですよね。
でも一回社会に出た後に短期留学して、
自分探しの旅みたいなのが出ちゃったりとか。
それは海外とかに行かれたんですか。
そうですね、アメリカに行ってですね。
本当に私は何をしたいんだろうという問いかけをしに、
なぜかアメリカに飛んじゃったんですよね。
会社を一旦辞められてということですか。
そうです、辞めてということですね。
何ヶ月間とかということですか。
そうですね、もう数ヶ月短い時間なんですけど、
でも辞めないとやはりいけないなと思って。
それで辞めていったんですよね。
そしたらですね、そこで自分が本当は何したいんだろうということを考えた時に、
サポートというのは自分の中では変わらないものだなと思って、
なぜかその時にですね、弁護士になりたいって思ったんですよね。
それはちょっと不と思った感じなんですけど、
帰ってきてから法律の勉強をしたこともなかったんですけどね。
いきなり法学部に編入しようと思ってですね。
すごいですね。
短大は全然法学部と関係ないってことですよね。
どちらかというと国際関係なので、全く関係ないですね。
問い合わせをまたすぐしたら、ピンときたらすぐ動く。
そこはずっと変わらないんですか。
それは小さい頃から変わらない。
小さい頃からね。
問い合わせをしたらね、おっしゃる通り法学部ではないので、
退位とかもすごく大変ですよと言われて。
もともとそういう勉強をしていないとか、編入という形ですよね。
そうです。だから取っていない退位があまりにも多いので、
かなり朝から晩まで勉強することになりますよなんて大学の窓口に言われたんですけど、
もう行きたいと思ったら私行きたいんですよね。
そこは一回してて気持ちいいですね。
そうですね。本当にそのままバンと行くタイプなので、
調べてですね、大丈夫だと、それは勉強すればいいことだと思って、
編入をしていったということですよね。
ずっとだから大学編入して、その後大学院に進んで、
弁護士を目指していたんですけど、
大学院に進んで1年生の時に母親が病気になったんですよね。
それが肺の難病で、当初すごく元気で、体量のように明るい人だったんですよね。
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亡くなる半年前にも健康診断に一緒に行っていて、
肺のレッドゲンを取ったらすごく綺麗ですねって言って帰ってきたのを
自分の中ではすごく記憶が鮮明に残っていて、
半年後になったら具合の悪い前兆はあったんですけれども、
病院に行ったら肺の病気ですねって言われて、
その時大学院に行ったんですね。
大学院にいながら父親から電話があって、肺の病気なんだってって言われたんですけど、
その電話の瞬間、私は違うという風に分かったんですよね。
ただの肺の病気じゃないっていうのが分かったんです。
感覚的に。
これは本当に命に関わる病気だっていうのが分かったんですね。
その電話の時に父親に朝行って昼ぐらいに帰ってきて私と電話をしていて、
その瞬間にそれを私は感じたものですから、
もう一回お父さん、今日病院に連れてってって言ったんですね。
父親はお前何言ってるんだと。
今帰ってきて先生3日寝てれば治るって。
今いい薬があるからもう熱も下がるって言われたのに、
まだ1回しか薬も飲んでないのにどうしてもう一度病院に連れて行けるかって言って、
すぐ怒られたんですね、電話をして。
先生に失礼じゃないかって怒られたんですけど、
私その感覚間違いない、本当に揺るぎない感覚だったので、
いやじゃあお父さんが連れて行かれるんだったら私が連れて行けるみたいな風に言ってですね。
結局家に帰って、父親も私のただならぬ雰囲気にそういうことを言うタイプではないので、
これ何かおかしいなと思って、夜間に行ったら即入院という形になったんですね。
酸素ボンベになって、3日後には人工呼吸器という感じで、
7日後くらいかな、亡くなってまた帰ったという経緯があるんですよね。
その時に私の中ですごく感じたのは、おかしいなって半年前はあんなにレントゲン綺麗だったし、
入院した時は真っ白だったんですよ、レントゲンが。
こんなに人の肺ってこんなになってしまうのかということと、
あとすごく明るかったので、どう考えても変だなと思って。
負に落ちないというより消化できなかったんですよね、自分の中で。
そこから心と体じゃないかという、またこれも感覚なんですけど、
ひょっとしたら何か関連しているかもしれないということで、
潜在意識とか色々調べだしたんですね。
それを知ってから、当時まだ大学院にはいたんですけれども、
大学院はでもしっかり卒業はした方がいいなというふうに思って、
同時にヒーリングの勉強も始めながら、大学院を卒業として、
しばらくしてすぐにまたアメリカに都米して、
そして聴感覚で臓器を見るという練習であったりとか、
そういうことがあったんですね。
あったんですね。
それってどのくらい前?
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もう10年以上前ですね。
そういうことですよね。
あるんですね。潜在意識とヒーリングツールと、
あと臓器を聴感覚で見るということを習って、
2ヶ月間くらい滞在をして、そして日本に帰国してから
講師として教えだしたという経緯があるんですけどね。
聴感覚と感覚って何が違うんですか?
臓器というのが普通、本屋さんで見ると解剖学のものじゃないですか。
聴感覚というのはもう一つの目じゃないですけれども、
それで臓器を見ていくという意味合いになってきますよね。
感覚を超えた。
感覚を超えた。
さっきのなんとなくとかピンとくるとか、
そういうようなことがどっちかというと聴感覚っていう。
よりもう少し瞑想的なものも使いながら、
自分のバイブレーション、波動を上げながら見ていくという感じになるんですね。
そうなんですね。
ちょっとイメージがしづらいかもしれないですね。
私の中でイメージしきれてないですけど、
ひろみさんの本の中でも超感覚というフレーズが出てきて、
超感覚?
あれは聞いたことがないですね。
でもそういう世界はあるということですよね。
そうですね。
それで臓器を見るという感覚として使うということですかね、超感覚というのは。
皆さん感じるという感覚も当然に対話できているんですけど、
さらにもっと精度を高く見ていくという感じですね。
さっきお母さんは太陽みたいな人だったという話、
私そのフレーズが自分の中に残ったんですけど、
その太陽みたいな明るい人だったというお母さんから、
ひろみさんってどういうところを受け継いでいると思いますかね。
そうですね。
うちの母親は太陽に明るくて情熱的だったんですよね。
人が大好きで、人のシェアばっかりしていたような人だったんですよね。
ちょっと昔のタイプなので、自分は後回しみたいなところがあって、
それが結局肺の病気にもつながっていたんですよね。
それが習ったときにも全て答え合わせができて、
つながったんですね。
なのでやはり潜在意識と臓器肌というのが私の中で確信に変わっていて、
さっきの受け継いだものが何かという話だと、
情熱的なところでしょうかね。
私は結構表には出ないんですけど、
でもすごくしっかりとした情熱な思いというのは持っていますね。
一人一人のクライアントさんに対してもものすごいその思いを持っていると思います。
静かな情熱なんですよね。
そうです。私は静かな情熱。
その部分を受け継いでいるんじゃないかという話ですよね。
そうですね。
小さい頃のひろみさんのお話がちょっとずつ本の中にも出てきたんですけど、
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さっきの聴感覚というお話からすると、
そういったものを自然と使っていたというお子さんだったんです?
そうですね。今振り返ってみると、やはり感覚的なものはすごい優れていたと思いますね。
小さい頃なんかだと本にも書いてはあるんですけど、
大人の人の嘘がすぐわかってしまう。
大人よりもおそらくお子さんの方が、
感じ取りやすいでしょうね。
それは私だけじゃなくて、子供の頃って多くの方がもしかしたら聞いてくださっている方も経験あるかもしれないんだけれども。
意外にえ?っていうことを言ってこられたりとかしますよね。
そうですよね。
ズボシだね。
痛いなーっていうことを言われたりとかね。
小学校ぐらいの時は、母親の友達がお茶を飲みに集まってきてたりとかするんですよね。
私は子供たちよりも大人のところにちょこんと座って、一緒にお茶を飲んでいるようなタイプなところがあって、
それから子供の頃はお茶を飲んでいたりとかするんですよね。
一緒に話を聞いていると、あれ?って思っちゃうわけですよ。
今は笑っているけど、この人全然心は笑っていないよねみたいな。
ありません?そういうのって。
ありますあります。
そうですよね。
それを子供なので、言っていいことといけないことの区別がつかなくてですね。
それをポロッと言ってしまうわけですよ、その場所で。
そうすると顔色が変わってしまうんですよね。
ズボしながらね。
で、母親が袖を引っ張るんです、私ので。
いつも台所のキッチンの端っこに連れて行かれてですね。
ひろちゃん、ひろちゃんって。
それは言ってはいけなくて。
そうですよね。
でも、同じ世代のお子さんの中にいるよりも大人の中にちょこんといるっていうシチュエーションを選んでそこにいたんですかね。
なんかあの、普通に話せてしまうんですよね、大人と。
ああ。
大人と話せるんですかね。
大人と話せるんですよ。
大人と話せるんですかね。
大人と話せるんですかね。
大人と話せるんですかね。
でもね、普通に話せてしまうんですよね、大人と。
ああ、そういうことですか。
言っていることはよくわかってしまうんですよ。
なるほど。
子供の時から大人?
そうです。比較的そういう感覚ですよね。
その感覚っていうのが後々自分でも教え始めてもよくわかったんですけど、私の中ではね、知っているっていう感覚、ただわかっているっていう感覚がすごく強くて。
それがだから子供の頃からそうだったんですよね。
でもなるべくして潜在意識の専門家になっているってことですよね、そういうシチュエーションは。
そう、振り返ると。
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振り返ると。
きっとそこはもうね、何か予言じゃないですけどね、潜在意識の専門家になる風船は張られていたのかもしれないですよね。
そうですよね。つながってますよね、やはり。
そうだと思います。
そういうことなんだ、私なんかそういうことなんだと思って。
だから何でしょう、人と話してても人の心を読み取れてしまう、取ろうとしなくても。
それはもうずっと小さい頃からOLになってもずっと続いていたので、それがいいこともあるし、読み取れてしまうがゆえに生きづらくてつながるっていうところもあったりしてね。
疲れちゃったりしませんね。
もうすごい疲れてました。
あの、ほら、ちょっと私本は読んでないんですけど、敏感さんみたいな本ないです?
何さん?
敏感?あ、潜在さん?
あ、ごめんなさい。
ごくカットしますけど。
潜在さん?
そうですそうです。
あれにちょっとつながるんですかね。
そうですね、あの潜在さんっていうのも私結構本が出る前から見ていて、あの傾向がある方ってスピリチュアルとかヒーリングってかなり来やすいんですよね。来る傾向があるんですよね。
ゆるみさんの場合すごく感じ取りやすい方なんですよね。
そうですね。今思うと、だから当時はそういった話すらないですよね。いわゆるさっきの潜在さんなんて話もないし、
あとヒーリングとかエネルギーの影響を受けてるなんて誰も想像してないので。
なんかこう、なんとなく感じて言っちゃいけないみたいな。
そういう世界だったし、あとその倒れ、結構倒れてたんですね私。
倒れか。
道路とか、だから中学とかも本当にウィンドウショッピングとかできない人だったんですよ。
で、それはなぜかというと街中とかに行ってしまうと気持ち悪くて歩けなくなっちゃうんですね。
いろんな人のいろんなものが飲み取れちゃうから。
そうそう。で、それも無意識にやってしまっているから。
それこそ当時はエネルギーなんて言葉もないですから、ただの虚弱体質っていうところで病気でもない、でもすごく疲れやすい、
しょっちゅう倒れやすいっていう、本当にだから体の弱い子として親も認識をしていたんですよね。
だから今だったらまだ救われる部分もあるんですけど、当時はそれが分からずにずっと大人になっていって、
こういったお仕事とかヒーリングというものを知って初めて、あれはエネルギーの影響を受けていたのかもしれないというところに行き着いたという感じですよね。
でもそれは、さっき言ったアメリカに渡って潜在意識のそういった勉強をした時に、それはエネルギーの影響を受けていたんだってそこで気づくんですよ。もうちょっと前に気づいて。
もうちょっと前にですかね。少し大学院に通っている時に、これもちょっとご縁なんですけれども、
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大学院で友達だったこのお母さんがお医者さんをしていらっしゃって、女医さんをしていらっしゃって、私頭痛とかがすごくて、それも勉強しすぎてたっていうのもあるんですけど、
でもそれ以外にもいろんなところが不調だったわけですね。病気にはならないけど頭痛とか胃痛とかになって。
それを話したら、うちのお母さんに見てもらったらひょっとしたら何か良くなるかもしれないよって言われて、
病院に連れて行かれたんです。そこの病院の総合科みたいなところではない棟があって、そこでは絵を描いたりとか歌を歌ったりするという、そういった療法をしていたんですね。
私がその友達のお母さんと会った時に、なんとそのお母さんが開口一番言ったことが、あなたはヒーラーさんとかヒーリングをするのが向いてるわって一言をおっしゃったんですね。
その時に初めてヒーリングという言葉を知ったんですよ、私。
でもまたそこもピンと来たらすぐ動く人なので。大学院に在学していたんですけれども、ヒーリングを調べて、だから大学院時代から少しヒーリングというエネルギーというものを勉強しだしていたんですね。
さっきの話につながっていくんですね。
そこで初めてあなたは結構影響を受けていたんですよって言われて、そういうことが世の中にはあるんだというふうに初めて知ったということですね。
お友達のお母さん、上司さんをやっている方にそれを言われて結構救われたという感じはあったんですかね。
当時は救われたというよりもヒーラーとかヒーリングという言葉に私反応したんですね。
それは私がやるやつだなというのがわかったんですよね、そこも。
それは感覚的に思ったってことですね。
だって世界のことはまだ今から学ぶってことですよね。
全く知らないです。何をするかも知らないんですけど。
ピンと来たんですね。
ただそれがわかるという感覚ですね。
あ、それだなというのだけはわかるんですよ。
その感覚は今私もわかりました。
その連続で今の私というところまでたどり着いているわけなんですけどね。
でもやっぱり今のお話聞くと、何かを学ぶ前だったとしてもあれ?これ?っていうピンと来たものを
次のアクションを起こすってすごく大事だなと思いましたよね。
大事だと思いますね。
どうしても私たちってよく講座とかでも話すんですけど、考えてしまう癖がつきすぎてるんですよね。
何かアクションを起こそうと思うと、いやこれはもう…
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潜在意識の専門家、東洞博美さんにご登場していただきました。
次回は潜在意識とは、自己信頼とはどういうことなのか、そして広美さんにとって居心地の良い場とは何かをお話ししていただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、音声アプリの高読ボタンをポチッと押していただくと、毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますのでよろしくお願いします。
今回配信した詳細については、私のホームページにも掲載しています。
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番組への感想もお待ちしています。
それでは次回もお楽しみに。伊藤由美子でした。