2024-10-14 16:36

#66 古事記(天地の初発の時)

この世界の始まりに、まずは五人の神様が生まれます。


【今回出てくる神様】

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

高御産巣日神(ナカミムスヒノカミ)

神産巣日神(カムムスヒノカミ)

宇摩志阿斯詞備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)

天之常立神(アメノトコタチノカミ)


【原文の引用・参考文献】

角川書店(編)『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 古事記』(2002)角川ソフィア文庫

サマリー

古事記の冒頭では、天地の始まりや多くの神々の誕生について述べられています。特に、天の源の神であるたかみむすひの神とかむむすひの神が登場し、その後の神々との関係が示されています。

神々の誕生
それでは、始めてまいります。
今回は、古事記からでございます。
古事記の中で、いよいよ神が現れます。
一体どのように神が現れるのか、その場面をまずは読んでまいりましょう。
天地の初めの時)
高間の原になりませる神の皆は、天の皆かぬしの神。
次に、高見むすひの神。
次に、かむむすひの神。
この三柱の神は、皆一人神になりまして、身を隠したまいき。
次に、国若く浮かべる油のごとくして、
くらげなす漂える時に、
足かびのごと燃えあがるものによりてなりませる神の皆は、
馬し足かびひこじの神。
次に、雨のとこたちの神。
この二柱の神も、皆一人神になりまして、身を隠したまいき。
神の下り。
五柱の神は、ごと余つ神。
最初に、雨土の初めの時というところから始まります。
雨土の初めということで、雨、土、つまり天地のことですね。
天地の初めの時。
ここでは、いきなり天と地が分かれた、天と地の始まりからいきなり始まるんですね。
この古事記の中では、天と地というものが、まず大きく世界観として分かれるんですね。
この天のことを、高間の原と言ったりいたします。
それに対して、地のことを、足原の中津くにと言ったりいたしますね。
それで今、最初に焦点が当たるのは、この天の方にあります。
高間の原という場所です。
その天、高間の原になりませる神の源。
なりませるという言葉があります。
これは、なると言うんですね。
そこに生まれるとか、そこに作られるというのではなくて、なるという言い方をいたします。
神はいきなりそこになったんですね。
なる。
最初になった神は何者かというと、天の源の神という神でした。
天の源の神、名前としては、天の中心にいる神というような字を書きます。
なんとなく一番偉そうな感じがありますよね。
次になった神が、たかみむすひの神。
そして、次がかむむすひの神と続きます。
このたかみむすひの神と、かむむすひの神は、この後も何度か登場いたします。
先に生まれた、たかみむすひの神。
先に生まれた、たかみむすひの神。
この神様は、後にアマテラスという神様と、その一族を助ける役割に立つことが多い神様です。
それに対して、次に生まれたかむむすひの神。
かむむすひの神は、スサノオノミコトという神様。
その神様と、その一族を助けていく神ということになってまいります。
それじゃあ、最初に生まれた、この天の源の神は、どういう活躍をするのかというと、
実はもうここから出てこないんですね。
最初しか出てこないんです。しかも名前だけなんですよ。
実はこういった登場人物が3人出てきたうちの、2人はその後も出てくるんだけれども、
1人だけその後出てこない。何なら名前しか出てこない、なんていうことがあるんですね。
この後の展開で出てくるところで言うと、アマテラスオミカミという神様。
そしてスサノオノミコトという神様。
この2人の神様は、兄弟の神様なんですが、実はもう1人兄弟がいまして、
ツクヨミノミコトという神様もいらっしゃるんです。
ところがこのツクヨミノミコトという神様は、最初に名前が出てきて以来、後は出てこないんですね。
こんなふうなことが実は古事記にはあります。
ここではアメノミナカヌシの神という、まず1人大きな神様が生まれた後に、
天地の創造
タカミムスヒの神、カメムスヒの神と続くんですが、最初の神様は名前だけしか残らないということになってまいります。
この3人の神様、このミハシダの神は、神様のことをハシダという単位で数えます。
なのでミハシダというのは、この3人の神様ということですね。
このミハシダの神は、みな独り神になりまして、みな独り神でいらっしゃると言うんですね。
独り神というのは、1人で完全な神様。
実はこの後は、2人ワンセットで1世代と考えるというような神様がいっぱい出てくるんですね。
それに対して1人で1代、1人で完全体だというような神様のことを独り神と言っております。
これらの神様は、身を隠したまいき、姿を隠したというんですね。
この姿を隠したというのも、いろんな捉え方があります。
何か陣地を越えて姿が見えないような状態の神様だと捉えることもできるかもしれません。
もしくはひとたびそこで姿を隠して、
まずはしもじものものというか、これから生まれる神様の前には直接姿を現していなかったのかもしれません。
後半に参ります。
次に国若く、その後国が若く、というかこの若いというのはまだ最初の頃だったと。
国がまだ最初の頃だった。
ここでは高間の原のことを言うんだと思います。
もしかしたらそこで地上界のことを模索するのかもしれませんね。
これはいろんな考え方がありますが、非常にこのまだ世界が不安定だった頃のようです。
浮かべる油のごとくして、クラゲナス漂えるときに。
直訳すると浮かんでいる油のようで、クラゲのようなに漂っているときに。
これはおそらく何かその大地にあたるようなものが浮かんでいる油のようだ。
水に浮かんでいる油。
水の上に油を垂らすと油が浮かびますよね。浮きますよね。
何か煮物とかを作ったときに油がその表面に出てきたりもしますよね。
何かその油のようだというのかもしれませんね。
クラゲナスですから、海に漂っているクラゲのようなものだったのかもしれません。
このクラゲという言葉が何を指すのか。
おそらく今現代で言われる生き物のクラゲと語源は一緒だと考えると、
おそらくああいうふわふわしているというか、ぐにゃぐにゃしているというか、
そういうものをもしかしたらクラゲナスと言ったのかもしれませんね。
いずれにせよ浮かべる油のごとく、またクラゲナス漂えるという言葉から、
何か不安定でぐにゃぐにゃしているようなもの、そういうような世界だったということなんでしょうね。
そんな中に、
あしかびのごと燃え上がるものによりてなりませる神の皆は、
うましあしかびひこじの神というんですね。
そんな中、あしかびのように燃え上がるものがいる。
燃え上がるというのは火がついているような燃え上がるじゃなくて、
なんか生命の息吹のようなイメージですね。
あしかびというのは、あしというのは植物のあしです。
草の中でもこの川とかの川辺に生えているような、そういう植物ですね。
かびっていうのが、もちろん現代でもかびって言葉を使います。
まあなんかそのかびと語源は一緒だと思うんですけれども、
何か何もないようなところから立ち上ってくるような存在。
なので、例えばここはあしかびと続いているところから、
あしの芽とか、あしがちょっとずつ生い育っていく様子だという解釈もあります。
いずれにせよ何か小さいところから、何か急にグニャグニャして混沌としている中から、
何か植物のようなものが育ち、一気に膨れ上がっていったんでしょうかね。
そうやって生まれた神の名前は、うましあしかびひこじの神って言うんですね。
この神様が生まれましたよと。
この後ですね、人間のことを表現した時に、
人間は植物のように捉えるところがあるんですね。
この後の場面の方で、人間のことを青ひと草、青、色の青、
青ひと、人間のひと、草、草花の草です。
青ひと草っていう表現をしたりする場面が出てくるんですね。
だからもしかしたら、人間というものをある種の植物的なものとして生まれたというようなものとか、
何かその植物のようなものが生まれて、
何かその植物が燃え上がる、息吹を燃え上がらせるような、
そういうものと重ね合わせている部分もあることから、
このあしかびというものは、ある種の人間の生まれるもの、
生まれと少し関わっているんじゃないかというお話もありますね。
そして次です。
次に、雨の床たちの神。
雨の床たちの神と出てきまして、この後にですね、
似たような名前の国の床たちの神っていうのが出てきます。
雨は天、国が国、この国っていうのがもしかしたら地を表す、
国の床たちの神というのが出てきます。
雨は天、国が国、この国っていうのがもしかしたら地を表す、
足鼻の中つくにを指すと捉えると、この対照的なわけですね。
天を治めている、天の何か管理をするような神と、
地を管理するような神という分け方をしているのかもしれません。
ただ、この神様もですね、後出てこないんですね。
そうです。先ほどの馬し足カビ彦寺の神も出てこないですね。
ほとんどこの古事記の中では、神の名前が出てきた後に、
結局後も出てこないという神様も大勢いらっしゃいます。
神々の役割
で、この二柱の神、つまり馬し足カビ彦寺の神と雨の床たちの神、
この二柱の神もみな一人神になりまして、
みんな一人で単体で完全体であるという神様であって、
身を隠したまえき、また同じように身を隠した、
もしくは何か姿が見えないような、姿が認知できないような状態の神様である。
神の下り五柱の神はこと雨津神。
ここまでの五柱の神、五人の神様はこと雨津神。
これは特別な神様であると。
非常にこの他の神様とはまた別格の神様であるということなんですね。
ただこの後出てくる、この後のキャラクターとして関わってくるのは、
先ほど申し上げた雨寺に関わってくる高見結日の神、
そしてスサノオに関わってくる上結日の神。
他は後は出てこないということになります。
ここからいよいよ神話が始まってまいります。
それでは最後にもう一度原文を読み出しましょう。
この三柱の神は、みんな一人神になりまして、身を隠したまいき。
次に国若く浮かべる油のごとくして、クラゲナス漂えるときに、
足かびのごと燃え上がるものによりてなりませる神の皆は、
うまし足かび彦児の神。
次に雨の徒子たちの神。
この二柱の神も、みんな一人神になりまして、身を隠したまいき。
神の下り五柱の神は、ことは待つ神。
ということで古事記のまだまだ冒頭の部分にありますけれども、
そちらから紹介いたしました。
原文の出典は、門川ソフィア文庫の
ビギナーズクラシックス日本の古典古事記からでございました。
参考文献もこちら用いております。
お聞きいただいてありがとうございました。
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