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2021-04-07 18:34

第222回 岡本祥治氏(株式会社みらいワークス代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社みらいワークスの岡本祥治社長にお越し頂きました。

プロフェッショナル人材が100年人生を生き抜く為のプラットフォームとして、「独立・起業・副業・転職 」 といった働き方や働く場所を自由に選択できる社会創りを目指し、人材サービスの提供、地方創生活動などを展開されている企業様です。

岡本社長は大学卒業後、外資系コンサルティング会社、ベンチャー企業を経て、2012年に株式会社みらいワークスを設立されました。そして、2017年には東証マザーズ上場を果たされます。
大学時代は、やりたい仕事を見つけられずにいた岡本社長が、日本47都道府県・海外93ヵ国を旅する中で芽生えた「日本を元気にしたい」という想い。自らの信念に忠実に邁進される姿から経営のヒントが得られます。ぜひインタビューをお聞きください。




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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社みらいワークス代表取締役社長 岡本永晴様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
2000年に慶応技術大学理工学校を卒業後、博士演習やベンチャー企業を経て、みらいワークスを設立されていらっしゃいます。
2017年10月には、東昌マザーズに上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
岡本社長、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、ご出身はどちらになられますか?
私、神奈川県の新百合川というところでして、小崎仙台の、私が生まれたときは結構田舎な町でしたね。
でも今だとニュータウンというか住宅街というか、そんな感じでらっしゃいますよね。
ただ、私が本当に生まれたときには、自分自身から駅までほとんど建物がないぐらいでして、
本当に小学校のときとかは、夏休みになったら近くの山に行って、普通にカブトムシとかクワガタを捕るみたいな、
今じゃ、あの地域じゃ考えられないような、本当に田舎っぽい雰囲気だったんですよね。
本当に2、3分歩いたら普通に田んぼとかあって、冬になったら田んぼの中に腕突っ込んでザリガニとかを捕るんですけど、
そういう風な遊びをしていたような、そんな場所でした。
あ、そうですか。じゃあ岡本社長は小学校時代とか、結構泥だらけになって遊んでいた、そんな感じの記憶でいらっしゃるんですか。
結構、親に言わせれば、わんぱくで好奇心旺盛というような、分かりやすい元気な少年だったらしいですね。
中学当時以外の何か思い出とかはございましたか。
私、中学から私立の党員学園というところに行きまして、当時チャリツーみたいなことをやっていたんですけど、
部活バレーボールをやっていたんですけど、陶芸校チャリツーするじゃないですか、ヘルメットをかぶるのはしなければいけないんですよね。
ヘルメットってちょっと格好悪いので、学校からちょっと離れたらすぐに外すんですよ。
でもすごい新学校だったこともあって、先生が見まわりしているんですよね。
ヘルメットをかぶっていないからということだけで捕まって、生徒手帳を取り上げられて叱られるみたいな、よくわからない厳しい学校だった記憶があって。
あの学校は今だったらすごく優秀な大学とか会社に行っている同級生とかたくさんいて、今もあったりする仲間は見ますけど、非常に特殊な学校だったなというふうに思い返すと感じますね。
なぜか党員学園慶応大学社長になられて、上条基本社長という方が何人かいらっしゃっていてインタビューを取っているんですが、
そうですか。
やっぱり党員学園ってそういう気風というのが現れるんですかね。
多分あまり起業するタイプの方っていない気がするんですけど、まず絶対数が多いんですよ。
生徒1学年1600人ぐらいいるんですよね。慶応に入る人も毎年300人とか入るので、自然と党員から慶応というラインは多くなりますし、
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人が1600人いたら、それは起業する人数が増えるのは当たり前じゃないですか。
多分そういうことなんじゃないかなというふうに思いますね。
そうですね。
高校時代はどんなふうに過ごされていらっしゃいましたか。
高校もバレーボールをやってたんですけど、中学校の時は結構バレーボールが緩くやってたんですよ。
でも高校はかなり厳しい感じでして、練習も毎日やりますし、かなり厳しく追い込まれるということで、
正直あの部活の時に経験したほど厳しい追い込まれ方って、その後の仕事でも正直なかったなって思えるくらいの経験で、
社会人になってからもそのコーチの別の学校に移った時のお祝いとかでみんなで集まったりすると、
パーティールームみたいなところで6種類くらい集まったんですかね、OBが。
そのコーチが壇上に立つじゃないですか。
そうするといまだに体が覚えていて、全員もう姿勢がピシッと伸びるんですよね。
本当は幼い頃に得たその怖さっていうか、そういったものはずっと身体で染み付いてるんだなっていうのはいまだに何か覚えてましたね。
じゃあ本当にいわゆる体育会系に近いスポーツをきちっとやられた感じでいらっしゃるんですね。
高校まではですね。高校は普通に受験して現役で慶応入りましたけど、それから特に体育会とかそういったこともせずにフラフラしてる感じでしたね。
その大学時代に慶応大学理工学部を選ばれた理由というのは何かあったんでしょうか。
もともと頭の中は完全に理系で、なのでその中で何しようかなと思ったんですけど、理系の中でも興味があったのは当時は物理学。
物理はすごい得意だったんで、そっち系やろうかなと思ったんですけど、もう少し実践的な学問のほうがいいかなと思いまして、
それで機械工学科を選ぼうということで理工学部の機械工学科に入りました。
大学時代の思い出は何かないんでしょうか。
大学時代は本当に友達たちとサーフィンやったり、スノボやったり、飲んだり、麻雀やったりという感じで本当に遊んでた記憶しかなくて、
私は大学5年行ってるんですけど、留年したのもちょっと遊びすぎちゃったからという感じで、ほとんど勉強した記憶ないんですよね。
実際に社会人になってから機械系の仕事に就いているわけでもないので、大学時代に学んだことがどれだけ役に立ってるかというと、
花々疑問ではあるんですけど、そこで出会った友人たちは生涯おいてかけがない友人になったのは間違いなかったので、
そういう点だとすごくいい大学生活だったんじゃないかなと思いますね。
卒業後、アクセンチャーに勧まれたんですか。
そうですね。
アクセンチャーを選ばれた理由というのは何でしょうか。
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やりたい仕事が正直に見つからなかったんですよね。機械系の学問で勉強してましたけど、
周りの同級生は95%以上は研究室にインに行くわけですよね。
そのままメーカーなどの研究系の仕事に就職するんですけど、私はどうしてもそのイメージが全く分かず、
かといって世の中にどんな仕事があるのかって分からないので、どうしようかなと思ったときに、
できるだけたくさんの業界とか仕事が見れて、かつ自分が短期間で成長できるような仕事に就こうと思ったときに、
当時、就職活動のランキングの中でトップ20に外資系コンサルが3社ぐらい入ってたんですよね。
そのうちの1社だった、今アクセンチャー、当時はアンダーセンコンサルティングという名前でしたけど、
そこであれば当時ちょうどITとかが非常に伸びてきた時期だったので、ITにも強いコンサルということで、
そこで短期間で自分が成長できるはずだということで、最終的にそこに決めたという、そんな感じでしたね。
アクセンチャーでの思い出なんて何かございますでしょうか。
アクセンチャーはとにかく優秀な人が多い会社だったなと思いまして、
入ってみて、それなりに戦ったけんじゃないかなと思ったんですけど、全く油断できない環境だったんですよね。
当時、就職ランキングでそれだけ上だったので、それに尖った人たちも入ってきていて、
お互いに刺激を、いい言い方すると刺激をし合うというか、
切磋琢磨しながらプロジェクトの中で非常に熱心に仕事をさせてもらっていたなと思っていまして、
今でこそコンサルティング業界というのはだいぶ働き方改革も進んでいるとは思うんですけど、
当時は本当に電車で帰れないのが当たり前みたいな、そういう世界で仕事をしていましたけど、
ただそれが別につらかったわけではなく、趣味みたいな感じで遊んでいる感覚なんですよね。
サークルのノリみたいな感じでコンサルティングのプロジェクトで仕事をしているみたいな感じで、
その辺の感覚がすごく居心地よく、かつ本気でその仕事に向き合えることができたなという意味だと、
非常に当時はいい環境だったなというふうに思いますね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、ベンチャー企業に移られるきっかけというのは何かあったんですか?
たまたま知り合いの、知り合いといっても大学以来会ったことがなかった方なんですけど、
その方と再会して、手伝ってよということでお誘いいただいて、
ただ当時まだ私は学生委員長にいて、プロジェクトも入っている委員長だったので、
ちょっと片手間で手伝いますねというので、今でいうと復業みたいな感じで、
その会社に出入りするようになって、ちょっとお手伝いしながら、
気づいたらもうちょっと本格的にやろうよということで、
就職活動もせずに、よくも分からずにそのまま移ってしまったというのが実態なので、
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ちょっとノリと勢いでその会社に転職したという、そんな感じでしたね。
その後、独立というふうにお聞きしているんですが、
ミライワークスさんを創業するきっかけというのは何かありましたでしょうか?
実は私、ミライワークスを立ち上げたのは2012年なんですけど、
2007年の秋に一旦独立しているんですよね。
一人会社を立ち上げるという形になっていまして、
ミライワークスを立ち上げるまでの間、4年半ぐらいあります。
その間はフリーランス的に活動していたわけですけど、
もともと何をやるか決めずに独立してしまった部分があったので、
フリーランスとして活動しながらやりたいことを見つけようかなと思って、
それでいろんなビジネスを立ち上げては潰してを繰り返していたんですけど、
そういう中でフリーランスのマッチングプラットフォームをやろうということになって、
やろうというか、たまたまそれも当時リーマンショックの後だったので、
仕事全然ないマーケット状況だったんですけど、
私も仕事なくて困っていたときに、一生懸命営業しているときに仕事が取れるようになってきたと。
自分が一人会社なのでいろんな仕事をもらえるようになったら、
もうやりきれないので周りの方々にパスするようになってきたんですよね。
そうすると自然とフリーランスのマッチングプラットフォームというほどではないですけど、
その間に入って仕事を紹介するアッセンビジネスみたいなのが始まってきて、
それをやっていたら、友人のフリーランスとかスタートアップの社長とかでお金がないような人たちが
仕事を得られてありがとうありがとうとみんなに言ってくれるので、
これはすごく世の中のためになっているなと思って、それで事業化してしまおうと思って、
自然と出来上がってきたんですよね。
そのときにせっかく仕事をしてもらうのであれば、当然のようにスキルチェックみたいなこともやるんですけど、
それだけではなく、どうして起業したんですかとか、
これからどういったことをしていきたいんですかというような、そういったことを聞くようになってきました。
そうすると面白いなと思ったのが、独立起業する人たちがやりたいことの
3大テーマみたいなものがあるなと思いまして、
1つ目が中小ベンチャー企業、その支援。
2つ目、これは今でいうと地方創生。
当時はまだ地方創生という言葉がなかったので、地域の活性化みたいな言葉を仰っていました。
そして3つ目が海外とのつながりなんですよね。
海外とのつながりは今でいうとインバウンド、アウトバウンドみたいな言葉になると思いますけど、
どんな仕事をしたいというように皆さんおっしゃっていました。
私は元々2007年に起業したときに、47都道府県を全部自分で回りまして、
日本を元気にしたいなと思って起業したんですけど、
そういう中で実は自分と同じように日本を元気にしたいと思っている人たちがたくさんいるんですよね。
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先ほど申した3つの条件というのは、どれをとっても日本を元気にする仕事ですので、
自分と同じように日本を元気にしたい企業家の方々、フリーランスの方々がいっぱいいると。
ただその人たちが、現実としてはリーマンショックもありましたけど、仕事がなくて苦しんでいる。
だとしたらその人たちにもっともっと仕事の機会を作っていく、
そういうふうな社会の仕組みがあったら、結果として皆さんが一人一人が自分なりのやり方で
日本を元気にしていっていけるのではないかなと思いまして、
それで本格的にプラットフォームを作っていこうと思って
それをやり始めたところ、それなりにいい形で立ち上がり始めまして、
売上も1億を超えてきたときに、一人会社で1億とかを回しているともう死にそうになってきたんですよね。
それでもう一人ではもうどうしようもないと思っていたときに、
たまたま友人が一緒に会社をやろうかという話になったので、
そこでミライワークスを一緒に立ち上げて走り出したというのがミライワークスを立ち上げた経緯ですので、
お話を聞いていただければ分かる通り、行き当たりばったりというか、
成り行きですべてが進んできてしまっているというようなミライワークス創業までのストーリーになっていますね。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは愛車様、飲食店オーナーだそうです。
こんにちは。私は都内でレストランを経営しているCと申します。
昨今の新型コロナの煽りを受け、売り上げは激減。ちょっと大変ですね。
緊急事態宣言や営業時間短縮の要請もあり、このままでは閉店せざるを得ない状況です。
しかしこのまま諦めるわけにはいきません。
テイクアウトやデリバリー、プラットフォームも利用していますが、根本的な解決にはなりません。
手数料とテナントの出身料を差し引くと、秘伝料を稼ぐのはやっとです。
そこでどうにか自社の料理を商品化、ブランド化することはできないでしょうか。
新たに商品開発を行い、それをECサイトなどで物販ができれば良いなと思っております。
もともと来店するお客様に合わせてサービスを考えてきたので、リッチも接客もお店の雰囲気も伝わらない。
オンラインというヒーローで処分するには限界があります。
他にも同じような悩みを抱えている飲食店オーナーは多いと思いますので、何か良いアイデアがあれば是非ともご協力いただきたく存じます。
別付きな質問ですが、何卒よろしくお願いいたしますというご相談内容でございます。
私は昔、カレーうどんで有名なところのご相談の時に、それを冷凍食品にしたらどうかという話をしました。
実は食品メーカーの多くは、レストランをもともとやっていて食品メーカーになった人も結構な数いらっしゃるんですね。
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例えば有名なところですと、テレビでもやっていましたが、大阪王将、これはもう餃子で有名なラーメンとか餃子で有名な王将さんの分派祭のところですね。
大阪王将さんは、実は今では冷凍食品の方が売上高は高いそうです。
つまり全てのレストラン、零食店が何かキラッと光る商品を持っていたら、その商品を冷凍食品とか通販できるような商品にして売るということができると思うんです。
そうすると、いわゆる今のコロナの中、これは2021年の3月に収録をしておりますが、このコロナの中でもすごもり需要でうまく利益を上げているところが結構いらっしゃる。
大阪王将なんかその例の典型ですね。ですから私は昔からレストランは実は食品メーカーになれるんだと、こんな話をしています。
ですので、おっしゃっていることはもうその通りで、もしお店にちょっと差別化できているキラッとした料理などがあったら、ぜひそういうところを取り組むのはいいんじゃないかなと思います。
ただし時間はかかります。なので資金的な問題があれば、まだコロナ融資というのがありますので、それを受けてうまく生き残りを図りつつ時間を稼ぎつつ、
どこかの食品メーカーさんにOMで作れないかというのをやってみたりとか、そんなことをするのが重要なんじゃないかなと思います。
私もいろんなレストランを出店するのにお手伝いをした経験がございますが、だいたいそういうときは調理器具とかを開発します。
遠赤外線オーブンとかですね、勝手に閉まる冷蔵庫とかですね、蕎麦が作れる機械とかですね、そういうのを作ってもらいますので、
そういう意味で言うと、ちょっと多少時間はかかりますが、全国でそういう食品をうまく冷食なんかを作ってくれるようなところなんかを探し出していって、うまく組まれるのもいいんではないかなと思っております。
ぜひそんなような形で商品化、ブランド化していっていただけたらいいんじゃないかなと思います。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、KAノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆さんの会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
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ぜひネット検索でKAノートスペース社長インタビューと入力いただきKAノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
18:34

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