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2022-08-31 23:05

第295回 田中譲治氏(株式会社アイ・パートナーズフィナンシャル代表取締役社長兼社長執行役員)【前編】

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今回は、東証グロース市場に上場する、株式会社アイ・パートナーズフィナンシャルの田中譲治社長にお越し頂きました。

独立・中立的な立場から資産運用のアドバイスを行う専門家「IFA」を日本に広めた第一人者である田中氏。

「人生100年時代、老後に2000万円が不足する」と言われる今、この先も安定した生活を送るためにはどのような取り組みが求められるのでしょうか?経営のヒントが得られますので、ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

■経営者インタビューメディア「経営ノート」
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■WizBiz社長塾
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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社アイ・パートナーズフィナンシャル代表取締役社長兼社長執行役員、田中譲治様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のご紹介させていただきます。
台湾証券株式会社入社後、モロガンスタイル系証券、UBS証券、メールエンジン日本証券というふうに応通になって、2002年に独立をなさっていらっしゃいます。
その後、有限会社インテグリティ取締役員御就任、そして株式会社アイブレイン、現在のアイ・パートナーズフィナンシャルに御入社され取締役員就任。
その後、専務、そして代表取締役員2014年になられて、そして2021年には東証マザーズに上場されている、今のグロース市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
田中譲治様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問なんですが、御出身はどちらでしょうか?
鹿児島県鹿児島市です。
なるほど。鹿児島時代の小学生時代はどんな少年でいらっしゃいましたでしょうか?
うーん、今と違って大変小柄で細かったんで、運動神経が鈍かったんで、だけど頭はそこそこ良かったのかなという、そんなあまり目立たない小学生だったと思いますね。
そうですか、なるほど。そんな雰囲気はないですが。
中学校時代はどんな少年でいらっしゃいましたか?
いや、中学校の時も同じようなもんだと思います。
はい。勉強はすごくできたんですか?
いやいやいや、中学は僕は鹿児島ラサールなんで、何分当時の中学から入ってくる、鹿児島ラサールに入ってくる連中っていうのは、勉強もできるは番長、小学校時代番長だったの見えてないな。
どちらかというと早熟系のやつが多かったんで、そういう意味によっては相変わらず中学時代も背は低くて細かったんで、目立たなかったと。そういう中学生だったと思います。
ちょっとリスナーの皆さん方はお分かりにならないけど、ラサール、鹿児島ラサールというと頭の良い中学生、高校生ということですので、たぶん小学校の時相当頭がよろしかったんじゃないですか。
いや、もう分かりません。
高校時代はどんなことをして過ごしたかと思いますでしょうか。
高校時代はどうですかね、当然大学受験の勉強もしたし、一方で趣味にも勤しんだり、
決して当時のラサールってそんなガリ弁ばっかりじゃなかったんで、それなりに青春を謳歌しながら受験勉強もしてたっていうことですかね、感じだと思います。
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中学時代とかの趣味とかそういうのは何だったんですか、中学校時代。
趣味、それは当時のあれだったら皆さんみんなやっぱり音楽を聴くとかでしょうね、音楽を聴くとか。
ただ今みたいにそんなにお金持ちがあってふらふら映画に見に行ったりとか、外でお茶したりとかそんな時代でもなかったんで。
やっぱりそうだね、ラジオ部で音楽を聴いたりとか、自分でギター弾いたりとか、そんな感じですかね。
結構ギターもやられたんですか。
多少やったと思いますね、結構やったかって言われると普通にやったんじゃないですか。
大学はどちらにお勧めになられたんですか。
大学は早稲田です。
早稲田大学を選ばれた理由というのは何かございましたか。
早稲田は結局早稲田に受かっちゃったというところじゃないですかね。早稲田の政治学科ですけど。
早稲田の政系ということは早稲田の中でトップですので、他のプリスな皆さん方や私と違って大半頭のいい社長様でいらっしゃるという感じですが。
早稲田大学時代はどんなふうに過ごしたかと思ってください。
サークルとマージャンですかね。
マージャン強かったんですか。
強かったというかみんな周りが好きだったということで。
サークルで当時は卓球同好会という同好会に入っていて、
サークルの連中と卓球をやるか、サークルの連中とマージャンをやるかという感じだったと思います。
卓球同好会ってちょっと珍しいんですが、卓球同好会に入ったりとか。
いやいや、僕は中学・高校時代は卓球屋さんというのがあって、
それは昔としてやっていたので、その延長で卓球同好会に入ったということです。
なるほど。ありがとうございます。
その後、新卒で大和証券っていらっしゃったんですか。
この大和証券を選んだ理由って何かございましたでしょうか。
他に行くところがなかったんですよね。
いやいや、1979年は第二次オールショックの直後なんで、非常に就職不況でした。
なるほど。
結局、もちろん他に行きたい業界はあったんだけど、その業界に行けなくて、
各社の相手が出揃った後に、まだ募集してたんですけど、
各社の相手が出揃った後に、まだ募集してたのは証券業界だったということですね。
なのでそこで大和証券に入ったと。
そう言われると大和証券に怒られるかもしれないですけどね。
今は大和証券ってすごい人気があるんですよね。
野村大和日光の三大証券っていらっしゃいますんで。
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当時はそうでした。
なるほど。ありがとうございます。
大和証券って8年ぐらいですか。
8年ぐらいですか。
京都支店でずっとリテール営業をやってました。
大和証券時代の思い出とか。
思い出っていうと、当時は自分で飛び込みでお客さんを開拓していた時代ですので、
最初、名刺の交換をするときに手が震えたなという記憶にありますね。
慣れないというか初めての経験で。
ただその後、やっぱり慣れれば慣れるとね。
一度会ってしまえば絶対お客さんにするぞみたいな。
そんな感じでしたけどね。
じゃあ当時から根性も荒れたと思いましたか。
根性はあるというか、状況に適応、環境に適応しやすいタイプなんだろうなというふうには思いますけど。
わりと京都ということは、京都一番営業がしにくいと言われたりするときもあるんですが、そんなに難しかったですか。
私はそんなに思わなかったですね。
やっぱりそういう営業力も含めてご有志で。
わかりません。
それはわかりませんが、個人的には京都の営業はそんなに厳しい、つらかったという思いではないですね。
なるほど。ありがとうございます。
その後、モルンガンスタンでUBS商店メルリンチというふうにどんどん転職をなさっていくんですが、
これは何か理由があられて、逆に言えば上に上がっていっている感じなのかもしれません。
上に上がっているというか、そもそも京都支店で7年ぐらいいたんですが、なかなか転勤させてくれなくて。
リテールじゃなくて、事業会社、いわゆる助成会社なんかと相手の営業をやりたいという希望をずっと大和商店で出していたんですが、
なかなか転勤させてくれないときにモルンガンスタンでお前丸の内で営業させてやるぞと言われて、という支えがあったのでホイホイと言ったということですね。
なるほど。モルンガンスタン以外では法人みたいな。
そうですね。最初は事業法人相手に、その後は金融法人ですね。
当時、1980年代の後半、まさにバブルの時代で、どんどん例えば新田銀行だとか運用会社だとかお金がどんどん入っていく。
在宅をやらない企業はバカだみたいな、そんな時代でしたのでね。
集まってきて、そういう金融機関、運用会社相手のビジネスが非常に儲かると言いますか、非常に収益性が高かった時代ですので、途中で事業会社から担当が金融機関に変わったということになりますね。
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その後UBS証券に持ち寄られていました。
そうですね。モルスターUBSの時は同じような仕事をしていました。
いわゆる金融機関のファンドマネージャー、運用会社のファンドマネージャー相手の営業。
なるほど。
その後、メルリンチですが、アメリカだと転職していくとどんどん給料が上がっていくみたいな感じですか。
結局、転職して上がっていくというか、僕の場合は基本、あまり上司に好かれないタイプなんですよね。
そうですか。
割と言いたいことを言うし、おかしいと思ったらそれおかしいんじゃないのって言うタイプなんですよね。
だから、当時の座右の銘は出ない給が腐るでしたから。
なるほど。
出る給が打たれると言うじゃないですか。その逆で出ない給が腐るというのが僕の座右の銘で。
結構、希望通りに転職していく場合もあるし、居心地が悪くなって転職していく場合もあったということかと思います。
メルヘジ日本証券に行ったときは、またリテール証券営業に戻ったんで、
というのはその頃40歳ぐらいでしたので、詳しくは申し上げませんが、機関投資家相手の営業っていうのはあまり潰しが利かないんですよ。
年が降ってくると。やっぱりある程度ファンドマネージャーも年齢層が若いし、
そうすると40くらいになってくると、機関投資家のファンドマネージャーからも、もっと若い奴の方がいいなみたいな。
そういう意味においては、ぼちぼち転職、証券業界で今後どうやって生きていくかということを考えなきゃいけない時期であって、
そのタイミングでメロニチ日本証券、当時1998年、山道証券が破綻をして、その後の営業基盤をメロニチ日本証券が引き取ってスタートしたのがメロニチ日本証券ですので、
そこでリテールをもう一回やり始めたということになります。
なるほど。ちょっと李さん方、年代わからない方がいらっしゃるのでご説明すると、バブルが崩壊後、山道証券、北海道卓足銀行などが作れながら、時代がちょっと動いてた。
そうですね。
にメロニチ日本証券にお入りになった。
そうです。
ということでいらっしゃいます。
その後、2002年に、IFAとして独立ということなんですが、これ何か独立しようと思ったきっかけなんてありますか?
2つあります。1つはメロニチ日本証券の方針が変わったということと、それからその時に当時、日国オーディアル証券がそのIFAビジネス部という部署を立ち上げて、
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いわゆるIFA、インディペンデント・ファイナンシャル・アドバイザーと業務委託で契約をするという部門を立ち上げて、そういうビジネスを始めたということで、これはいいねと。
メロニチ日本証券のやり方にはちょっと言い訳がさせていたし、というタイミングだったということで、IFAとして独立をしたということになります。
なるほど。IFAというのはリスナーの中ではちょっと馴染みがないお言葉だと思うんで、どんなお仕事をするということですか?
インディペンデント・ファイナンシャル・アドバイザーという、英語ではそう言うんですけど、要するに独立・中立の立場で資産形成、資産運用、資産保存のアドバイスをするアドバイザーということになります。
私が始めた2002年のころはほとんど知名度が全くなく、誰も知らない仕事でした。
ただ欧米では非常に当時から独立・中立のアドバイザーというのはそれなりにステータスのある仕事でした。
なので当時それをスタートした二国法である証券も将来的に日本でIFAが普及するんじゃないかという思いで始めたんだと思いますけど、なかなかそれが日本においては浸透しなかった。
2009年にiパートナーズ・フィナンシャルという会社を、実質的にはこれは創業なんですよ、起業してます。
その前にiブレインというあった金融商品仲介業者に対して、我々が出資、そして経営参加をして、iパートナーズ・フィナンシャルという会社を実質的に起業したということでしたんですけれども、
その目的自体は、IFAというのは自分がやってみて、本当にお客様のために働けるというのを実感をして、我が国のリテール金融を変えるためには、
IFAを我が国にも増やしたい、増やす必要があるという思いから、そして多くのIFAを抱える金融商品仲介業者を立ち上げて、そのときから上場させようという気持ちを持っていたんだけど、
いずれはその会社を上場させることによって、我々のクライアントというのは投資家ですから、一般投資家に対しては、IFAという人たちがいるんだということですね。
商機マンに対しては、IFAという働き方があるんだということを知らしめることができるよねと、短絡的ですけども、そういうふうに思って、2009年にiパートナーズ・フィナンシャルを立ち上げたということになります。
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なるほど。
ある意味、じゃあ、IFAとしての本当の先駆けというのが、田中社長様とこんな感じでいらっしゃる。
はい。
その思いを持って、ずっとiパートナーズ・フィナンシャルさんが上場し、これからもIFAの活動を広げていくみたいな感じで、今もやってらっしゃる。
そうですね。
こんな感じでいらっしゃる。
我が国に、今はもちろんIFAを増やそうという思いももちろんあるんだけども、それと同時に、IFAのクオリティを上げていきたいという思いからやっているということです。
世の中が、例えば、分かりやすい例でいうと、2019年の6月に出た、金融庁の金融審議会の市場ワーキンググループというのが出した報告書。
人生100年、老後2000万円不足しますよという報告書が出ました。
これを契機にきっかけに、いわゆる特にお若い方、資産形成層の方々が積み立て等で老後の資金に備えるという動きが現在非常に活発化しています。
それと同時に、金融庁の、いわゆる金融行政の報酬の中にも、家計の安定的な資産形成を促したいというのがあります。
当然、そうなってくると、欧米は先行しているんですけども、そのときにやはり必要とされるのがファイナンシャルアドバイザーなんですよね。
もちろん、ファイナンシャルアドバイザーがなくても、ちゃんと老後の資産形成をやれる方もいらっしゃるんだけど、大抵の方はそういったアドバイザーを必要としている方が多いということでございまして、
そういう意味では、家計の安定的な資産形成自体が国策ですので、それをサポートするというか、それを支えるのもIFAかなと。
そういう支えられるようなIFAをどんどん我が国に増やしていきたいというふうに思っているということであります。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはS様でいらっしゃいます。
新谷さん、こんにちは。私は飲食店を数店舗経営しています。
繁華街の活気が戻りつつあるので、合宿やアルバイトの新規採用を始めました。
しかし、入ってもすぐ辞めてしまうということが相次いでおり、最近は応募もがくんと減りました。
そこで、ある従業員に話を聞いたところ、教育係をお願いしている従業員が、新人アルバイトに対して意地悪をしていることが判明しました。
さらに、学生の間は、あそこのアルバイトはやばいという噂にもなっているそうです。
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教育係の方は、普段は真面目に働いてくれている従業員ですので、話し合いをしたいので、どのように対応すべきか悩んでいます。
この問題を解決して従業員が気持ちよく働く環境を作りたい。どうか新谷さんに御上言をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
これはよくあることですね。
昔、うちの会社でもありました。私と部長で、一生懸命そういうことをしちゃダメだと教育をしました。
でも、スーッと出てきちゃうときがあるんですよね。
ですので、基本的にこういうことが起こるのは社長の責任だと思って、一生懸命社長さんが教育するなり説明するなりに納得するようにしたりするということが必要になってきます。
また、企業文化的に組織風土的に他人が他人を助けるような社会を作ろう、会社を作ろうみたいなことを理念に掲げてやっていって、その浸透ができて初めていじわるとかいじめとかそういう問題が多少減るのではないかなというふうに思います。
結構長い戦いになるんじゃないかなと思います。
組織風土企業文化で人材の定着率であったりとか採用のしやすさが決まってくる部分が非常に大きいので、これはもう社長自らがまずはこの従業員の方と話し合い、教育をし、いじわるをしないようにするということが最初の一歩だし、
いじわるをしないような環境づくり、うちはみんなを助け合う文化なんだ、みたいなことを作っていくことが大変大切になります。
そういう意味で経営理念はありますでしょうか。経営理念の中に助け合うみたいな精神はありませんでしょうか。
私の人事評価制度の中に感謝する人みたいなのを、タブ書で感謝する人というので、セクショナリズムをなくすために感謝する人を1人から3人あげなさいというのがありまして、それを四半期ごとにやっています。
これはわざとこういうふうに四半期ごとにセクショナリズムがなくなるように、それぞれの文章のことも考えて動くようにということでやっています。
そういうのを散りばめていかないと、このいじわるをするとかいじめをするというのは根本的にはなくなりにくいんじゃないかなと思います。
人は生まれ育った環境なり、生まれ育った歴史なりがあるので、20歳になっても30歳になっても、何なら60歳になっても、会社の色となかなか合ったり合わなかったりすると思います。
そういう意味でなかなかいじわる癖というのは抜けないケースも多いんじゃないかなと思います。
そういう意味でここは教育をしていくしかない。100%は直らなかったとしても、8割ぐらいは直る可能性があります。
そういう意味でいうと、2割残ったらなかなかいじわるなことはやらなくなるに近いぐらいまでは来るんじゃないかなと思いますので、
そういう意味で社長さん自ら教育もするし、理念も作るし、理念の浸透もするし、浸透させることに結果的にいじわるが減っていくみたいな文化ができてくるといいんではないかなと思います。
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大変長い戦いになると思いますが、ちょっと腹を据えてやっていただければなと思っております。
もっと細かいことがいっぱいありますので、こんな方法、あんな方法とアドバイスできると思いますので、無料の経営相談をもしよろしければお申し込みください。
同じような悩みのある方も無料の経営相談をのらさせていただきますので、何なりとご相談いただければと思います。
本日の3分コンサルティはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で、経営ノート、スペース、社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
23:05

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