1. 社長に聞く!in WizBiz
  2. 第137回 島津清彦氏(株式会社..
2019-08-21 15:46

第137回 島津清彦氏(株式会社ZENTech代表取締役CEO)【前編】

spotify apple_podcasts youtube

今回は株式会社ZENTech代表取締役CEOの島津清彦社長にお越しいただきました。

スターツグループの取締役を歴任された後、株式会社シマーズや株式会社ZENTechを設立された経営者です。起業後に禅と出会い、自身の経営哲学と共通する部分があると気付き、座禅を経営に生かす活動をされています。スティーブジョブズなどの著名な経営者が禅を取り入れるエピソードなどをお話しいただきました。ぜひ、経営者インタビューをお聞きください。




00:05
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、島津社長様です。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
スターツコーポレーション取締役人事部長、その後、スターツコーポレーション専務取締役、
そして、その後、スターツファシティサービス代表取締役社長、スターツピータットハウス代表取締役社長を歴任され、
その後、株式会社島津を設立し、代表取締役にご就任されていらっしゃいます。
その後、株式会社ZENTechを設立した代表取締役、CEOになられている島津清彦様が、
今日のインタビューでございます。島津社長、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いいたします。
まずは、最初のご質問なんですが、ご出身はどちらになられるんですか?
出身はですね、東京都江東区の深川ですね。最寄り駅でいうと、門前中町とか木場とか、あの辺りになります。
下町っこっていうね。
下町いいですね。
小学校、中学校時代はどんな幼少期を過ごしていられましたか?
小学校、中学校時代は、学年で一番背が低くてですね、どちらかというと、
たぶん自分の身を守るためじゃないですけど、周囲を明るく、お笑いキャラでですね、
つまんないネタを言いながら、なんとなく自分の身を守っていた。
今思えばですね、人を笑わせるのが好きな、そんな小中時代でした。
今の島津さんと同じで明るいご性格というか。
そうですね。基本的には明るい、楽観的というか、ほがらか。
先生からはよく明るくて楽しくて、ほがらかですねっていうのを書かれましたね、通知表には。
高校は東京の都内の高校ですか?
そうですね。高校は、それこそこの近くですけど、東海大附属の高輪大という高校に行きました。
何かその、高校を選ばれた理由とかそういうのがあるんですか?
えっとですね、本当は都立に行こうと思ってたんですけど、行きたいところを内心的にですね、
ダメだとか言われて、自分では受かるつもりがあったんですけど、
先生にちょっと反発して、ある程度チャレンジしようということで、色々調べたんですけど、
そしたら高輪大というのが、今ちょっと分からないですけど、結構良さそうだなということがありまして、
それで選びましたね、自分で。
高校時代はどんなことをして過ごした?
高校時代はですね、部活は卓球部、体がちっちゃかったんで、卓球部に入って、結構それはそれで楽しかったんですけど、
ただ、なんていうんですかね、やっぱりスポーツが結構強かったですね。野球も強かったし、アメフトも結構強かったんですけど、
卓球部ってすごい超マイナーで、あんまり気合を入れられなくてですね、
実はその友達と一緒にお笑いコンビを結成して、それでテレビ番組、お笑い番組に出演してですね、
03:03
チャンピオンになったというのもあるので、やっぱりそのお笑いで。
そうすると、もしかすると吉本工業に入られたかもしれないみたいな、
そうですね、多分年代、若い人はご存じないと思うんですけど、
テレビジョッキーっていうですね、ドイマサロさんが司会をしていた番組のお笑いコーナーに出て、
そこでチャンピオンになったので、そのまま勝ち進んでいけば、もしかしたら本当にお笑いの世界を目指してましたんでね。
今でいうと松本人志とか。
いやー、どうですかね、世代的には確かにね、そういうトンネルズだったりとか山田邦子とか、
本当そういう世代なので、ただいろいろ問題ね、今ありますからね。
ちょっと今驚きなことでございます。大学はそのまま東海大ですか?
そのまま東海大の整形学部に、何をやりたいというのがなかったので、そのまま経済学部に入り始めました。
大学時代はどんなことをして過ごしたんでしょうか?
大学時代はですね、もう完全にアルバイト一筋で、実は自宅が、
自宅が大学時代ちょっと浦安でですね、学校は遠かったんですけど、部活とかっていうよりは、
もうアルバイトをしようということで、浦安の駅前のマクドナルドのグランドオープンと同時に応募して、
そしたらもうほぼ早い段階でその店長からマネージャー、スイングマネージャーをやれということで、
100人以上アルバイトいたんですけども、その大学時代はとにかくマック一筋でしたね。
勉強はあんまり熱心にしてなかったですね。
アルバイトだけど、もう社員みたいな扱いですか?
そうですね。半分社員みたいな感じで、売上げの管理から商品、バンズの仕入れから、
あとはクルーっていうアルバイトのスケジュール管理ですね。
誰にいつ入ってもらうかとか、そういうのを全部人物兼ねみたいなことで任せられてやってました。
なるほど。マクドナルドでは学ばれたこととかそういうのあられましたか?
やっぱり仲良い悪いってあるんですね。アルバイト100人以上いると。
派閥みたいなのはどうしてもできるんですけど、そういう人たちをうまくまとめていったりとか、
あとはやっぱりどうやったら売上げが上がるかっていうですね、
ちょっと表に出て、チキンマックナゲットの声を出して、いらっしゃいませってやったり、
あとパンが足りないときに他のお店から借りたりっていうことで、
そういう意味でいうと調整能力っていうんですかね、調整力みたいなのが一番学んだかもしれません。
大学時代はお笑いはもうやらなかったんですね。
大学時代はお笑いはやらなかったですね。マックが本当に楽しかったので。
マクドナルドにそのまま就職とかは?
もちろん誘われましてですね、当時裏安の店長が佐藤さんという方だったんですが、
この方は後のマクドナルド大学の学長になられた方で、非常に熱心に入社しないかということで誘っていただいたんですけど、
06:04
逆に現場を見すぎてしまったので、全く違う道に行きたいと思って、マックは断りました。
そうしますと、もしかするとマクドナルドの役員とか社長になったかもしれないわけですね。
そうですね、あの時は確か外食では給料が一番高いとかって話題になっていました。
だから社員の方から、俺のボーナスすごいだろうみたいなことで、札が立つぞとかって本当に言われました。
でも全く言っていなかったですね。
新卒で選ばれたのがスターツさんですか?
スターツですね。当時はちくま不動産という船に曲がると、
ちくま川、オーナーが長野の出身ということもありまして、
多分社員数まだ100人ぐらいで、江戸川区火災というところで知名度もなかったんですけど、
もともと当時は結構就職がすごく良かったんですね。
みんな大手の都市銀行とか生存簿や流通百貨店ということで、ほとんど泣いていくつも取ってた時代だったんですけど、
僕は将来やっぱり伸びる会社とか、自分がそこで社長になれるような成長、
ベンチャーですよね。そういうところしか見てませんでしたので、
その中で一番相性が良かったというか、ピンときたという感じでした。
じゃあスターツさんが上場する前?
もう全然前ですね。
上場した平成元年ですから、私が入ったのは62年です。
2年前、そうですね。上場するちょっと前という感じですね。
なるほど。スターツさんでは素晴らしい経歴ということで、いろんな役職を経験されていらっしゃるんですが、
何年くらいどうして出世していたかというのがあられますでしょうか?
在籍していたのは25年なんですけれども、普通の営業マンから始まって、
ピタターさんは店長とか、人事部長とかホールディングスの専務とか、
事業会社2つ社長とかとやらせていただいたんですけれども、
単純に1つは会社の考え方というか、相性が良かったというのがありますよね。
やりたいことというか、どんどん会社に対しての不満だったりとか、
もっとこうすべきという提案を積極的にオーナーが取り入れてくださったり、
僕みたいなちょっと変わったというか、やんちゃなタイプを、
どちらかというと面白がって、組織のエネルギーというか、
起爆剤みたいな感じで見ていただいていたと思うんですね。
だからそこの相性が1つすごく良かったというのはあると思います。
あとはやっぱりもともと就職活動で最終面接のときに、
もう社長になりますと、よく君は部長までどこまでなりたいんですかって
質問を最終面接されたときに、社長になりますというふうに言い切ってですね、
もともと多分独立志向が強かったんで、
09:02
そういうところが結果につながったんじゃないかなというふうには思います。
周りで社長になりますなんておっしゃられた方は珍しいんじゃないですか。
ただ僕らの年代は意外と多くてですね、
また会社自体も当時のベンチャーみたいなところなので、
結構そういう上昇志向の人間が集まってきたということで、
最近は少ないですけど、当時は結構同期でも社長になりたいというのは多かったです。
同期の中でもこれだけの経歴だとほぼ勝ち組というか。
そうですね、同期の中でやっぱり一番という感じではありました。
一番になった理由というか、一番出世された理由というのは、
ご本人としては分析していることはありますかね。
うーん、あんまり自分では分からないですよね、実はね。
何が良かったかというのは、よく分かっていなくてですね、
何なんでしょうかね。
ただ新しい、いろいろ移動が多かったんですけども、
やっぱりその移動した先で常々リセットして骨を埋めるつもりじゃないですけども、
あんまり腐ることがなかったですね。
だから文句は言っていましたけど、
とりあえずはその与えられたポジションの中でひたすらやるという、
考え方だったかもしれませんね。
なるほど。お辞めになったのが2012年ということなんですが、
その時はスタッフさんはもう当初一部でした。
一部にまだなっていなかったですね。
なっていないぐらいですか。でも結構な大きさでしたね。
そうですね、グループ社員は5000人ぐらいいましたので。
辞められることに躊躇とかそういうのはあんまりなかったんですか。
辞めることに対する躊躇というのはなかったですね。
なかったというのは今まで25年の中で何度かやっぱり
ちょっと自分の思いが強すぎて辞めたいという話は一度二度したことがあったんですね。
そこはやっぱりきっかけがちょうどその1年前の震災で
自宅がちょっと被災したということもあって、
かなり自分の人生観をすごい見直す体験をしたということが
一つの引き金になったということもありましたので、
申し入れしたときにはもう覚悟を決めていたというかですね。
決めていたので後悔というのはなかったですね。
経営者を応援する。社長の孤独力番外編。
本日の社長の孤独力番外編は、もっと経費を削減したい、
本気で削減したければ正規を作るなという方でございます。
本にも書いてあるとおりでございますが、
どうしても経費を削減しなきゃいけない、
12:01
コストをカットしなきゃいけないというところになった場面のときに
どうするかとこういう話でございます。
そのときに一番重要なのは正規を作っちゃいけませんね。
これの経費はこの経費がないと売上が立たないからとか、
この経費をなくしたらうちの会社は終わっちゃうみたいなことを
一番最初に考えるとコストカットができなくなります。
ですので全てのコストを全部見直す。
こういうことを考えなきゃいけません。
その中でどうしてもやめられないコストもあるでしょうから、
そういう意味でありますけれども正規を作ってしまうと
いわゆるコストカットできるところもできなくなってしまうと
こういうことになりますので、まずは正規を狂わず
一番大きな経費から見直していくと
こういうことが重要だと思っています。
特に接待費とかタクシー代とかそういったものは
社長自らがまず先に全て自腹にするみたいな宣言をし、
全役員真似しろみたいな感じでやらないと
これも非常に難しいんじゃないかなと思います。
さらに取引先に対して減額要求なんかも
していかなきゃいけない場合もあるんだと思います。
その際も社長自らが頭を下げに行き、
そして支払いサイトを1ヶ月伸ばすとか2ヶ月伸ばすとか
そういうことも資金繰りなどをやる場合には
自らやらねばならないとこういうことを考えても
いただきたいなと思います。
そのことによって社長自らが頭に下げてきたので
渋々そのお願いに協力してくださる企業さんも
いらっしゃるんじゃないかなと思います。
その姿を例えば社長様が土下座してでも
お願いしている姿を部下たちが見ると
社長がそこまでやってるんだからということで
一生懸命社員たちもコストダウンを図ってくる。
一生懸命これをコストカウントしましょうよと
こういうことになってくる。
こういうことを考えることがあると思いますので
ぜひ自らまずは正義を作らず
コストカットをしていくんだということが重要なんだ
ということをご理解いただければなと思っております。
本日の社長の孤独録番外編はここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者の
インタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして
私どもウィズビズが運営するウェブサイト
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
15:00
音声だけでなく文字で読み返すことで
新たな発見や気づきがあり
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないか
と思いましてサイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと
入力いただき経営ノートのサイトをご覧になっていただければ
というふうに思っております。
本日の社長にくインウィズではここまで
また来週
15:46

コメント

スクロール