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2021-04-21 20:58

第224回 小久保知洋氏(株式会社SKIYAKI代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社SKIYAKIの小久保知洋社長にお越しいただきました。
ファンビジネスのデジタル化を牽引したパイオニアである、マザーズ上場企業の社長様です。

小久保氏は、東京大学理科一類をご卒業後、富士フイルム株式会社にご入社されました。そこで、Adobe製品に触れることでWEBの世界に魅了され、IT業界に飛び込まれます。
光画印刷株式会社、堀江貴文氏が代表を務める、株式会社オン・ザ・エッヂ(株式会社ライブドア)、NHN JAPAN株式会社(現LINE株式会社)を経て、ミクシィ社の子会社Diverseを設立し取締役に就任されました。その後、株式会社SKIYAKIの取締役を経て、代表取締役社長にご就任されます。
IT業界の前線でご活躍されている小久保氏の考える「人間とはどんな生き物か?」情報化社会の中で信念を貫き自身とのテーマと向き合われる姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。




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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、株式会社SKIYAKI代表取締役の国後智寛様です。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。
富士風流入社後、高額印刷株式会社に移られ、その後、株式会社温泉市、
ホレモンのライブドアに代わられる会社にご入社。
ライブドアでは執行役員にご承認されていらっしゃいます。
その後、NHNジャパン株式会社、今のLINEさんですね。
今日、収録日3月1日なんですが、配信4月だと思うんですが、
ちょうど世の中、ヤフーライブドアのニュースが流れているところですが、
NHNジャパンでは執行役員をご承認されていらっしゃいます。
その後、リバース取締役員をご承認し、その後、SKIYAKI取締役員に承認。
そして、2020年にはSKIYAKI代表取締役社長に承認されていらっしゃいます。
SKIYAKIさんは、2017年に東商マザーズに上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
国防社長様、よろしくお願い申し上げます。
よろしくお願いします。
最初のご質問なんですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますか。
私は埼玉県の入馬市というところなんですけれども、
昔は全然知られていなかったんですけど、
ちょっと後にアウトレットができて、ちょっとだけ言ったらわかるみたいな状態でした。
入馬市はもともとお父さんもお母さんもご出身ですか。
そうですね、はい。
父の会社もその辺りにあったので、自転車通勤で父親に入っていてという家庭でした。
小学校、中学校時代の思い出は何でございますか。
私は中学から新宿の方の中古一貫の私立に通っていたので、
あんまり埼玉県への思い出というのはそんなになくてですね。
これは埼玉県あるあるかもしれないですけど、
あまり埼玉県人というのは東京と同化したいみたいな感じなので、
そんなに埼玉入馬市にすごく思い出があるという感じではないかもしれないですね。
中学校は新宿の方に出て来られて、毎日通っていらっしゃったと思うんですが、
中学校時代の思い出は何でないかというと。
そうですね。
それでいうと、当時僕の世代だとまだ中学受験をする人というのはそんなにいなかったんですけど、
特に埼玉県入馬市ではなんですけど、
おそらく僕の記憶だとクラスで、学年で2人ぐらいしかいなかったぐらいな感じなので、
すごく塾に行くことを珍しがられたので隠していたんですけどね。
中学で新宿の方に入ったら、やっぱりレベルが全然違って、
地元だと当然勉強できるでしょみたいなキャラで、
それはつらかったんですけど、そこから抜け出せたなんか良かったなみたいな感じで、
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逆に解放されたというか、世の中すごいなみたいなのが思った記憶があって、
やっぱり優秀な人の周りに囲まれて、なんか自分大したことないなみたいなのを思えたのは結構大きかったかなと思います。
なるほど。高校はどんな思い出がございますでしょうか。
高校も、でも中高一環でみんな当然のように受験、あと予備校に行ったりとかいう感じだったので、
そんなに外れた、突飛なことをした記憶はなくて、ただ部活は普通に中学サッカー部、高校テニス部という感じだったので、
普通の私立の高校生みたいな生活だったかなと思います。
大学は東京の方の大学ですか。
そうですね。東大の理科一類に入学しています。
頭はもともとよろしかったですか。
先ほど言った通り、中学入った瞬間に世の中すごいなみたいな感じで、
大学も全然東大に受かるような学力じゃなかったんですけど、理系だったので、
総計受かったらいいなぐらいでやってて、国立受けるとこなくて記念受験みたいな感じだったので、
合格発表も見に行っていないぐらいな感じだったので、すごいたまたま受かったみたいな感じですかね。
でも周りの同級生から言うと東大院の方々はそんなに多くはない?
結構何十人かはいるんで、彼らは一体当たり前だけど、僕はそんなに早稲田に入れればいいなぐらいな感じだったので。
トップ10%ぐらいでらっしゃいますよね、東大級。
そうですね、だいたいそんなものですかね。
大体一学年に500人ぐらいいて、多分当時50人ぐらいですかね。
今はもっと頭がいいらしいんですけど。
あ、そうですか、なるほど。
もともと頭がいいということでらっしゃると思うんですけども、
大学時代の思い出なんて何かございますか。
大学もですね、ほんと何もしてなくてですね、
大学にいかに行かないで卒業できるかを考えてた感じですかね。
完全なる大学デビューなんで、サークルに入って、
インカレのサークルでバイトしてサークル行って楽しいなみたいな感じですかね。
あと、院士を受けたくなかったんで、理系だとだいたいみんな院に行くんですけど、
そこは学卒で入れるところっていうので、
一人就活を、就活というか研究室に張り紙があるんで、
そこ行くとやっぱり大学柄なのか、すごいウェルカムで来てくれるんで、
いわば入れるみたいな感じだったんで、こんな感じで入れるんだったら就職しようみたいな。
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そんな感じでしたね。
やっぱり東大らしいエピソードというかそういう感じですかね。
いや、本当にダメだったと思います。
一番最初が富士風流で。
そうです。新卒で。
富士風流も選ばれた理由って何ですか。
それもですね、あんまり就活したくなかったんで、張り紙があるところ。
あと僕機械工学科だったんで、一応機械系というと、
花形でいうと例えば自動車会社とかエンジンとかだったと思うんですけど、
そういう自動車会社をちょっと見に行ったりとか、
あとはキャノンさんとかそういうメーカーで機械系がまだ行けるところみたいな感じで見ていて、
ただ富士フィルムはどっちかというと化学系の会社なので、
ただその時にデジタルカメラを発売されてた時で、プリンターも売るみたいなところで、
結構機械系の人材を入れている部署があったんですけど、
そこに入れてもらったという感じですかね。
選んだ理由はそんな誰も知っている会社だし、そこだったら親に怒られないかなみたいな感じですかね。
なので就職するまではほとんど何も考えずに消去法で就職してたみたいな感じです。
何か富士フィルム時代の思い出なんてございませんか。
いや、どうですかね。本当に仕事の思い出というよりは、
仕事ってすごい時間拘束されるんだっていうのを思って、
当時の僕はあまりやりたいことも明確になかったので、
プライベートと仕事っていうのは分けられると思っていたんですよね。
なんですけど、やっぱり就職してみるとそんなことはないし、
あとは僕は設計の部署だったんですけど、何か生産でトラブルがあると、
仙台の工場に飛んで治るまで帰ってこれないみたいな、
結構そういう生活だったんで、
やっぱり仕事って大変だな、好きなことをやらないとダメだな、
みたいなことを就職して初めて痛感したっていう感じですね。
社長を目指すとかそういうのはその頃は思っていましたか。
いや全くなかったですね。
僕どっちかっていうとやっぱり物を作ったりする方が好きだったんで、
趣味とかで言うと何でしょうね、
例えば毎年版画を掘るみたいな、年賀状を作るのに版画を掘るとかっていうのは
結構就職して1,2年ぐらいはずっとやってたんですけど、
物を作るのはすごい好きだったんで、社長のことは全く思ってなかったですね。
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その後工画印刷に移られてらっしゃるんですか。
これ移るきっかけとか何かあるんですか。
そこら辺からちょっと真面目に考えてるんですけど、
まず最初のフジフィルムでパソコンっていうものをまともに触ったのは初めて、
卒論で使ってはいたんですけど、本当に大した卒論じゃなかったんで、
フジフィルム入って印刷をするプリンターを作ってたんで、
印画パターンを作るのにフォトショップをすごい使ってたんですよね。
そのアドビ製品に触れて、これなんてこんなすごいことができるんだっていうので、
そこからすごい興味を持ち出して、
イラストレーターとか、当時だとフラッシュとか、
ウェブページを作るのにアニメーションが作れるみたいなのがあって、
それにすごい興味を持って、
その当時ちょっと映像作りにも興味があって、
土曜日に映像の専門学校みたいに通ったりしてたんですよ。
それでインターネットの世界に行くか、
映像編集の世界に行くかっていうのを二択で悩んでいて、
ただやっぱウェブ面白そうだなっていうので、
高画印刷っていう会社の、
そこは高島屋さんのハウスエージェンシーから印刷物の仕事を受けるみたいな会社なんですけど、
そこがウェブ部分を立ち上げるんで、
御社でも立ち上げてくださいみたいな感じで、
最初は高画印刷では、
自分で例えば秋冬のブランドサイトのキーイメージもらって、
イラストレーターで作って、それを提案して、
OKだったらHTML組んでFTPに上げるみたいなような仕事をしてました。
なるほど。
その後、ライブドアといった方が渡りやすいんですが、
当時オンザエッジとおっしゃっていたと思うんですが、
堀山さんが立ち上げた会社にご入社されたんですが、
これ移られたりというか。
高画印刷でウェブデザイナーの真似事、
ウェブディレクターの真似事みたいなのをやってたんですけど、
やっぱり技術がないとこの世界ダメだなっていうのをすぐに思ったんですけど、
ちょっと自分にはまだ何のスキルもないから、
一旦そのデザインディレクションというのをやってから、
ちょっとその当時、ベンチャーでも頭が抜けてそうなところに面接にいくつか行ったというので、
そこのライブドアの前身のオンザエッジだけが採用をくれたんで、
行ったという感じですね。
5年ぐらいでも役員になられているのは、やっぱりご優秀でいらっしゃったから活躍されたということですか?
いや、それがですね、めちゃめちゃな会社だったんで、
上から順番に人がいなくなっていくんですよね。
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なのでどんどん空席ができていくみたいな感じで、
そのライブドア事件がとかっていうよりも、
そもそも業務として当時、ネット業界みんなそうだと思うんですけど、
まあ過酷なんで、技術的なところも成熟していない中で、
分からない中でみんな作ったりとか、それを納品をしないといけないとかっていうところで、
みんな脱落していく中で、なんとか粘ったみたいな感じですかね。
なるほど。堀江さんともご一緒にお仕事をされたということですかね。
いや、でも僕が入ったことはもうわざわざ上場してたんで、
それこそ面接で受けた以降は、そんなに話すことはしばらくなくてですね、
というのも僕の間にいた事業部長、その後副社長の一人なんですけれども、
になる方がいらっしゃって、その方が非常に上手く間に入って
マネジメントしてくれるんで、堀江さんのいろんな思いつきを
恐怖に当たらずに、なんとか生き延びれたみたいな感じですね。
なるほど。その後堀江さんがいなくなったと、
メディア一部を務めたという感じですかね。
はい。そこが完全に転機なんですけれども、僕はたまたま
温宅ライブラーで何が起きても逃げずにやってたっていう感じなんですけど、
その時、先ほど言った上司である方が、今ちょうど先ほどあった
今日LINEという投稿ですけれども、LINE側の今の社長である
井出沢さんという方が、僕の直続の上司だったんですね。
そこのチームはすごく結束力が高くてですね、
当時のライブだってお祭り事が好きで集まってくる人がいたんですけど、
お祭りが終わっちゃってみんないなくなっちゃったところが、
井出沢一派だけは、もともとそういう機質でもないし、
コツコツサイトを作るみたいな、自分たちのお金は自分たちで稼ぐっていう
割と地味な舞台だったんで、事件後も残っていて、
そうすると全体的にみんな見るところを増やさなきゃいけないというところで、
だんだん領域を広げていって、という感じになっていきましたね。
なるほど。その頃の思い出とか、辛かったこと、面白かったことは何かありますでしょうか。
辛いのは入った瞬間が一番辛かったんで、
体制がほとんどできてたんで、そんなに驚きはなかったんですよね。
ただ、スキル的にはやっぱり上から順番に、
その時は本当に文字通りいなくなっちゃったんで、
マネジメントっていうところでいうと、
例えばPLを見るっていうこと自体が、そもそも必要なかった業務なんですけど、
それを急にやらなきゃいけなくなって、
かつライブだって金融で儲けようとしてたんで、
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ポータルとかメディア事業は人集めればいいよみたいなところだったのが、
途端にそれが全部前提屈返って、ここからV字回復しなきゃいけないっていった時に、
自分が今までやったことないことをやらなきゃいけないっていうのを、
毎週のように、あれ、あの人もやらなきゃいけないとか、もう一段上がらなきゃみたいな感じで、
毎週レベルアップするっていうのは、なかなか当時いた者しか体験できなかったことなんじゃないかなっていうことと、
やっぱりその時も、自分は先ほどのエピソードにある通り、
すごく勤勉ではないので、なんか物事が来てくれないとやっぱりやらないっていう立ちなんですよね。
だからそのPLも見たことなかったんですけど、やっぱり渋谷の本屋さんで、
3秒で分かる財務書票みたいなの買って、実際に明日判断しなきゃいけないPLを見に、
なるほど原価証却ってこういうことかみたいなものをやってたっていうのは、
なかなかレアな体験かなと思いますね。
お話聞いてると頭がいいので、すぐにPLもパッと理解されるんだなって。
やれって言われたらしい感じですかね。
素晴らしいなと思いました。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは製造業のT様でいらっしゃいます。
初めまして。東京で製造業をしているTと申します。
本日はオンラインでの採用面接について相談をさせていただきます。
これからの採用活動はオンラインを活用しなければ進まないと考え、
採用面接にオンラインを取り入れました。
しかしオンラインの面接はリアルの面接と違う部分が多く戸惑っております。
特に困っているのはオンラインでは顔しか映らないので、
読み取れる情報が少ないという点です。
採用後にやめてしまうケースもリアルで面接した時よりも
20%ほど上がってしまいました。
オンラインでの採用面接のミスマッチを防ぎなどの点に注意すればよいでしょうか。
お教えいただければ幸いです。
ということで、コロナになってからDX時代が到来し、
皆さん方オンラインでいろんなことをやっていらっしゃるんじゃないかなと思います。
弊社でも面接はもちろんのこと、
オンラインで200本ぐらいセミナーを毎月毎月やるようになってしまいました。
それは良いことでございまして、
私なんかも在宅で父と母の介護をしながら、
経営者として社長業としてちゃんとやれてますので、問題はないんじゃないかと思います。
面接も私は問題ないと実は思っています。
というのは、表情から読み取るんじゃなくて、
相手のしゃべったことの答えから面接というのは読み取っていくことの方が重要なんじゃないかなと思います。
ですので、質問内容をむしろ変えていただいた方がいいかもしれません。
例えばうちのなんかですね、夢は何ですかって言ってですね、
例えば家族の幸せとかいうふうに言った瞬間に、うちの会社では不採用です。
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何でかというと、社長を目指していたり、経営者を目指していたりした人たちが集まれっていって、
変わったやつが集まってこないと困るんですね。
だから金持ちになりたいとかいった人間が採用なんですね。
わかりますでしょうか。そういう基準があるんですね。
その基準が多分このT様の会社様は、残念ながらないんじゃないかなと。
そうすると、表情から読み取ったりするみたいな微妙にアバウトの部分で、
もしかしたら社長様しかできないんじゃないかみたいなことになってくるんですね。
質問が決まっていて、こう答えたら採用、こう答えたら不採用みたいなのが決まっていると問題なくなってくると。
そうするとオンラインでも特に問題ないと。こんな感じになります。
ですからまず採用基準をT様の製造業では、どんな人が入るとやめないのか、
どういう人が来てくれるのがいいかという採用基準を決め、
その人が取れるなどにはどういう質問を用意すべきなのかみたいなのを用意し、
こう答えたら採用、こう答えなかったら、こっちの方向性になったら不採用みたいなのを決めていくことが
面接では重要なんじゃないかなと思います。
これはオンラインだろうがリアルだろうが関係なくそういうことが重要なんじゃないかなと私自身は思っております。
ぜひ採用基準を決め、質問する内容を決め、そして答えがこういう答えだったら採用みたいなのを決めて
オンラインでの面接に挑んでいただけたらなと思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。
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