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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、株式会社 ハイブリッドテクノロジーズ代表取締役社長
チャン・バン・ミン様でいらっしゃいます。まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1986年ベトナムに生まれる、1994年初来日。大学まで日本で過ごされました。
2010年に結婚し、日本とベトナムの往来を始める。
2010年に株式会社日本マニュファクチャリングサービスのベトナム法人代表にご就任。
2014年に情報通信大手FPPグループの日本代表に就任。そして、2016年、ハイブリッドテクノロジーズを創業されていらっしゃいます。
そして、2021年、昨年当初を待たずに上場された上場企業の社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ご質問なんですが、ご出身はベトナムということで、小学校時代のチャンバンミン社長はどんなご少年でいらっしゃいましたでしょうか。
はい、本当に運動が好きな少年になったんですけども、途中から中学校あたりでインキャラになりました。
あんまり外に出かからないような少年になっていました。
小学校時代はどんなスポーツとかをやられていましたか。
部活でいうと、サッカーは憧れたんですけども、練習は結構きつそうだったので、途中から陸上部とかバスケの方にシフトさせていただいたんですけども、あんまり変わらなかったというのが実態でした。
中学時代インキャラとおっしゃられたんですが、インキャラに変わられたのか、体験とかあったんですか。
そうですね、受験の勉強とかですね、今の小中学生、高校生の方はちょっと分からないんですけども、そういうのがプレッシャーになってですね、外で遊ぶことが結構怖くなったりとか。
中学校のあたりから僕自身、コンピューターとか興味持つようになりまして、HDMLとか当時CSS、いろんなものがあったんですけども、そういうものを勉強することだったりとか、パソコンを組み立てるのが好きだったので、そういう趣味に変わったと思ったので、家にいることが多くなったというのがありますよね。
ある意味、今の会社の原型は中学時代に作られたみたいな感じでいらっしゃいますか。
そこはあまり繋がっていなくてですね。
今の開発業務とか、当社はUI、UXとかですね、開発、Linuxを推進する目柄として上場させていただいたんですけども、今エンジニアの方々がやっているのは結構厚労のものでして、本当に僕がやっているのは勝負的なものが多いので、あまり今で生かされているというのは全然ないですけどね。
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高校時代はどんな少年でいらっしゃいますか。
高校時代も一貫してインキャラで、大学もそうでした。
ただ、当時、大学受験する前とかですね、ベトナムの、逆してVISAと言っている組織があるんですけども、ベトナム人が集まって、いろんなイベントとか、ベトナム大使館がバックにいる組織なんですけども、そこでベトナム人に繋がるようになって、
もともと日本の友達しかいないベトナム人だったのが、ベトナム人と日本で触れ合う機会がまさにVISAというところで、ちょっと名前が長くてですね、青年学生協会みたいな、ちょっと名前は全然覚えてないんですけども、
そういう組織に入ることによって、ベトナム人ってこういう人たちだったんだっていう、自分自身がすごい感化されて、いろんな活動とか歌とか、ベトナムフェスティバルっていうのが代々木公園で毎年あるんですけども、そういうところに司会として参加したりとかですね、
社会活動というのか、学生がよくする、いろんな活動を通じてベトナム人を知るようになって、それから当時留学生で妻とも会ったというのが単一ですかね。
なるほど。日本で早めに来日されていらっしゃるんですか、小さい頃に来日されているんですか、ご家族でいらっしゃった感じなんですか。
そうですね、両親の仕事の関係で日本に来るようになったんですけども、だいたいざっくり日本に20年ぐらい、それからベトナムに15年ぐらい住んでいるっていう、本当に行き来ずっとしている生活っていうのが多いです。
大学も日本でということでいらっしゃいましたね。
そうですね、でもベトナム、結果的には双方行って、最終的にベトナムの母の高校から卒業させていただいて、仕事も就職活動も当時ベトナムから始めて、日本マニファクチャリングサービスもそんなご縁でつながりました。
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少年時代は日本で過ごしたけども、就職はベトナムで、そんな感じでいらっしゃいますか。
そうですね。
ベトナムと日本で行き来してて、ご苦労なさったこととかございますか。
特段ないんですけども、このご時世は本当にコロナがあって、水際対策、国によって様々な対策がありますので、今はちょっと大変ですけど、過去は普通に。
なるほど、だから日本で就職じゃなくてベトナムでの就職を最初に選んだ理由は何かございましたか。
そこも、今の妻の結婚して、2011年とかにベトナムに帰国するようになって、それからベトナムで就職すると。
ただ、実は僕はあまりベトナム語が上手くなくてですね、当時は。
結構カルチャーショックっていうか、ありましたし、結構ベトナムって交通量、当時ハノイだったんですけども、すごい道渡るだけでも結構ハードル高かったっていう状況でして。
そういったカルチャーショックでなっていった経緯がある。
でもベトナム人なんで、吸収も召喚もすごく早かったので。
結果的に日本の日系企業の会社に入るようになったというのがあります。
なるほど。株式会社日本マニュアルサービスのベトナム法人の代表にお付きになった。これどういった経緯で代表にお付きになったんですか。
これは当初は普通のお社員として入社させていただいたんですけども。
または徴用していただいてですね、ご評価もいただき、うまくちゃんと登れたっていうのがあります。
なるほど、ご出世されたという感じで。
そうですね、おかげさまで。
その後、情報通信大手のFPTグループの日本代表に勤務された。これは引き抜きかなんかでらしいのかな。
そうですね。おっしゃる通りです。
ベトナムのネットワークも当時は僕少なかったんですけども、日本で留学してきたメンバーとかも結構横のつながりでありましたので。
当時ですね、FPTグループの創業メンバーで、ジョー・元島役のバウさんにお誘いをしていただいて。
ベトナム語より日本語ができるベトナム人としてちょっと有名だったので。
入り口はそんな感じだったんですけども。
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お誘いいただいて、FPTグループに入社させていただいたという。
これは投票にお戻りになるというか、そんな感じですか。
東京なんですけども、行ったり来たりが結構多くてですね。
本社とのやりとりっていうのも当時はすごく多かったので、本当に行ったり来たりっていうのがその繰り返しでした。
なるほど、ありがとうございます。
その後、割と短い時間でハイブリッドテクノロジーさんを創業しているんですが、この創業の経緯っていうのはどういった経緯でしょうか。
そこは当時、エヴァラブルアジアってベトナムでありまして、現エアトリーの豪便会社を出資しているベトナム現地法人の会社なんですけども。
結構そこも有名ですごい伸びている会社だと。
当時、エヴァラブルアジアのベトナム法人の代表を務めていたソルユサシックですね。
つながりまして、そこも一緒に何かやらないかっていう話をいただいて、僕も企業とかですね、興味はありましたし、
全くその経営に対しても、本当に走っているんですけども、やらさせていただいている実績もあるので、一緒にやらないか。
一緒にやりましょうということで、当時株式会社EVAっていう、今のハイブリッドテクノロジーの古い社名なんですけども、
立ち上げて一緒にソルユと、ソルシと始めたっていうのがこの会社の背景です。
当初のビジネスは、今やってらっしゃるビジネスとほぼ一緒でらっしゃるんでしょうか。
継承は一部ありまして、一番最初にやったのは自宅ビジネスです。
ウェブとかアプリとかを自宅して開発するビジネス。
それから順調にグロースもさせていただいて、その後にグロースもしているので、
当時、エヴァラブルアジアのオトナム法人の事業状況の話もいただいて、
上等をいただいたものが、今のハイブリッドテクノロジーズの売上90%を占めているストックビジネスになっています。
両方、ストックビジネスと当社フロービジネスって呼んでるんですけど、それと同じような背景のビジネス。
その2つを重要上等によって今の形になっているというのがあります。
3分コンサルティング。みずみずが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングはS社様でらっしゃいます。
当社は菓子製造業を営んでおります。
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1972年に私の父は創業した会社になりますが、
共同メーカーが始まり、今では洋菓子の企画販売、企画開発まで幅広く展開しております。
売上もTC事業をメインに順調です。
今回ご相談したいのは、父が元気であるときに息子の私が事業を継ぎたいと思っていることです。
ところが父は今すぐ社長を交代する気はないから、引き継ぎの準備や対策に着手がじき焦燥で気が済まないようです。
ですが行政学校長のため、企業価値が上がり、このまま多額の税金がかかることを懸念しています。
具体的な事業招集の準備対策をどこから始めたらよろしいですか。
これは大変な問題ですね。
私の元部下も今社長をやっているのですが、
いわゆるお父様が会長様で、創業者で全く譲る気がない。
なのに入院したりするものですから、
お母様やご兄弟と一緒に話し合って株をうまく引き継ごうということで、
お父様に言いに行ったら、俺を殺す気かと怒ってですね、
断られてですね、どうしようこのまま行くと相続税がすごい額になるんだけどと、
こういう話になってて、私が相談のと書くことがあるんですけども、
非常にこれは難しい問題ですね。
お父様にですね、まずですね、
自社株評価をしてどれぐらいの金額に相続税がなるかみたいなことを、
きちんとお父様に分かっていただくことがまず最初なんではないでしょうか。
なので自社株評価をまずしていただいたらいいんじゃないかな。
結果的にそれがもっと業績がいいともっと高くなるということもご理解いただいて、
ある意味相続対策のプロのコンサルティング会社さん、税理士さんなんかを、
もしくは顧問税理士さんがお得意だったら相続税対策の顧問税理士さんに
ご相談されて進めるのがいいんじゃないかなというふうにまずは思います。
相続税は大変難しいので、私どものお客様の会社なんかは、
もともと相続税2兆億以上かかると言われてたんですが、
それを国税のOBなども含めて対策チームを作って、
7名ぐらいのプロですかねが、いろいろとあれやこれやとプランを練って、
相続税がゼロにするところまで持ち込んだこともございますので、
税理士さん全員が得意ではありません。
相続税が得意なチームを組んでくれる税理士さん、コンサルティング会社さん、
国税のOBなどを準備されることをお勧めしたいなと思います。
これは本当に専門分野ですので、
税理士さんでも得意な方、得意じゃない方いらっしゃいます。
皆さんできるとはおっしゃると思いますが、
それをまずお勧めしたいなと思います。
その上でお父様の説得ですね。
お母様がご存命でいらっしゃいましたら、
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お母様なんかにもご協力いただいて、
何回も何回も説得していくしかないと思うんですね。
その2兆億の相続税がかかることになった会社さんなんかは、
お父様の説得が一番もちろん大変でございまして、
その会社さんは5代目の会社さんですので、
相当な悪資産を持ちだったんですが、
それを何とかお父様を説得して、
困難にかかるのをこうしたわけで、
何度も何度も説得をし、
結果的に何とか相続税対策をすることにし、
結果的に相続税ベロまで持ち込んだということですので、
やっぱりお父様に相続税が困難にかかるけど、
どうするんだということをお伝えしていく意外にはないと思います。
1回では説得できるとは思いません。
何度もだと思います。
70回、20回、
100回くらいかかるかもならないという方もいらっしゃいます。
それはお父様のご性格によりますので、
無礼化というのは何とも言い難いですが、
ぜひそういったところから進めていただいたらいいんじゃないかと思います。
もしよろしければ、私相続税対策について、
割とよくご相談を受けるので、
そんな事例も交えてですね、いろいろお話したいと思いますので、
ご相談無料でやっておりますので、何台とおっしゃってください。
本日の3分コンサルティングはここまで。また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり、
誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。