お気を付けください。これは今日のハイライトです。お聴きください。
いいよ。吠えたいラジオに代わってお仕置きよ。
1時半までの2時間だけなんですけれども、私が揚げた唐揚げのお弁当を販売しに行くので、ぜひ皆さんランチタイムに冷やかしに来てください。
言うてね、ほんまに冷やかしだけで来られたらマジ泣くけどね。
今日は初日ということで、初心を忘れないようにするため、また自分のバックボーンを整理するためにも、
声ラジオを聞いてくださって、僕のキッチンカーの唐揚げを食べたいと言ってくださった皆さんや豆腐手一毛のみんなには、自分の声でちゃんと自分の思いを届けたいなと思って、今日はお話ししています。
こうやってさ、自分のお店がオープンするっていうと、人生ってわからんもんやなとつくづく思うんですね。
というのも、僕が初めて自分のお店を持ちたいと思ったのは、多分14歳の中学2年生の頃やったと思うんですよね。
当時なぜそう思ったのかというと、そこは多分今とあんまり変わってなくて、自分の人生を自分でコントロールしたいっていう考えやったんやと思います。
当時も今も同じですね。
誰かに雇われて、誰かの考えや意思のもとに忠実に働くような働き方は自分には合わんやろうと、当時考えてたんですよね。
自分でお店を持つということは、一国一条の主として、自分のお店を自分の思い通りにできる、そこにはそんな自由がある、そんな緩い考えだけでお店を持ちたいと思ってたんですね。
でも、所詮は子供の夢なんでね。他に夢中になれるものがあると、僕なんかはそっちに移り気というか、気が移ってしまうんですよね。
小さい頃からの夢です、それを叶えました!みたいな感じの人も、もちろんホエパの中にいらっしゃって、僕その人のことめちゃくちゃリスペクトしてるんですけど、
実際に勝手にお名前出していいのかわからないので伏せるんですけど、熱狂的なホエパの某スイーツ男子君とかね、小さい頃からの夢をやったって某ポッドキャスター番組でお話ししてましたからね。
ほんまに彼はすごいなと僕は思ってるんですよ。
で、ほんで僕はというとですね、お店を持ちたいという夢も高校受験の勉強とかで少しずつ忘れてしまって、そのまま大学へ行って徐々に徐々に自分の夢というかやりたいことを忘れていったんですよね。
不思議ですよね。学生時代ってやりたいことでたくさんあふれてて、好きなことも楽しいこともたくさんあったのに就活を始めたあたりからなんででしょうかね。
どんどん自分でも気づかないうちにですね、自分らしさが失われていったような気がしてるんですよね。
大学生の頃の僕って今ほどではないけれども、当時もそれなりに自分に自信を持っていました。
でもね、その自信とかも少しずつ社会に出たことで見失ってしまったんですよね。
ちょっとずつちょっとずつ自信を削り取られていったっていう感じがするんですよ。
それと比例するかのように自分のやりたいこととか夢見てたものも徐々に徐々に見えなくなっていったような気がしています。
大学の時に感じていたキラキラした世界っていうのは徐々に徐々に見えなくなっていったんですよね。
それでも仕事を覚えてそれまでできへんかったことが少しずつできるようになったり、
大学時代の友達と仕事の愚痴を言いながら、大歓や松田屋のスタバでお茶したりとか、ちょっといけつかないお茶をしてみたりとかするのも楽しかったんですよ。
こうなってくると完全に立派な社会の歯車として、当時は機能できてないなと思いますが、
なんとなく仕事をして時々友達とビリビリ愚痴を言いながらご飯をしたり、週末素敵なデートをしたりとかね、
なんかもうほんま立派なOLみたいな暮らしをしてたんですよ。
当時の僕はそれが当たり前だと思ってたし、そこに疑問も何も感じてなかったんですよね。
大学を卒業してから1年ちょいくらいはそんな感じで、それなりに楽しくやってたんですよ。
当時の僕は施工管理の仕事をしていたんですけど、
一つの案件が終わって、次の案件に取り掛かった頃からかな、僕の地獄の社会人生活がスタートするんですね。
その次の案件というのは、某全国ネットのテレビ局の改修工事の施工管理でした。
その現場の上司がね、たぶん、たぶんよ、たぶん僕のことを大嫌いだと思うんですよ。
よく誤解をされるんですけど、僕いいこぶってると思われることが非常に多いんですね。
でも皆さんご存知の通り、僕はぶりっ子のことを小枝目に突き落としたいと思っているような人間なので、
基本的にいいこぶりっ子はしません。
素なんですよ。基本素なんです。
天才いいこと言うてんのも素で言うてるんですよ。
ああ、これがこいつの素なんかって理解してもらうのに、すごい時間がかかることがよくあるんですけど、
中には当時のこの上司みたいに一生わかってくれへん人っていうのもいらっしゃるんですよね。
だからこう、なんていうのか、挑発したら僕のメッキが剥がれるんちゃうかみたいに思って、
ひどい言葉とか暴言を吐く上司っていうのは時々ね、時々いらっしゃるんですよ。
で、僕根本的に真面目な上に当時は若かったから、その暴言とかにもいちいち傷ついてたんですよね。
そのメッキを剥がしてやろうとかっていう意思がそこに伴っているっていうことが当時の僕はわからなかったんですよ。
だからもういちいち傷ついてました。
女性の上司とかの場合だと、
あ、この子ほんまに傷ついてるやんって気づいてくれはる方なんかもいらっしゃったんですけど、
それはそれで楽しく満足してたように思います。
僕が店長として働いてたとき、
アルバイトの子たちはほとんどが大学生やったんですよ。
だから仕事を覚えてもらうのはもちろんなんですけれど、
それ以外にも社会に出たときに、
ちゃんと活躍できる子たちを僕は育てたいと思ってたんですよ。
アルバイトの子一人一人を僕はめちゃくちゃかわいがってたし、
自分が社会に出てボロボロになりながら学んだ6年間のことを
できるだけ彼らに教えてあげようと思ってました。
それはね、僕の自己満なんですけど、
できるだけ彼らに同じような歩みを踏んでほしくないというか、
苦労してほしくないと思ってたんですよね。
完全に僕の自己満足です。
それを彼らもちゃんと真剣に向き合って受け止めてくれたから、
アルバイトの子と自分の間には信頼関係が確立されていると、
僕は未だに思ってますね。
彼らとは信頼関係があの時絶対できてたと未だに思ってます。
ある日、アルバイトの男の子が一人暮らしを始めて自炊をしているという話になってね、
その話の流れでアルバイトの子たちが僕の料理を食べてみたいと言ってくれたんですよ。
めんどくさいなぁと思いながらも、
ほんまにアルバイトの子たち可愛がってたんで、
当時作って持って行ったんですよ。
お弁当作って持って行ったんですよ、僕。
大したものは作ってないんですけど、
多分サバのホイコーローフと唐揚げと卵焼きとおむすびと、
なんかそんな感じのものを作って持って行ってあげたんですね。
休憩中にバイトの子たちがちょっとずつ食べてうまいうま言ってくれてたんやけど、
普通のうちの一人の女の子が僕の唐揚げを食べたときに、
え?うま!見せ出すレベルやん!ってボソッと言ってくれたんですよ。
さすがにそういう間に受けたわけじゃないんですよ。
めんどくさいなぁと思いながら簡単にパパッ作っただけなんで、
これで見せ出すわと思ったわけじゃないんですけど、
でも当時の僕はそれがめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。
その一言めちゃくちゃ嬉しかったんですよ。
自分が作ったもの、生み出したものをこんなに喜んで食べてくれる人がおるんや。
お世辞かもしれへんけど、こんなにも喜んでくれる人がおるんやって思ったんですよね。
そのとき初めて、いつか唐揚げのキッチンカーがやりたいと思ったんですよね。
え?そんな理由で?って思われる方もいらっしゃるかもしれへんけど、
多分ね、夢見てその夢に向かって頑張ってる人、
実際にその夢を叶えた人って、そのくらいの理由が動機っていうことが大半やと僕は思うんですよ。
ほんとなんてない一言とかちょっとした思い出が、
その人にとってはもうめちゃくちゃ大切な一言やったり思い出やったりするんですよ。
少なくとも僕にとってはそうでした。
彼女の一言がきっかけやったっていうのは間違いないです。
それは多分27とか28の頃やったかな?多分27かな?
結局その会社も上の人との考え方の不一致があって、僕は辞めていったんですけれども、
こういった考え方の不一致や会社に不満がある人が選べる選択肢って、
僕3つくらいしかないと思ってるんですね。
これ多分サラリーマンの方々皆さんに言えるんですけど、
上の人間や会社組織と考え方の不一致が発生した時にできること、
3つのうちの1つは自分が優秀な人間であると見せつけて権力を蓄えて、
自分の発言に影響力を持つことが1つです。
2つ目は自分を殺して従うこと。
そして3つ目は独立すること。
当時の僕もこれ薄々気づいてたんですよね。
どれもやりたくない。
あるいはやりたいけどその勇気が持てないという理由で、
全部その3つから避けて通ってたんですよね。
だからグチグチ言いながら、
行きたくないな、仕事行きたくないなとかって言いながら、
定時に会社出社していくわけですよ。
でもこれを30年、あと30年ちょい続けなあかんと思ったら、
ちょっと無理と思ったんだよね、僕はね。
結局、無理って言いながらも全職の会社に勤めたわけですよ。
そっからはもしかしたらこれまでにポッドキャストの中でも
ちょっとお話したことあるんですけれども、
なんと、なんと、50通募集しております。
絶対そうなんないけど。
50通とか絶対無理なんやけど。
というわけでね、お便り大大大募集しております。
一人で50通書いていただいてもいいので、ぜひ50通書いてください。
お便りのテーマは何でもいいんですけれど、
何も思いつかないというそこのあなた、そこの迷えるホエパちゃんのために、
一応お便りテーマも決めておりますが、これに縛られなくてもいいです。
お好きに書いていただいて結構です。
何にも思いつかないけど何か書いてあげるよっていう人は、
お便りテーマ、あなたにとってあてしかポエラ寺というポッドキャストはどんな存在ですか?
というね、テーマで書いていただければと思います。
お便りはお手数なんですけれども、いつも通りお便り専用フォームからお便りをもらえると喜び。
そして、みなさまからのお便り、ぜひとも楽しみにお待ちしております。
待ってます。
というわけで、本日のホエラ寺はいかがだったでしょうか。楽しんでいただけましたでしょうか。
今日はね、オープンなんですごい気合入ってるんですよ。
で、別のね、新宿2.5丁目ラジオ、通称2号ラジオのボエちゃん、アトリエボエっていうのをやっている、
ボエちゃんっていうお友達が10年ぐらいお付き合いのある古いお友達で、
連絡取ってない期間とかももちろんあるんですけど、10年以上のお付き合いのあるお友達に、
このお店で着る用のエプロンを作ってもらって。
だからね、友達が作ってくれたものや、このポッドキャストを聞いて、
お店応援してますって言ってくれる人だとか、なんか家族だとか、
そういうみんなの期待だったりとか、なんていうのかな、
思い、頑張ってねっていう思いとかを、すごいいっぱい受け取ったなって思ってて、
だからね、絶対こけるわけにはいかんし、がむしゃらにやるしかないって、今は思ってます。
そんな気持ちをね、今までこのボエラジオの中で、
先週はちょっとお店の話も絡めて、諦めなかったらいいと思うよっていう話をしたんですけど、
ほんまに今回お店のことだけを話そうって決めてて、今回はね。
今までそこまでちゃんとお店の話したことなかったと思うんですよ。
でもこれでまずはね、一度目の節目をちゃんと迎えられたんちゃうかなと、
僕の中では思ってます。
またね、1年後とかね、2年後とかにね、1年間ありがとうございましたと、
おかげさまで本当に小さいお店ですけど、なんとか切り盛りできてますって、
みんなに報告できるように頑張らなあかんなと思ってます。
また1年後に今日のことを振り返ってお話できるといいなと思いながら、
今日は頑張って出店してきます。
行ってきます。みんなも今日1日頑張って乗り切っていきましょう。
最後までお聞きくださり、またボエラジオを通して私と出会ってくださり、ありがとうございます。
お聞きのポッドキャストアプリで、番組のフォロー、レビュー評価、
星評価をぜひお願いいたします。
フォローをしていただければ、ホエパの皆さんには最新話が更新されたときに数値がいきますし、
皆さんのフォローやレビューをきっかけに、
未来のホエパがボエラジオを聞きに来るという可能性が上がります。
ホエパの仲間が増えると、それだけね、活性化にもつながりますし、
何より、東風天がとても嬉しいというハッピーの輪がバシバシ広がっていきますので、
ぜひフォロー、星評価、レビュー評価をお願いいたします。
番組の感想は各種SNSでハッシュタグホエラジ。
ホエラジはすべてひらがなでホエラジとつぶやいていただけると、
東風天からの熱いコメントをお返ししにうかがいます。
最後に、東風天に吠えてもらいたいこと、褒めてもらいたいこと、
ホエパのみんなに聞いてもらいたいこと、聞いてみたいことなどなど、
なーんでも構いませんので、何かございましたら、
番組概要欄にございます各種SNSのDM、
あるいはお便りフォームからどしどしご連絡ください。
それでは本日のお相手は、
あなたの、あなたの、あなたの、あなたの、あなたの、あ、間違えた!
あなただけの芸人も東風天ウルフでした。
さいちゃーん!