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2022-10-16 34:41

「祝福の始まり」2022年10月16日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2022年10月16日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マタイ40イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38.これが最も重要な第一の掟である。39.第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40.律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

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今日は、祝福の始まりという体をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、教会の皆さん、守法の二重の仮定、 いつも読んでおられますか。
そこで新明記の27章から34章までの記事がありました。 私はそれを読みながら、
なんとか、これは非常に大事なのに、今私たちはどうしているんだろうと思いながら、 いろいろ考えることができました。
そして私は、新明記28章から34章までの内容を読んで、 祝福はどこから来るのか、祝福の始まりは何なのかということを皆さんと何週間続けて一緒に分かち合いたいと思います。
新明記だけでなく、1,000章全体を通して繰り返し現れるメッセージがあります。
これは、神様の御言葉に従うなら祝福、 神様の御言葉を聞かないで従わないなら呪いということです。
これは具体的に書かれてあるものは、 新明記28章の祝福と呪いの章に詳しく書かれてあります。
私が例を挙げて読んでみましょう。 新明記28章、1節、2節から中4節までですけど、
もしあなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、 今日私が命じる今しめとことごとく忠実に守るならば、
あなたの神、主はあなたを地上のあらゆる国民に はるかに勝ったものとして下さる。
中5節、中6節から最後までですけど、 しかしもしあなたの神、主の御声に聞き従わず、
今日私が命じるすべての今しめとおきてを忠実に守らないならば、 これらの呪いはことことくあなたにのぞみ、実現するであろう。
あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。 これは怖い話ですね。
神明記は28章、68節までありますけど、 1節から中4節までが祝福の記事、
中5節から68節までが呪いの記事です。 呪いに対する内容が祝福に対する内容より4倍も多いんです。
その内容を見ていますと、 生きながら行うすべてのことに祝福くださる。
また子供、子孫たちに祝福くださる。 また敵から神様が保護してくださる。
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また世の中のすべてのことの上に 勝る存在として私たちをさせてくださると言います。
この次に呪いに関して見ていますと、 私たちの生活のすべてのことに呪いが臨む。
私の子供と行っているビジネスに呪いが臨む。 また様々な病にかかる呪いがある。
また私たちの敵に対する群れが生じる、起きるという呪い。 その敵から守ってくれないような呪いですね。
また災いが来る呪い。 熱心に働いても実りを自分が得ることができない呪い。
また違法人たちが神の子供である私たちよりもっと偉くなる呪い。 そして結局自分と自分の子孫たちが
外国の奴隷として売られていく呪い。 ですからこの呪いを考えるなら、これから行われる呪いを考えると気が狂ってしまう。
一日一日が苦労なんで、 朝が来れば早く夜が来ればいいなと思う。
夜が来れば早く朝が来ればいいなと思う。 皆さんたびたびこんなことありません?
早く来ることはできない。 一日一日がどれほど難しいか。
地獄のようなこの私の人生早く終わってほしいという考えがある。 このような
人生を過ごすような呪いです。 神の子供を神のために、なぜこんなことが起こるでしょうか。
それほど神様の御声を聞き従うことが大事だということを私たちに警告されていることであり、
神様は見言葉に聞き従うことを願っておられるんだと強調されることでもあります。
ですから今日のメッセージを通して、人生の祝福と呪いの原因をよくわかってから、祝福される人生になりたい。
そのために私たちはどうすればいいか、それを一緒にこれから考えていきたいと思います。
結論から申しますと、私たちの人生の祝福は神様との親しい関係性の中で、神の見言葉を聞いて従うことにあるんだということを、メッセージを皆さんに申し上げたいと思います。
ではなぜ神様は神のために、神様のためだったら無条件祝福するべきではありませんか。
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しかし神様は神のために、神の見言葉を聞いて従いなさいと強調されるのでしょうか。
それは神様は創造主です。この世を作られたお方です。
神様は創造主として、創造の恋と目的を持っておられます。
また神様は創造主として、全世界が神様の創造の目的と身旨を成し遂げていかれる責任を持っておられます。
それがよく表されているのは、創世紀1章、2章で見ることができます。
創世紀1章では天地万物を創造された神様。
創造されて必ず良かった、良しとされた、極めて良かったと言う。
創られたすべてに対して満足、喜び。 神様は喜ばれました。
じゃあ天地万物を作られた目的は、神様の栄光のために作られたことがわかります。
また神様は人間を作られ、非常に喜ばれたんですけど、人間を神様の代理者、またこの世の管理者として建てられたことがわかります。
ですから天地万物は神様の喜び、神の栄光のために作られたことがわかります。
創世紀2章では神様はエデンの園を通して、
特に人間ですけど、作られた非常物のすべてに祝福を与えたことがわかります。
ところがこの祝福が誠の祝福になるためには、創世紀2章、16世紀、17世紀、
そのすべての木は食べてもいいけど、全悪を知る木の実は食べてはならないという条件がついています。
これは神様の秩序、神の御言葉に従うことが祝福の鍵であることがわかります。
全悪の知識の木の実を食べれば、神を敵対する、脅威することであり、食べたければ神様に従うことです。
ここに創世主と非常物の間の秩序があり、この秩序を破らない限り、神様との人間との美しい関係、
また神の代理者、世の管理者としての祝福が与えられ、神様が人間にくださるすべてが成し遂げられるようになります。
ところが残念なこと、創世紀3章では人間は蛇として現れた悪魔の誘惑を受けて、
全悪の知識の木の実を食べてしまいます。
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結局神様との関係がダメになり、人間は第1ヨワネ3章8節通り、悪魔の奴隷になってしまいました。
ここで初めの人間、アダムが犯した罪を原罪と言いながら、アダムの子孫たちにはこの原罪が流れるようになりました。
また原罪のもとにある人間は祝福ではなく、罪の罰また呪い、悪魔の支配下で過ごすようになりました。
アダムから生まれたすべての人間は、ここから逃れることはできません。
神様はこのような人間を救うために、アブラムを呼ばれ、彼を通して全人類を祝福を与えようとされました。
ですからアブラムに、あなたは祝福の源になりなさい。
またアブラムの子孫を通して全世界の国民が祝福を受けるようになると言われました。
そのアブラムを通して一つの民を作られたのですが、それがイスラエルです。
イスラエルは全世界の国民と異なることがあります。
このイスラエルだけは、目に見えないが、戦地を作られた唯一の神様を信じて、
その神様だけに従って生きることを神様が願って立てられた民です。
神様はイスラエル民と特別に共におられ、彼らを通して神様の存在を全世界に知らされ、
全世界をイスラエルを通して救おうと思いました。
ですからイスラエル民が行われる全てのことは、神様がこの背景にあるということを私たちに示して下さいます。
例えばシチュエジプトの事件です。
全世界で当時一番強かったエジプトを武器を一つも持てないで屈服させ、
彼らがエジプトの宝物を携えてエジプトから出てきます。
どうしてこんなことが可能でしょうか?
ヴォーセがやったことではありません。ヴォーセを通して神様がなさったんです。
彼らたちは航海の海を分けます。そしてその中を歩きます。
どうしてこんなことができたんですか?
神の御言葉に従うなら神様がなさったんです。
40年間あるので200万人の人が食べてその道を歩き保護されています。
彼らたちは農業もしていないのにどのように食べて生きたんでしょうか?
神様が食べさせたんです。
それだけではありません。カナンまで来て国を建てる全ての過程で、全てが超自然的な働き、奇跡ばかりでした。
12:10
その全てを行ったのは神様がなさったんですけど、
彼らが神様の御言葉を聞いて従う時、それが成し遂げられたんです。
ですから特別に選ばれたイスラエルは神の御言葉を聞いて従うことが何より大事でした。
そうするとき神様を全世界が見ることができるように表すことができたんです。
ところがアラノで数多く感じたんですけど、民たちの一番の問題は不従順でした。
イスラエル人たちはもともとアラノで1年間の訓練の予定だったんですけど、それが40年に延びられた理由は
彼らは御声を聞かないで不従順したことでした。
ですからアラノの40年間の生活を終えて、最後にヴォーセがカナンに入るイスラエル民に
カナンに入ってからはあなたの先祖たちがやったように、神様に逆らってはいけないよ。
御言葉に従わなければいけないよ。逆らったら呪われるよ。
従うとき祝福されるよということを教える聖書が神明記です。
神明記27章ではこのような国民的な教示を行います。
ケリジムさんとエバルさんにイスラエル中二部族を分けて、そして配置しておいて、
レビィ人たちが立法を朗読します。そうしたら神様の御言葉に従うなら祝福だと言ったら、
ケリジムさんに立っているイスラエル人たちがアメーンと言います。また神の御言葉に従わなければ呪われるんだと言ったら、
エバルさんに立っているイスラエル人たちがアメーンと言います。そうしながら、こうすれば祝福よ、こうすれば呪いだということを
イスラエル全国民がそれを自分の口からアメーンとするような、絶対忘れないように国家的な教示としてイスラエル人たちが行うことがありました。
その理由は、創造主神様はこの世にしても神の民が、
神様の御胸に従って祝福される民になることを願われたんです。
ところが、創世紀3章以来、
現在の元にある人間は神様から離れようとする傾向を持っていると言われるほど、
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神の御言葉に従いません。 またエデンの園から追い出された人間には、もともと
神の祝福はありません。 だからエデンの園から追い出されたこの人類が持っている
希望、願い、切なるこの願いは何か。 祝福くださいということです。祝福ください。
世の中には祝福はありません。 しかし彼らは祝福くださいと言います。
だから彼たちは何を祝福だと思ったのか。 熱心に働いて戦って、何とかしてお金を稼ぎ、
名誉を勝ち取り、権欲を奪い、成功することが祝福だと思いました。
だからみんなお金を稼ぐため、出世するため、成功するため、どれほど努力しているんですよ。
それがうまくできなければ戦いますよ。 また他の人に負けないように死ぬほど努力しています。
すべての手段方法を使います。 このようにして一生懸命頑張ってたくさん集めておいて、
年取って死んでしまいます。 皆さんたくさん集まることは祝福だ、幸せ保証してくれるだと思っていたのに、
それはしばらくだけで永遠な祝福ではありませんでした。 成功することが自分が死なないようにやってくれませんでした。
天国に入れてくれませんでした。 だからみんな虚しいと思いながら死んでしまいました。
それにも関わらず誰も自分の熱心な努力で得たものが祝福ではないということをわからないんです。
神の御言葉に従うなら神様が祝福を与えてくださるんだということをわからないんです。
なぜわからないのか。 第二五輪答4章4節、答えがあります。
この世の神が信じようともしない人々の心の目を眩まして、
悪魔が私たちの目を眩ましておいて、 本当の祝福は何かわからないようにするんです。
神様はこのような虚しい人生を過ごす私たちを憐れんでくださって、 イエス・キリストを贈ってくださいました。
四輪3章16節、神はその一人子をお与えになったほどによく愛された。
一人子を信じる者は一人も滅びないで、 永遠の命、祝福を受けるためであろう。
イエス様は十字架で彼らが見ることができない原因が罪、罪の問題を解決してくださり、
18:04
悔いを改める人には聖霊を贈ってくださって、 正しく聖霊を通して見て、正しく祝福されるようにしてくださりました。
皆さん、私たちが見ることができない、 分別することができない理由は罪のゆえだ。
聖書はこう言います、 イザヤ59章1節2節、
主の手が短くて救えないというのか、 主の耳が鈍くて聞こえないというのか、
むしろお前たちの悪が、お前たちの罪が、 神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けることを妨げるのだ。
罪のゆえに神様と私たちの関係がダメになったということ、 じゃあそれをどう解決するのか、
第一要は1章9節、 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を許し、あらゆる不義からあなたたちを清めてください。 皆さん、神の御言葉を聞いて自分の罪が悟られるなら、
悔い改めてイエス・キリストの十字架を委ねる時、 イエス・キリストの十字架の師匠が罪を清めてくださり、
その心が清くなった人には、神を見る、 神の知恵と知識を持つことになり、
まことに祝福されることがわかって、 祝福の人になるのです。
ですから150編のまとめが1編ですけど、 その1節と3節に何と書いてあるのか、
いかに幸いな人ごとかと言いながら、 主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人、
その人は流れのほとりに植えられた木、 時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。
その人がすることはすべて繁栄をもたらす。 主の教えを愛して、昼も夜も口ずさみ、
木葬し実践する、する人が祝福される人だと言います。
ところが皆さん、今この世の中で誰が、 紙編の1編のような人を祝福される幸いな人だと思いますか。
それほど、この世のすべての人がまことの祝福が何なのか、 永遠の祝福が何なのかをわからないようになっているのです。
人々はお金をたくさん稼ぎ、出世し、 そして豊かになれれば祝福だと思います。
しかしこれが、私たちキリストシャーも同じではありませんか。 皆さん、キリストシャーが祝福されない理由は、
21:07
安っぽい信仰、安っぽい救い論を持っているからです。 イエスを信じれば救われて天国に行って、もうそれが信仰の目的だと思います。
だからこれからは私たちは神の子供だから、神様にお願いしましょうね。 神の子供だから祝福をくださいと祈ります。
そうしながら、イエス様の助けによって、 この世のお金、名誉、成功を求めます。
皆さん、これは懲り役ではありませんか。 これは神様が願われる信仰生活ではありません。
なぜ私たちがこんな信仰を持つようになったのか。 私たちがイエス・キリストの十字架の航路、
神様の恵みによって救われるんですけど、 悔い改めを通して、罪の許しを体験し、
神の愛を体験し、天国の喜びを体験する人は、 私みたいな罪人を救ってくださろう、イエス様。
私の罰、私の罪の罰を全部担ってくださって、 天国に行かせてくださってありがとうございます。
これからの私の人生、主に捧げます。 そうしながら、これからは自分のために生きるのではなく、
主の栄光のために生きる。 自分の考えを全部下ろしておいて、主の微声を聞き従うものになるんですけど、
そのような人が、まことの祝福を受ける人になるんです。 このような体験がなければ、
この世に対する愛を捨てることができません。 だから信仰生活の目的が、この世で自分が願っている、
この世の愛を満たしてください、という神の力をいただいて、 この世の祝福をいただくための信仰が手段になってしまう。
このような信仰は神様が願っておられないことです。
ですから皆さん、私たちは初めに信仰に入るとき、 イエス様に出会って驚きながら持てた、その初めの恋、
初恋を取り戻すことをお願いします。 ただし、信仰の祝福はそこから始まるんです。
では、神の御言葉を聞いて従うということは、 一体どうすることなんでしょうか。
これを知ることが祝福の始まりなのに、 新明記28章1節2節、もう一度読んでみましょう。
もしあなたが、あなたの神、主の御教えをよく聞き従い、 今日私が命じる今しめをことごとく忠実に守るならば、
あなたの神、主はあなたがあなたを地上のあえられる国民に はるかに勝ったものとして下さる。
24:05
あなたがあなたの神、主の御教えを聞き従うならば、 これらの祝福はすべてあなたに望み、実現するであろう。
この御言葉を通して祝福される信仰生活は、 まず、
この世の空城ではなく、神様を拝む。唯一の神様を拝む。 今日、教会学校のメッセージ、素晴らしかったです。
空城ではなく、自分が持っている空城を全部捨てて、 唯一の神様を、ただ唯一の神様を拝む。
2番目、神の御言葉に聞き従うことです。 簡単ですね。この言うことは簡単ですけど、実践しようとしたら、
御言葉に聞き従う。聖書66冊を全部わかって、 そこに従うことをどうすることでしょうか?と言います。
皆さん、聖書は66冊ですけど、 その聖書全体の学信ということは、実践ということです。
実践です。 それをイエス様が、2つの大きな忌み、おきてとして、 私たちに簡単に教えてくださいました。
これが、今日読んでくださった、 私たちの22章の37節から40節の言葉です。
もう一度読みましょう。イエスは言われた、 心を尽くして、精神を尽くして、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛しなさい。
これが最も重要な、第一のおきてです。 第二も、これと同じように重要です。
隣人を自分のように愛しなさい。 立法全体と預言者、これは、この2つのおきてにもどついてある。
この2つのおきてから、十回ができ、 この十回から、聖書、立法全体ができた。
聖書全体が、結局、この2つを言うことだということです。 じゃあ、ここで10回の1から4までの今しめは、神を愛しなさい。
5から10までの今しめは、隣人を愛することということです。 皆さん、10回の内容を、よくよく私たちは、読む必要があります。
神を愛しますということで、この内容は何かと言いますと、 10回の1から4までの今しめ。
隣人を愛しますと言ったら、隣人を愛する人は、 こんなことをしないよということが、第5から10までの今しめです。
ですから、皆さん、この内容を、よくよく理解するのは、 実践のために非常に役に立ちます。
私たちの教会は、イエス様が教えてくださった、 この2つの大きな今しめを、もっと実践しやすく、私たちがやっているんですけど、
神を愛しなさいということは、神様に対する礼拝者として生きること。 誠の礼拝者になること。
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隣人に対する愛ということは、隣人を助け、使え、 天国に導く伝道者、見言葉を述べ伝える、使命心として生きることです。
私たちは、この2つを簡単に皆さんに申し上げるから、 この10回、また2つの大きな今しめの深い意味を、私たちは軽んじる可能性があります。
ですから皆さん、10回をずっと読んでみてください。 イエス様の2つの大きな今しめの意味を、皆さんを持って目指していくこと、これが大事だと思います。
結局、私たちの信仰生活は、この2つを行うことであります。 この2つをやりなさいということで、神様が私たちを選ばれ、救ってくださり、
これを実践するところに、永遠な祝福があるのです。 ですから、これを私たちが実践するだけではなく、私たちの子供たちにも、これを教えること、
実践をすること、模範を見せることが大事です。 ここで、親である私たちの使命があります。
これを行う人には、神様が特別な約束を下さいます。 これは、マッタイの6章33節です。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば、これらのものは、皆、超えて与えられる。
では、ここ、神の国と神の義、これは何でしょうか。 神の御言葉を聞いて従うところに、神の国が成し遂げられ、
神の義が立てられるのです。 また、神の御言葉を聞いて従う人たちには、神様が彼らのすべての必要を満たして下さいます。
皆さん、これが祝福。祝福を受けるために、教会に熱心に通い、礼拝を守り、祈りも熱心にするのですが、もちろん、それも必要です。
しかし、それは儀式。 本質は何かと言いますと、神様と隣人を愛して、使える生活です。
今日、教会学の子供が、使えるという言葉を使いました。びっくりしました。
皆さん、使えるという言葉は、英語ではサービスという言葉で使います。 サービスということは、もう皆さん、神様に恋愛することは、英語ではサービスと言います。
また、私たちは、隣人が天国に入るように教える、助ける、そこにも使えるという言葉を使います。
使える言葉を、この深い意味がありますけど、教会学の子供たちが、この言葉を分かっていることは、嬉しくて嬉しくてはたまりません。
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私たちは、神様に使え、隣人に使える行動をするなら、大勢の人々が、イエス様を信じるようになるでしょう。
救われるでしょう。祝福されるでしょう。
このように、神を見姿で作られた人間が救われる、このような働きは、神様が喜ばれて、この世で祝福され、
天国に行って、永遠な祝福を受けるようにしてくださるから、これがまことの祝福であります。
先週金曜日の祈祷会で、私は祈祷会に参加された方に、イエス様は大選挙を命令で、
あなたたちを行って、全ての民を私の弟子にしなさいと言いました。
ところが、今私は67歳、今私たちはほとんど60から70まで、
なのに、私たちは何人ぐらいを弟子にしたのでしょうか。
今私たちは間もなく、神様、イエス様の前に立つ立場になったのではありませんか。
私は何人弟子にしているのでしょうか。何を報告するつもりでしょうか。
これからでも弟子にする働きを、心込めてやっていきましょう、と申し上げました。
皆さん、ぜひとも、このような心で、これからでも第一の今締め、第二の今締めを実践する私たちになれればと思います。
ここで結論的に申し上げます。皆さん、まことの祝福は何でしょうか。
神様が私と共におられる、イマネールがまことの祝福。
神様が共におられるなら、神の恵みが全てを成し遂げてくださる。これが祝福であり、
神様が共におられるなら、私たちの心に、きっと平和と喜びが満ちあうれる御国が成し遂げられる。これが祝福です。
また、永遠な天国に入ることができます。これが本当の祝福です。
このために、私たちは四辺の記者のように、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人、
そして悟られたことを実践する、従う、これはこのような私たちになれればと思います。
ですから、主の教えを愛し、昼も夜も口ずさむ、これが祝福の始まりです。
ぜひ実践していきましょう。もし皆さんの中で、
でもお金稼いで成功して豊かに過ごすことが祝福であり、こんなこと祝福なんでしょうかと言われる方がいるなら、
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祈ります。ぜひとも神様がその人の心を目を開いてください。
神の国を見ることができるように、神の栄光を見ることができるように、
天国の喜びを体験することができるように、祈っていきましょう。
もし天国の喜びを体験したとするなら、その人たちは神様にイエス様に往臨するでしょう。
願わくは、この世は百年、天国地獄は永遠です。
ぜひともこの世でも祝福され、ぜひとも永遠な天国には必ず入る私たちになってほしいです。
ぜひともこのような祝福をみんないただく、味わう、それを延べ伝える私たちになりましょう。
お祈り出します。 神様、大勢の人々はこの世で成功し、お金を稼ぎ、
豊かに過ごすなら祝福だと思うんですけど、
お主よ、永遠の祝福は何かを悟る目を開いてください。
本当の祝福を知り、求め、味わう私たちにならせてください。
そのために、昼も夜も神様の御言葉を愛し、
黙想し、従うことが祝福であることを分かって、実践する私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。アーメン、アーメン。
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