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2023-02-12 32:25

「ただ御言葉によって」2023年2月12日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2023年2月12日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

ヨシュア1:5-9 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。6.強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。7.ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。8.この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。9.わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

00:00
今日は、ただ見言葉によってという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
神を知り、神を愛する親しい交わりの生活は 正しい信仰にいるときだけ可能です。
皆さん、先週分かち合いましたね。 一割信仰をやっていながら、神様と親しい交わりができますか?
また、神を疑いながら 親しい交わりができますか?
二股掛ける信仰、 神様を愛し、他のことも愛しながら
神様と親しい交わりができると思いますか? できません。
ですから、私たちは神様の見舞いで、自分の心が今このような状態ではないかを 確かめなければなりません。
神様を心によって見ると言われる方ですから、 私たちは熱心に頑張るより、もっと大事なのは
私たちの心を清める、神様だけを集中して 崇める、これが大事です。
ですから、神様との親しい交わりは 正しい信仰のみで可能です。
正しい信仰は、まず正しい信仰の器が必要です。
この器は、ただ恵み、ただ精霊、ただ十字架、 ただ信仰、ただ見言葉。
この5つの面を持っている器に 信仰の本質である神を知り、愛することをしたい、求める、
そのような信仰生活をしなければなりません。
ところが、皆さん、おかしいと思いませんでしたか? ただ恵み、ただ見言葉、ただ精霊、
ただということは、これしかないということなんですけど、 5つ全部これしかないといったら、これはどんな意味ですか?
これは、これしかないと思われるほど、 1つ1つが大事だという意味もあるし、
もう1つは、みんな通じるということです。 1つができれば他のことが全部できる。
1つができなければ他のことは全部できないということ。 それほど1つ1つが大事だということです。
では、今日はただ見言葉によって、 見言葉によることが信仰、これがどれほど大事なのか、 一緒に考えていきましょう。
ただ見言葉によって、この中に神様のご臨在がここで決められます。
ヨウシワ一章一節から三節に、こう神様が言われます。
主はシモベ、モウセの主子。 主はモウセの従者、ヌンノコヨウシワに言われた。
私のシモベ、モウセは死んだ。 今あなたはこの民すべてと共に立ち、ヨルダン川を渡り、
03:00
私がイスラエル人々に与えようとしている土地に行きなさい。 モウセに告げた通り、
私はあなたたちが足の裏で踏むところをすべてあなたたちに与える。
モウセが死にました。 このヨウシワが今置かれた状況を考えてみてください。
モウセは聖書の中でイエス様の後に素晴らしい使徒者でした。
この使徒者がいない状態で、ヨウシワは今また若いです、弱いです。
リーダーシップを認めてもらえておりません。
ところが200万人の民を連れて、カナンに行かなきゃいけないし、
カナンに入ってこれからカナン戦争を行わなきゃいけない。
このものすごい大きな責任が自分にあります。
あえて200万人の人々が、モウセにもうまくついていかなかったこの200万人の人々が、
ヨウシワについて来てくれるでしょうか。
非常に悩ましい状況です。
この時神様は、モウセのようにあなたが200万人の人々をうまく導く方法がある。
この方法、秘訣を教えてください。
これが今日読んでくださったヨウシワ記1章5節から9節です。
一言で言えば、神の御言葉、聞き従いなさい。
そうするなら、私があなたと共にいる。
私があなたから離れることはない。
孤輪際の約束をしてくださる。
結局モウセも、モウセの自分の力でやったことではない。
神様がモウセと共におられ、
神様が成し遂げてくださったんじゃありませんか。
大事なのは神様の孤輪際ということです。
このためにモウセが熱心にやったことが何か、
私たちはこれから熱心にやるべきことが何か、
神の御言葉を聞き従うことです。
神様は、神の御言葉を聞き従う人に一つを約束してください。
あなたはどこにいても成功する。
成功するという約束です。
ところが、御言葉を聞き従うとするときに、
注意するべきことがあります。
御言葉をどう解釈するか、どう受け止めるかに対して、
右にも左にもそれではならない。
もう一つは、御言葉を口から離さずに、
昼も夜も御言葉を目指して、
そこで照らされることを守りなさいということです。
ここでまず、左にも右にもそれではならない。
06:01
どんな意味ですか?
私たちは、神の御言葉を読むときに、
左にも右にも自分の思いのままに、
それる場合があるんだということでしょう。
左は何ですか?
神様は厳しいよ、神様は厳しいよということです。
右には何ですか?
神様は慈しみ深い、
愛の神様、恵みの神様、素晴らしいよということです。
皆さんは神様をどのように見ておられますか?
厳しいと思っていますか?
ああ、恵み豊かな神様と思っていますか?
神様は厳しい神様でもあり、
恵み豊かな神様でもあり、
両方、私たちが受け止めなければなりません。
これをしっかり認識しなさい。
今問題は何ですか?
神は恵みだ、愛だ。
だから、自分勝手にやってもいい。
このような信仰は右に反れていることです。
また、神様は厳しいよということ、
ああ、神様は怖いと思っている人は左に反れていることです。
だから、左、右に反れてはならない。
その右に、左にも全部踏まえて、
神様を受け止めなければならない。
もう一つは、神様の御言葉を話さずに、
昼も夜も、牧草し、
そして、照らされることを聞き従うということです。
この時、考えるべきことは、
教会に来て、信仰生活することは別。
また、家に帰って、職場に帰ったら、
まだ別人になること。
これが問題なんです。
教会では、誰よりも信仰が素晴らしく見えます。
しかし、教会から離れたら、
全然違う人になってしまう。
また、御言葉を自分に有利な時には、
ああ、神様ありがとうございます。
自分に少し不利な場合は、
知らんぼりにしていく。
このような聖書の読み方は、ダメだということです。
御言葉がそうであるなら、
自分に不利か有利か関係なく、
神様の御言葉に聞き従おうとする、
この姿勢、これが大事だということです。
そうするなら、神様が共におられ、
あなたの人生を責任をもって助けてくださり、
どこに行っても成功するということが、
神様の約束です。
そのために私たちが持つべき、
また大事な姿勢があります。
これは、神の御言葉が私たちの信仰と、
生活と、私益の基準であるということを、
私たちが覚えなければなりません。
09:00
礼儀的な生活は生き物と同じです。
礼儀的な生活は生き物です。
生き生きしなければならない。
お祈りということは、日常の呼吸と言います。
酸素を吸うと受け入れることと同じです。
これ、祈りです。
御言葉は、礼儀的な糧と言います。
また、礼愛を通して、神様の命、
御輪際の命を受け入れなければなりません。
そうするとき、私たちは健康です。
しかし、もし皆さんが今、信仰が難しい、
教会に行きたくないとか、難しいというときには、
皆さん、よくよく考えてみてください。
また、それをどのように回復するか。
御言葉を読んで、お祈りの生活をしっかりするし、
礼愛をしっかり守っていく。
この中で命を受け取る。
それで、この命で信仰生活を続けることができます。
皆さん、神の御言葉は鏡と同じです。
私たちが何が問題なのか。
今、問題があるから、いろいろ難しさがあるんじゃありませんか。
何か問題かを、私は教えてくださる。
神様は、神のメッセージを聴き、
聖書を読んだり、メッセージを聞くときに、
私たちは、そのことを何を目指して聞くのですか。
今日も礼拝、儀式を守る。
それで、神様の祝福を受ける。
こればかり考えてはいけません。
なぜ、神のメッセージを聞いて、聖書を学ぶのか。
神様が私に何を願っておられるのかを聞こうとする。
また、私に何が問題があるのか。
何が間違えて、今、人生がめちゃくちゃになっているのか。
それを神様が示されることができます。
そして、回復のためにどうすればいいのか。
それを御言葉が教えてくださいます。
ですから、第二手もて三章十六節。
聖書はすべて、神の礼の導きのもとにかかれ、
人を教え、忌ましめ、誤りを正し、
気に導く、訓練をするように有益だ。
そうです。御言葉が、私たちは人生のいろいろな部分を直してくださるし、
導いてくださるんだ。
しかし、私たちは御言葉を聞いても、よくよく忘れます。
ですから、聖書は、繰り返し、繰り返し、
神様の身分を教えてくださり、
神の基準を照らしてくださいます。
私たちは、神様の基準を照らされるとき、
その基準に合わせていくなら、
どんな状況にあっても、皆さん、回復できます。
また、神様が願う人生を過ごすことができます。
そのようにして、神様の命と恵みと祝福があふれる、
人生を過ごすことができます。
ところが、信仰が堕落するなら、
12:03
神の民が、神の御言葉を主に面倒と思います。
ですから、だんだん心が御言葉から離れていきます。
口は、主よ、主よ、神様、神様と言うけど、
心が離れていきます。
そして、御言葉を聞くなら、難しい。
誰がこの世に守れるか、私、無理だなと思います。
御言葉から、だんだん心が離れていくなら、
皆さんの人生、今、私たちの全てを、
何をもって、これを取り戻すことができるし、
何をもって、これを癒すことができますか?
御言葉が離れるなら、取り戻すこともできない、
癒すこともできない、回復することができないから、
ためになっていきます。
ですから、旧約聖書、今日、旧約聖書を一目的に、
ちゃんと示してくださった、教会学校、ありがとうございます。
本当に素晴らしかったです。
皆さん、イスラエル人たちが、
大分、いろいろ、いろいろな難しさを抱えたし、
3度も滅ぼされたことを、皆さんご存知でしょう。
アシリアに、パヴェロンに、ローマに、
ある民族が、1回滅ぼされたら終わりですけど、
3度も滅ぼされたのに、回復できて、
今もイスラエルが存続しています。
本当に素晴らしい、何かいろいろな難しさがあるんですけど、
信仰が堕落するなら、どうなるのか。
心が神様から離れても、自分の状態は、
教会に通っているから、私は離れていないと言います。
しかし、神様は何と言われるのか、
イザヤ、二十九章、十三節には、
この民は口で私を近づき、
唇は私を敬うが、心は私から遠く離れている。
心は遠く離れていても、
信仰生活の姿だけ残っているということです。
また、新約聖書でも、信仰が堕落するなら、
マタイ七章二十一節、
私に主よ主よというものは、
みんな天の国に入ることではない。
御心通り行う人が入る。
主よ主よ、口だけでは信仰生活をしています。
心は離れています。
神から離れ、御言葉から離れ、
御言葉を何か面倒と思っている、このような姿です。
ですから私たちは、神の基準が照らされるときに、
私はこの基準に合わせて私は立っているのか、
基準から遠く離れているのか、
それをよくよく見て、
自分の信仰、生活、また全ての使役の中で、
神の基準に立つように心を構えていかなければならない。
15:03
また、神様がお話しされた、
恋とは何なのか、目的が何なのかをよく知って、
それを受け止めて従うことが大事です。
大勢の人々は、神の御言葉を自己中心的に受け止めます。
そして、信じますと言います。
しかし、それで信じますと言いながら、
仕事がうまくできなければ、神を恨みます。
これは本当に子供のような信仰ですね。
これは神様の御言葉を正しい姿勢で受け止めなかったからです。
皆さん、サタンも神の聖書を引用しますよ。
神の聖書を利用しますよ。
イエス様があらゆる試練を受けられた時、
サタンが何をしたのか、そこでイエス様は何と言われたのか、
マタイ4章6節7節に書かれてあります。
サタンがこう言います。
あなたが神の子なら、飛び降りたらどうだ。
高いところから飛び降りて、生きていると言ったら、素晴らしい。
やっぱり神様の神様だ、神の子だと言われるでしょう。
だから、高いところから飛び降りたらどうだ。
聖書はこのように書いてあるんじゃないか。
神があなたのために天使たちに命じる。
あなたの足が石に打ち当たることがないように、
天使たちは手であなたを支えると書いてあるんじゃないか。
聖書はここに書いてあるから、あなたは飛び降りて来なさい。
サタンは聖書を利用してイエス様を誘惑します。
その時イエス様は何と言うんですか。
イエス様は、イエスはあなたの神である主を試してはならないと書いてあることは知らないのかと言われます。
聖書を利用して、いくらでもいろいろ乱理を雇用する場合があります。
これは神を暴毒することであります。
それが事実、旧約聖書でもあったし、
今は新約聖書でもたくさんあることです。
エリメア時代に溢れている偽りがありました。
エリメア6章13節14節、ここに書いてあります。
身分の低い者から高い者に至るまで、
みんな利を貪り、
預言者から祭司に至るまで、みんな欺く、
彼らは我が民の破滅を手頃に治療して、
平和がないのに平和、平和と言う。
なぜ祭司長、預言者たちが神徒たちの置かれている霊的な状況と関係なく、
聖書のいい言葉ばかり捉えて、
それを伝えながら、大丈夫、大丈夫だよと、
そのような話を乱発するのでしょうか。
それで聖書は、利を貪り、欺くという言葉を使います。
18:04
自分の目的、牧師だったら、自分の目的はなんですか、
教会を大きくしたい、人々を集めたい、
だから人々が喜ぶような話ばかり伝えることです。
今、バベロンの攻撃が目の前にあっているのに、
大丈夫、大丈夫と言うんです。
その時、皆さん、これが自分の目的を成し遂げるために、
神徒たちに滅亡されるかもしれないのに、
何か大丈夫、大丈夫ということは、これはどれほど堕落したことでしょう。
正しいリーダーなら、神徒たちを愛する人たちだったら、
悔いを言うべきでしょう。
神様の前に正しくないんじゃないか、言うべきでしょう。
悔い改めさせながら、神様を喜べる、信仰を取り戻す、
そうするなら、神様は御臨罪が与えられ、助けてくださり、
神の命が満ちあうれ、それで敵から救い、
人々を救ってくださるんじゃありませんか。
ところが当時は、指導者たちも一割を言うし、
民たちもそのような話を聞くことが、国旗ごと喜んでいたということです。
なぜ、神徒たちはその指導者たちのその話を聞くことを喜んだのでしょうか。
甘い言葉を喜ぶ、祝福されたいからです。
今、信徒たちは牧師を非常に信じているような、それはいいんですけど、
合理悪的な話をする牧師に、言葉にアメンアメンと言うなら、
本当に祝福されると思っていること、これが大きな間違いです。
皆さん、祝福って何でしょう。
祝福、命は神様です。
神様が命、神様が祝福です。
だから私たちは神様に祝福くださいと祈るんじゃなくて、
神ご自身を求めるべきです。
神のご臨在を求めるべきです。
そうするために、神様との関係が正しくならなきゃいけない。
それが最優先ですけど、皆さんここに礼儀的な法則があります。
それをうまく整理したのが、歴代経の中古書2節です。
このように書かれてあります。
あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいってくださる。
もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる。
しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去るであろう。
そうです。
まず私たちが自由意志を持ってどうするかによって、
神様がその後、そのように、同じように反応します。
約部4章8節にまいります。
神に近づきなさい。
そうすれば、神様は近づいてくださる。
21:04
皆さん、祝福を受けるためにどうすればいいですか。
私たちが神様に近づいていくなら、神様も近くに来てください。
神のご臨在が私たちに満ち溢れるとき、神様の祝福は私たちに満ち溢れる。
しかし、私たちが神を捨てるなら、心から捨てるなら、神様は離れていきます。
そのとき、神様の命と祝福は全部消えてしまいます。
大事なのは、神様が私たちと共にいるようにしなければいけない。
そうすればどうすればいいのか。
私と神様の関係が改善され、私が神様に近づくべきです。
そうするなら、神様は近くに来てください。
そのとき、祝福もあり、命もあり、全てが来てくださるんです。
ですから、神様との関係性、関係性ということです。
神との関係がダメになっているなら、それを改善しようとする私たちの努力が大事です。
問題があるから、罪があるから、過ちがあるから、そうするなら、悔いを改めて主に取り戻すべきでしょう。
神の御言葉が難しいと思うかもしれませんけど、
神の御言葉は神様ですから、私は受け止めて、それを神様との関係をうまく取り除く。
神との関係は、私たちが神の御言葉に従うのか、従わないのか、そこに書かれてあることをぜひ覚えていただきたいと思います。
皆さんご存知のように、創世紀1章、2章で、美しくて豊かなエデンのソノが消えてしまいました。
なぜでしょう。
創世紀2章、16節、17節、主なる神は人に命じて言われた。
ソノのすべての木から取って食べなさい。
ただし、禅薬を知識の木からは決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまおう。
食べると必ず死んでしまうという、この禅薬の知識の木の実を人間は食べてしまいました。
この罪を犯したから人間はダメになるんですけど、なぜ犯したんですか。
この誘惑があったんです。
この悪魔の誘惑に騙されたら、創世紀3章、6節、女が見るとその木がいかに美味しそうで、
目を引きつけ賢くなるように注がしていた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
ご覧ください。
私たちのすべての問題は、見言葉から離れたから、神の見言葉に不従順したから来たんです。
24:00
また大事なのは、取って食べてから悔い改めをしなかったからです。
神様は彼を助けようとして、あなたがどこにいるのか、
禅薬の知識の木の実を食べたのか、
神様がいろいろヒントを与えてください。
彼を助けたいから。
しかし彼は他の人の誠意をして弁明ばかり、言い訳ばかりして悔い改めなかった。
だから、エテンの園が追い出されてしまったんです。
結局、悔い改めなかったから、ダメになったんです。
ですから、首都ヨハネがこう言います。
第一ヨハネ一書八節九節です。
自分に罪がないと言うなら、自ら欺いており、真理は私たちのうちにおりません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を許し、あらゆる不義から私たちを清めてくださろう。
皆さん、現在のもとにいる私たち、たまに御言葉を守る場合もあるでしょう。
しかし、現在の属性以上、神から離れようとする傾向があります。
また、私たちは守り抜く能力がないんです。
だから、神の御言葉を守ることができない、不十分するしかない。
ここで大事なのは、正直に主の御前で、悔い改めることをしっかりすることです。
それが大事です。
そのために、ヘブラ一書四書十二節十三節が大事なことです。
というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな諸刃の剣よりも鋭く、
精神と霊、関節と骨髄を切り離すほど差し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。
さらに、神の御前で、隠された秘書物は一つもなく、全てのものが、
神の目には裸であり、さらげ出されているのです。
この神に対して、私たちは、自分のことを申し述べなければならない。
神の御言葉が、精霊の照らしによって照らされるとき、
それで私たちの全ての部分が、せきららに明らかに表されるとき、
私たちはその御言葉の前で、神様の指摘の前で、
どうするのかが、神様に私たちはどうすることなのかと同じです。
大事なのは、神様の御前で、自分のことを全て申し述べなければならない。
私の中で、神様が示してくださるなら、「そうです、私は間違いました。私は罪人です。お許しください。」
27:02
正直に正直に、神様の前でひざまずいて悔い改めるなら、
神様は必ずその人を生かしてくださり、癒してくださり、全てを回復してくださいます。
皆さん、私たちの先祖、アブラム、今田さんもアブラム、私もアブラムですけど、
彼は問題多い人でした。
彼は、神様が彼をカナンに導いたんですけど、
危機が来たら、カナンから逃げてエジプトに行きます。
また、自分が危ない状況になれば、自分の妻を妹だと言います。
また、神様の約束を待つことができなく、女奴隷の間でイスマイルを産んだこともありました。
彼は数々の過ちを犯しました。
アブラムは私たちと同じように、過ちと罪が多い人でした。
しかし、彼が一つうまくやったのは何かと言いますと、
自分の過ち、罪が指摘されれば、すぐ悔い改めて、すぐ取り戻して、すぐ従うということです。
悔い改めと従順が早かったということです。
皆さん、これが弱い私たち、健在のもとにいる私たちが、神様から祝福をいただく秘訣です。
皆さん、私自身、問題が多いのです。
本当に今、年を取っているし、記憶力もあまりありません。問題が多いです。
弱点も多いし、神様だけじゃなくて、人々が見ても情けない人間です。
しかし、私が一つうまくできるということがあったら、これは悔い改めです。
私はすぐすぐ悔い改めることを心で決めています。
だから神様は私を使ってくださるかなと思うんです。
皆さん、私たちみんな過ちと罪が多い人です。
罪と過ちが多い、御言葉を守り抜く力が全くない私たち、どうすればいいですか?
悔い改めです。
悔い改めが早ければ、それが大事です。
そうするなら、神様は私たちを見言葉、精霊を通して生かしてくださり、
回復してくださり、後に後に私たちを永遠な天国で、
永遠な祝福を受けるようにしてくださると信じます。
結論を申し上げます。
今日は、ただ見言葉によって分かち合いました。
神様が私たちの中で働かれ、私たちの人生を豊かに勝利させてくださる秘訣は、
神の見言葉に従うことです。
30:01
私たちは見言葉から離すことなく、右にも左にも逸れてはいけない。
そしていつも見言葉を目指して照らされた通り、従うところに熱心にやりましょう。
そうするなら、神の懲りんざいが回復され、また命と祝福が回復されるんですけど、
要所あせは一所発説に、そうすればあなたはその行く先々で栄え成功すると約束しています。
皆さん、この世の中はアレノのような人生です。
イセラリ人たちがアレノでマンナを食べたように、
私たちは日常の過程、また毎週メッセージを通して神の見言葉を食べ、
うまく消化して従って、私たちの人生、また私たちのすべての働き、
私たちの信仰生活に主がいつもともにおられることをお祈りします。
もうすでに引き継いだ要所あが夜長を渡り、カナン征服戦争で勝利を導いたように、
私たちが神の見言葉に従うなら、神様は豊かな命と祝福を与えてくださって、
この人生、うまく全うできるように助けてくださると信じます。
これですべての私たちが天国に入る喜びがみんな味わうことができればと思います。
その秘訣が見言葉、従順、従順できないことをすぐすぐ悔い改めることです。
ぜひともこれを覚えていきましょう。お祈り出します。
主よ、ただ見言葉によって、神様が一番喜んでおられるのは、主の見言葉を聞いて従うことだということを分かっています。
しかし主よ、私たちは主の見言葉を守り抜く能力はありません。
悔いを改めます。主の恵み、また、精霊の力によって守り抜くことができるように助けてください。
主の懲りんじゃい、命と祝福を味わおう、私たちみんなにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。アーメン。
32:25

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