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2024-09-15 34:26

「キリスト者が聖(きよ)くなるべき理由」2024年9月15日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年9月15日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)Ⅰペトロ1:14₋19無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、15.召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。16.「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。17.また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。18.知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19.きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。

メッセージ題 : キリスト者が聖くなるべき理由 (聖化の大事さ、Ⅰペトロ1:14-19)
*今は終わりのときと言います。その特徴がルカ17章で現れていますが・・・神の警告が無視され、皆、自己中心的に生きるということ。ルカ17:26‐30、私たちも同じではありませんか?特に、キリスト者たち様が神の警告を軽んじている理由は?カルバンの救い論の影響があるのでは・・・
*罪は怖いもの。神様との関係性が駄目に、すべての祝福が断ち切られ、苦しみと悩み、地獄へ
*今の時代にも神様のメッセージは同じ!あなたかたは聖なる者となれ、私は聖なる者だから!


1.聖く過ごすべき理由?清さは、三位一体の神様の切なるお願いであるから!
1)父なる神様のお願い!Ⅰペトロ1:14-16創3章以来、サタンの奴隷になって苦しんでいる人間を救う為に、ひとり子イエス様を十字架に、旧約時代は罪がない動物の血を。一体どれほど沢山の犠牲を支払ったでしょう?そうしながら、聖なる者となれ!→親しみの為、愛の交わりの為に
2)子なるイエス様のお願い!天の栄光を捨てられ、この世で苦しみの十字架を、なぜ?Ⅰペトロ2:24これから過去のような生活やめて、完全に新しい人として生かせる為。この恵みを知るなら
3)聖霊様が願われます。イエス様の十字架は、私たちを聖くさせ聖霊を送って下さる為。私たちの体は神殿。Ⅰコリント3:16‐17聖霊は聖い霊、汚いところには?肉の欲の故、ガラテア5:19₋21
#三位一体の神様のお願い、聖霊のご臨在の必修条件=聖さ!マタイ12:31,Ⅰコリント10:12

 

2.ここで、参考に…「聖さ」について簡単に。
*聖さの目標?イエス様のようになる。エペソ4:13 & 聖霊の9つの実りの生活。ガラテア5:22
*聖さの方法?悔い改めること。イエス様との親しみ(ホドソン・テーラ)。真理に従うⅠペトロ1:22
3.今日、聖さをとりあげる理由?聖さは、キリスト者の任務、大宣教命令を成し遂げる必修条件であるから
*マタイ28:19₋20大宣教命令。イエス様の昇天のとき、最後の命令、例外ない、最後に問われる
*問題は、どのように成し遂げるべきなのか―>私たちの置かれている環境、家庭、職場、学校・・・それを何の為にあるのでしょう?生活?召命?←私たち皆は召命、招きがあるからそこにいる。
*神様が招いたところ、遣わされたところで、私たちは何をすれば良いでしょう?マタイ28:19を
#どのようにすれば? 1)先ず、私たちは家庭、職場で忠実に。誰より熱心に。そしてすべての人に対して聖霊の9つの実りを示す生活を・・・ガラテア5:22愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制の生活=聖い生活。そうするなら、人々から好意を得ます。2)そうしている間、人に問題があるなら?相談に来ます。そのとき、静かにキリストの福音を。その実りは主にお任せ、祈りを続ける。・・・もっと機会が与えられるなら、養育、教会に導く *では、教会は何をする?信徒たちがいつも聖霊充満であるように、聖い生活ができるように、御言葉と聖霊で再充電、癒し慰め
*今の時代、聖い生活は難しい、だから聖い生活に報いが*安っぽい救い論に騙されないで @聖い生活の影響力?洗礼者ヨハネ。マルコ1:3-6聖さの力で、主の道を備えた。エペソ2:10

00:00
今日は、キリスト者がなぜ聖なるべきなのか、キリスト者が聖なるべき理由という題をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
今は終わりの時だと言います。 終わりの時はどんな時なのか、
ルカの中7章では、イエス様が終わりの時について教えてくださいます。 終わりの時は、ノアの時と同じであり、ロッドの時代と同じであろうと言います。
その時代の特徴は、誰も神様の警告に気にしてなかった。
みんな冗談と思った。 そうしながら彼らが何に忙しかったのかが書かれてあります。
ルカの中7章26節からです。 ノアの時代にあったようなことが、ヒドの子が現れる時にも起こるだろう。
ヒドの子が現れる時は、サイリンなさる時ということです。 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、
めどったり、とついたりしていたが、洪水が襲ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
ロッドの時代にも同じようなことが起こった。 人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしたが、
ロッドがソドムから出て行ったその日に、ヒト、イオウが天から下ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
ヒトの子が現れる日、イエス様のサイリンの時にも同じことが起こるであろう、と言いました。
終わりの時の特徴、みんなが忙しいということ。 自分の仕事、自分の生活に忙しいです。
だから忙しいから、神様の御言葉、神様の警告に無関心です。 今終わりですよ、終わりの時ですよ、裁きがありますよ。
誰もその話を信じようともしない。 誰もそこに気にしません。
私はいろいろ考えました。 私たちキリスト者たちが
神様の警告を軽く、あまり気にしない理由がまたあるんじゃないかということ。
これは救い論と関係があります。 カルバンの救い論は、私たちは信仰によって救われた、
行いによることではない。私たちは神の恵みによって生きるんだと言っています。 だから行いではないよ。
恵みだよ、自分の力、自分の努力じゃないよ。 これを私たちが救い論を言う時に強調します。
そうしてみれば、 救われた後、この後の生活が
前の生活とあまり変わりがない。 また世の中の人々との生活があまり変わりがない。
03:07
そのような状態になってしまったのではないかと思います。 しかしそれだとしても、今の時代、神様のメッセージはいつも同じであります。
あなた方は、聖なる者となれ、私は聖なる者だからであると言います。
世の中の人々は仕方がないと思いますけど、 でも私たちは、ギリスト社たちは、神様があなたたちは聖なる者となれ、
私は聖なる者だからと言われる。 その清い生活を私たちは送らなければなりません。
私はその理由を今日一緒に皆さんと考えていきたいと思います。 私たちが聖なる生活をするべき理由、
三密一体の神様が、それを説に願っておられるからです。 まず父なる神様が願っておられます。
今日の聖書第一ペトロ一書中四説にこう言います。 無知であった頃の欲望に引きずられることなく、
忠純な子となり、見知らせてくださった聖なる方にならって、 あなた方自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさいと言います。
神様は創世紀三章以来、罪を犯して悪魔の奴隷になって苦しんでいるこの世の中を愛して、
一人一人イエス・キリストを送ってくださり、十字架で地を流して、私たちの罪、過ち、呪いを全部あがなってくださいました。
イエス・キリストが来られる前は、旧約聖書ではイエス様の父を象徴する、罪がない動物を殺して、その地を流す、
この生贄を通して、民たちの罪を許してくださいました。
皆さん考えてみてください。人間の罪のために、人類歴史上、旧約聖書から今に至るまで、どれほどのたくさんの動物が死んでいかなければいけなかったんでしょう。
動物が毎年一人一匹ずつ、これを殺して地を流しながら、一人の人の罪が許される。毎年毎年繰り返される。
それを旧約聖書、何千年続けてやりました。最後はイエス・キリストが来られて、神様がこの地を流しながら、私たちをあがなってくださいました。
その無数の地の流しを通して、私たちが救われ、救われた人に、あなた方は聖なるものとなれ、聖なるものとなれと言われる、神様の御心を私たちが知っているのでしょうか。
06:07
こんな大きな代価、犠牲を神様が支払いしながら、聖なるものとなれ、聖なるものとなれ、なぜそうされるのでしょうか。
大事な意味があります。神様の願いは、神様は私たちと愛したい、愛の交わりが欲しい、親しみが欲しいんです。
しかし、罪ある者は神の前に立つことさえできません。もう死んでしまいます、神の前で。
だから私たちは清めてくださって、神の前に立って、親しみの中で愛の交わりができるように、神様が願っておられるんです。
ですから神様は私たちに清いものとなれ、聖なるものとなれ、そうするとき私と愛ができるよ、愛の交わりが欲しいんだ、私は恋する人が欲しいんだ、あなたがそのものだ、だから清くなってくれと言います。
皆さん、神様の切なる願いが見えませんか。神様は私たちが清くなって、神様といつまで愛の交わりができることを願っておられる。
またイエス・キリストが願っておられる。イエス様は神様です。神の栄光を捨てて、この世に懲られて、私たちのために十字架で死んでくださいました。
その理由は、私たちは地獄から救われ、天国に送ってくださることもありますけど、第一ペトロ2章24節に見ますとこう言います。
私たちが罪に対して死んで、気に対して生きるようにするためだ。二度も過去のような生活しないで、新たな人、完全に新たに生まれた人として生かせるためです。
そのように生かせるために十字架で、このひどい苦しみを我慢してくださったんです。
このようなイエス様の苦しみ、イエス様の忍耐、イエス様の犠牲を考えたら、私は清くならなきゃいけないんだ。
そのために私のために死んでくださったから、と思いませんか。
私たちが清くなるべき理由、イエスキリストが私のためにすべての犠牲を支払ってくださったから、
だから救われた私としては、イエス様が願っておれる人生、その生活をやっていきたいと思うべきではありませんか。
また、聖霊様が願っております。イエス様の十字架で死んでくださった理由は、
私たちは罪から清くして、清くなった私たちの心に聖霊様を送ってくださるためでした。
09:00
もともと聖霊様、人間を父で作って、その中に命の息を吹き入れられた時に、
そこで聖霊様が私たちの中に来られた。罪を犯して、聖霊様は離れてしまった。
もう一度、私たちは十字架によって清くなった私たちに、聖霊様を送ってくださる。
聖霊様は私たちの心にあります。だったら、私の体は何ですか?
聖霊様、神様がおられる神殿なんです。
ですから、大地古霖と三書、十六節、十七節、五一に言います。
あなた方は、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの家に住んでいることを知らないのか?
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
神の神殿は聖なるものだから、あなたたちはその神殿なのです。
私はこの中で、神はその人を滅ぼしてしまうのだ。
あなたの体が神殿なので、この体で穢れた、このような姿の生活をするなら、私はあなたを滅ぼしてしまうよ、と言う。
これら怖いメッセージが、大地古霖と三書であります。
神様は清い、聖霊様は清いお方です。
汚いところでは生きられません。
しかし、私たちは救われたとしても、私の心の中には、肉の欲があるのです。
では、肉の欲を、カラデア公書中級説から書いてあります。
下院、外説、公職、空上崇拝、魔術、敵意、争い、ソネミ、怒り、利己心、不和、仲間争い、妬み、低水、主縁、
そのようなことが、私たちの中にいっぱいあります。
だから、いつもそのことを、私たちは満たそうと思っているのです。
だから、私たちに治癒儀式があるから、私の体の欲に従うか、
私のうちにおられる聖霊様に従うか、キリスト者はいつも葛藤があるのです。
世の中の人々は葛藤する必要はありません。
聖霊様はいないから。
でも、私たちがいるから葛藤があるのです。
肉に従うか、聖霊様に従うか、
私のうちの肉の欲がどれほど強いのか、
そこに従ってしまいたいという気持ちがあるのではありませんか。
しかし、私たちは新たに生まれたものですから、
私のうちにおられる聖霊様に従うとき、
聖霊様は私たちが清いものとされ、天国まで安全に導かれるのです。
しかし、私たちはあっという間に肉の欲を満たそうとする生活をするのではありませんか。
そうするとき、聖霊様は悲しく心配される。
12:00
だから、今日の聖書では、
そのような生活を続けるなら、私はあなたを滅ぼしてしまうよと言います。
私はこの言葉をどう受け止めるか、
聖霊様が私たちの心から離れてしまうのではないかと受け止めています。
このように、三味一体の神様は何を願っているのか。
私たちが清いものになること。
聖霊様がまた私のうちにおられる必修条件が清いことです。
清さに親しみがあります。
清さにご臨在があります。
清さに神様との愛があります。
私たちのうちに神様のご臨在が豊かにあるなら、
私たちは今心配することは心配しなくてもいいでしょう。
どれほど知恵と力に満ちあうれるでしょうか。
祝福の神聖になるでしょうか。
そのことが長く持続されることはできないから、
ここで私たちの嘆きがあるのではないかと思います。
ここで参考として、
皆さんご存知のことですけど、
私たちがどのくらいまで清くなるべきですか。
罪を一つもあってはいけませんか。
私たちの清さの目標は、
イエス様のようになることです。
エピソード4章13節に、
キリストの満ちあうれる豊かさになるまで、
成長していくということです。
もう一つ清さの目標は、
聖霊のここの地の実りをする生活です。
私は今日これを強調したいです。
聖霊様が結ぶ実は愛であり、
喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、乳和、節制です。
これらのことを禁じるおけではありません。
清さの方法は何ですか。清くなる方法。
はじめは悔い改めることです。
悔い改めるほど素晴らしいことがあります。
私はどんな罪を犯したとしても、
悔い改めることさえできれば許されます。
どんな罪も許されます。
2番目、イエス様と親しくなる。
先週、ホドスン・テイルの例を挙げました。
自分が清くなりたいと思って精一杯頑張ったんだけど、
できなかった。どうすればいいのか。
自分が頑張るんじゃなくて、イエス様を見つめること。
イエス様に焦点を合わせて、
いつもイエス様のことを思い出すこと。
これを続けてやったら、
自分が努力しなくても、
イエス様は自分のうちに100%おられ、
五輪際ができて清くなったということ。
皆さん、ホドスン・テイルのこの出来事を
よく覚えて毎日実践してください。
世の中のことを考えることはやめて、
15:02
イエス様のことを考える。
これを時間をますます増やしていく。
できれば一日中イエス様のことばっかり考える。
一番いいんですけど、
お仕事もあるし、いろいろなことがありますから、
それができないとしても、
できる時間はイエス様を覚える。
今、私がこれができない理由が一つありました。
YouTubeです。
あっという間に30分過ぎた。
ああ、どうしよう、イエス様のことを考えなきゃいけない。
と思いながらまた戻ってくるんですけど、
最後はYouTubeが私の信仰をダメにするんじゃないかと思うほど、
今、危機を感じているところであります。
また一つの方法があります。
第一ペトロ一章22節には、
真理の言葉に従うとき清くなると言います。
覚えてください。
真理の御言葉に従えば従うほど清くなります。
ぜひこれを実践してください。
今日私が清さについて申し上げる理由はこれからです。
清さが私たちが行うべき大選挙命令と関連して非常に大事だからです。
イエス様が復活なさって昇天される前、
私たちに最後の最後のメッセージを下さいました。
これはまた28章の19節からです。
だからあなた方は言って、全ての民を私の弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によってバブテスマを授け、
あなた方に命じておいたことを全て守るように教えなさい。
大事なのは全ての人を私の弟子にしなさいと言いました。
これは多分私はイエス様の最後の命令ですから、
これは誰も例外がありません。
誰がやっても、誰はやる、誰はやらなくていいことではありません。
キリスト者であるなら誰でもこれをやらなきゃいけません。
またイエス様はいつかこれを私たちに聞かれると思います。
あなたはその命令にどのように従ったのかと聞かれると思います。
皆さん準備しなければいけません。
問題はどのように行うべきなのか。
私たちのみんなには家庭があります。
またお仕事があります。
また私たちの子供たちには学校があります。
この家庭、職場、学校、この目的は何でしょうか。
生活のためでしょうか、証明のためでしょうか。
私たちの家庭と職場、学校、
これは私たちの証明があるところです。
18:00
証明、コーリング、招きということを皆さんご存知ですか。
僕は今度キュチュリー教会が来るときに
私はこの心の中で神様から命された何か証があるかなということを聞きます。
新学生が新学校に行ったら各教会に呼ばれて
あなたの証明の証を聞かせてくださいとどこでも言います。
神様は私を召されてくださった。
あなたはこれから私に働きをしなさいと招かれた。
これを明かしすることなんですけど
僕氏、伝道氏だけ証明があるんでしょうか。
いいえ、私たちみんなに証明があります。
私たちみんなに証明があるから、招き、コーリングがあるから
皆さんがいる今の職場にいらっしゃるんです。
皆さんの家庭が今存在しているんです。
子供たちが学校に通っているこの学校でも
その証明があるからそこにいるんです。
じゃあ、私たちを招いてくださったそのところ
使わされたそのところで、証明があるところで
私たちは何をすればいいのか
それがマタイ28章19節です。
あなたたちは行って全ての民を私の弟子にしなさい。
このために私たちの家庭、職場、学校があります。
ところが私も職場の生活を長くやってみたらわかりますけど
職場の時、ビジネスの時に宗教の話はこれは絶対ダメです。
禁忌項目です。
職場で福音を伝える
これはみんなやってはいけないと言います。
では、家庭、職場、学校
もうそこしか私たちが使わされたところがないので
そこで私たちは宗教の話ができない
イエス様の話ができなければ
私はどのように
あなたたちが行って全ての民を私の弟子にしなさい
この命令に従うことができるか
これを今日一緒に考えていきましょう。
まず皆さんがおられる職場、家庭、学校で
誰より忠実にしなきゃいけない
誰より熱心にしなきゃいけない
またお仕事をうまくやらなきゃいけません
他の人よりもっとうまくやってください
これは大事なことです
うまくやるほど信頼がありますから
調子が見たらやるフリにして
調子が見なければやらない
こんな生活をしては絶対いけません
私たちは忠実にしなきゃいけません
そうしながら私たちは職場の全ての人に対して
聖霊の九つの実りの生活を行うんです
それを言葉で語りなさいということではなく
21:02
生活で実践するんです
カナデア古書22節
霊の結びは愛であり
愛をもって職場の生活する
喜び平和関与大事ですよ
隣の人に関与を示す
また親切善意誠実
乳は節制この九つを生活を
職場の人たちにこれを見せてあげる
言葉じゃないですよ
この行いを通して実践してあげることです
これを家庭で職場で学校で
私たちが使わせる全てのところで
それを実践していくんです
大抵お父さんたちは家族の上
家庭で自分勝手にします
怒ったり無知を叩いたり絶対ダメです
お父さんも家庭で
聖霊の九つの実りの生活をしっかりするべきです
また教会で私は教会長く過ごしてから
教会であなたたち上で人々の上に
君臨しようとする生活絶対ダメです
教会で皆さんは聖霊の九つの実り
ような生活を行うんです
それを無理やり福音を伝えようとして
すってはいけません
強要してはいけません
まず私たちがやるべきことは
聖霊の九つの実りを生活
これが清い生活を行うことです
そしてお祈りをすることです
そうするなら周りの人から
好感を得るようになります
カラディアン公書22節で特別に共通すること
これらの禁じる掟はありません
と言う
みんな歓迎するってこと
私たちは人々に
不快感を与える人になってはいけません
この人は嫌だと思う人
なってはいけません
そのように
聖霊の九つの実りを実践する
生活をしているなら
周りの人に
色々な変化が起こります
もし周りの人の中で誰かに
多分問題が起こる
危機の瞬間が来るかもしれません
その時その人は
一番信頼できる人に訪ねて
少し私の悩みがあるから聞いてくれませんか
相談に乗ってください
という話が来るかもしれません
その時がチャンスです
その前はあまり言わないでください
実践する生活だけでいいです
その時私たちは静かに
イエス・キリストの福音
24:00
また自分がイエス様に出会って
色々明かし
恵みを受けた明かしを伝えることです
そしてその人のために
続けて祈ってあげることです
もし私たちが福音を伝えたとしても
何の反応がない
その人の生活が変わらない
それは私たちの役割の領域ではありません
これは神様の領域です
無理やり教会に来てください
私たちの教会は良いから来てください
言う必要もありません
私たちは聖霊の九つの実りの生活を続けること
また祈りをしてあげて続けることです
その後のことは神様に任せて
私たちはずっといつもの通り
聖霊の九つの実りの生活を続けることです
そして何とかチャンスが与えられたら
天道だけではなく
そして最後に私たちに教会があるので
教会に行ってみませんかという
教会出席の案内もしてあげることは大事でしょう
また続けて祈ってあげる
皆さん日本の社会は親しみができなければ
なかなか福音を伝えるのは難しい
なぜなら日本の人脈社会だから
本当に難しいですね
日本では社内結婚が多いんです
ただ身内の人と知り合いの人と結婚する理由
そのことを見ていますと
親しくならない人には
なかなかうまく付き合いができないことがわかります
ここで私たちは焦らないで
私たちがやるべきことは
神様が私たちを使わされたところで
聖霊の九つの実りの生活をすること
これが清い生活をすることです
これを私たちは忠実にやればいいんです
では教会は何をするんですか
教会は神徒たちが
聖霊の九つの実りの生活ができるように
見事ばった聖霊を持って再充電をしてあげる
また必要なれば癒しもしてあげる
慰めあげてまた使えてあげることです
神徒たちが教会の礼拝が終わったら
みなさん使わされるでしょう
そこに行って家庭で職場で学校に出て
光を放つ生活
使用の役割の生活
清さを失わないように
聖霊の九つの実りの生活がしっかりできるように
使えてあげること
これが教会の役目です
教会は訓練して
みなさんが武将してあげることです
もしみなさん考えてみてください
あるキリスト教会通っているんだと
27:00
キリスト者員なのに非常に自己中心的です
もう素早く自分の利益ばっかり求める
素早くそのことばっかりやっている
そのような人がいるなら
その人を通して伝導ができると思いますか
またある神徒は生活が良くない
優しく怒ります
人格的な問題がある
そうしたら人々に嫌がれるでしょう
その人を通して伝導ができると思いますか
またある人は乱な行いがあります
フリをしています
その人はもう伝導終わりだと思っていいでしょう
私たちは首都福音のために
清くならなければいけません
また聖霊の九つの実を結ぶ
そのような生活をしていかなければなりません
ですから神様があなたたちは
聖なる群れ聖徒だと言われるんです
皆さん
清さということは
区別の意味があります
信じない人と信じる人の区別
世の中の人と教会の人の区別
これを清さという言葉で使います
区別は難しいんですよ
ですから私たちは区別する生活をすることだけで
神様からの報いがあります
私たちは実があるのか
どれほどたくさんの人を伝導したのか
それはこの後の話
私たちが忠実にやるべきことは
私自身どこに行ってとしても
聖霊の九つの実の生活
それを今やっているのかやっていないのか
それができていなければ
主の前にひざまずいて
叫びながら祈るべきです
涙を流しながら
主よ私はなぜ
聖霊の九つの実の生活ができないんでしょうか
私の家におられる聖霊様
私を変えてください
切に祈るべきです
世の中の人々は
キリスト教会を通っている人は
なんとなく期待します
しかしよく見てみたら
自分と全く変わりがない人だとするなら
失望してしまいます
その人がいくら福音とかなんとか伝えるんだとして
イエス・キリストを伝えるんだとしたら
その虚頭が耳に入ってこないでしょう
伝導できないと
あなただけ頑張れよと言うかもしれません
私たちがいつも祈るべきこと
私たちの家に清さを維持すること
聖霊の九つの実を結ぶ生活が
続けて続けてできるように
主を恵みを与えてください
皆さんこれが聖火の大事さです
これから見てますと
私はイエス様信じるから
30:01
いつでも天国に行くんだ
私はどう過ごしても天国に行くんだという
この救いの考え方
これがどれほど自己中心的であり
全ての人を救いたいと思っていらっしゃる
神様の身分を知らないということなのかと
考えられます
あなた方は聖なる者となれ
私は聖なる者だからです
清い人だけが神の身分を
成し遂げることができます
清い人に神様がこの祈りを応えてくださり
私たちが行う全ての働きに
祝福してくださるでしょう
そして天国に導いてくださると信じます
最後にこの清い生活を
一番うまく担った人がいます
この人が先例者ヨハネです
マルコ1章3節から6節
アレノで叫ぶ者の声がする
主の道を整えその道筋をまっすぐにせよ
その通り先例者ヨハネは
アレノで現れて罪の許しを得させるために
悔い改めのバブテスマを述べ伝えた
それにしたらユダヤの全地方の
とエルサレムの住民はみんなヨハネのもとに来て
罪を告白しヨルダン川で彼からバブテスマを受けた
ヨハネはラクダの着衣を着
腰に革の帯を締め
稲穂と野蜜を食べていた
先例者ヨハネは誰より区別された生活
世の中のことと自分と区別された生活をしました
またアレノで生活しました
そして悔い改めなさいと言いました
悔い改めなさいという話は
世の中の人々が一番嫌がる言葉です
それにも関わらず
ユダヤ全地方とエルサレムの人はみんなヨハネのところにいて
バブテスマを受けたと言います
皆さんマップを開いてみてください
ヨルダン川とユダとエルサレムどれほど離れているか
ヨルダン川で叫ぶのに
ユダの全地方から人がそこまで行った
ありえない話です
それが何かと言いますと
それが清さの力清さの影響力です
この清さの影響力で
私たちは福音を伝えるのです
これをぜひ覚えてください
今日清さということは難しいと思っているかもしれないから
私は聖霊の九つの実りの生活と申し上げました
あなたたちは聖なるものとなれ
私は聖なるものだから
三密の神様がどれほど私たちが清いものになることを願っておれるのか
ところが清さは私たちは動力ではできません
33:03
ホドスンテイルの証が非常に役に立ちます
私たちはイエス様に焦点を合わせ
私のうちにおられる聖霊様によく従っていくときに
清さができるし
清さができたら周りの人を私たちに導いてくださるでしょう
それを聖霊様がなさいます
そして私たちを知らないうちに
一人ひとりが私を通して伝導ができ
福音を受け入れ
それを私の影響力を通してこの人たちが
天国に行く群れに加わるようになります
その働きをした人は神様はどれほど喜ばれるでしょう
ぜひとも清い人になること
それを私たちは心に留めて実践していきましょう
お祈りいたします
あなた方は聖なるものとなれ
私は聖なるものだからである
神様の命令
その意味を今日分かち合いました
清さの力
清さの祝福を悟って
また味わうことができるようにしてください
また清い生活を通して
神様を愛する
隣人を愛する
その生活を実践できるようにしてください
イエス・キリストの皆を通してお祈りいたします
アーメン
34:26

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