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2022-08-20 30:06

「個人の終末と人類の終末の準備」2022年8月14日(日)メッセージ

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東京ぶどうの木教会 2022年8月14日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

黙示録14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。

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今日は、個人の週末と人類の週末のための準備という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
今度私は、母が天に召されたので韓国に行ってきました。
いろいろ
一番愛されて、また愛した母ですから、いろいろな思いがいっぱいありますけど
私は一つ残念だと思っていることがあります。 例えば、第2テモテの4章8節にパウロはこう言います。
神様が私のために、木の栄冠を備えておられた。 それは私だけじゃなくて、神様を信じるすべての人のために、神様はそれを備えておられたと言いながら
彼はその木の栄冠を見て、喜びながら死を迎えたということが聖書に書かれています。
しかし私たちの信徒たちには、そのようなことがあまりないということ、
これが救いと報いに対する確信がないということが非常に残念だと私は思っているところであります。
事実は、一人の個人に対して救いよりもっと大事なことはありません。
100年の人生、立派に過ごしました。しかし死んでから地獄に来た。
永遠が地獄に行ったと言ったら、これは本当に悲惨でしょう。
だから私たちは必ず天国に行かなければなりません。
私は母の死をきっかけとして、救いの確信を新たに私たち教会の皆さんには確かめていきたいという心でいっぱいです。
また前回私は韓国に行ってきながら、コロナ検査とか陰性の証明書を取ってくることは非常に難しかったんですけど、
今度少し緩和されたと思っていたんですけど、相変わらず難しかったということを言わざるを得ないということですね。
ソウルでは何日か防雨として、車の移動が難しかったということもあります。
韓国で防雨が100年ぶりの防雨だという話も聞いているんです。
日本に来たらもう蒸し暑いですね。
また日本にもいろいろな防雨があったということですけど、
今皆さんヨーロッパには猛暑で乾発で、アメリカのカリフォルニアには防雨があって、
そしてアメリカのサバクの地域、そこでデスベリという砂漠には1000年ぶりの防雨があったということです。
03:04
オーストラリアのブリザバンというところには最悪の洪水があってみんなが苦労していると言います。
地球全体が気象の異変を患っているところです。
一体その原因は何でしょうか。
私たちは大抵地球温暖化という話を聞いているんですけど、
これが最後の災いなのか、それをいろいろ考えているところであります。
皆さんコロナが終わったら住みやすい世界にまた変わるんでしょうか。
それも違うという話ですね。
コロナが終わったらまた次にまた来るんじゃないかといろいろな話をしています。
科学が発展していくならみんな住みやすい便利な世界が来ると思ったんですけど、
そうではないということもわかります。
今私は母が亡くなったという話、
それで一人の個人の終わり、またこの全世界の終わりが、
このような問題が私たちは非常に近くに来ている、近くまで来ているような気がしますけど、
私たちはこのような全ての問題をどのように解釈し、どのように対処していかなきゃいけないのか、
これを今日一緒に考えていきたいと思います。
私はこれを礼儀的に解釈しなければいけないということです。
なぜなら神様の御言葉、聖書にはこの全ての将来に対する予言、
また将来その時期のこの姿、またその時に神徒たちが何をしなければいけないのかということ、
全てが予言されているからです。
例えば福音書では終わりの時の予言ということは、
ルッカの21章、マッタイの24章、マルコの13章に予言されています。
すでにそれが全て私たちは知らされています。
ルッカの21章で見ていますと、
10節、11節に、
終わりの時、民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
そして大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、
疫病というのはコロナみたいなものが次々と起こる。
また恐ろしい現象や著しい印が天に現れる。
その時人々の姿が現れています。
ルッカの21章、25節から27節には、
それから太陽と月と星に印が現れる。
地上では海がとよめき荒れ狂うので、
諸国の民はなす術を知らず、不安に陥り、
人々はこの世に何が起こるかと怯え、
06:00
恐ろしさのあまり、気を失うようになる。
天体が揺れ動かされるからである。
その時、人の子は大いなる力と栄光に帯びて、
虚無に乗ってくるのを人々は見る。
イエス様の祭輪の前で、天体が全世界が変わるので、
それを見て人々は気を失うほど、
そのような気持ちが来るようになる。
ですからその時、私たちはどうすればいいか、
ルッカの21章、36節にこう言います。
しかし、あなた方は起ころうとしている、
このすべてのことから逃れて、
人の子の前に立つことができるように、
いつも目を覚まして祈りなさい。
ですからこの要言の中には、私たちはそれを逃れる方法、
また、最後の時に私たちは何をすべきか、
神様は私たちに教えてくださる。
ですから今日は私たちは、この終わりの時の出来事、
これを目視録を通して、その出来事を少し覗き見ながら、
これから私たちはどうすればいいのか、
それを一緒に考えていきたいと思います。
今日は目視録の14章を見てみたいと思いますけど、
皆さん、13章には皆さんご存知の悪魔の業がありますね。
獣の陰である666を受けさせているところで、
14章には神徒を助け、また神の御業を成し遂げる、
天使たちの働きが記録されています。
14章には、最後の時の使役として、
3つのことを教えてくださるんですけど、
14章1節から5節には、
シオンの山に立っておられる小一寺イエス様と、
贖いを受けられた民の礼拝が書かれてあり、
6節から13節には、信じない人々を招かれる神様の最後の招きが書かれて、
そして14節から20節までは、大収穫に対して書かれてあります。
この3つの内容が非常に大事なので、
それを皆さんに簡単に説明したいと思います。
じゃあまず目視録14章の1節から5節まで、
じゃあ初めに、このシオンの山に立っておられるイエス様、
そのイエス様と共にいる神徒たちが、
この礼拝する場面に対して書かれてあります。
目視録13章には、悪魔が獣の陰と言いましょうか、
その666という数字を私たち人々に付けさせるところが出てきますけど、
09:00
その時、信徒たちはどうすればいいでしょうか。
世の中の人々は、獣から悪魔から666という数字を受けさせているんですけど、
その時、信者たちは何をするのか、
これが14章1節から5節まで書かれてあります。
14章1節に、見よ、小一寺がシオンの山に立っている。
じゃあ、信徒たちは、シオンの山に立っておられる小一寺イエス様に注目しなさい。
そうです。私たちがどんな状況でも注目するべき対処があります。
そのことは、私たちのために十字架で死んでくださって、復活してくださった小一寺イエス様を注目しなければいけません。
イエス様は、神の御言葉、聖書を成就された方として、
シオンの山に万王の王として立っておられるんです。
じゃあ、このシオンの山、これは神様の都を示し、
そこから神様は全世界を統治されます。
そこに、小一寺であるイエス様に従う14万4千人が立っているんですけど、
彼たちの特徴は、その彼たちの額に小一寺の名前と、小一寺の父、神様の名前が記されている。
なぜ、小一寺の名前が記されていますか?
それは、キリストが父を持って彼たちを買われたからです。
だから、この14万4千人はキリストに直されているという意味で、キリストの名が書かれている。
また、そこには神様の名前が書かれている。
その意味は、キリストによって神の子供になったから、私の子供だよという意味で、神様の名前が書かれてあります。
この額に書かれてあるこの名前は、その人たちのアイデンティティを示してくださる。
その名前が、彼たちの安全、保障、彼たちの安全を守ってくださる。
その反対に、獣の院666を受けた人は、悪魔の奴隷になり、永遠な罰に処されてしまいます。
ですから、最後の時に行けば行こうと、私は神に直されているのか、悪魔に直されているのか、
私の額に誰の院が記されているのか、それは非常に大事になります。
4節5節には、小一寺イエス様によって救われた人々の特徴を記されていますけど、3つの特徴を持っています。
まず、彼たちは純粋で純潔です。
純粋、純潔ということは、彼たちの信仰と献身の心が純粋と純潔という。
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彼たちは空上を拝みません。性的な堕落しません。ただ、イエス様に対する信仰をしっかり守った。
信仰の純潔、純粋ということが一番大事。
また、彼たちは忠実で献身的です。
彼らはイエス様がどこに行ってもついて行く。
自分の道に行くんじゃなくて、イエス様について行く。自分を捨てて、自分の十字架を背負って、死の時までイエス様について行った。
これが大事です。3番目、彼らは真実です。
彼たちの口には偽りがない。また、いつも正しいことを語ります。
最近はYouTubeというところがあって、大勢の人々が自分が勝手に撮った動画上、そこに載せていくんですけど、
そこには責任も必要ない。偽り、嘘ばっかりが書かれてあるとしても仕方がない世界になってしまう。
だから今の世界は正しいものが何であり、偽りが何かと分からなくなります。
私も恥ずかしいんですけど、韓国の政治家たちは嘘を目の前で平気に言ってしまいます。
だからこれが嘘なのか正しいことなのか分からないリーダーたちがこう言っているところですから、
本当に難しい世界ですね。これが最後の時のこの世の中の特徴です。
しかし、イエス様と共にシオンの山に立っている14万4千人の神徒たちは違います。
偽りがない。清い心で新しい歌を歌で歌い、神様に礼拝する群れです。
最後になればなるほど世の中に災いがあったり注がれ、そして獣の働きが活発的に行うんだとしても、
神徒たちは、神徒と聖徒としてのふさわしい姿を持って、もっともっと清い心で賛美し、礼拝しなければなりません。
私たちは終わりの時に行けば行こうと、礼拝が大事なんですけど、なぜなら、礼拝する時主が来てくださり、語ってくださり、働いてくださるからです。
神様がダビデと共に行ってくださった理由は、ダビデは礼拝者だから。
だからダビデの幕屋の賛美と礼拝、これは神様が本当に喜ばれたこと。
だから行けば行こうと私たちは、礼拝者にならなきゃいけない。礼拝することが大事です。
14万4千人、目白く14章で現れた神徒たちの特徴は、礼拝者だった。
2番目、6節から13節までです。
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最後の時、その時に現れた特徴は、神様の招き、信じない人々を救われる神様の招きがあったということです。
神様はすべての人にチャンスを与えてください。
少なくとも一人の人が福音を聞いて信じるまでは、何度も何度も福音を述べているこの機会、チャンスが必要です。
しかしこの14章で現れたこの神様の招きは、最後のチャンスです。
これ以上のチャンスは与えられない。最後の招きを神様がしてください。
皆さん、この福音を述べていたい。永遠の福音ということですが、受け入れるなら永遠の天国に入るから永遠の福音と言います。
この福音は受け入れるなら恵みが与えられます。しかし拒否するなら裁きがあります。
ですからこれが福音の両面性と言うのですが、皆さん、私たち一人の人間に与えられたこの100年の意味、
私の母は92歳で亡くなりました。92年間、神様が私の母に
命を許された、この許されたことを大事に考えていかなければならない。 私たちはその期間の中で熱心に学んで良い学校に行って職場に行って出世して成功して
この世の中でうまく生きるために、この時間を全部使ってしまいます。
永遠のためにこの時間を使うべきなのに、 永遠のためだったら死の前に短い時間、福音を受け入れるだけこのぐらいでしょう。
この100年生きることのために一生懸命働くのに、永遠に生きるために私たちは今何をやっているのかということです。
永遠に生きることを私たちは本当に軽く考えて、そこにあまり関心がなかったから、その準備ができなかったことが非常に残念だと思います。
ですから私たちはこれから私たちの時間を、福音を述べて愛を実践する、そのことのために私たちの時間をたくさん使いましょう。
死のために生きる、そのためにたくさん使わなければいけないと思います。
シト・パウロは、シト行伝20章26節にこう言います。
誰の地についても私には責任がありません。
誰の地についても私は責任がないということは、私は全ての人の救いのために、私がやるべきことを全てやったということです。
パウロは全ての人のために自分がやるべきことをやったと言うんですけど、私は私の父と私の母のために何をしたかと考えたら、
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亡くなる前に口だけで福音を伝え、口だけで愛を伝える、そのくらいだったかなと思います。
私は本当に一緒に暮らしながら愛を実践するべきだったのに、それができなかったということは非常に今残念だと思っています。
そして14章6節から13節に、最後の時の永遠の福音を伝えながら天使が何というのか、これが今日読んでくださった14章7節。
天使が大声で言った。神を恐れ、その栄光を称えなさい。神の裁きの時が来たからである。
天と地、海と水の源を創造した方を礼愛しなさいと言います。
天使が神を恐れ、おやまい、神を礼愛しなさいと言います。
じゃあ皆さんここ非常に大事です。恐れ、おやまう心がなければ信仰はできません。
また終わりに行けば行くほど恐れ、おやまう心が大事な理由が、このオスワルド・チェンポスという人がこう言いました。
私たちが神を恐れる時、世の中の他の者は恐れなくなる。
しかし神を恐れない時、私たちは世の中のすべての事に対して恐れるようになる。
だから神を恐れる時、私たちが恐れる世の中のすべての事から逃れることができるんだということ。
神を恐れる時、世の中の事を恐れなくなるんだけど、神を恐れなくなった時には、
世の中のすべての者に対して恐れなければいけないということになるんだということを考える時に、
神を恐れなさい、神だけを礼愛しなさいという天使の招きは非常に大事だと思います。
最近コロナは誰でも感染されます。東京では1日3万人が感染されています。
それはまるで、エジプトの時、10項目の災いがあって、最後の項目の災いは、
エジプトのすべての人に死の死者がいて、超死を殺すという災いがありました。
それと似ているんじゃないかと思います。
コロナは誰でも感染させます。貧しい人でも、飛んでいる人でも、賢い人でも、愚かな人でも、
年取った人も若い人も、今は子どもたちにも無差別的に感染させます。
ですから私たちはコロナを非常に恐れて心配しています。
それだけではありません。コロナの状況によって将来どうなるか、今国のすべての人が経済的な問題、
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将来の問題に対して今恐れています。
また私は隣の北朝鮮の核問題、また台湾の今中国との戦争が起こったらどうするかと思って心配しています。
また教会の方々の体の問題、少し何があったとしても、がんにかかるんじゃないかという心配があります。
また親たちは子どもに対して限りがない心配を今皆さんやっています。
ところが皆さんこの恐れ、心配は私たちの心と考えを賄いさせ、私たちが当たり前としてやるべきことをできなくなります。
またこの恐れは伝染性があって他の人に感染させてしまいます。
しかし皆さんこの恐れはどこから来たのか。これは心理的な検証ではありません。
サタンが私たちの心に飢えることです。
だから行けば行こうと最後にはすべての人が恐れ、それに縛られてしまって何もできなくなる世界になります。
だから信者たちはこの恐れを必ず乗り越えなければなりません。
どうすれば私たちはこの恐れを乗り越え、他の人を助ける役割がうまくできるでしょうか。
これはただ神様だけ恐れる、恐れを敬うとき、そのとき世の中の恐れから私たちが免れるようになります。
神様を恐れるとき絶望的な状況の中でも勇気と知恵を力を得ることができ、助けを必要な人たちを使えることができます。
3番目、牧師録14世で現れている3番目、14世から20世までの記事は、最後の時の大収穫があることを教えてください。
私たち教会はその間長く祈ってきたこと、回復した教会にリバイバルがあって、その力によって大収穫が行われ、
新しい葡萄酒を新しい皮袋に入れるべきだと、そして私は準備してきたんですけど、いよいよその日が来るんです。
大収穫の内容を見てますと、2つの収穫があることがわかります。
14世から16世までは、麦の収穫、17世から20世までは、もみ殻の収穫です。
この2つ、これは、マタイの中山書24節から30節に、イエス様は麦ともみ殻の収穫のたとえで教えてくださったことと一致しています。
今、キリスト教の中には、麦ともみ殻が交わっています。
麦はイエス様によってまかれた種ですけど、もみ殻は悪魔によってまかれた種です。
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この2つは収穫の時までずっと一緒に育てていきます。
しかし収穫の時、イエス様はその天使を使わせて、もみ殻を先に刈り入れます。収穫します。
そして天使たちはそれを燃え盛る炉の中に投げ入れてしまいます。
その中で彼らは泣きながらハギシルする音を鳴るでしょう。
その次、麦を収穫、刈り入れをするんですけど、その時麦、義人たちは父の国で太陽のように輝くようになります。
この音が非常に近くまで来ています。これから行われるでしょう。
私たちはその最後の段階の状態で直面しています。
皆さん、私たちは麦でしょうか、もみ殻でしょうか。
私は麦だと思っているかもしれません。まさか私はもみ殻かもしれなかった。
皆さん、今麦なのかもみ殻なのか、これは神様ご存知です。
自分自身が自分自身を分からなければいけないでしょう。
だからこの時期こそ、徹底的に食い改めて、終わりの時のために準備していかなければ。
これを他の人が準備してあげることはできません。
自分自身が神の前で、私が麦なのかもみ殻なのか、これを準備していかなければなりません。
また、コロナが繁栄している時、感染者が多くなっている今この世の中を見て、
心配ばっかりしながら無駄なことをしないように、そして神を恐れるうちに、
最後の準備をしっかりする私たちにならせればと思います。
結論を申し上げます。
今度私は母の死をきっかけとして、母の体、肉体的な体は死にました。
しかし母は死んで終わる存在ではありません。
皆さん、私たちの体を見てみてください。
これ100年も使えないんですよ。病気にかかります。
体が衰えていきますよ。様々なことが今もうまく動けません。
何か衰えていきます。
私たちがこの体のことで今非常に制約を受けています。
私が死ぬということは、体が死ぬということは、この衰えている体を脱ぐことです。
私の霊魂は生きています。ますます良くなっています。
私は来週くらいこれをメッセージしなきゃいけないんじゃないかと思いますけど、
皆さん私たちのこの外の体、これは100年使うことだけなんです。
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しかし私たちの霊魂は永遠に生きます。
私が死ぬということは体を脱ぐことであり、
霊魂は新しい体を背負って天国で永遠に生きます。
だから皆さん、死んだこと、これが終わりではないこと、是非是非覚えてください。
信者たちは。
また世の終わり、世の終わりをマタイの24章で見ていますと、
この海の苦しみだと言います。
新しい世界を生み出すための世界が苦しみを受けています。
今この世の中は呪いにかかっています。
だから地震もあり、様々な問題がたくさんあります。
神様はこの世をもって永遠に生くことはありません。
新しい天と新しい地を与えてくださいます。
神の国を与えてくださいます。
この新しい天、新しい地で永遠に生きる世界を今準備しておられます。
だからこの世の中の最後の状態のように見えるんですけど、
神様は新しい世界を作るための、今海の苦しみをやっている状態であります。
だから私たちはこの世の中がどうなるか心配することではなく、
神様を恐れる中で私たちがやるべきこの3つ、
目標14章が教えてくださった礼拝、
まことの礼拝者としての私たちの信仰、
また福音を述べ伝えるため、最後の福音を述べ伝えること、
また大収穫、この3つのことを覚えて、
神の国が現れることを待ち望みながら、
神徒としての私たちの役目をしっかりやっていこう。
これが最後の時のための神徒たちの役目です。
ぜひ覚えてください。
後陣の終わりは天国に入るための準備、
世の中の終末は神の国の現れのための準備です。
この準備をしっかり私たちは覚えていきましょう。
お祈り出します。
神様、神の子供である私たちは、
コロナのことを怯えて、またこの世の中の変化を怯えて、
彷徨うことではなく、神様を恐れ敬う、
心で私たちがやるべきことを関心を持って、
しっかり担っていく私たちにならせてください。
よそのことを目を向けることではなく、
私たちは神様だけに目を向けて従う、
恵みを与えてください。
バンゴ王の王イエス様と共に、
シオンの山で新しい歌を歌う、
そして礼拝する群れの中に、
私たちもいるようにしてください。
30:00
恵みを与えてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。
30:06

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