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2025-01-09 15:34

#58 お生まれの頃から側にあった月刊誌「致知」をいつ頃認識された?|ゲスト: 藤尾佳子さん

【今月のゲスト】

致知出版社取締役の藤尾佳子さん

【今回のトークテーマ】

・実はスポーツマンな一面も…?!

・お生まれの頃から側にあった月刊誌「致知」をいつ頃認識された?


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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サマリー

藤尾佳子さんは、日本で唯一の人間学を学ぶ月刊誌「父」の取締役として、雑誌の誕生からの影響や自身の成長過程について語ります。彼女は子供の頃から「父」の存在を意識し、さまざまな世代にこの雑誌を広める努力をしています。このエピソードでは、藤尾佳子さんが父親の出版社でのキャリアを振り返り、幼少期の思い出やその仕事への理解を深める経緯が語られます。特に「致知」という雑誌の存在と父親との関係性が印象的です。

00:10
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
TOKYO NORTH MOVEMENT 飛鳥山の窓から
パーソナリティーを務めます、小篠三宏です。今、私がいる場所は、大寺飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者を招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
2025年明けました。初めてのゲストはこの方でございます。
藤尾恵子です。よろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。
父出版社の紹介
藤尾恵子さんは、創刊46周年を迎えた日本で唯一の人間学を学ぶ月刊誌、父の出版社、父出版社の取締役をお務めでございます。
藤尾さんとは、先日、私と藤尾さんが共通お世話になっている方のご紹介で、初めてお挨拶に伺って、原宿の素晴らしい住宅街の会社の方にお訪ねさせていただきました。
その時に、ぜひ渋沢くんFMでお話を伺いたい。25年スタートを切るところでお話を伺いたいと心よくおいでいただきました。本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
それでは、皆さん、父出版社といってご存知の方、そうでない方いらっしゃると思いますので、ここで事業内容、そして藤尾さんの現在のお仕事の内容について改めてお伺いしたいと思います。
ありがとうございます。私ども父出版社は、人間学の月刊誌、父という雑誌、定期公読制の本屋さんには置いていない月刊誌なんですが、
父という雑誌を中心とした出版業を営んでいる出版社でございます。その父は本屋さんには置かない形で、今年創刊46周年を迎えまして、現在国内外、電子版も併せて11万8000人の方が定期公読でご愛読くださっている雑誌でございます。
著名な方のご愛読者もいらっしゃいまして、野球の大定晴さんとか、また一昨年ですかね、WBCでサムライジャパンを世界一に導かれた栗山英樹監督とか、スポーツ界でもご愛読者がいらっしゃいまして、またお亡くなりになられた稲森和夫さんも、
50代の頃からずっとご愛読くださった経営者の方やトップリーダーの方を中心としながら、最近は中学生、高校生、大学生の部活動でも父を使った勉強会が全国に広まっていまして、
2023年甲子園で優勝された慶応義塾高校野球部の皆さんも、高校野球時の皆さんが父の勉強会に取り組まれているなど、本当に幅広い世代の方からご愛読いただいている雑誌でございます。
私は17年一緒に働きながら、近年は経理の責任者をしながらお客様がかりの責任者も兼務して、また父を広める活動の一環として、父の別冊母というダジャレのようなネーミングをあえてつけているんですが、
母の編集長をさせていただきながら、父を若い世代、また自分と同じように子育てをしているお母さん方にも広めていきたいという思いで活動しております。
藤尾さんの思い出
私が父に初めて出会ったのは、多分台湾の李登輝総統を特集をされた午後がございまして、私はずっと台湾との交流関係の仕事をしていたものですから、
その時に多分日本で初めてだったと思いますね。李登輝総統の哲学を極めたような哲人政治家の横顔を紹介していただいたのは、今でこそそれが定着していると思うんですけど、本当にその時にも今おっしゃられたようなすごく大切なことがいろいろ書いてある印象を持ちましたけれども。
藤尾さんは今でもお父様が出版社の代表取締役を務めということですけれども、そうするとやっぱり子供の頃からこの雑誌についてはもう存在を意識されていたみたいなことですか。
はい、そうですね。存在は意識はありました。私は父総監五周年の年に生まれておりますので、気づいた時にはすぐそばに父があるみたいな形で、リビングにいつも父とか父出版社の本が置いてあるみたいな形でした。
なるほどね。うちは報紙新聞が置いてあったりとか、やっぱりちょっと環境が違うなって感じがしますけれども、そうするとそういう環境の中で、藤尾さんがお父様から語られていた必ずこれは守ろうねっていう言葉とか、何だろう架空というとちょっと大げさかもしれないけど、そういうのっていうのもあるんですか。
そうですね。家のリビングにですね、母の字で父が書くようにといって母が書いて貼ってくれてた紙がありまして、素直で明るく温かくっていう言葉が貼ってあってですね、それは何かあるたびに、例えば私三人兄弟ですが兄弟喧嘩した後もですね、三人で並んで読まされるみたいな。
そうですね。
僕ね、僕の出た小学校の校訓っていうのはね、直く明るくむつまじくって言うんですよ。
似てますね。すごい。
これは昭和9年かなにできた千葉県の市川の私立の学校なんですけどね。やっぱりずっと大切にされてきた、後でお話ししますけど、人間の基本みたいなことなのかもしれませんね。
そうですね。
それがリビングに書いてある。
はい、貼ってありまして、今も自分の家にも、私も家庭を持っている自分の家にも貼ってます。
そうか、そうですか。
スポーツと成長
そういう環境の中でお育ちになられたんですけれども、内尾さんご自身、小学校から大学まではなかなかスポーツウーマンで。
そうですね。
私は小学校4年生の時にJリーグが開幕しまして、それで近所のおじさんが息子さんと公園でサッカーをしていたのがきっかけで、一緒にやるようになってサッカーにはまってですね。
小学生時代はずっとサッカーをやってました。
中学入って女子サッカー部のある学校に入れなかったので、バスケ部でいいかっていう感じで、バスケ部で中高と大学もサークルでバスケをやってました。
そうですか。ご自身でどういう選手だったんですか。
そうですね。自分で言うのもあれですけど、運動神経だけは良くてですね。運動神経で何でもやってしまっていて、あんまり物を考えないでやってたかなとは思うんですが。
いるんだよね。そういう出来ちゃう選手ってね。
小学校の時は男の子のチームでサッカーで10番つけてて、中学はキャプテンやって、高校はエースナンバーをもらってという形で。
でもメンタルが弱かったので、そこが鍛えられればもうちょっと活躍したかなとも思うんですが。
そうですか。今でもスポーツは続けられて。
そうですね。ほとんど自分でやるってことはないんですが、息子が今小学校3年生でサッカーやってますので。
息子と主人もサッカーやってたので、校庭会報とかでよく子どもたちと一緒にサッカーをやってます。
まだ小学校3年生くらいだとお手本を示せるってことですね。
そうですね。
リフティングとかも。
そうですね。
どれくらいできるというか。
今も60回くらいはできて。
そうですか。
ご主人とどっちが多いかみたいな。
いや、でも主人はもう結構かなり上手いので。
そうですか。
全然敵わない。主人、私、息子みたいな感じですから。
でもね、それはすごく息子さんにとっても尊敬できる。リスペクトされる。素晴らしいですね。かっこいいですね。
はい。
なるほど。そうですか。そういうエネルギッシュにスポーツも楽しんでおられた藤野さんでしたけれども。
先ほどリビングルームに言葉が書かれたという話もありましたが、いつ頃から父という雑誌というのか、父に載っているいろんな文章、魅力に気づかれたというふうに思いますか。
はい。ありがとうございます。魅力を本当に理解したのは入社してからなんですね。
父祖との思い出
私、中学生の時に父総監20周年記念式典という大きな盛大な講演会とパーティーがあって、大学生の時にも25周年というのがあって、その時には結構著名な方とか会場に来られていて、なんかすごい会なんだなというのは。
お母様から手伝いなさいという感じだったんですか。
参加するように行きまして、家族で行って、なんかすごいけどよくわからないというのが正直なところで、中学生くらいの時はお父さん何の仕事してるのって聞かれると返答に困ってですね、本屋さんに置いていない雑誌なので特殊な雑誌だと思ってたんですね。
勝手に世の中から認められてない仕事をやってるんだと思って、一応出版社の社長なんだけど、でもみんな読んだことない雑誌だと思うよって言って、いつもちょっと否定的に答えていたのが中高大学生くらいまで本当にわからなかったですね。魅力がわかったのは本当に一緒に働き始めてから。
父出版社に入社をされたのは、社会人経験1年された後ということなんですけれども、これ入られたきっかけは何だったんですか。
社会人1年目はですね、お茶漬けの永谷園というところで働いていたんですが、楽しかったんですが、社会人ってこんな感じでいいのかなっていう悩みがふっと湧いていた頃に、父出版社で働かないかっていう声が、父出版社で経理の顧問をしている先生が、元松下電機で松下幸之助の下で経理を学んできたという先生が来てくださっていて。
当時70歳で、僕ももう若くないから一度教えてやめない人がいる社長のお嬢さんいかがですかと、声をかけてくださったことがきっかけで転職の業が始まっていったという形で。
お父さんはその時にぜひ来いとかっていう感じではなかった。
父親は不思議と何も言わなくてですね、その話を具体的に私に話したのは、私の兄が会計士をしていて、監査役を務めていましたので、兄と父親が一緒にいる場に呼ばれてですね、会社に行って話をしていて。
兄からこれからの人生設計はどう考えているんだとかですね。何も考えていなくて、2,3年は永谷園で働いてせっかく入ったからって言って。じゃあ2,3年働いてからだったら父出版社に来てもいいのとか聞かれて。
まあそれだったらいいかなっていうので、兄からの言葉がけがきっかけで入社しまして。
2,3年じゃなくて1年になったってのは何でなんですか。
2,3年働いてから来るのと、今すぐ来るのと何が違うって聞かれた。
畳み込まれた。
そうなんです。何も違わない、むしろ自分の頭が劣化していくだけかもしれないと思いまして、もう3ヶ月で引き継ぎ期間を経て、社会人2年目の7月の頭から父出版社で。
でもお父さん、黙ってるっていうのも結構大変だったんじゃないですかね。
そうですね。
その後、もうこれだけキャリア積まれて、お父様とそのことについてお話されたことってないんですか。
そのことについて話したことあんまりないですね、言われてみれば。
でも本当に強制力のある父親にもかかわらず。
本来はね。
何も言わないことに私はすごく父親の愛情を感じて、それもあって強制されなかったから良かったっていうか。
なのですごく前のめりな形で入社させていただけたと。
でもやっぱり僕も人の親ですから何となく思い浮かべると、空気として藤代さん側にいて一緒に仕事してほしいなっていう思いは多分お父様も周りになったし。
父への愛情
だからこそその記念式典なんかにもまず参加しろと。
それで会計士の方も藤代さん見てるっていうね。
そういう中で大きな流れはお作りになられてたような感じはしますけどね。
それはありますね。
でもすごく人間学のお師匠さんというのか素晴らしい社長さんでいらっしゃるんですけど。
やっぱり娘を思う気持ちっていうのは僕らとあまり変わらないところがあるんだなっていう。
なんかちょっと親しみの持てる感じもしますね。
さてここまで父出版社に入社されるまでのお話を伺ってまいりました。
来週は創刊からこれまで46年間愛され続ける父の魅力に迫りたいと思います。
ではまた来週よろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。
15:34

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