00:12
こんにちは、トシです。 ミユです。
はい、今日は【関心領域】見てきましたね。 見てきました。
いやー、すごい映画だった。 どうでした?まず、トシさん。
いやー、なんか一言で表現しづらいなってずっと思ってて。 うん。
なんなんだろうね、これ。 どういう映画だったんだろうなぁ。
なんか、うん、どうぞどうぞ。 一つ思ったので言うと、これ見た人によってすごい印象が変わる映画だなと思った。
うんうん。 いや、印象というか、抱く感情というか、その後味が人によってだいぶ違いそうだなっていう。
うーん、例えば?例えば、トシどうだった? 僕はね、
結構怒りが湧いたんだよね。でもその怒りっていうのは、出てきた人物に対しての怒りというより、人間の欠陥に対しての怒りというか。
うんうん、なるほどね。 なんでこんなことできちゃうの?っていうことに対しての憂いというか、そういうのを感じたね。
もう、やるせなさというか。
で、それ自分自身もそうだからさ。っていうのをさ、体験させられる映画じゃない?お前もそうだぞって。
この人たちが特別なんじゃなくて、お前もそうなんだぞっていうのを、その体験型アトラクションとして味わわされる作品だったから。
そうだね。 そういう自分に対してもすごいこう、意気通りを感じたね、僕は。
全然人のこと言えないじゃん、みたいな。 私はある種、それかつ、なんか、あ、やらなきゃっていうちょっと使命感と、
あと多分、これって結構人間の仕組みでもあるような気がするのね。無関心。
一定のことに無関心でいるっていうことは、その全てに関心を払っているわけにはいかない人間の、なんか、
体っていうか、脳の仕組みのようなことも感じて、虚しさっていうのもあったなぁ。
そうだね、そういうのに近い。 だからそれが、その、自分に組み込まれてしまっていることの不完全さに対して、
悲しさというか、意気通りというか、そういうものを感じたね。人によってそういうこう、抱く感情がだいぶ変わりそうな作品だなって思った。
いやー、なんていうんだろう、最初さ、
表題バーで出るじゃん。で、出た後に全然文字が消えていかないし、消えた後もずっと暗いまま、みたいな。
なんかそこから、なんかお前はなんか、今の世界と、最初にその今の世界と、映画の世界を完全に隔てられるような気持ちになったのに、
そうだね。 最後に、あんなサプライズがあって。
ね、あれズル。あ、意地悪だよね。意地悪だなと思った。 なんかもう、ごめんなさいって思ったよね。
そう、なんか、そういう、何なんだろうね、こう、 作品のジャンルで言うと、何になるんだろうね、これ。ホラーではないし、
03:10
社会派? 社会派。社会派なのはそうなんだけど、
なんていうかさ、でも、すごい気持ちの悪い作品ではあるじゃない? その、なんていうの、体験として。
うーん。 なんていうの、その、何かメッセージ性がすごいあるとか、そういうわけでもなくて。 あるけどね、メッセージ性は。
いや、あるんだけど、なんていうの、その、 すごいメッセージ性をさ、バンって押し出している作品ではない。
その、体験をさせるって、まあ、だからその、気づかさせるっていう作品なわけよ、感覚的には。
そういう作品ってどういうものなんだろうなっていう。 なんか、あれに近い気がするんだよね。その、なんか、ゲームとかやっててさ、
よくあるけどさ、ゲームでも。 なんか、ゲームのプレイヤーとしてやってたのに、なんか、プレイヤーに語りかけてくるみたいな。
ああ、メタ的に、本当は、なんか、例えば、主人公に対して、なんか、主人公と、例えば、ボスのやりとりだったのに、ボスが、こっちのプレイヤー側に、メタ的に、こう、話しかけてくるような演出みたいな、そういうこと?
みたいな、こう、気味の悪さというか、背筋がゾワってするような感じの体験ができる作品だったね。
今、かなり、なんか、その、本編見なくても聞けるような、あの、表面的な話しかしていないんだけど、ちょっと、ちょっと食い込んでいこうかなと思っていて。
この作品が訴えているのは、その、知ってるのか知らないかっていうところよりも、なんか、その先の、なんか、その、関心を向けるか向けないかっていうところだなって思ったんだけど。
結局さ、今回の作品って、その、いわゆる、当時のアウシュビッツっていうもの自体を題材にはしているけど、そこが本質ではないんだよね、たぶん。その、この作品が、その、提起しているものって。
結局、これが、その、アウシュビッツで起こったことって、悲惨なように見て話じゃなくて、なんでこれが普通に行われてしまったのかってものに対しての、こう、投げかけの作品に近いものだと思っていて。
それが、その、まさに無関心、関心。人はその認知をするものによって、意外にも残虐性を出してしまうし、暴力的にもなってしまう。
だから、何かを、こう、何かに対して暴力的なことをしてしまうとか、残虐なことを行ってしまうのは、それをやっている当人がそういう気持ちを持っているからではない。
みんながそれに対して、むしろ意思を持ってないからそうなってしまうみたいなことの方が起こり得るんだろうなっていうのを、こう、言っているような作品に関してだけどね。
ある種、それはさ、まあ、もちろんアウシュビスツに対してっていう特許法よりも、現代の私たちに対して、なんか、例えばだけど、いろいろ街頭でその、UNHCRとか国境なし議士団とか、いろんな人が募金をお願いしていたり、献血とか骨髄ドナーとか、いろいろなことを、こう、協力してくださいっていうふうに誰かがSOSっていうかお願いをしている。
06:14
で、テレビではイスラエルとかガザーとかウクライナとかロシアとか、なんかそういうニュースが流れている。
なんか個人的にはさ、それに対してさ、なんか、気づいてしまうと、こう、辛いというか、ここに目を向けてしまうと自分自身が辛くなってくる。自分のその小さな力ではどうしようもないから。
だから、なんか、こう、あえて心をそれに対して閉ざす、情報をシャットダウンするみたいな動きを自分がこう、取ってしまっている気がしていて、なんかそういう人に対してもあるし、警鐘を鳴らしているような、そんなメッセージ性があるのかなっていうふうにも取ったんだよね。
あー、そうだと思う。ある意味で言うと、これを映画館に見に行っている自分たち自体も、こう、お前たちダメだぞって言われているような感覚にさえなる。こんなの映画館に見に来て、ヘラヘラして見てんじゃねえよって言われているような感覚になるよね。
それは、アウシュビッツがとても最たる例だったのかもしれないね。なんか、人々にとってはさ、そのアウシュビッツのその大虐殺って、もうすごく有名で、誰から、現代の誰から見てもこんな虐殺を行われるはずがないって思ったわけじゃない?でも、実際に行われているし、それって別に人ら一人がやったことじゃなかった。人々が先導して、実際に手を下した人たちがいて、それを指揮した人たちがいた。
っていうところが、やっぱ一番いい題材として選ばれて。で、やっぱり自分が結構残ってるシーンは、あの博物館だよね。現在の博物館が出てきたところに、やっぱこう、頭をぶん殴られたような。
私、4年前、コロナ禍でアウシュビッツのオンラインツアーをやっていて、それでオンラインツアーに参加したことがあったから、あの景色を見たことがあって。だから、扉が開いた瞬間に、わ、私はこの景色を知ってるって思って。
もちろん、行った人にはかなわないんだけど、でもここが何なのか、ここが何の部屋なのかっていうのはわかってたから、なんかすごく怖かったね。自分にとっては怖いし、なんでこの人たちこんなに黙々と清掃ができるんだろうって思って。
これも、ある種無関心だし、ある種慣れだし、どうしてこの仕事を選ぼうと思うんだろうなーとか、いろんなことを考えるっていう。
09:03
なるほどね。結局そこは僕たちも体験させられたよね、この作品で。最初はさ、やっぱりさ、外から聞こえてくるさ、ちょっとした悲鳴とかさ、銃声とかさ、そういうものがすごい耳にこぼれつくじゃん最初、違和感として。
だけどさ、それがずっと流れてるんだよね。だからさ、ずっと流れてるから聞こえてるのはわかるんだけど、やっぱ物語のどっちかって、最初は僕、それで言うと全然話が入ってこなかったの。話してストーリー進んでいくわけじゃん。それよりも音の方が気になっちゃって、全然話入ってこなかったんだけど、途中から普通に話に集中してたんだよね。
ってことはさ、そっちの音にやっぱりその無関心になってってるわけじゃない。ずっと流れているしさ、実際その瞬間瞬間作品の中で人が死んでいってるのに、そっちよりも物語の方に集中していってしまっているってことに、途中で気づいてゾワってした。で、そこに気づいたのはあれだな、その音楽、ピアノで弾くシーンあるじゃない。
なんかあそこまでもずっとその堀の、塀の外側には、あっち側にはユダヤ人がどんどん虐殺されてるっていうのはわかってるつもりはいたんだけど、でもそこがさ、こう抽象化されちゃってるというかさ、その言葉でしか認識できなくなっている中で、一人の人が書いた歌がこう歌詞が流れてさ、それを弾いている人がいる。
調べてみるとあの服も実際その、当時のそのヘスケが出てきた服だった。多分あのピアノもそうなんじゃないかな。多分現物だと思うんだけど。
あ、弾いてたピアノもそれを弾いてた女性の服も。そうそうそうそう。当時の。うん。
で、なった瞬間にさ、やっぱその、本当にリアルにその先、その作品の中では殺されてるなっていうのはなんとなく認識してたけど、実際殺されてた人が80年前ぐらいにいて、その中で書いたものが、だからそこにいた100万人とか数百万人の人たち。
やっぱ丸めちゃうとそのぐらいでっかい数だなーでしか思わないけど、一人一人ちゃんと人っていうのがいて、その中の一人が歌を書いて、それが作中で弾かれてっていうところで僕は泣いちゃった。うん。
あれもう歌詞が字幕だけなんだよね。うん。それが、こう歌えないっていう、あそこあの場所で歌ってはいけない、ばれてはいけないっていうところがもう、うん。泣いちゃった。うん。
だからなんかその瞬間にさ、その、今までは概念として理解してた数百万人が虐殺されていたっていうものが、なんかすごい急に手触り感を持って襲いかかってきたんだよね。
それがすごい印象的だったし、心が揺さぶられたシーンだったな、一番。
なんか知ってれば知ってるほど恐ろしいと思う映画なんじゃないかな、あれ。
12:02
そうだね。だしさ、その虐殺されたっていうこと自体を日本人は教科書とかで学ぶけどさ、やっぱり、だし、資料館とかももちろんアウシュビッツとかっていう場所は今も残っていて、行くことはできるわけだけどさ、どれだけそれがシステマチックに行われていたかとか、
その外側の、それを虐殺が行われてたっていうのは知ってたけど、そういうことをやっている周りの人たちっていうものがどういう組織でどういうこう仕組みで回っていたのかっていうのを全然知ることができなかったからさ、なんかすごいシステマチックにやってるじゃない。
いろんな会社がさ、新しいその焼却の手法を提案してきてさ、プレゼントしてきて。
で、それを購入してみたいな。で、予算をどうしようみたいな。本当に今のさ、ビジネスとやってることと結構似てるんだよね。その題材が虐殺っていうだけで。
普通に会社員だったね。なんか昇進もそうだし、なんかミーティングもそうだし。
そうそうそうそう。血は喧嘩もそうだし、子供との接し方とかもそうなんだけど。なんかその、ジェノサイドっていうものがやっぱその狂気の中で行われていると思ったけど、みんながその、要はおかしくなっちゃっている状態でそういうのが行われているから、もっとこう、
行動向けな形で行われている感じだと思ってたんだけど、いろんなものがその場その場で。それがすごいシステマチックに、なんか生産的に、計画的にやられているのが、なんだろうね。
怖いね。僕たちの会社のミッションはユダヤ人を絶滅させることですみたいな。
そうそうそうそう。だからなんかそれを、僕自身も初めて知ったし、それを今まで知らなかったのも、やっぱり良くない。良くないというか、やっぱそれ自体もちょっと恥ずかしいことだなと思ったし。
これさ、そう、オッペンハイマーの時にも話したけど、これ、本人たち、要はユダヤ人の人とか、ドイツ、ポーランドの人たちが見た時に、どう思うんだろうっていうのはすごい気になった。
うん。あれ実際にポーランドで撮影してるしね。すごいよ。なんかかなり監督もその、ね、現場の視察とか、いろんなところのリサーチに時間かけてるみたいだったし。
あと、話をしたかったのが、ある種残虐性みたいなものなんだけど、そのさ、ヘスの奥さんいるじゃん。ヘスの奥さんってすごくアウシュビッツの隣が大好きだし、大好きだと思ってるし、かつ結構なんかそう暴力性があるじゃない。暴力性というか暴言だけど。
なんか、あなたもなんか焼いてやるからみたいな。焼いて巻いてやるから、灰をみたいな。なんか、その暴力性と、と、ヘス自身。そのヘス自身の、なんか最後のさ、ほうにさ、こうセレモニーがあった時に、この人たちをどうやって毒ガスで殺すか考えてたんだけど、みたいなこと言うじゃん。
15:08
なんか、その辺のなんか毎日さ加減をちょっと考えたくて。なんかヘスの奥さんは多分別に直接の手を下してないじゃん。例えば旦那さんの靴に血がついてるみたいなところすらも見なくて済んでるような感じじゃない。
たまになんか肺とか、要素要素は見るけど、実際のその痛ましいところっていうのはほとんど実際には見てないし、手も下してないからこそ、なんかあの、なんだろう、平気でいろんなものをもらっちゃったり、使っちゃったりっていうことができるのかなって思ったんだけど、
実際にきっと手を下してきた、そのルドルフ・ヘス自身は、なんかどんな気持ちでそのやってたのかなっていうことを考えてて。
なんだろうね。なんかさ、それって、なんか今のさ、その戦争とかも近しいかもしれないけどさ、その、これをやるっていうこと自体はもう、こう、おかみから決まっている状態。で、それを自分がやるのが仕事だってなってしまったときに、そこをやっぱ麻痺ってしまう、麻痺っていってしまうみたいなのは、どんな仕事であれ起こりそうな気がする。
で、要は、その麻痺がどのレベルの仕事までで起こるのかっていう話だと思っていて、結論から言うと、この作品の通り、人は、おかみから来たものを仕事って認識すれば、虐殺まで行われてしまうっていうだけなんじゃないかとは思った。
要はだって今もさ、その、戦争とかもそうだし、だったら今もさ、こう、何かをあやめたりする仕事とかっていうのは普通にあったりするわけじゃない。
それはまあ仕事として存在していて、それをやってる人たちがいて、そういう人たちがみんなこう、いろいろ、まあもちろんね、いると思うけど、財布か持ちながらやってるかっていうと、やっぱそうではないと思うんだよね。
やっぱある程度割り切ってやってる人の方が多いと思っていて、その割り切れちゃう、人間っていうのは結構どこまででも割り切れちゃうっていう、そういうことなんじゃないかって気がした。
で、その奥さんの方はまさにその、やっぱり知らないっていうことと、想像力の欠如っていう、要はあんまり悟くない人なんだろうねって思った。
そんな風には描かれてるよね。でもそのサンドラヒュラーの開演っぷりというか、さすが、まあさすがだなっていう感じがする。
一気にまあそのアカデミー賞とかもう賞レースに踊り出てきた女優だけあるなっていう。
うん、すごかったね。
だってあれでしょ、多分殺せば殺そうっていうか目標を常に達成してきたって言って昇進してるぐらいだから、
18:02
殺せば殺すほど目標達成すればするほど多分プロモーションするよね。
うん、していくと思うし、多分そのルドルフにとってはそれでしかないものだと思う。
じゃあある種職業病みたいなことをそのガス、ここをガス室に例えてしまうのは。
ああそうなんじゃない。まさにそうだと思う。
同じくらいのぎゅうぎゅう具合だなあとか思って、実際にはもうちょっとぎゅうぎゅうだったと思うけど、ちょっとじゃあどうやったら殺せるかなみたいな。
当時の人々全体がそのおかしかったからね。
そうだね。あのね、お母さん、途中で帰っちゃった。
まさにサイタルって感じだったよね。もともと使えている、掃除しに行っているお家のユダヤの人がみたいな。
入って行っちゃってみたいな。何考えてたかわかったもんじゃないわみたいな。
普通に読書会してたみたいな感じなのに。
でもいざ来てみてさ、夜を迎えて黒煙を見てさ、帰っちゃうんだと思う。
恐ろしいよね。もうあれじゃない?一回みんなあそこ住んだらいいんじゃない?じゃあ。
なんかでもヘスの奥さんは、ちょっと話変わっちゃうけど、ヘスの奥さんは知らないからこそ、知らないっていうかある種全然全く無関心だからこそ、
ここに来ればめっちゃコスパいいじゃん!くらいに思ってるよね。すごい良いコート無料で手に入るし、お洋服だって別に無料で中古だけれども手に入るし、
なんかいい暮らしできるし、人の人を好きなくらい好きなだけ使えるし、いい暮らしができるくらいにしか思ってなかった。
思ってないと思うなぁ。
果たして子供の方はどうなるんだろうね。
子供もどこかのタイミングで多分、知るは知ることになると思うね。あの銃声は何だと。あの悲鳴は何だと。
で、例えばさ、下から2番目の子とかもさ、男の子とかもさ、多分何が起きてる?脱走しようとしたとか、喧嘩が起きたとかはさ、ある程度わかってるからさ、
そこからどういう子供になるのかなって。
あとお兄ちゃんも、何見てんの歯だよって言ってさ、結構な量の銀歯とかブリッジとかを見てるわけじゃん。
どっから手に入れてくるのか怖いね。
怖いね。確かね、まだ存命の人がいるんだよね。
21:02
その人にインタビューしてた?
してたはず。
ほんと。
今90歳とか。
そうだよね。これかな、2015年の記事あるよ。
あ、そうかもね。
インキーブリキッドさんって言ったよね。
うん。
まあ明確にはわからなかったものの、当時のことを理解できる年齢だったって。
うん。
えー。子供たちにはなるべく知られないようにしてたんだね。
まあそりゃそうだよね。
本当はたぶんあそこでヘスは育てたくなかったんじゃない?
うん、だと思う。
奥さんが痛く気に入っていた。
なんかあの場所、アウシュビッツの隣っていうところの破壊力がすごすぎて、
なんか、それを関心を向けてしまう人は耐えられずに去るし、
まあある人はそうやって去るし、ある人は何か力になろうと思って危険を犯すんだよね。
それは出てきた、すごい象徴的なっていうか、サーモカメラみたいな感じの出てきた女性、女性というか少女。
うん。
なんかそのせいで争いが起きたりするのもちょっと悲しかったなあ。
そうだね。怒ってたね。リンゴの取り合いでみたいな。
そんなところですかね。他ありますか?
そんなところですかね。
いやなんかね、話してもね、話しきれてない感はすごいあるんだよね。
そうなの。何か話してやらねえわって思うんだけど。
いやでも怖いよな、アウシュビッツ本当に行ってみたいと思う。
行ってみたいね。
あとトゥールスレン。
トゥールスレン?
カンボジア。
ああ、カンボジアね。そうだね。
カンボジアだったらどんな映画になったんだろうってちょっと思ったりした。
もちろんカンボジアはアウシュビッツほど認知度が高くないんだけど、
やっぱりそれでもなんか殺された人たちがずっと拷問を受けていて、
で殺されるってわかったときにはなんか安堵で笑いながら死んでったっていうくらいの場所なのねあそこは。
うん。
トゥールスレンとかキリンフィールドとか。そこはちょっと行きたいんです。
行きたいね。
ポルポトもあるし、そういうことだよね。同じだよね。
一緒だと思う。
ポルポトは最終的に洗脳が解けて悔やんでるからね。
うん。なんかこう全然スッキリしない作品ではあるね。
なんかこう話しても話しきれない感あるし、やっぱりなんか自分たちに対してこう作品を通して何かを伝えてくるっていうかなんかダイレクトに伝えてくる感じがするから、
なんかこう見たときの消費するエネルギーも大きいし、
24:07
なんかなかなかこういう感じで煮干した感じのことしか言えないんだけど。
見てもらいたいね。
関連の作品っていうかさ、例えばさ、そのユダオヤ人関連で、ライフ・イズ・ビューティフルとか、アウシュ・ビッツの夜と霧とか、
なんかそういうのを見たいなーって思ったりしたし、あとは、ちょっと思い出した映画で言うとジョジョ・ラビットっていう、これはアメリカ人の監督が撮っているドイツの映画なんだけど、
なんか子供がナチスに一回染まっちゃうんだけど、でもなんか本当に良いことって何かなーみたいなのを考え直していくっていう子供の成長系の映画で、
結構コメディタッチ、タイカワイ・ティッティ監督ってコメディが強い監督なので、なんだけど、この作品を結構思い出しながら、なんか子供のその柔軟性を信じたいなーって思っちゃった。
あー、なるほどね。
知ったとしても、もっと上手く立ち回れるようになってほしいなーって、で、ジョジョ・ラビットをちょっと思い出していたっていう感じ。
ちょっとね、ドキュメンタリーとかいろいろ見てもいいかなーって思った。
最近見たのがその戦場のピアニストとか、戦場のピアニストもユダヤ人なんだけど、アーシュ・ビッツの話ではなくて、アーシュ・ビッツとか、まあ強制収束とかを逃れ続けた男性の話だから。
うん。
いろんなことに関心を持たなきゃね。
うーん、それがどこまで正解なのかは私には果たしてわかりませんが。
僕は持たなきゃなって思った。
あー、なるほどね。
うん。
まあちょっと心が重たくならない程度に。
うん。
アルシュ、ここの締めそうなところで言う話でもないんだけど、
うん。
哀れなる者たちもそんな感じかなって思ったの。
うん。
哀れなる者たちのアレクサンドリアのシーンも気づくじゃない。
うん。
飢えて苦しんでる人たちに気づく。
けど、自分には何もできないと知る、あの、ある種の絶望感みたいな。
うん。
すごい大泣きするベラみたいな。
うん。
その気持ちだった。心はもう大泣きしてた。
うん。
だって何もできないし。
うん。
っていう。
ただなんかその苦しさはある意味で、
なんかこう、味わうべき苦しさな可能性あるなと思ったね。
この作品を通して。
うん。
要はそれを避け続けた結果の究極形がホロコーストみたいなものなわけだから、
みんな出てくる人たちはみんな愛も持っているし、常識も持っている。
うん。
ただ、そこに関心がないだけ。
家族に対しての関心はあるから、家族のちっちゃい悩みとか争いにはちゃんと向き合う。
27:04
普通に不倫もすれば、お金も大好きみたいな。
精神のことばかり気にしてるみたいな。
本当に等身大なんだよね。
うん。
普通の人、どこまで行っても。
その人たちが、ただ1ミリでも自分たちがやってる方向に、
ちょっとだけでもみんなが関心を向けることさえできたら、
起これなかったことかもしれないんだよね、今回のって。
っていうのを考えると、やっぱまずそういうところに対して、
関心を本当に1ミリでも一瞬でもいいから、
みんなが持ち続けるっていうことで、次の予防はできるのかもなって思ったっていう。
うん。
そうだね。
学びになった。
そうだね。
そして凹んだ。
なんか最近見た作品の中で一番、見ているのが恥ずかしくなる。
なんかその、ある意味で見ているのが恥ずかしくなるんだよね。
見ていて恥ずかしくなるというか、なんて言うんだろうね。
不思議な作品でした。
はい。
はい。
ということで。
また来週お会いしましょう。
また来週。
また来週。