00:02
たねと くらす
始まりました。
はい、始まりました。
第11回
うすい
雨、水と書いてうすい
2月18日
うすいの日ですね。
うすいの日ってのは、どういう日なの?
うすいっていうのは、文字の通り、雨が降るころっていうことですね。
え、でも、だって冬場でしょ。
うん、なんか春の日にも、おいしく乾燥してるんだけれど、
そろそろ春の始まりということで、かなりこう、すごいね、突風が吹いたりしてますけど、
まあ、ふつうは雪が雨に変わるころ、水がうるおってくるころっていう意味だそうですよ。
なるほどね。
まあ、今日なんか雨ってなくて雪予報か。
ね、雪がだいぶ舞い落ちてます。
なんか寒波がまたやってきてる。
暑い、寒い、暑い、寒い。
今年はちょっとわけがわからない冬。
混同されてますね。
でもまあ、小読みではそういう風に雨、じゃあ雪が雨に変わる。
そういう春に近づく日。
そしてまあ、そろそろちょっと冬眠明けの人間はね、
そろそろ畑農耕の準備を始める頃ですよっていう頃でもありますね。
湿り気が出てきてね。
あ、そうか。
っていう感じなんですけど、どうですか?お庭はどうですか?
んー、起きづらい。
お庭じゃなくて、これがっていう感じだけど。
朝本当に起きづらい。
写真がそうですね。
春眠ってわけでもないね。
寒いとな、暗いとなっていう、寒い、暗いっていうのは。
でもだいぶ明るくなってきたんだよな。
最近だって真っ暗闇に出てくること全然ないよね。
まあちょっとこう、日は上がってきつつあるけど。
明るいって感じ。
え、そんなことないよ。何言ってんねん。
何を言ってるんですか。
お庭はどんな感じなんですか?それで。
お庭?
見どころ。
まあ、今この部屋にもあるけど、やっぱり梅の花?
はい。
こう、春の訪れっていう感じがする梅の花の話をちょっとしようかなと今回思ってて。
いいですね。梅の花。今ちょうどお部屋にあるのは白梅ですね。
白い梅ちゃんですね。
03:01
白かがかな?白かが。
白かが。石川県。
そうそう。の種類?
花が繁殖の時に作られたと言われている。
梅ってのはね、なんかその3種類ぐらいある。
野梅系、紅梅系、文語系。
まあこういうちょっと専門的なことってのはね、ちょっと僕はよくわかってない。
だいぶドラマをされたけど。
とにかく色の種類が3種類ぐらい大きく分けて。
まあこういうことはあれやな。
三浦豊くんとかに聞いて話してもらうみたいなところがいいかもしれないけど。
ちょっと僕はわかりません。
置いといての。
だいたいわかるけどわかりません。
まあやっぱりこう古くから日本人に親しまれている花の木かなと思ったけども。
なんか原産は一応中国。
でも奈良時代にはすでに日本に入ってきた。
日本の都市を運んできたんじゃないかとかね。
弥生時代に入ってきたんじゃないかとかっていう色んな説はあるんだけども。
有名なところでは万葉集にはもう梅の花の話ってのがたくさん歌がある。
で、その中でも今の年号、令和。
令和ってのは万葉集の梅の木の歌。
そうそう梅の木の歌。大友の旅人の歌から取られたと言われてる。
それだけこう日本人にすごく昔から親しまれてる。
そんなまあ梅の木なんですけどね。
全国各地やっぱり梅をめでる梅林っていうのはね。
結構名所としてよく作られたり。
もちろん庭木としてもポピュラーに植えられてたりもする。
結構梅の木を好きな人ってたくさんいたり。
梅の実も採れるから梅干しを作れるとかね。
そういう果樹としての役割とか。
色んな役割があるんだけど。
梅の木っていうのは毎年毎年結構、何ていうかな。
枝葉を伸ばすっていうか。
枝がすごく成長力があるのか。
すぐ新しい枝を伸ばしてくるっていうか。すぐ込み合ったりとかする。
なんかほらことわざで桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿っていうのがあると思うんだけど。
あれとかまさにそういう風な言葉っていうか表現をしてて。
桜ってのは切り方とか切った後の処理とかをきちっとしないとちょっと腐りやすいっていうような弱い木。
06:05
逆に梅の木っていうのをしっかり切ってあげないと、
こみ合って花付きが悪くなるとか。
なんかそういう木とかでね。
だから仕事とかもよく梅の木を切ったりとかしたときに、
昔かな、いっぺんうちの先生とかに言われたのが、
梅を切ってて、
おいと、香林梅見たことあんのか?って言われて。
香林梅。
香林梅っていうのは、
江戸の絵師、尾形香林の紅白梅図っていう屏風絵があるんだけど、
その絵っていうのが、
金箔の下地に対して、
中央に水流が流れている。
湯田川流れ渦巻いているような黒い川。
その両サイドに、
確かこう左側に白梅いて、
で右側に紅梅、赤、白と赤っていう。
その枝振りを、
ちゃんと表現できてんのかって。
木を切るときに、梅の木切るときにっていう。
そんな知ってるだけじゃあかん。
ちゃんと真似してやれよっていう風に言われたことがあって。
その木を切ることです。
もちろん自然の形状っていうかさ、
自然を手本にする場合もあるんだけど、
そういう日本画、
昔からあるような、
例えば屏風絵とか、
そういう屏風とか、
ふすま絵とかによく描かれている松の木とか梅の木とか、
そういうものっていうのは、
すごくお手本になる。
そういう風に考え方があって、
しっかりちゃんと真似して勉強しろよみたいなことを言われたことがあるんだけど。
はい。
その頃は庭師の人たちが手入れしてたのかな?
してたんじゃない?多分ね。
で、それをさらにすごい絵師たちが描いてた。
だから当時の、言ったら木の形状っていうのを、
その人たちが写してるわけやと思う。
その当時から木の剪定というかさ、
手入れをしてる人がいるんじゃないかと思う。
平安時代からすでに増援というかね、
庭師っていう仕事があったわけ。
木を手入れをきちっとしてたかどうかってのはわからないけど。
09:00
でも多分江戸時代の時にはすでに確立されてたんじゃないかなと。
なるほど。
だから当時の状況を描いてる絵師たちの絵っていうのは、
今現代でもすごく役に立つんじゃないかってね。
すごくやっぱり整った形っていうか、
雰囲気のある形を仕立ててるっていう点で。
なるほど。
その点でね、梅の木っていうのは確かにこう、
優美な感じ、みやびな感じっていうのを表現する、
庭の一つの要素かなっていうのがとてもある。
そうですね。
ありがとうございます。
で、今日の種。
今日の種、そうですね。
今日はこれです。
じゃじゃん。
じゃがいも?
じゃがいも。
じゃがいもも種ですね。
種芋って言うんですけど、
今ちょうど梅の話をおっちゃんがしてくれてんけど、
小読みでの本によると、
梅の花が咲いたらじゃがいもを植えなさいっていうのがありまして、
でも2月、3月っていうのがこのじゃがいもの、種芋を植えるのに良い時期なんですよね。
どうして?
じゃがいもっていうのは原産が南米アンデスっていう風に言われてるんですけれども、
そこのちょうど気候と似た条件になるかもしれないですね。
たぶん、寒い時期に入れておいて、暖かくなって芽を出してっていうのがちょうど時期的にのか、じゃがいもにとってはね。
だから割とまだ葉物の野菜とかを種をまくにはちょっと早いっていうか、
まいといっても別にね、自分で種は出てくるんだけれど、
それぞれ適期っていうのはやっぱりあって、何月にまきましょうっていうのは、
それぞれ種の袋とかにも書いてあるものなんだけど、
じゃがいもっていうのは割とそういうのに先駆けて、
春一番に植えるっていうことが多いですね。
これ、まるまるじゃがいもなんだけど、これは何?まるまるじゃがいもをそのまま土に入れるってこと?
両方あって、ちょっと小さめのものだったら、そのまま植えることもあるし、
こぶし大ぐらいあるものだったら、ほっとくと芽がいっぱい出てくるよね。
12:01
あのくぼみのところから、この今手元にあるやつも芽が出始めてるんだけど、いくつもあるじゃない。
食べたら毒っていうやつ?
そうそう、食べるときにはここを取り除いて食べるんだけど、
もうあんなにほっといたらね、結構どんどん今出てきちゃうので、ちょうどやっぱり植え時なんだよね。
確かにね。
なので、小串大ぐらいのやつだったらもう半分に切って、
で、わりとじゃがいもってウイルスとかに弱いと言われているので、
せっかい、消毒用にっていう意味で切り口にせっかいとかをつけて、
なんか灰つけてたりとかしてる人もいたよね。
そうそう、ソンモクバイね。
昔はずっとみんな巻きとかで余った灰をつけてたんだけど、
今はわりとそういうの、お母さんとかはせっかいとかをね、
種芋を巻く前に土の中にも入れておくし、
種芋を植えるときには切り口にせっかいをつけておくっていう風にやったりしてます。
ちょうどその種のじゃがいもを植える時期ですよっていうのが、
梅の花を目印にしてるのが面白いなと思って紹介してみました。
ちなみにこれは収穫はいつぐらいになるのかな?
収穫はそうですね、今どき植えると6月、7月とかかなっていう感じですね。
それはまた手入れみたいなのが必要なの?
何かこう、土を寄せるみたいなこと言ってたけども。
そうだね、土寄せをしたりするね。
だから芽が出てくると。
いつっていうのは、じゃがいもの成長によるのかもしれないけど。
芽が出てきてからってこと?
芽が出てきて少し大きくなってきたところでまた土寄せをして、
栄養分と空気とかを入れてあげるっていう感じかな。
それでもほったらかし?水やったりとかするくらいの?
えっとね、私はじゃがいもはほとんど水をやったことはないんだけれど。
あ、そう。じゃあほとんどもうそのまんま。
じゃがいも、さつまいもとこもそうなんだけど、
結構手間のかからないって言われてるやつなんですけど、
私は結構じゃがいも下手くそなので、あんまり毎年たくさんできないんですよね。
だからもうちょっと工夫が必要なんだと思うんだけど。
あ、そっか。
結構寒暖の差が大きい、乾いたところでよく育つかなっていうイメージなんだけど、
なんか良い栽培方法とかね、すごいじゃがいもよくできるよっていう人がいたら
コツを教えてもらえたらなと思ったりしてます。
15:01
なるほど。
ちょっとこの間、玉ねぎの質問をうっちゃんがしてくれて、
玉ねぎは根菜なの?って聞かれたんですけど、
ちょっと調べてみたところ、やっぱ根っこではないんだよね、あれは。
あ、そうなのね。
根菜っていうのはやっぱり土の中にある部分を食べますよってものを根菜って呼ぶんだけれど、
玉ねぎっていうのはやっぱり土の中というよりは植えで、あれは葉っぱの一部なんですって。
へー。
急根でもない?
急根でもなくて、葉っぱの一番下の部分、それをうろこの茎とか書いて、
輪茎とか葉茎って言ったりするらしいんだけど、そこの葉っぱの一部、
葉っぱも食べるよね、ちょっと上のところ、
あんまりスーパーとかでは玉ねぎの上の部分ってもう切っちゃってて見えないと思うんだけど、
青々としてる時はネギみたいなだし、それを食べることもあるんだけど、
もう乾かしちゃう玉ねぎっていうのは上の部分はもう枯れてきちゃうので、
その下の葉っぱの肥大化した部分っていうのをみんな食べるっていう風にしてるということでした。
じゃあ言ったら、白ネギ?
白ネギの途中が膨らんでるみたいなこと?
うん、そうだね、そんな感じ。
ということでしたね。
ネギとか玉ねぎはもうほぼ同じ。
今回はイベントに陽ちゃん出演してもらった話をちょっと、話?
対談の模様っていうのを収録してもらったので、
それちょっと流そうかなと思ってるんですけども、
どんな内容かな?
お友達で洋服を作っているボタニックグリーンさんというお二人ですね。
実はももの家、この種とグラスのポッドキャストでも何回も話に出ている
大阪のスイタのコミュニティスペースのうちなんですけど、
そこの創立者というか始めた福本理恵さん、
その旦那さんであるお洋服、草木染めのお洋服を作っている福本拓哉さんというお二人が企画した
風の時代のコミュニティやろ?
そうです。時空を越える座談会。
18:01
そういうサブタイトルもあったんですね。
そういうイベントに、なんかちょっとお話ししてほしいって言われて、
私でいいならって言って行ってきました。
結構毎年年に1回イベントしてるんでしょ?確か。
そうなんですよ。旧暦の新年に合わせてもものの家にいつも来て、
お洋服の展示会と、それからいろんなトーク、イベントとかをやっている感じです。
年に1回の帰省みたいな感じで、ボタニック部員をやってくるって感じがするけどね。
本当はうっちゃんにも出てほしかったけど、ちょっと用事で来れなかったので、一人で行ってきました。
その模様を今回収録しましたので、
なかなかな内容です。
本当に詳しくはまたね、後で。
そうですね。ちょっと最初の方はやっぱり音声がね、乱れるところがあるんですけど、
ちょっと聞き苦しいかもしれないけどすいません。
たくさんの人が出てくるので、前半と後半に分けてお送りする予定なんですけど、聞いてみてください。
どうぞ。
風の時代のコミュニティ、時空を越える座談会の収録模様をこれからお送りしますが、
実はこの中でいろんな方が登場するので、簡単にその紹介をしておきます。
まずこの主催のボタニックグリーンさん、洋服屋さんですね。
この福本理恵さんと福本拓也さん。
そして司会をしてくれたのが桃の家の仲間で今堀洋子さん。
大学の先生でもいらっしゃいます。
それから福本理恵さんが最初にお話をされて、私種とクラスをやっている内田洋が出てきます。
その後大阪仲津で風紀工房という染めやワークショップをやっている富田孝文さんが登場してきます。
そして桃の家の初期の会員である杉村富子さんが玄海集落の暮らしの話をされます。
それからサラリーマンなんですっていう中川さんがお話をしてくれました。
ここまでをまとめて前半にお送りしています。
それから後半なんですが、今堀さんの大学の学生さんがお話しされたのと、
21:04
もう一度先ほどの風紀工房の富田さん。
そしてむすび食堂の近藤孝美さんが火を焚いてご飯を食べる話。
そして福島の震災の後、ずっとワークショップ、布造りを作るワークショップをされている久保田則子さん。
そして自分を生きるっていう話をしてくれたタメさん。
それからシャーマンのスータさん。
そして最後締めくくりが占い師のターさんがお話をしてくれています。
この他にも2時間の長いイベントの中でたくさんの方いろんなお話ししてくれたんですが、
今回はその中からこの方たちのお話を抜粋してお送りします。
ではどうぞ。
風の時代のコミュニティ、時間になりましたので始めさせていただきます。
聞こえますか、Zoomの方々も。
はい、聞こえます。
OK。
ありがとうございます。
まずリエスさん。
はい。
思いを話していただいて。
はい。
皆さんこんにちは。
こんにちは。
桃の家は簡単に説明すると、1996年に震災後1年経って、
いろんな御縁でこの地に見つけた家がちょっと家賃が高くて売れなかったみたいな歴史もあったんですけど、
1996年に始まって今25年、当時の一番最初の家賃は24万円だったんです。
きっと私はパワーがあるから家賃なんか払えるようになるだろうって思ったんですけど、
なかなかそれは大変すぎて無理だったこともあったんだけど、
お金という計算のリズムではない何かが働いて、
1年持てばいい、1年持てばいい、1年持てばいいっていうのが積み重なって、
実は私の13年、それから私が出た後、
坂ちゃんとか仲間たちが支援を引き継いでくれて、
それで今に至っています。
いつまでも続くかどうかは本当に分からないってずっと思いながら来てたんです。
その頃のことを知ってるタミちゃんとかも来てて、
もう涙出るなーとか言ってさっき言って、またちょっとね謝罰もらってる。
懐かしいね。
久しぶり、少年がちょっとおっちゃんになったね。
24:00
長い歴史を感じるよね。
でも続けてきたことで見えてくる世界や、
奇跡みたいなものを共有している確かさがあって、
ここに帰ってくると私はパワーが充電できるなっていうのがすごいありがたい。
今回のタイトルは豚肉グリーンをやっている男。
今カメラ。
どうしてこんなタイトルになったんでしょう?
トレンディー。
トレンディーだからね。
そんな感じで決まったんですよ。
でもこれがみんなピンピンって来たみたいで、
今回はこのイベントの中でいろいろなことがありましたけど、
もう帰っちゃったけどね。
先村さんという昔からの仲間がここをすごい使いたいって言って、
工事づくりから48時間で工事を作って、
その工事で味噌を作るというのが今朝からのイベントだったね。
60キロの味噌を作ったっていう。
最後のこのパワフル、工事菌あふれる場所で、
みんなの菌っていうか、人間菌が交流するという日になりそうです。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
早速ここしか決まってないんですけれども、
ここでゲストの方、話していただきたい方に相談いただいて、
あと皆さんでも話していただくみたいな。
そのトップバッターとして内田洋さんにお話をいただこうということで、
今話したいことを話すということで、
お願いいたします。内田洋さんです。
12時半くらいに来たのかな。
ランチを食べているうちにどんどん懐かしい顔とか、
懐かしい空気感に包まれてて、
実はさっきちょびっと呼ばれてた岡さやか君は、
私、出雲ですごい変わった女神サミットっていうイベントで出会ったんです。
その頃私八ヶ岳に住んでいて、
友達と一緒に行ってみようって言ったら、
さやか君とかその友達とかに会ったりして、
シャンドルナイトのイベントを大阪で一緒にやろうっていう計画を立ててて、
淀川で最初やろうと思ってたんですけど、
なんかピンとこないなって言ったら、
27:00
さやか君が面白い人いるよって言って、
面白い場所かもしれないけど、
場所って言ったのか一つじゃないか。
その場で電話したら、
今、福本理恵さんだったんですよ。
いいよーみたいな感じで、
トントン拍子に決まり、
ここでこの広間に、
なんか50人くらい暗闇の中で、
みんなが自分の足でもいいし、
好きな足でもいいんだけど、
それを持ち寄って発表する会みたいなのをやったのが、
モモの家を知ったきっかけだったんですよ。
それは2005年の夏かな?
夏だと思う。
スロービジネススクールで知り合った今堀さんが今ここにいたりとか、
洋さんに私は案内してもらって、
モモに来た。
私も忘れてるし、
鞘賀君も自分が私にここを紹介したことも忘れてて、
だけど繋がってて盛り上がっちゃってるみたいな、
この謎の時代に私たちいるよねと思って。
実はうちだけは、
旦那が植木をしてるんですけど、
彼が今年独立すると言っていまして、
10年間勤めた市町の元を離れて移住しようと決めてます。
それがこの春にどうも、
南山城村っていう京都の一番唯一の村らしいんですけど、
奈良とかの県境に移住しようと思ってて、
そこでもすごいいろんな人たちとの出会いがトントン拍子して、
誰が誰と知り合いで、
誰と情報を共有しているのかもわからないまま、
どんどん繋がっていくという、
面白い、不安もあるけど、
ワクワクっていうか面白い方が。
面白い方に行ったら大丈夫っていう話をさっき、
ランチの時にもみんな色々してて、
一番シンプルなところに来たなって思える、
そんなことを考えています。
という感じでいかがでしょうか。
ちなみに内川さんとももの家で出会った。
そうですよね。
そういうカップル何人かいると思う。
そうですね。
タカです。
大阪の中津という、
30:00
淀川の河口のあたりの古い商店街で、
風紀工房って工房をやってます。
作業所、味噌作りと草木染めをしてます。
そうですね。
さやか君に会ったのと、
りえさんに会ったの同じ日かな。
重曹のスペースYMOというところで、
僕が当時、2005年だと思うんですけど、
ホッピーの予言という映画とか、
アメリカで防衛省じゃなくて平和省を作ろうという動きがあって、
その動きを菊池さんと一緒に、
地域通貨のことをやったりとか、
してたんですけど、当時名古屋に住んでて。
で、大阪に行ったり、
ゆきちゃんという友達が、
重曹に呼ばれて、
僕は大阪のコミュニティのローカルの人たちに呼ばれたっていうのは、
軽く緊張してたんですけど、
どんなことになるんだろう。
そしたらすごい食いつくように、
コリスのように質問してくれるゆきちゃんさんが、
めちゃくちゃ印象的で、
え、それってどういうこと?
みたいな質問をすごいして。
で、その続きで、
MOMOの家で縁での遊言というお金についての映像の、
みんなで見てお話しする回とかをやってるうちに、
家賃の話とか、地域通貨の話とかを聞いてるうちに、
ほっとけなくなりみたいな。
じゃあ、お金について語ろうか。
いつの間にかMOMOの家で、
負担の方が大きいかもしれないから、
辞めてもいいかもよとか、
提案をまたしちゃったので、
辞めていくプロセスに。
で、ちゃんと縁を回せるようにしようと。
縁、お金をね。
やっぱり家賃は、
MOMOの家で払えないみたいなところがあるから、
みんなで本を作って、
MOMOの家についての本を作って、
それを売って、お金を作って、
それで友達のお金を貸すみたいなことを、
みんなでやったりしましたね。
で、いもちゃんのやってる大学の授業で、
その教科書としてMOMOの家の本が使われ、
400人くらいの学生が、
MOMOの家のようこちゃんのお話とかを読んでいるみたいな。
なんか相当面白いことになって。
そうだったか。
そうそう、そういうこと。
10年、2本ができたからね。
11年、12年、13年と4年間くらい、
授業で使ってもらって、
大学に話をしに行ったりもして。
そんなこともやりながら、
リエさんはリエさんで、
向こうに引っ越したはいいけど、
やっぱり、
人とつながるには、
お祭りとか共同作業かなと思って。
ボタニックグリーンオープンしたてのところに、
僕の友達めちゃくちゃ呼んで、
仕事やったり餅つきしたり。
僕が最近すごい思うのは、
33:00
原発事故の後に、
今すごい似た空気だなとかってことで、
コロナ禍ってなった後、
MOMOの家についてね、
思うんですよね。
原発事故の後に、
何が良かったかっていうと、
MOMOの家はいつも一緒だなみたいな。
ここだけは、
来るととりあえずお茶が出してもらえて、
なんかお腹減ってたら、
ご飯があるから、
誰か作ってくれることもあり、
だいたい投げ銭で、
洗い物はなんとなく。
やっぱり、
そういう当たり前のことが、
どんな企画よりも大事。
それが変わらないんだなっていうのは、
今年さらに感じたし、
ってことはやっぱり、
阪神淡路の震災の後も、
そういう場所だったんだろうな、
みたいなことを思うとね、
風の時代のコミュニティっていうのを、
先取りしていたんではないのかな、
みたいなね。
風が吹いても、
MOMOの家はMOMOの家として、
誰かがMOMOの家をやっている、
みたいな。
これから本当に何が起こるかわからないし、
何が起こるかわからないことが起きた時こそ、
MOMOの家が支えになっているってことは、
やっぱりこういうものを、
こういうエネルギーを、
みんなで大事にする時が、
さらに来たんだな、
みたいなことを、
思いましたね。
今も移住ブームだけど、
移住のね、
すごい京都のね、
山の中で、
ちょっと限界集落だよね。
そうですね。
限界超え集落。
たぶん、
小学生の娘ちゃん?
今ね、
今5年生なんです。
今度6年生で、
中学生が目の前で、
中学、
卒業もししたらね、
高校はみんな、
ちょっと離れたところに行かないといけないから、
そこから一人暮らしするのを見たり、
この子はどうするのかな、
っていうことが、
だんだんちょっと近づいてきたな、
っていう感じ。
今、小学校は、
学校全体で何人くらいですか?
全体でね、
たぶん30人弱ですね、
小学校だけで。
地域だけでは、
学校が存続していかないから、
ちょっと大津市っていう、
大津市の、京都なんですけど、
大津市の学校に行ってて、
敵地なので、
そういうことで、
大津市内から、
田舎の、
自然豊かなところの学校に、
少人数で、
そういう学校に行きたい、
っていうことを希望する子たちも、
親とかいて、
そういう子たちが、
外から来てるので、
学校は、
36:00
そういうことで成り立っています。
今は、
農業、
そうですね、
彼は、
木工業を、
なんとか、
頑張ってやるんですけど、
村のちょっとした仕事とか、
そういう声がかかったりとか、
細々と、
私は、
村の中にある、
お年寄りが来る福祉施設があるんですね。
そこで、
週2回ほど、
職員として働いて、
そんな感じで、
ここで、
家の周りにある畑とか、
農業をしたりとか、
お米も自給できてる?
自給までは、
行ってないんです。
農業は、
なりわいという形では、
ちょっとできてないです。
自給的な暮らしをするということで、
お米は、
半分か3分の2くらいかな、
自給できてるのはね。
村地なんで、
獣の食害が結構多くて、
鹿、イノシシ、
あとサルが出てきて、
なかなか手強いんですわ。
村のお祭りみたいなのが、
すごい印象的やって、
川の中に小さな石を積んだね、
お人形みたいなのを飾ってたよね。
すごい印象的だったわ。
川地蔵ですね。
お盆のご先祖を呼ぶための、
飾りというかですね、
お供え。
それぞれのお家が、
みんなやってたよね。
やってるお家と、
やりたいお家があるみたいですけど、
そこのお家は、
この場所でっていうのが決まってる感じ。
お家の近くというわけじゃなくて、
川原のあちこちに石が積んで、
美しかったよね。
綺麗だしね。
観光地から全然されてなくて、
地元のお祭りって、
それが大事だなって思いました。
39:02
ありがとう!
皆さんこんにちは。
知らない人間ですけども。
大阪高槻の中川と申します。
普段はサラリーマンみたいなものをやっています。
最近、
原発の話が出ました。
私の会社は、
発電所関係の会社です。
なので、
主に火力発電所に設備を設計、
製作して、
収めている会社をしています。
この世の中っていうのは、
何が常識かとか、
正しいかというのは分かりませんね、
という話があった時に、
私が仕事を始めた時に、
関西電力の大井の原子力発電所に
見学に行ったことがあります。
その時に、
原子力発電所っていうのは、
作る時にいろいろ、
地盤から気候から、
何か何まで研究をして、
そこに立っているので、
全然安全性には問題ありませんよ、
という説明を受けました。
その説明を受けた後に、
原子力の棒が入っているところにおいて、
きちっと何重にも、
安全掃除が働いているので、
全然問題ありませんよ、
という話を聞きました。
それからしばらくしての、
しばらく言っても、
福島原発、
僕が学生の時に、
チェルノブイリが起こって、
チェルノブイリとかの、
いろいろ問題点を、
今の日本の原子力発電所では、
網羅して、
解決しています。
その日からの、
福島原発の、
事故がありました。
なので、
今この世の中で、
いろいろと、
これが正しいですよとか、
こうしたらいいですよ、
本当に何が正しいかどうかというのは、
すごく疑問を持っています。
その中で、
サラリーマンみたいな、
仕事をしていますので、
会社の中で、
やっぱり、
仕事ができるという人は、
会社の決まりとか、
そういうものをきちっと守っていて、
人間の感情が少なく、
抑えて、
自分がコンピューターみたいな、
人間がやっぱり、
うまいこと仕事を行しているのは、
すごく感じます。
やはり、このモモの家とか、
家に来ている人というのは、
素直に、
自分の気持ちとかを思って、
生活している人が、
多いなというのを感じます。
自分もそういう方になりたいな、
と思うんですけれども、
42:01
また明日から仕事をすると、
また、
うまいこと言えないんですけど、
嫌な生活が始まってしまいますな、
というような感じで。
僕は今苦しいと思いながら、
実は楽しみにしているんですね。
そういう世の中で、
僕みたいな生活、
考え方で仕事をすると、
どうなるのかなというのを、
実は楽しみながらやっていて、
ストレスたまるところもあるんですけど、
というところです。