00:00
僕、今日東京に来て、今収録してるじゃないですか。
はい。
さっき僕、コンサルしてたんですけど、
一個、嫁からLINE入ってきて、
はい。
最悪っていうタイトルで。
うち、僕が住んでるところが、
小学校と中学校、別の学区の隣の学区に住んでて、
あ、はいはいはい。
その、下の息子の友達が、
健生は学区外に住んでるよっていうのを先生に言ったらしくて。
最悪っすね。
ほんで、先生から、なんか、京都とかに話が行って、
はい。
京都から電話がかかってきて、
はい。
事実確認をさせられたっていうのと、
はい。
で、それを知ったからには、それなりの措置をしないといけないから、
なんか、もしかすると転校かもね、みたいな話になったんですよ。
割と思うくらいですか?
まあ、転校しましょう。
ほんで、なんか一応その、小学校から発覚して、
うん。
中学校にその連絡を、京都から行きますみたいな。
で、後日教育委員会から、たぶん電話がかかってくるんで、みたいな。
クソだるくないですか?
そのチクったやつ誰ですか?
まあ、帰ったら干しますよ。
誰やねんって言って。
でもなんかその、学区外通学みたいな感じの申請をしてたんで。
でも、それはあれですよね。
その仕事の勤務地とのバランスを考えてそうなってるわけですよね。
そうです。
それも岸田政権は働く女性を応援してるんですかね?
そうですそうです。
なのにも関わらず、でもまあやっぱ違うんですよ、やっぱりその、
ルールはルール。
僕らのルールもそうですけど、管理職が思ってるのと、中学校とか現場じゃないですか、
会議があるんですよ。
現場で起きてんだよってことですね。
だから、そういう問い合わせがあって、ちょっとめちゃめちゃなんかめんどくせえなっていう。
重くないですか?ちょっとだって、内容的に。
いきなり学校転校とか微妙じゃないですか。
いやもう転校しましょう。
5年生で?
うん。だってもうなんか、やっぱ人生経験多い方がいい大人になりますから。
まあでも、引っ越してるっていうか、今僕のスタッフが住まわせてる家が僕の登録なんで、
そっちに住んでる体なんですよ。
そこで言ってました、平日は金山にいるけど土日だけ厚宅に住んでるよみたいな感じにしとけば。
あ、いけますよね。
いけるんじゃないのかなっていう。
それで今ちょっと子供がおかしくなったらどうするんだっていうのを、なんか言うわって言ってました。
まあ絶対おかしくならなさそうですけどね。
っていうね、ちょっともう、
今日はゲスト会なんでね。
僕のちょっと重い話ばっかりしてても微妙なんで。
そうですよ。そんなせっかくゲストを呼んでるのに。
そう、なんか重い話で始まるっていうのもちょっと嫌だったんですけど、
まあじいたかった。
それだけはちょっとシェアしたかったんですよ、電波で。
公共のね。
03:00
今回は僕らと同門って言うんですか?
同門です。
同門の出身の方で、杉村さんっていう方にゲストとして来ていただいてるので、
後々紹介をさせていただきますので行きますか。
行きましょう。
副業リビオーシチャンネル。
副業リビオーシチャンネルはリビオーシス経営だけにとらわれず、
リビオーシス経営以外のキャッシュポイントを作りたい経営者様に聞いていただきたい番組です。
改めましてうかいです。
はるです。
今回はですね、満を持してのゲスト会という。
はいはいはい。
満を持して。
杉村さんにちょっと来ていただいてますので、
これでもどういうきっかけでこれになったんでしたっけ?
僕が青森のFCの立ち上げをして、
グリーン車と指定席が空いてなくて、
仕方なくグランクラスに乗って帰って、
仕方なくグランクラスに乗って、
ちょっとグランクラスの仕組みが全然分かってなかったんで、
一応おビールが飲めるっていうのは、
大噂ではかねがね聞いてたんですけど、
なんか雰囲気的にちょっと飲み放題の雰囲気があるなということがあって、
そこで青森からその日東京で泊まる予定だったんで、
東京まで3時間?4時間?
3時間ぐらいですね。
3時間の間にビール4本飲ます。
飲み放題だから。せっかくだから。
で、確かストーリーズが何かで、
グランクラス初めて乗った前みたいな感じの時に、
杉村さんが、まあ杉村さん青森の方なので、
そこでやりとりしてて、
じゃあもうポッドキャスト撮りましょうよっていう話です。
で、今日なんですね。
で、今日です。
で、たまたま昨日僕が襟さんと、
次回予約のセミナーをしてたので、
そこの日程をちょっと調整してもらって、
せっかくならポッドキャストも撮ってご飯も食べましょうよみたいな。
だから実際どうですか?杉村さんと会うと。
年分。
あ、カラーさんはでしょ。
年はじゃないか。
カラーさんは。
あ、だからあの森岡の、
あ、はいはいはい。
鈴木さんのセミナーかなんかありましたよね。
ありましたありました。
僕はちょっと今も、
鈴木塾から戦力外通告出されてますから。
鈴木塾を脱してますね。
脱鈴木塾ですよね。
06:00
ではないけど、
ではないですよ。
ちょっとあの、
なんかあの、
原田さんは原田さんのことをやってらっしゃるので。
セミナーさんも一応その鈴木塾を卒業して、
何期でしたっけ?
8期です。
8期。
8期を卒業されて、
今は鈴木さんのところと認定講師ということで、
サポートでコンサルティングとかもされてると。
じゃあ、
自己紹介は自分で言うシステム。
なるほど。
じゃあいいですか。
いいですかすいません。
はい、はじめまして。
杉村と申します。
お願いします。
青森県の八戸市っていうところで、
リゾートというサロンをやっております。
もう何年されてるんですか?
えーと、トータルで言うと28年。
9年目になりますね、今年。
約30年。
そうですね。
お金様で。
すいません、今おいくつでしたっけ?
今50、こないだ57になりました。
57。
先日。
なるほど。
なるほど。
もともと青森で、
で、
働かれたのは?
そうですね。
若い時は東京で。
東京で言わしてたんですね。
はい。
言わしてました。
ました。
ましたか?
30年前の東京って言うと?
カリスマ前世?
カリスマ前世。
カリスマのもっと前です。
カリスマのもっと前ですね。
もっと前です。
もっと前の、
もう美容、
何だろう?
もうほんと、何て言うんすかね。
なんか、
ちょっと特殊な時代ですかね。
特殊な時代ですかね。
もうモード、
ああいうなんか、
もう幼児やマモトの前世みたいな。
そうですね。
あーなるほどなるほど。
もうそんな感じですね。
なんかちょっともう、
ミュージシャンか美容師かみたいな。
そうですね。
芸術家かみたいな。
あーなるほど。
もう言ってみれば、
何だろう、
もうある程度の、
逆に言えば地位みたいな、
美容師の地位みたいなのも、
すごく確立されてて。
あとはあれですよね。
基本的には、
僕、
杉村さんの世代とかだと、
特に多いと思うんですけど、
基本高校行かない人がなるっていう、
職業じゃないですか。
僕らの時っていうのは、
もっと前は。
もっと前は。
美容師さんは中卒の人が、
なってるっていうイメージが。
ちなみに。
学歴的には。
いやいやもう高卒で。
僕らよりもっと前が、
確かそのヤンキー、
高校行かないで、
土方に行くか、
あの住み込みで、
美容室に行って、
料理に行くかって感じですね。
そんなイメージはありましたよね。
僕らの時も、
男性美容師ってまだ全然少なかったですよね。
うん、そうですよね。
もう全然いなくて、
先輩方っていうか、
当時やってたピーカー部の川島さんとか、
ああいう感じの人たちが、
男性美容師の。
走り。
そうですね、走りであり代表で、
憧れみたいなのがあって。
09:00
ただ田舎の方って、
そういうの全然ないじゃないですか。
なんでそんなみたいな感じだったんですか。
美容師ええみたいな。
でも30年、
今年約30年じゃないですか。
57歳ってことは、
27歳ぐらいで独立してるんですか。
高校卒業ってことは、
19の年に上京してきて、
もうほんと6年、
7年ぐらい。
そうですね、10年近く。
8年ぐらい。
ちなみに、
お給料っていくらぐらいだったんですか。
その当時ですか。
11万5000円とか。
もうだって、
でっちぼうこうみたいな感じですよね。
10万いくらとか、
11万いくら。
で、家賃はいくらですか。
家賃は当時4万5000円とか。
みんなで住むんですか。
1人。
11万円だったら、あと7万円ぐらい。
そうですね、きついでしたよね。
UICとか買ったら。
買ったらとんでもないことになりますよね。
でも30年ぐらい前は、
今とそんな変わらないですよね。
値段的には。
ちょっと安いか。
UICとか。
全然安かったですよ。
倍ぐらいになってるじゃないですか。
僕らの頃、2000円ぐらいでしたよ。
あ、そうか。
今4500円くらいしますよ。
しかも質の全然良かったですよ。
昔は。
グラデーションとか綺麗に切れました。
今スカスカじゃないですか。
お菓子と一緒ですよね。
中は減らして、
価格は変わってない。
スッカスカじゃないですか。
でもだって、
有名なサロンですよね。
そうですね。
当時からも有名。
走りですよね。
青山行った時に、
ガラス張りで、
そこの代表的な人が、
これ言っちゃっていいですか。
いいですよ。
闇岡さんっていう。
オーナーさんですけど。
先ほども言いましたように、
幼児屋のことみたいな、
美容師がいっぱいいたんですよ。
ロングで、
侍ヘアみたいな。
幼児着て、
真っ黒で仕事してる姿がかっこよかったです。
なるほど。
なんかその、
修行を東京でされて、
青森で独立開業されるわけじゃないですか。
そのきっかけはあったんですか。
もともと帰る予定でした。
なるほど。
ご自宅が別に。
ではないです。
家の事情は事情で、
ちょっと早ばった感じではありました。
もうちょっといたかったけど、
家の事情で、
ちょっと早く帰らなきゃっていうので、
そんな感じでした。
でも、独立開業された時は、
結構順調だったんですか。
めっちゃ順調でした。
もう天下を取った勢い。
やっぱりこの、
立ち寄りを取った分。
東京の青山でやってた人が戻ってきて、
12:00
外戦って言うか。
そうですね。
もう、
飛ぶ鳥王みたいな感じの。
はいはいはい。
最初はもうお一人でスタートしてるんですか。
たまたま妹も、
同じ会社だったんですよ。
SHIMAっていう。
妹さんも。
妹もそうだったんです。
やってたので。
で、一緒に帰るかっていう感じで、
妹と。
あと地元でアシスタント2人くらい。
4人スタートくらいでやってました。
ガツガツ職人で。
ガツガツ職人です。
もう1日20人くらい切ってましたね。
はいはいはい。
20人くらい切って、
4人で。
妹も10何人切って、
担当して。
何人?
2人くらいとかやってたんじゃないですか。
単価はやっぱ安かったんですか。
でも当時は、
それでも地元。
地元では高い。
多分一番高かったと思うんですよ。
なるほど。
鈴木塾に
入られたのが、
何年前ですか。
4年、5年くらい前になるのかな。
5年くらい前。
それくらいになりますよね。
そこの入るに、
飛ぶ鳥を、
飛んだ鳥が飛ばなくなったんですよね。
全くもう、
飛ばないどころか、
生まれもしなかった。
ペンギンちゃんになっちゃった。
そうなんですよ。
緩やかに、
よくあるような感じで、
最初バーン行くじゃないですか。
横ばいになりながら、
ちょっとずつ加工していく。
そうですね。
気づかなかったんですよ。
気が落ちたら、
全然気づかない。
気づいたら落ちてきてる。
それはでも、
どういう感じなんですか。
単価とかメニューの問題なのか、
人が辞めたりとか、
スタイリストになったら、
よく独立しちゃう。
それは全部問題ありました。
人の問題、お金の問題、
単価、リピーター、
リピートの問題。
今考えれば。
今でこそ、
完全に思考を身につけられてるじゃないですか。
お金様では。
その時は、一切考えてなかった。
考えてないですね。
技術があれば、お客さん来るって信じてたんで。
じゃあもう、
独立会議をされて25年間ぐらいは、
昔ながらの、
上手ければ来る。
そうです。
親方が、
売り上げを上げまくって、
弟子に見て、
娘を背中で見る。
シャンプーなんてするもんかいって。
そうですね。
もうしないですね。
先生みたいなポジション。
そうですね。
それが正しい、
昔の、
長修齢とかまだなかったですか?
15:00
長修齢はビッチリやってました。
ビッチリやってました。
ゴリ詰めの。
ゴリゴリの教育サロンだったんですね。
そうですね。
やって育てて、
どっかのタイミングで放出みたいな。
でもそれでも25年もやれないじゃないですか。
今はね。
本当そうなんでしょう。
たまたま、
できたというか。
でもちょっと、
カリスマブームのちょっと前に
出展されてる形ですよね。
今カリスマの時に出してる時って、
我々なんで、
20年ぐらいのサロンが多くて。
そうですそうです。
で、その時の大型サロンが今結構
すごく大変みたいな。
そうですね。
だから、ちょっと先を行ってますもんね。
先行き過ぎてましたね。
でも、
隅間さんが抱えてるような、
抱えてたような当時の
悩みを抱えてるところって
めちゃくちゃ多そうですけどね。
今ですか?
いやめちゃめちゃ多いと思います。
もう本当にそう思いますよ。
気づいたら売り上げが減ってってるっていう。
でもほら、
気づかれたわけじゃないですか。
鈴木さんを知ったきっかけは?
鈴木さんを知ったきっかけは、
森岡。
青森県の下の岩手の
森岡っていうところで、
鈴木さんのセミナーがあって、
そこで、
某ディーラーさんが
紹介してくれたんで、
それに行ったんです。
で、ちょっとこう、
そうですね。
でもこれ不思議で、
そこで何度か食いついたのって
自分だけで、
30人くらい来てたのかな?
でも誰もそんな、
はぁ?みたいな感じの雰囲気あったんですよ。
その時、たぶんまだ
書籍出したぐらいのタイミングですよね?
出た感じだったと思います。
そのタイミングだったと思います。
で、なんかこう、
僕はもう本当にもう、
頭勝ち割られたみたいな
衝撃が走ったんですよ。
でもなんか周りの経営者さんは
そんな別に、
っていう感じの、
たぶんそんな感じだったですね。
その方たちはもう今どうなってるか
もう分かんないですね。
知ったこっちゃないですね。
間違いない。
その時はもう本当に、
それで、
最初に鈴木さんのとこ行って、
セミナー終わった時に行って、
鈴木塾っていうのを
受けたいですっていうのを
先に言って、
そこからがスタートでした。
なるほど。
でもその25年、
すごくもやもやされてたってことですかね?
ずっともやもやしてましたね。
何年目ぐらいからもやもやされてたんですか?
いやー、
20年過ぎた時から、
やっぱりちょっとこれ
まずいなっていうのがあって、
いろんなセミナーあるじゃないですか。
メーカーさんの。
あとは
18:00
根性論の経営塾みたいな。
モチベーションみたいな。
そこの経営的なね。
僕の嫌いなやつですね。
柴野大先輩が
大きいサロンやってて、
そこの方のセミナーとか
っていうのを受けて、
根性論めっちゃすごいですよ。
こういうあるべき、
教育はこうでこうでとかっていう。
でも全然そんな
ためにならないっていうか、
なるほどなって思うんだけど。
でもそれちょっと違うなっていうのとか。
結構ありました。
それと真逆だったんです。
鈴木さんのが。
鈴木さんのやつも全く真逆でしたね。
当時は。
今でこそデフォルトな感じがあるんですけど。
当時は本当に
すごい倫理かなって。
時代にめちゃくちゃ合ってるっていう感じ。
分かりやすかったじゃないですか。
こうなるとこうなるっていうのが
明確だったので。
それをちょっと真似したら
すぐ成果が出るっていう感じだったので。
そこからですね。
あれがもう4年ぐらい経つんですかね。
4年ぐらい
経ちますよ。
そりゃそうか。コロナで3年ですもんね。
そうですね。
4年ぐらい経つのにあれから。
皆さんも変わられてるじゃないですか。
僕ら8期ってことは
僕らサポート講師みたいなのしてたとき。
そうですそうです。
我々は4期。
そうですね。
一応10期まであったんでしたっけ。
そうです。
多分10期ですね。
10期で終わってる感じかな。
でも
その当時
若めの経営者たちが結構多かったので。
杉本さんぐらいから
杉本さんぐらいから
僕らの考えというと
50代とかになって
カチカチになってる方が多いから
あの時マスタークラブとかも
入られてたけど
すごい新鮮だったんですよね。
その年代の人たちって
柔らかい感じになれないじゃないですか。
そうですね。
そういう意味では
金髪だったし。
でもやっぱそれぐらい
杉本さんも絶望したんですよ。
そうですね。
この先何も見えなくなってしまってたんで。
でもそういうきっかけがないと変わらんすからね。
そうですね。
本気だったんですね。
本気でしたその時。
じゃあ今回は一回ここで締めてですね。
次に
杉本さんが
何をしてっていうのは
鈴木さんの本を
見てもらえば分かると思いますけど
この回を
鈴木さんを勝手にタグ付けして
シェアするっていう方法も
取れますから。鈴木さんを連呼してますから。
はい。なので
21:00
次に杉本さんが
今コンサルとかも
されてますので
どのように変化してたか
っていうところをちょっと話していきたいなと。
はい。
また来週楽しみにお聞きください。
さよなら。