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2025-01-26 29:17

20250125プログラミングはゲームだけのモノじゃない!

実はオレ、ゲーム苦手です。

プログラミングって「ゲーム作りでしょ?」みたいな文脈で言われることがよくあります。

なんかね、その考え方、すごくもったいないと思います。

そんなお話です。

サマリー

プログラミングはゲームだけに限定されず、より汎用的な手段として考えられるべきです。子供たちには効率的な方法を教えることが重要で、プログラミング教育のアプローチに変化が求められています。このエピソードでは、プログラミングの多様な可能性について探求しています。また、教育や倫理観を通じて、子供たちが自らの道を切り開くための支援の重要性についても触れられています。

日記を書くことの意義
1月21日、月曜日、火曜日、朝8時。
いろいろグダグダ考えていて、今も全然答えが出てないんですけど、
まずは、自分が何をやりたいのかを整理していきたいなと思いまして。
差し当たり日記を書こうかなと思います。
アテナにもブログってあって。
ブログって俺、30年?
違うな。
アテナダイヤリーが始まったのが、おそらく。
アテナダイヤリー始まって20年くらい経つのかな。
20年経つんですよ、20年。
何回も俺、初めてはこうしたり、初めては立ち消えしてきたんですけどね。
何が難しかったかっていうと、画面にずっと向かってられないんですよね。
モチベーション。
モチベーション。
音声で入力して、声で入力して、
最近流行りのZGPTさんにちょっと整形してもらって、
それを世に出していくというか、蓄積していくというか、
そんなスタイルがいいのかなと思い始めてます。
ってことで、新規一転。
今日から普通の、ただの50推移のおっさんの日記というのをやっていこうかなと思います。
プログラミングの多様性
例ですね。
やっぱり俺、何がしたいって。
プログラミング好きなんですよ。
自分も好きだし、
プログラミングって、自分がやるのが面倒くさいことを
すっごく鮮やかに楽にしてくれる。
ゲームを作るっていうのも、子供にとっては入り口としてはすごく分かりやすくていいと思うんですね。
でも、プログラミングって、ゲームを作るための専用の手段じゃなくて、
もっと汎用的に世の中を快適に楽にする。
そういうものであると思うんですよ。
子供にとってプログラミングっていうのは、入り口がゲームを作るっていうのは、
すごく誰にとっても分かりやすいんですよね。
でも、なんていうかな。
俺、ぶっちゃけあんまゲーム好きじゃないんですよね。
プログラミングは好きだけれども。
プログラミングって文系の趣味なんですけど、
ゲームって大会系の趣味なんですよね。
例えば、皆さんどんなゲーム知ってますかね。
でもいいんですけど、
ペトリスみたいな、ペトリスって知ってますかね。
四角いブロックが4つとか5つとか、
いろんな形につながったやつが上から下に落ちてて、
それを落ちてくるまでの間に左右に動かしたり回したりして、
横に一列、ぴったり揃ったら消すことができて、
速さとか反射神経とか、
そういうものが結局最後に勝負の鍵になる。
そういうゲーム、そういう世界が大半だと思うんですよね。
例えば、ドラクエ。
ドラクエって、
俺が最近ね、あんまり最近のゲームを知らんから、
わかんないですけど、
俺が知ってるのって、
なんていうか、自分より弱い敵。
怪獣だったり、動物だったり、
モンスター、スライムとか、ゴブリンとか、エルフとか。
スライムとかエルフとか、あれ誰が作ったんでしょうね。
日本ではドラクエが最初なのかな。
その前に、欧米ではロード・オブ・ザ・リングっていうお話があって、
それがいろんなものの起源だなんてお話があったり、
その前にも多分、いろんな世界各国の伝承、立話みたいなのがあって、
多分そういうのが書き集められて、
なんとなく一個の像になってるのかなって思うんですけど。
何の話でしたっけ。
で、RPG。
RPGっていうのが、結局、
弱い敵。
まず最初はスライムっていう、水の透明のプニプニの、
明らかに攻撃してこなさそうな、
あいつを棒で芝居て、
木の棒みたいなので芝居て、
芝居たら経験値が1とか2とか、
っていうので、それをひたすら芝居まくって、
だんだん経験値っていうのがちょっとずつ上がって、
で、100とか1000とか、1万とか10万とか、
そんな経験値になって、
だんだん相手も強い相手に勝てるんで、
で、最後は大ボスの魔王とか、
いわゆるボスですね、ガスボスですね、
ガスボスですね。
そいつらを倒しにいけるっていう、
倒せるような力がつくっていう。
もう、なんていうか、
体育会の論議みたいなお話じゃないですか。
お話、ストーリーも体育会だし、
やってることもぶっちゃけ体育会なんですよね。
ひたすら時間かけてひたすら、
自分もタイミングを覚えたりとか、
いいタイミングでジャンプして、
これはアクションか。
ちょっといろんな話があったと思うんですけど、
いろんなタイミング、たくさん強くなるために、
時間かけて地道な努力をいっぱいするんですよ。
でね、
その世界観をプログラミングに持ち込むことって、
ひとつは、別に一個の解釈として悪くないんですけど、
子供にそれがプログラミングだよって教えるのって、
あんまり良くないような、あんまり良くないじゃないな。
それしかないみたいな思われ方をするのが、
あんまり良くないと思っていて、
うん。
教育における新しいアプローチ
プログラミングって、
多分そうじゃないんですよ。
今までは、
100回スライムを倒さなくちゃいけなかったことを、
なんだろうな。
木の棒で100回叩くっていうのを、
いきなり、なんていうかな、
チェーンソーを持ってきてもいいわけじゃないですか。
本来はね。
よくわかんないけど、例えば、
直径1mの木の棒を倒したいとした時に、
その木を倒すためには、
細い木をまずは100本倒して、
次に中枯れの木をまた100本倒して、
それで経験値とお金が溜まって、
やっと太い木が倒せるようになる。
なんていうか、
もう前時代の寿司職人みたいな、
石装電の師匠の背中を見て盗んでみたい。
それってプログラミングじゃないんですよね。
だから、
ゲーム作りたい人は、
ゲーム作ったらいいんじゃないかな。
作りたい人は作ったらいいし、
そういう市場もあるし、
スポーツで地道に体力をつけることは絶対、
多分いいことで、
僕も否定するものではないんですけれど、
体力をつけて、
重い斧を買って、
それで太い木を倒すぞ、
っていう、
なんていうか、
そういう世界観を、
そういう世界観を、
そういう世界観に子どもを押し込めるっていうのは、
もうちょっと、
しっかり大人になってからでもいいかなって思うんですよね。
そうじゃなくて、
子どもたちに教えたいのは、
こうしたら楽ができるっていう、
そういう、この意見。
これもね、リスクはあるんですけどね、
今の勉強って、
例えば、
足し算を100回練習します。
次に引き算をやり方を覚えて100回練習します。
掛け算を覚えます。
また100回練習します。
割り算を覚えます。100回練習します。
練習することにね、そんなに意味はあるんですよ。
たぶん認める。
そこは認めるんですけれど、
そこは認めるんですけれど、
でも、
所詮それ、
100回で、
そこは認めるんですよ。
でも、
所詮それ、
100回で分かるか、
1000回で分かるか、
2回で分かるか、
そんなのって子どもたち次第じゃないですか。
それをなんか、
一律で100回、
一律で100回とか、
もっと言うと一律で1年とか、
子どもの成長なんて、
そんなの一律で1年とか、
半年とかって、
そんなん、
決めれるわけないじゃないですか。
みんなそれぞれ、
本当にそれぞれ違うのに。
なんていうか、
生まれてから彼は5年目だから、
このぐらいの勉強ができて、
で、このぐらいの訓練を積んで、
で、
じゃあ、
その1年でこれぐらい成長するはずだから、
次はこの勉強を、
教えて、
この訓練をさせて、
うん、ね。
俺たちはそうして、
プログラミングの多様性
育ってきたし、
それが、
うん、
大きな問題があったかっていうと、
うん、
大きな問題はないっちゃないかもしれないし、
それを、
その、
なんか、
全く大きく変えてしまったら、
その、
予期する問題が、
出てくるかもしれないって、
いう、
危険性はもちろん、
あると思うんですけどね。
なんかそれにしても、
うん、
ちょっと、
頭が硬すぎませんかって思うんですよね。
うん、
でね、
じゃあ、
結局何がしたいんだって、
思った時に、
その、
世の中にはたくさんの選択肢があるんだ、
って、
伝えたいなって思うんですよ。
その、スライムをひたすら叩き倒したいっていう子は、
ひたすら叩き倒せばいい。
別にそれで、その、
成長してもしなくても、
スライムを倒すことが生き甲斐なんだ、
って、
言って倒すやつは、倒せばいい。
で、
どうせはないだろうと。
もう、一個個も早く魔王を倒して、
あの、村の危機を救いたいんだ、
って、
いう、
もし子がいたら、
その子には、
その、
スライムを叩くとこから始めろって言うんじゃなくって、
もう、
銃器の使い方を覚えてもらったらいいんじゃないか、
って思うんですよ。
魔王が、何かな、
あの、
倫理観は、
とっておく必要がありますよね。
家にありその、なんていうかな、
魔王を倒すために、
じゃあ、
戦車を使えば、
銃を使えばいいじゃん、とか、
戦車を使えばいいじゃん、とか、
なってしまうのも、
それはそれで、
問題があると思うので、
じゃあ、
倫理は覚えてもらって、
その、
魔王にも、
魔王なりの、
その、
正義が、
きっとあって、
魔王には魔王なりの正義があって、
モンスターにはモンスターなりの正義があって、
で、
それをその、
人間の、
意外とかエゴだけで、
多分、
やっちゃいけない、
っていう倫理観は、
養ってあげた方が、
きっといいと思うんですよね。
まあ、
それが、
今のゲームで養えるかどうかは、
僕は知らないですけど、
まずスライムを倒しましょう、
教育と倫理観の重要性
次にゴブリンを倒しましょう、
オウガを倒しましょう、
みたいな、
えー、
そのやり方で、
倫理観が育つのかどうか、
少し疑問では思います。
まあ、さておき、さておき。
うん。
で、
ライムは言ったかもしれへんけど、
その、人間、
大人になって、
暗算って、
しないじゃないですか。
うん。
その子供たちが、
子供たちに必死に暗算の練習をさせて、
なんなら筆算の練習をさせて、
3桁×3桁の掛け算、
みたいなことをさせた、
として、
させたとして、
できるようになったとして、
それ、
ここ最近したことありますか?
掛け算、筆算で、
電卓使いますよね?
普通は。
じゃあ、
なんで電卓使わせないんですか?
昔電卓なんかなかって、
そう、
やり方を覚えて、
やり方を覚えたら、
次は、
そこから次、
速さ、
もう、
ある程度の速さはあった方がいいんだとは思うんですけど、
速さより正確さ?
まして、この子は、
掛け算が、
3桁の掛け算が、
速くできないから、
とか、
途中で間違うから、
他の子より劣るとか、
そんなことで、
そんなことで優劣つけるのって、
ものすごくなんか、
どうでもいいですよね。
どうでもいいですよね。
うーん、
なんで、
なんで、
なんで、
えーっと、
こういうどうでもいいことは、
まあ、
義務教育に任せておいて、
言っちゃあれですけど、
義務教育に任せておいて、
で、
じゃあ親たちがすることは何なのかっていうと、
その、
どうでもいい義務教育に、
どうでもいい義務教育の評価になんか、
その、
追いついて、
その、
他の子の水準に並べるようにとか、
その、
同じ評価軸で勝っているようにとか、
そういうことを言っている時代じゃないんじゃないかなって思うんですよね。
いや、俺、
子供いないんで、
無責任なことを言っているとは思うんですけど、
それにしても、
それにしても、
なんて言うかな、
本当に彼らが将来、
自分の足で立って、
自分の頭で考えて、
前に進んでいくんであれば、
何が必要なのかって、
その義務教育で培った、
人より早く正確に、
事務処理ができる能力って、
ゼロではないけど、
100でもないんじゃないかなって。
その、
なんて言うかな、
そういうことを教えたいんですよ。
そういうことを教えたいっていうトークが欲しいな。
そういうことを、
知って欲しいんですよね。
だから、
先の話に戻ると、
スライムを100匹倒すって、
スライムを100匹倒すって、
スライムを100匹倒すって、
いいっすよ、いいっすよ。
スライムを100匹倒すよりも、
ゲームの中身のコードをちょっと変えて、
スライムを倒して得られる、
経験値を100倍にするとか、
そういうことができる方が、
子供として面白いじゃないですか。
子供として面白いじゃないですか。
この本、この本ね、いいんですよ。
ちょっと、
Amazonのリンク欄から紹介しますけど、
今言ったみたいに、
とにかく、
目標は、
何かの目標を立てなくちゃ話にならないので、
例えば、
スライムを100匹倒すとか、
スライムを100匹倒すっていう目標を与えられずに、
子供は、
よし、ここまでにしよう。
29:17

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