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聞くも楽しい、話すも楽しい、温泉配信を楽しんでいらっしゃる皆様、こんばんは、えぬです。
声で残そう。
のんばんは、のんぎものが配信しています。
ココハコのえぬです。
のんばんは、2024年8月6日、今日は火曜日でした。
そして、広島では原爆の式典が無事に行われていましたね。
戦争とか、平和とか、そういう話題になると、どこか構えてしまうところがあります。
軽はずみに、もしくは気安く、そのことについて話したりするのが怖いというか、
どこか特別なものという風に捉えている部分があって、今もこのことに触れるだけで、
かなり緊張というかね、固くなっている自分があります。
もっと日常的に、自然に、だけど真剣に、気軽に、でも深くちゃんと考えて、
こういうお話ができればいいなって思いますね。
いろんな人と日常的に、平和とか、世の中の平和とか、戦争とかについて、
真剣に、でも普通に話せるような雰囲気が自分の周りにも、自分の中にもあるといいなって思います。
今日はそういう日でもありましたが、
今日、小絵日記に残したいのは、恐怖ということについてね、ちょこっと思っていたんです。
この冒頭で言った、戦争とか、平和とかっていうことにも、結構関わってくるんじゃないかと思うんですね。
ちょっと、ぼつぼつとお話しさせてもらいます。
いろいろな問題とか、いろいろな問題の現象っていうのは、
個人のことであれ、公やけな規模のことであれ、
それは人の欲であるとか、欲深さとかね、
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そういうものであるのかなと最初は思っていたんですけど、
でももっとそれを掘り下げていくと、
恐怖心ではないのかなと、すべてのことの発端は恐怖心。
差別もそうですし、いじめもそうですし、そんな気がするんですよ。
恐怖心っていうのは、潜在的な、もっと根源的な恐怖ですね。
一番大きいのは、たぶん死に対する恐怖じゃないかなと思います。
普段私たちは、そういったことに関わることが起きない限り、あまり考えないですね。
その次に、もうちょっと身近になると、
欠乏する恐怖、欠乏とか不足するとかそういうことですね。
あと、やっぱりこの肉体を持っているので、肉体的な苦痛、病気とか怪我とか、何でもそうですけども、
この感覚を通して感じる痛み、苦痛、苦しみですね。
そういうものに対する恐怖。
それが脅かされる時に、攻撃という動きになるのではないかなって思うんですよ。
もっとそこまでいかなくても、この恐怖っていうのは、
判断を誤らせたり、信念を曲げてしまったり、ブレてしまうということも起こさせるんですよね。
だから、恐怖心というのさえなければ、大方の今の地球上の問題とか、もしくは個人の人生における問題とか、
そういうものが割と解決されるのではないかなという仮定、光の定説、仮定を持ってみたんです。
この辺でちょっと話を変えたいと思うんですけども、
明日7日は立州ですね。
道理でというか、最近夜クーラーをかけてますよね、お風呂上がりに。
で、しばらくくつろいでいると、消したくなるんですよね。あんまり暑くないんですよ。
寝る時は朝までつけてるようにしてるんですけども、
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でも夜中にですね、夜に冷たいものを飲んだりしている時は、あんまりクーラーがないほど欲しいなとは思わない。
朝もね、早朝早ければクーラーをつけるのを忘れてしまうぐらい爽やかさというのがありますので、
本当に、わずかではありますけど、ちょっと気温が、気候が変わってきたなっていう感じがしますね。
立州、秋という字が全然に使わしくないですけどね、日中はまだまだ。
でも間違いなく季節は変わっていますね。
相変わらずセミが本当に急に少なくなりました。びっくりです。
そんなわけで、心地よいびっくり箱、ココハコのえぬでした。