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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
えー、1月もね、いよいよ今日で終わってしまいますね。
もうついこの間年明けしたばっかりだと思ってると、もう毎年のことなんですけれど、1月っていうのはね、一瞬のうちに過ぎていきますよね。
1月と2月がね、もう年々早く感じるっていうのはね、年齢のせいなんでしょうかね。
うーん、なんかもう嫌になりますよね。
で、それだけじゃなくてですね、なんかね、11、12、1月、2月あたりっていうのはね、なんかね、結構周りでも病人が出たりとかですね、亡くなる人が多かったりとか、寒いせいだとは思うんですけれどね、
ちょっといろいろ、体調が急変したりとか、いろいろね、嫌なことが起こりがちなので、
幼虫医のね、年末年始っていうかね、幼虫医だなっていつも思ってるんですけれども、今回もですね、その例に漏れずというか、
夫のね、父親の方が、陽態が急変しまして、肺炎だったんですよね。
ちょっと危なかったんですけれども、救急病院の方に入院し、
一命は取り留めたというかね、肺炎の症状自体は収まったんですよね。
ところがですね、相変わらずいろいろ、数値とかね、そういったところが良くなくて、
リンパ節がね、すごく腫れてるらしいんですね。
いくつか悪性の病気の可能性があるという状況らしいんですよね、お医者さんは。
ただこれをね、組織検査したりね、血液取ったりとかいろいろして検査するのも、大変苦しい検査になると。
その上、父の陽態は、肺炎の症状自体は一応収まったけれども、相変わらずね、もう意識がほとんどなくて、
そしてもう自分で自力ではね、もう食事が取れない状態になってるんですよね。
検査をこれ以上苦しい思いして検査して、病名を突き止めることに果たして意味があるのかということですよね。
こういったね、すごくシビアな話し合いの場が持たれてるんですよね。
元々ですね、だいぶ弱っては来ていたので、こちらとしてもね、ある程度覚悟はしていたんですよね。
だから肺炎の症状自体は収まったとしても、もう意識もなかなかね、目を開けたりとかね、
なんとなくこっちのことが分かっている様子はあるんですけれど、
しゃべる元気もないし、自分で起き上がったりもできる状態じゃないのでね、相当弱っているっていうことは分かっているので、
年齢的にもある程度高齢だしっていうことでね。
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なのでね、私が20年前に自分の祖父母を見送っているんですけれどね、
その時と比べてだいぶね、この終末医療のやり方っていうのかな、その辺が全く変わっているんだなと思ってね、
すごく興味深いなと思って、ちょっとそんな話を今日はしようと思ったんですよね。
20年前はね、いろいろね、たとえもうほとんど意識が戻ってなかろうが、認知症になってようがね、
いろんな検査をしたりね、検査のために苦しい思いをさせられたり、
あとですね、胃炎って言って、胃炎っていうのはね、胸の上のところで喉から胸の辺りに穴を開けて、
ここからね、クダっていうのかな、カテーテルを通して、無理やりここから栄養を入れて、
息させるっていう治療が、治療というか処置があったんですよね。
これはね、私、おじいちゃんが最後も意識がなくなって、もう完全に昏睡状態だったんですけれど、
この最後のね、病院もね、たらい回しだったんですね、この頃は。
こういうふうにね、助かるかどうかわからないような、だけど長期療養になる可能性があるわけじゃないですか。
いつ亡くなるかわからない。もしかしたらそのままずっと意識がないまま、何年も生きるという可能性もあったりするので、
そういう状態の時はね、なかなか病院の受け入れ先が決まらなくて、
二軒か三軒病院をね、移った記憶があるんですよね。
最後ですね、ついにもう本当に何もできなくなった時に、胃老というね、
喉にカテーテルを通すという処置をさせられたんですよね。
これはもうやってもね、別にもうおじいちゃんが元気になる見込みがないのに、
そんな見るからに嫌な処置じゃないですか。そういうことをやらないでくださいって言うとね、
こちらに選択肢はなかったんですよ。
何もしないんだったら患者さんをお預かりできませんって言われたんですよね、当時はね。
だから何かしらの医療処置をするという名目で患者を受け入れるっていうね、そういう体制だったので、
こういうふうにね、助かる見込みがない渾水状態の患者にこういう意味のない処置とかを当時はまだしてたんですよね。
すごいかわいそうだったんですけれど、今回ね、夫のお父さんもね、今こういう状態で、
救急病院の方は3週間で出されるんですよね。
その後どうするかっていうね、かなりシビアな話し合いを主治医としましたね。
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すごい肝心ですよね。昔のお医者さんってすごい怖い、高圧的なお医者さんが多かったように思うんですけれど、
今はね、とっても親切で、何でもすごく分かりやすく説明も丁寧にしてくれるんですよね。
今回肺炎の症状は治ったけれども、多分ね、悪性リンパ腫か何か、循環器系の悪い病気の可能性は多少あると。
ただ苦しい思いをして今から検査したりしてもね。
またこれが病名が特定したとしても、ここから抗がん治療したり放射線治療したりっていうのも、
それに耐えるだけの体力が多分お父様はないだろうから、それをどうお考えになるかっていうね。
だからそこはご家族様が希望されるんだったらやりますけれども、いかがいたしますか、みたいなことを言われて、
それはもうやらなくて結構ですというふうに言ったんですよね。
そこから転院先の病院をいくつか調べてくれて、幸い家から一番近い病院を空きがあったので、そちらの方に先日転院ができたんですよね。
ここでも主治医のお医者さんからいろいろ話を聞いてですね、おそらく今意識が混濁している状態で、
肺炎は収まっているけれども、お父様がこれから元気になる可能性は極めて低いだろうと、
自分で栄養も取れないかといって、慰労措置というね、さっき言ったような喉に穴を開けて、
無理やり家庭で栄養を入れるという、ちょっとやや人の尊厳を犯すような、そういった処置はあまりお勧めではないんだけれども、
家族様がそれを望むのであればやらなくはないと、どうされますかということを聞かれて、
いやもうそんなことはしないでいただいて結構ですと言ったんですよね。
そうすると、ただですね、今全く栄養が取れていない状態で、かなり苦しい状態だと思いますと。
それもね、どうせ助からないんだったら、もう浄脈注射でね、注射から栄養を入れるということは、
やってあげた方がいいのかなと、私は思いますとお医者さんは言ってましたね。
それというのは、全く今栄養がない状態なのでね、すごく苦しいらしいんですよね。
体がね、体力がなくて、息苦しいし、呼吸自体も辛いし、そういう状態なので、
これはね、ちょっと浄脈の血管が太いところに注射で栄養を入れるという処置は、
してあげた方がご本人がたぶん楽になるので、
それをやって差し上げた方がいいと思うというふうにお医者さんは言ったんですよね。
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それさえもね、もうどうせ助からないんだったらやらなくていいというご家族もいらっしゃいますと、
どうされますかって、そんなことまで聞かれるんですよね。
ちょっとびっくりして、なかなかこれ身内の話なんでね、辛い話だなと思って聞いてはいたんですけれど、
もうね、とにかく父がしんどくない、安らかな状態なんであればね、
それを優先して、必要な処置はしてくださいと。
ただ、必要じゃない処置で、しかも父が苦しむような処置はしないでくださいということで、
お医者さんとはすり合わせして、父を預かっていただいているという感じなんですよね。
だからね、ちょうど去年の年末ですよね、中村厚彦さんと、
コジマックスさんがね、ちょうど立て続けにお父様を亡くされたりとかした配信をね、聞いていたので、
今回ね、私も近い身内がね、こういう緩和ケアって言うんですかね、終末期医療を受けるということでね、
だいぶこの20年の間に、確かにこの命の扱われ方が変わってきてるんだなっていうことを思いました。
これはね、中村さんは命が軽くなっているっていうような言い方をされてましたよね。
だから命を軽くしてるって言うとね、すごくあまり良いように聞こえないんですけれど、
逆にね、この20年前ってちょっとね、やっぱり人道的にどうなのかなっていうのは本当に思ったんですよね。
もう助からない人に人工呼吸器つけて、無理やりずっと、
生きながらえさせたりとかね、うちのおばあちゃんの時ももう完全に脳死はしてるのに、
心臓が動いてるっていうことで人工呼吸器つけられて、
おじいちゃんがね、うちは祖母が先に亡くなったんですよね。
これはおじいちゃんがもう泣き叫んでね、頼むからもうこの人工呼吸器をつけないでやってくれってね、
自然な形で生かしてやってくれって怒ってね、
医者に訴えたんですけれど、もちろん聞き入れられませんでしたね。
今度ね、祖父の方が亡くなる時もですね、医療の処置をされたりとかしてね、
おじいちゃんもその時意識がなかったからね、あれですけどもし意識があったらね、
どんなに屈辱だと思っただろうというふうに思いましたね。
今はもう必要のない処置、助からない命に無駄な治療とか労力を使ったりとかせず、
なるべくただ安らかな形で眠るようにいける手助けをするという、
そういう考え方に変わってきてるんだなと思ってね、
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父の様子を見ているところですね。
昔は看護師さんもきつい人が多かったり、声かけたらね、
何ですか!みたいなこと言われたりとかね、
お医者さんもピリピリして高圧的な人が多かったりとかして、
そういったところは今すごくね、すごい分業制にしていて、
ちゃんとすごくね、患者さんに対して説明もしっかりしてくれるし、
親切ですしね、すごくちゃんとはしてるんですけれど、
ただ、すごくシビアに言われたのは、
とにかく人でも最小限で回しているので、
急に廊下で例えばお医者さん待ち伏せしてね、
父の状態はどうなんですかとかね、これからどんな治療をするんですかとか、
そういう無駄な声かけとか、そういったことは一切しないでほしいとかね、
あとは地域包括センターというかね、担当が分かれるんですよね。
この人が何をするかというと、今後の治療方針ですとか、
入院時期とかね、退院時期がいつになるかとか、
そういった相談したりというのは、
医者や看護師じゃない別の窓口が設けられているんですよね。
だからこういうふうにね、全部分業で、
みんながそれぞれのスペシャリティに専念できるような形で、
回しているというようなふうに見受けられましたね。
なるほどなと思ってね、この20年ぐらいの間に、
どんどん医療の現場も変わってきている。
もちろんこれからどんどん人の数もね、
医療従事者の数もどんどん足りなくなるという状況なのでね、
今度私たちが年を取った時どうなっているのかなとかね、
いろんなことをちょっと考えたりもしました。
ただ、今現段階ではね、
例えばアメリカなんかというのはね、
こんなに手厚い医療とか介護とか、
受けれるようにはなっていないんですよ。
お金があって、個人で保険とかに入っている人は別ですけれども、
大してお金もなく、年金とか、
そういう制度もありませんからね、アメリカはね。
だからありがたいなと思ってね、
救急病院から週末期医療の病院をあっせんしてくれて、
そこまでちゃんと転院してくれたりね、
こんなのも日本では当たり前のようにね、
こういったサービスを私たちは享受してますけれど、
これ多分ね、今後ね、もっともっと人口が減って、
医療従事者とかね、そういった人たちの数も減ってきたら、
こんなことも全部個人で手配しなきゃいけなくなるんじゃないかなとか、
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そんなことまで考えたりして、
今ね、現在のこのシステムは非常にありがたいなと思ってね、
なんか思ったりして見ていました。
はい、というわけでね、ちょっと最近バタバタはしてたんですけれども、
ちょっと今こういう感じで、
父の様子を見ているというところになります。
毎日寒いですので、くれぐれもご自愛ください。
それではごきげんよう。