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2023-10-01 08:15

#37 人は何者かになれる?-構造主義と決定論

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よく「何者かになる」という言い方がされますが、この観念はどこから来たものなのかという話です。

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Podcast「ストーリーとしての思想哲学」@思想染色(@SSenshoku)/ Twitter

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします
前回は、進歩主観や実存主義によって
人は何者かになれるんだという信念が構築されてきたという話をしました
僕たちは社会から、人には無限の可能性があるとか
頑張って勉強すれば何にでもなれるとかいった期待を受けています
でもこれって裏を返せば、やりたいこと、好きなこと、
何らかの使命を自分で見つけなければいけないということです
それよりずっと前は、どのように生きていけばよいかは
社会がロールモデルとして規定してくれていたから
自分で探さなくてもよかったんだけど
生き方のロールモデルが実存主義によって解体されたことによって
生き方の喪失とでも言うべき現象が見られるようになりました
このような、生き方の喪失みたいな実存主義的な苦悩を
結構な割合の人が持っているのが現代なのかと思いますが
最近では、構造主義的な苦悩というのも観測されるようになってきたように思います
順番からすると、実存主義の次は構造主義ですから
構造主義的なパラダイムが社会に浸透してきたことによるんじゃないかと思いますが
まずは構造主義とはなんだという話です
構造主義っていうのは、人類の文化、言語、社会などの複雑な現象を理解するためのアプローチで
なぜ今のような文化が形成されているのか
人類の文化や考え方、社会構造などにおける
普遍的なパターンや法則を探求しようとするものです
これを別の言い方すると、個人というミクロに焦点を当てるというよりも
人類というマクロに焦点を当てて
パターン、構造、形式を通じて世界を理解しようとする理論の設計思想のことです
その端的な例としてはクロード・レビストロースという文化人類学の草分け的な人がいます
まあ文化人類学っていうのがもう
人類の構造を紐解くっていう学問ですからね
レビストロースの有名な理論を一つ例に挙げて紹介しますと
親族とは何かというテーマです
親族ってそもそも何なんだっていうのを考え出すと結構深くて
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地球上どこでも人種や部族を問わずに
人類はなぜか親族という概念を持ってますよね
これはなぜなんだっていうテーマについて
インセストタブーという観点から論じています
インセストタブーとは日本語で言うと
近親相関の禁止です
つまり近親相関してはいけない関係性
イコール親族と捉え直したということですが
するとではなぜインセストタブーは存在するのかっていう話になります
レビストロースは文化人類学者でもあるので
それこそアマゾンのジャングルの中の未開社会とかに行って
フィールドワークしてるんですけど
未開社会を観察すると
彼らは各集団に分かれて暮らしています
簡単に言うと
集団A、集団B、集団Cというふうに
50人とか100人とかの集団にそれぞれ分かれて暮らしていて
基本的には集団は親族で形成されています
で、各集団の思惑としては
戦争や抗争を避けたいというのがあります
まあそれはそうですよね
お互いのことを全然よく全然知らないと
殺し合いの抗争が発生するリスクがあるので
何らかの方法で
集団同士の結びつきを強化する必要というのに迫られています
そこで普遍的に再現性の高い現象としてあるのが
自集団の女性を他集団の男性に贈与する
逆に他集団からは女性を贈与してもらう
つまり女性を交換するという方法で
集団間の結びつきを強化したんだと言います
これを交換理論と言います
いわゆる婚姻とは
もともとは集団同士の女性の交換であり
インセストタブーは同じ集団内の親族との性関係を禁止して
代わりに異なる集団との婚姻を奨励する必要に迫られて
そうした背景の中
規範として成立してきたんだということです
この理屈分かりますかね
集団内で
つまり親族内で婚姻してしまうと
その集団の中で閉じちゃうから
集団の外に贈与する
閉じないようにしなければいけなかった
インセストタブーというのを導入することによって
集団の中に他集団に対して贈与することが可能な女性というのが生まれるから
そのためにインセストタブーがあるんだっていうこういう理屈です
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はっきり言ってバチバチにえげつない理論だと思いますが
なぜえげつないと感じるかっていうと
本当に構造しか見てないからなんだと思います
これは別に悪い意味じゃなくて
なんか心とか良心とか倫理みたいなものがそこにはなくて
本当に徹底して構造だけ見ているというこういう性質があるよね
はい
それで
こういう構造主義的な発想を最近よく見ます
多分若い世代を中心に
実存主義的な信念を素朴に信じられなくなってきて
そこに構造主義的思想が侵入してきたということだと思いますが
端的な例として
少し前に親ガチャという言葉が流行りましたよね
親ガチャというのは
人間の能力は遺伝子や家庭環境によって決定されるという構造があるから
いくら努力したって勝てるわけないんだという発想なわけですが
こうした構造主義的な発想に基づく苦悩を持つ人っていうのは
これからもっと増えていくんじゃないのかなと思います
今だとそのうちやりますけど
進化心理学とか流行ってるから
構造主義的な苦悩はますます広がるだろうなぁと心配しています
人は何者かになれるんだっていう
そういう実存主義的な現代的な苦悩があって
さらに実存主義の次構造主義的な苦悩というのもあるなぁというのを
各思想の紹介とともに喋ってみました
今回はここまでです
次回もよろしくお願いします
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