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それてつラジオ 今日も始めていきたいと思います よろしくお願いします よろしくお願いします 今回は前回のトマスアキナス後編ということで 引き続き見ていきたいと思います
はいお願いします 前回はですね、生涯というかどんな時代に生まれたのかみたいなことをざっと触れつつ 有名なその存在を証明する5つの道を見ましたと
それはすごいバフというと神の存在っていうものを人間の感覚的なというか いわゆる普段生きている生活の中からどう認識するかとかどう辿りうるかみたいな 道筋だったかなっていう話を前回させていただきましたと
はいはい そもそもあれだもん 人間が神を認識できないのにそこに挑戦したみたいな話だよね なんかこう 蟻が人間の顔を見るみたいな話だよね
そうね 僕らは時間を見るみたいな感じかな 同じ次元にないものをどう見るかみたいな
ああ見る そうみたいな感じであったんですけども 今回はそれ以外のいろんなちょっといくつか議論を追っていくことで
よりトマス あるいは13世紀以降のキリスト教進学における神のとらえ方とか 神の存在を前提としたときのどういう問題が生じるかみたいなことを見ていきたいなと思いますと
早速3つぐらい取り上げていこうかなと思うんだけど 1個はですね グレゴリオスの時にもやった世界の永遠性についてみたいな話
そのアリティとの話の中でも 永遠な神の世界と 人間のようは生きて死ぬとか 例えば過去現在未来みたいな世界だと 次元が違うから断絶しちゃ交流できないみたいな話をしたと思うんですけど
神様に八字って約束しても 神様は八字ってなんやねんって言われて 医師の卒が不可能だよみたいな話で
不可能である 一生待ち合わせできないみたいな 卒の話なんですけど
トマスが実際学んだアリソテレスによると アリソテレスは世界は永続するものだって言っているのね
まずは前回も取り上げたような 不動の道者みたいな第一原因っていう
自分は動かないけど 他のあらゆるものを動かす 一番の原因になるものとかっていうのを考えると
その働き自体はいつ始まったとか言えない? 要は不動の道者が誰かに動かされたってことはないから
結局常に動き続けている イコール永遠だみたいな 永遠の働きこそが不動の道者の働きだみたいなことを言わざるを得ないんですけど
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はいはいはい
ただトマスはここにもちゃんと反論をしていて 仮に永遠っていうのがあるんだったら
今日までに無限の日々っていうのが 先行してあるよねって言いますと
永遠だったら無限だからね ただそうすると無限っていうのは通過ができない
要は無限の時を経るみたいなことって 矛盾してるって伝わるかな
うんうん そうだね それこそあれだよね 神と人間の断絶と同じだよね
ずっとあるものに対して その一地点を聞い取って理解することとか認識することはそもそも不可能だよね
定義すらできないよねみたいな
もしかしたら現代物語って言ったら このパラドックスとか矛盾って乗り越えられてる可能性があるんだけど
よかったら雑談とかに調べてまた持ってこようと思うんですけど
無限と有限の境目みたいなね
はいはい それが対立してるのかみたいな話です
本当かみたいな
一応トマスが言うところも無限は通過できない
だからこれまで無限の日々が過ぎてきたっていうこと自体がそもそもおかしいと
だから世界の永遠性っていうのは トマスは論理では証明できないから
それは一個の信仰だっていうふうに言うね
おーはいはい
だから世界が永続してるっていうのは 信じることはできるというか 信じることしかできません
だから他の論とかだから世界は永遠じゃないっていうことも言えるし
世界は有限であるとも全然言えてしまいますよね
はいはいはい
だからもっと言うと前回やったような神の存在とか 神は永遠であるっていうことに関しても
それぞれ信仰の対象ではあるんだけど 論証の必要があるよねっていうふうに言います
だからこそ前回やったような神の存在 神は存在するかってことも論証しようとするし
実際に神は永遠であるかっていう問いも立ててるのね トマスは
ただ永遠かっていうのはないにして 永遠じゃないっていう反論を出しながら
それをまた乗り越えて神は永遠になるという答えにたどり着こうとするのね
なるほどなるほど はいはいはい
それがどういう話かっていうのもあって
これもまたその室エジプト記の 聖書の言葉にあるらしいんですけど
その主 神は永遠に治めさらに永遠をも超えて 治めたもうであろうっていう言葉があるようなんですよ
つまり神は永遠に治めて永遠を超えるっていうから
神は永遠を超えた存在で永遠ではないっていうことを ここから読み取ります トマスはね
「ほら聖書でも神は永遠じゃないって言ってるじゃん」 って言うんだけど
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ただ実は違うんだと いやいやと
これまでいろんな論証をしている中でも 実際にトマスは言ってるんだけど
時間の概念っていうのは運動から得られますと
何かが動くとか変化するっていうことを 時間の概念として捉えますっていうことを言って
次に永遠の概念っていうのは不変から得られますと
いや変わらないとか そのものであり続けるってことが永遠ですと
神っていうのは最高度に不変なものが 変わらないものなので
神っていうのは不変でもあるから 永遠でもあるっていう三段論法ですよね
どういうことかっていうと 時間っていうのは運動であると
永遠っていうのは不変 運動しないことであると
神っていうのは不変なものだから つまり永遠なものであって
時間の概念を超えたものだっていうことを 論証するよね
はいはいはい 出来てるね
これもまさに三段論法とか アリストテリス的だよね
そうだね そう言われちゃうと 反論は難しいよね
ピンとこなくても
そんな感じかなりね でもやっぱめっちゃ苦労してんなって思うんだけど
先初ね 神は永遠を超えたものとか言われたら
「え 永遠じゃないの?」みたいな
そうだよね その次の時にあんの?みたいなことになっちゃいかれないというか
だからこれを翻訳の話だとか
この永遠っていうのはこういう意味なんだよとかってのが ちょっとおりますから
色々論証してるので 苦労が見えるんですけど
そう 下手上で頑張ってこの三段論法に たどり着いてるみたいな感じだね
そうそうそう いろんな言葉を定義しながらね
みたいな感じで 永遠みたいなものについても
永遠っていうのは信じることなんだけど
でもロジックでも言っていいよ みたいなことを言ったりはするというのはこの話です
あとは二つ目が知恵 もっと言うと理性みたいな話なんですけど
その冒頭でも話した通り 中世=暗黒時代みたいに言っちゃうと
人間に無知だとか 変なベールに覆われて
物事をちゃんと考えられませんでしたとか
っていうふうな感覚があるかなとは思うんですけど
やっぱりそれだけじゃなくて
トマス自身はすごく知性とか知恵の営みっていうのを通じて
神の友 神の存在に近づけるみたいなことを考えているんですよ
その限界みたいなことも自覚していて
例えばいわゆるキリスト家とかも 当時カトリックの真理を明らかにするにあたって
トマス自身は自然の理性に準拠して 基づいて議論を進めるよっていうふうに言うのね
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自然の理性
神の言葉とか理性じゃなくて
人間がもともと持っているとか
これまで触れてきたような世界をどう認識するかっていう
その感覚とか純粋な考え方から
神にたどり着こうとするよっていうのをすごく大事にするのね
なぜかっていうと
生きようとというかキリスト教を信じない人は
聖書の権威を受けられないでしょうと
だから神はこう言ったって言っても
キリスト教のことを信じることはもちろんできないから
だからあなたも普段生きているこの生活から
神っていうことを感じることができるとか
信じることができるっていうことを言わないとダメだよねみたいなことを
前提考えている人なのね
なのでただ自然的な理性
いわゆる普通の理性とか言葉だと
信仰に関する究極的な部分っていうのは論証することはできないっていうことも合わせて言ってるのね
天国みたいな話だよねこの前の
そうそう天国とか
例えば三民体とか最後の審判とか
どんなに言葉を尽くしても
イエス・キリストは親であり子であり神であるみたいなことだったかなとか
そういうことってやっぱり論証はできないとか
最後の審判でいつからアッパーが吹いて
これまでの人間が全員裁かれる神の国に行けるかどうか
という審判が下さえるっていうのは
もう協議だから説明はできないんですと
ただ神が存在するかみたいなこれまでの話とか
魂っていうのは不死であるかどうか
要は死んだ後にも魂ってのは残っていて
そういった最後の審判みたいな場面に立ち会うかどうかっていうことは一定論証できますっていう風に言うの
へぇそうなんだ
そう実際してたりするんだけど
だからそういう理性みたいなものを中世は投げ捨てたわけじゃなくって
ちゃんと理性っていうものを使って神の真理とか神の言葉を理解する
みたいなことをちゃんと言いますと
だからその恩長っていうのは
逆に理性っていうのはより高情というか神の言葉そのものは理解できないから
それは神の恩長とかそのいわゆる許しとか救いみたいな形で補われている
不完全な理性っていうのが神のある種おぼしめしによって補われているよねみたいな
へぇはいはいはい
世界観っていうのは持ってるんですよね
それが1200年代とかそのぐらいの考え方なんだけど
そこから例えば300円たってデカールとか出てくるよねとか
それこそ500円たって21円とか出てくるってなった時に
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結構その理性の力であらゆるものを説明しつくせるんじゃないかとか
はいはいはい
まあカンタで言うともの自体っていう説明できないものっていうのはあるんだけれども
まあ一定それも含めて話せるみたいな説明できるみたいなときに
結構そのある種理性が神を超えていくというか
神の世界観というのを壊していくみたいなことが実際行われたりするんだけれども
それっていうのはこのトマスの世界観からすると結構暴力的だろうなと思うし
果たしてそこまでやる意味あるんでしたっけみたいな
うんうんなるほどね
確かにそこは完全にそうだよね前提が違う感じするもんね
その300年600年後っていうとある意味その神が
まだそのカンタとかエクラトは神がいる前提だったけれども
いる前提でもあそこまでたどり着けたし
そうだね
いないかもみたいなとこを認めるとさらにその先まで進めるよみたいな感覚があったのかもしれないね
そうそうそうそう
やっぱりこうある程度人間の限界みたいなものをどう捉えるかみたいな話と
やっぱこの神の恩長とか人間の理性の適用範囲みたいなことって
かなり重要だよねと思ったりしますと
そういうことは確かにこのトマス・アキーナスはそのルールその前提の中で
めちゃくちゃここまでやりきった人っていう意味で
すごい完成者って言われるだけあるというか言われるんだなってね
そういうことなんだね
そうそうそうまさにそういうのが伝わるとね嬉しいというか
やっぱりやり尽くした人みたいな感じかなとは思うんですけど
やり尽くそうとした人か
それが知性とか知恵みたいな話なんですけど
3つ目が幸福についてっていう話で
キリスト教的なというか神の世界から見た幸福って
やっぱり僕らのいわゆる一般的な幸せな幸福っていうのは全然やっぱ違うんですよね
ああそうかそうかお腹いっぱいになったこととか
うまいもの食うとかとは違うってことね
そうそうそう
そういういわゆる原性的なというか例えば肉体的な
まずお腹いっぱいだとか快楽くすろいでいるとかとか
あるいは素権的に名誉あるとか
お金いっぱい持ってるとかってことじゃないっていうのは
なんとなくわかると思うんですけど
実はそのトマス自体はその徳
まあもっと言うとこの後説明するんだけど
その荒れてっていう古代ギリシャの重要概念があって
その徳とか荒れてにかなった行為っていうのも
究極的な幸福ではないんだよっていうふうに言いますと
ああそうなの
これって結構大事な話で
なぜかっていうとそのギリシャ哲学においては
その徳とかそれは徳羅哲が徳とか荒れてってことを言って
だからそれはプラトンが引き継いで善のイデアって言って
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それはあれまさにアリステスが引き継いで最高善みたいに言ったものなんですけど
その徳っていうのがね
つまりその人間の徳というか
本来持っている中の一番の働きというのが知性だっていう話を
古代ギリシャの人たちは言っていて
その知性の働きを最大限生かして
その真理を感想する、見る
真理を直接捉えるってことが人間にとっての最高の幸福であり
一番なせる尊い行為だったことを言うんですよ
古代ギリシャの人たちは
だからそのトマスにおいては
こういった知性の働きを最大に生かすっていうのも目的じゃなくて
神に至る手段だから
本当の幸福っていうのは神自身を見るとか
神自身にたどり着くことであって
それは知性だけじゃ達成できないんだよねという風に考えるのね
それはさっきの話だよね
音帳みたいな補完的なものがないと
知性の限界があるからねみたいな話に近いのかな
その意味ではある種、よくもあるかも
古代ギリシャ哲学を超えているみたいなところがあって
でも知性で
知性を最大限働かせれば最高のものにたどり着けるというところから
それじゃ無理だよと
さらにその一歩上の宗教的というか
神の世界というのがあるんだよということをトマス自身は言っているんだよね
はいはいはいはい
だからあくまでも本当の幸福
キリスト教を信じる人たちの本当の幸福としては
神の世界にそれがあって
現世とか時間の内部に生きている僕らのところにはないんですよと
その意味では結構厳しいことを言ってるよね
だから僕らの世界では本当の幸福が実現されませんって言ってるから
そうだね、うんうん
それは簡単に見えるもんじゃねえぞとは言ってるんだね
そうそうそう
まあ逆に言うと
前回に言ったような
なんで神は最高の善なる存在なのに
この世に悪とか良くないものが存在するのかっていうと
それはあくまでも原始の話で悪とか不幸って見えるのであって
神の世界とか永遠の視点から見ると
別にそれは
善の一部だよねみたいなことを
超越して言うような境地がありますと
はいはいはい
我々とそっちに関わりながら生きていくことが大事だ
みたいなことを言いますと
うんうんうん
だからその同じ幸福っていう言葉では
全然捉え方とか立っている地点というか観点が違う
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はいはいはい
かなと思ったりしますね
確かに今、例えば空虚に立てたとしても
これは試練なんだぞみたいな言い方ができるってことはね
そうそうそう
で、まさにこれを
まさに五六年後とか二一という人が
それはもう、なんだろうな
ルサンチマンというか
自分は知りたげられているというのを
より肯定的に捉えとする
要は矛盾だというか
癒しさがそこにあるみたいなことを言って
キリスト教を破壊していくというか
もうすごい打撃を与えていくんだけど
はーなるほど、はいはい
要は苦しんでいることを良いって思うのって
普通おかしくねみたいな
はいはい、苦しいのは苦しいんだし
もっと別の目的に向かわされてるんじゃない?
人間個人がみたいな話だよね
個人の幸福が、寄存されているみたいな
僕はその、人間の幸福が
貧しいものは幸いであるみたいなことを言った時に
「うそだろ」みたいなことを言うのね
わーなるほどね
そうそうそう
やっぱそういう時代もあるし
今、どこに立つかっていうのによって
やっぱりその、物事の捉え方って違うなって
めちゃくちゃ思うんだけど
まあ、まくまでもそう
トマスの観点から言うと
もともと持っていたキリスト教的なものとか
宗教的なものに対して
プラトンとかアリストテレスを含め
やっぱ哲学?
ってものを知性として活用しながら
まくまでも聖書の言葉には即寸すんだけれども
そういう、キリスト教を説明していく
きちんと言葉でとか理性で説明していく
そういう努力っていうのがあるなって感じますと
はいはいはい
これもちょっと繰り返しになっちゃうんだけど
優意識の時に話してるように
ブッダはこう言ったとかっていうのが残ってるから
聖書で神はこう言ったとか
誰々がこう言ったって残ってるから
やっぱめっちゃ大変だろうなって思うんだよね
当然ね聖書の中にも矛盾はあるだろうし
あーそっか
この言葉ってどういうことみたいなのもあるんだと思うんだけど
それこそ神は永遠だとか永遠ではないとか
両方の言葉が合った時に
どう乗り越えていくかとか
どう論理で落とし込んでいくかみたいな
やっぱことをやったっていうのがトマスであって
そりゃすげーよねみたいな
そりゃ最大のそこは哲学者だよねみたいな話がありますと
はいはい
単純にキンスト教聖書の解釈とか注釈書を作ったって考えたとすると
こんだけ詳細な繁章まで含めた
繁章の論破まで含めた
注釈書を作った人はいなかったよね
とも言えるみたいな感じだろうか
単純にそこで見た時に
そうそうそう
それはいわゆる神学の中だけじゃなくて
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ちゃんと哲学とか別の構造を持ったものをちゃんとぶつけてきて
それでちゃんと
でもやっぱり宗教とかキリスト教の神学ってものが成り立つんだよ
ってことをちゃんと説明した
という意味でやっぱりキリスト教をきちんと鍛え上げた人みたいな
やっぱり評価なんだなと思いますと
なるほど
ある種そういう意味で言うと
神を信じるというか神を土台に置い付ける時代に哲学ってのをやりきったという意味では
いわゆる僕らだけの意味での幸福な人だったんじゃないかなっていうのも僕の感覚としてはあって
へーはいはい
やっぱり哲学って土台がないとか0ポイントから始めるみたいなことは結構大事な学問ではあるんだけれども
神っていう一応前提とか土台にあるものを持ちながら
自由な思考を巡らすことができたある程度
という意味ではやっぱりそのある種神の土台において人間の理性っていうのをちゃんと使い切ったみたいな
はいはいはいはい
そういう知的な活動をできた人なんだなっていうのを感じたりしますと
おーなるほど
うんうんうん
やっぱり逆に言うと途中でも出たけどデカルトとかカントとかってどんどんどんどん自在を経ていくに従って
やっぱり理性が優位になっていくとそもそも神っていうものはやっぱり存在を前提とできないから
じゃあどう考えるのが正しいかとかそもそも考えるとはどういうことかとか
あるAという考え方Bという考え方があった時にどっちを取るかみたいな問題っていうのがものすごいことになってくるんだよね
はいはいまあ前提から違うみたいになっちゃうもんね
そうそうそう
私はやっぱその前提がそもそもなかったとかあるいは科学っていうのが哲学を超えてどんどん発展していった時に
ある自然科学だよね技術が発達していくとそれこそねあの核兵器みたいなも地球を壊すことができるとか
まあある種人間の存在そのものを終わらすことができるようなものまで作れてしまうわけだから
それってねある種理性の暴走だし
それはやっぱり戦争とか自然破壊みたいなものにこう現象としてもやっぱ起きている
というのがやっぱり19世紀20世紀だったよねっていう風に21世紀に生きている僕らからすると捉えられるよねと思ったりしますと
だからそのこうしたねこういう観点に立った時に僕自身ちょっと感じたのが
だからその根拠のない神をねピュアに信じていた無知な人々みたいなそういう暗黒時代の人たちは本当ダメだよねみたいな感覚じゃなくて
やっぱある程度その人間の理性の限界とかも知りながらその枠内で打倒なというか適切な生活を営んでいた種類ある人々みたいな考え方もできるんじゃないかなと思ったりしますと
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そうだからねやっぱりそういった意味ではこれも繰り返しになっちゃうけど理性の限界とか適用範囲
どこまでは人間の理性が通用するのかというのは考えというのも哲学だし実際にカントとかヘイゲーとかもあるいはその後の哲学者たちも含めてやっぱり取り組んでいることでもあるよなと思っていて
古代のギリシアとか近代以降の哲学というのが持つ理性をあるし働かせることである程度の物事というのを説明しつくせるとか理解しつくせるみたいな考えということと中世のこういったキリスト教的な哲学とか神学における神の真実というのがあって
理性を使うことである程度その本質に触れながらもそこには捉えられない信仰のルーキーがあるよねみたいなやっぱそういう考え方もあるよねってこっちの知っていくことが重要なんじゃないかなっていう
はいそれちょっとね綺麗なまとめ方をしてみようと思っているのが今回でございますと
はいごめんちょっと最後バーっと喋っちゃったけど
うんいやでもそうだねもちろんねその一番ね最初にあったその魔女がりあったないとかそれで何人死んだっていう意味でのその暗黒的な話というのは
まあ事実としてある程度あったのかもしれないけれどもやっぱりそのそれだけじゃなくてやっぱりそのキリスト教カトリックというものを見た時にここはでものおとがあったり
キリスト教そのものに対して向き合った人が存在したただそれが故に起こったいろんなことはあったんだろうねっていう意味で
うんうんただただやっぱ暗黒とは言えないしこうやってねその魔獣2世紀から13世紀かな
1200年あるけれどもアリストテレスその古代のその理性みたいなことを結びついてさらに説明しきった人がいたすごい面白いと思ったんだけれども
うん今回そうだねいい感想を言っていいかななんか今回さっきさ最後はハヤトがそのある意味そのトマスアキナスの時代
トマスアキナスは神を信じることができた時代にこういったその鉄櫓をさらに取り入れて
2世紀の理性というものを限界に挑戦できた幸せなそういう意味では幸せなその魔儀性を働かせた人だったみたいなことを言ってたんだけれども
そこをねちょっと今回聞いてちょっと逆な面逆というかもうちょっとこうなんかトマスアキナスの苦悩みたいなものだったりその時代感
その時代だったからこそこういった天才がキリスト教を強める方向で考えざるを得なかったその苦悩的なものを勝手に感じてしまって
まあねこれ歴史も何も知らないから今日聞いた話の中でだけの想像なんだけれども
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今回その進学大禅っていう言葉はしてたんだけれども前回で言ったその対イキオート大禅っていうのを書いた
イキオートに対してたぶん説明するとかそういう人たちがまあ反論に応える意味があったのかなって勝手に想像するし
進学大禅も基本的にはそういう構造になってるんだもんね まあそうだね問いがあって反論があってみたいな
ことを考えた時にそのこれ完全なる想像なんだけど トマスアキナスが元々そういうかなり先進的なグループに属してた
うんうんうんしね当時とかなり最先端だったアリストテレスという考え方も勉強していたと考えるに パスアキナスがそのキリソ教に対するもしかする本人が不信感とまで言わないにしてもちょっとこう不十分な部分だったりとか
当時のカトリックの正当派の聖書の解釈でちょっと無理あるんじゃないとかっていうものを多分持ってたんじゃないかなって思って
ただそれを若正直に「いや俺こう思うんすよ」ってここってちょっと違うんじゃないですかねっていうと
角が立つところから生き事扱いされて殺されるリスクがあったんじゃないかと そういった時にじゃあどうしようかなってその自分のやっぱり能力と
その自分の問いみたいなものがあった時の解消方法というかペクトルとして この対生き事対戦や自分が思ったんじゃなくて
こういう風に多分言われたんすよねとかこういう風な反証ってあると思うんすよねっていう ある意味自分じゃないものに問いを立てさせて
それに対して自分が思うこととか ただその持っていく方向はあくまでその聖書の解釈だったりとか
当初カトリックに沿った方向に論理を展開していくっていう必然性は時代的にあったのかなっていう
その限界でカトリックっていうものに下手すると一旦扱いされちゃうんですよね
アリストテレスを混ぜた時にただ単純に混ぜると多分一旦扱いされるし単純には正当派から受け入れられない
っていういろんな制約がある中で自分の考え方だったりとか基礎性というものを強化 強固なものにしようっていう方向で自分の能力をめっちゃ使った
っていう意味で面白いなと思ってだからこれがやっぱり時代が時代だとすると もしデカートとか関東時代に生まれたとするともしかすると神宮いない方向で
この力を使ったらそれはそれで論勝できたんじゃないかなっていう天才性をすごく感じた
うんうんうん 面白かったかなだからそういう意味ではねその
なんだろうなキースト教うーんというものを信じた中でのピュアなキースト教をただた 強固にしていった経緯を強化していったことに貢献した人っていう感じよりは自分の能力をそっちに発揮せざるを得なかった
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時代的にじゃないと信じ合うみたいな 意味でそこを多分時代感とかを多分冷静に見ながらそっちにめちゃくちゃ発揮した
うんいう意味でも超天才はいつも超天才って言うけど 天才の話をいつもしてくれてるからなぁそうね
うんそういう冷静さとそういうある意味で苦悩というかね そういう形にせざるを得なかった時代感そういう意味での暗黒時代みたいな感じだよね
うんうんうんうん その意味でまだまだその自分のその思想だったりとか意見を自由に発表することの危うさみたいな
そこの抜け穴をこううまくすり抜けてというか うん
すり抜けずにもしくはちゃんとキースト教を強化する方法でやった人なのかなーってすごい感じた うん
これはねもう想像だから実際どうなんか知らんけど そうね実際にそのやっぱりねその当時のキリスト教メインのものがやっぱりある種堕落とか腐敗していたみたいな認識はあったっていうのもなんか読んだ気がするし
うん そうだそうあとあの僕が幸福な人って言ったのはえっと辿り着けたって意味の幸福っていう意味合いで
考え尽くしても辿り着けなくて要はこれだけのものを思想として残せなかった人なんてのはたくさんいる中で
はいはいはい まあそれと逆に聖約だったりとか神っていう参照点があったからこそここまでのことやっぱりやり切って歴史に残っているとか残している
うんうん これだけの人に影響を与えるような思想を出すことができたみたいな意味では哲学者として幸福な人だろうなっていうふうに思うんですよね
そうキリスト教の進学者として そうだよね前提がそもそもないみたいな今と時代があるとやっぱそれってもう何かを体験作るというのはもうそもそも不可能みたいな
かなり難しくなるよねやっぱり そういうことを考えるとってことだよねある意味のその時代的な正解というものがあってそこを言って説明し尽くしたっていう意味ですごいすごいというか
うん 高福っていうことよねそうそうその学者としてとかねその教授としてっていう
はいまあしまあやっぱり兄貴が言ってくれた通りやっぱり逆にこれを多分トマスがやったことによってキリスト教と哲学とか理性っていうのがグッと入り込んだ時に
その内側からやっぱり性でこうなんだろう進学を食い潰すみたいなやっぱり企画になったんじゃないかっていう感覚も僕自身もったしそれが分かれてればさやっぱり性は理性で信仰は信仰だって言っちゃえばそこって別にいいんだけど
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理性と信仰が合わさると理性が強くなった時に信仰が弱くなるみたいなやっぱり原因もそこにあったんじゃないかと思うしもっと弱くなってきたからこそ理性の力を使わなきゃいけなかったんじゃないかとかってのは想像できるし
信じておけで信じてくれるならその方がやっぱ楽じゃない
まあ本当にねそうだよね
だからこそ当時の多分僕もあんまりねそっちの方は知らないけれどもキリスト教のちょっとのぐらい影響が本当に強かったのかとかあったのかとかどういう風に信仰されていたのかとかってこともちゃんと付き合わせて考えたらもっとトマスがやるとしたことが見えてくるかなとも思ったりするし
みたいなねこう考えたらやっぱりねなんかこうやっぱり哲学とかもつきないなって思いますね本当に
うんうんうんそうだね面白いしなんかそうだね今後近代とかもっと進んでいくとか今後ねまたその別の人キリケゴールとか見ていくにあたってもこの辺が多分出発線あたりとか
を理解してるとまたもう深みが出るというか いうかと思うからねやっぱそれときにまた実はこの時はねみたいな話を補足というかねそうだねそうだねやっぱり今回は主のその神の世界とね因縁の世界とか
その断絶してるみたいな話っていうのは結構ねその後にも引き継がれていくテーマだったりするので その辺もなんとなく感じながらあの次回以降もちょっとぜひ聞いていただけたらなぁと思っております
はいそしたらですねちょっと2回に渡ってともさくいなすやってるんですが一応今回で中世編は終了というところで次回ちょっとまた感想とか含めてはい脱断していこうと思っております
はいこれですではまた次回もよろしくお願いしますお願いしますありがとうございます
me
♪~