1. 【10分言語学】志賀十五の壺
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2025-01-11 10:50

#720 存在と所有のはざまの言語学 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、存在と所有の関係について考察し、日本語と言語学的な視点からその連続性を探ります。特に、存在文と所有文の使い方の違いや類似点について、具体例を交えて説明しています。

存在と所有の考察
始まりました、志賀十五の壺。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。おろち丸です。
今回は、存在と所有について考えていこうと思います。
なかなか堅苦しいですが、当然言語学的にね、考えていくということで、
似たような話はね、過去にやっておりますので、結構かぶってる話があるんじゃないかなと思うので、
ぜひそちらもURLを概要欄に貼っておきますので、興味のある方、併せて聞いていただけたらと思います。
特に日本語で考えるとわかりやすいんですが、存在と所有っていうのは連続してるんですよね。
もっと言うと、存在同士のいるとかあるっていうのを、所有文にも使うことがあるということです。
テーブルの上にリンゴがある。これは存在文なわけですが、
同じ構文というかね、同じ枠組みで、彼に知識があるといえば、
彼っていうのが所有者で、知識っていうのが所有物とみなすことができます。
ただ、いつでもどこでもこの存在同士を所有文に使えるかというと、どうなんでしょうね。
調べたらわかると思うんですけど、彼は本を持っているって言った場合は、
これは持つという他動詞を使って所有文を表しているわけですが、
彼に本があるっていうのはひょっとすると言いづらいかもしれません。
逆に、彼には妹がいるっていう所有文を、彼は妹を持っているっていう言い方は厳しいですよね。
所有物が物なのか人なのかによって、ひょっとしたら存在同士を使えるかどうかっていうのが関わっているかもしれません。
その辺の話も面白そうですが、今回は一旦置いておいて、
ひとまず日本語では存在同士のいるあるっていうのを所有文にも使います。
そういった意味で存在と所有っていうのは連続してるんですよね。
日本語と英語の比較
一方、英語だと所有表現にはhaveっていう他動詞を使って、
英語の場合はI have a sisterとか言えるので、
所有物が人間名詞であっても、haveっていうのは平気で使うことができます。
そういう英語みたいなhaveっていう他動詞を使う言語と比べると、
日本語っていうのは存在同士を使って、
所有者の方を一種の場所扱いしているということですね。
それがにっていうのでマークされて、
所有物の方ががっていうのがついて、
彼には知識があるっていう言い方になるということです。
では、彼には知識があるといった場合、一体主語はどっちなんでしょうか。
日本語っていう言語はがっていうのが主語につくとよく考えられます。
この番組でもたびたびそういった言い方はしてるんですが、
この辺がなかなか微妙なとこです。
彼には知識がある。
これがもし存在文だったら、
テーブルの上にリンゴがあるといった場合は、
リンゴが主語かなっていう感じがするんですが、
彼には知識がある。
この所有文の主語は、
所有者の方、彼にの方だと考えられるんですね。
言語の変化の可能性
それも一つの見方といえばそうなんですけど、
どういうことかというと、
主語っていうのはなかなか複雑というか、
結構ややこしいところがあって、
ががつけば主語だっていうのはシンプルですけど、
それで全て解決できるわけではないです。
今回はそのようなケースになっています。
主語とは何なのかっていうエピソードも過去に配信してるんですが、
主語の基準として一つは、
動詞というか述語を尊敬語にする名詞が主語だというのがあります。
例えば、彼には妹がいるっていう所有文を、
彼のところを先生に変えて尊敬語を作ると、
先生には妹がいらっしゃるとなります。
これがね、果たしていらっしゃるっていう形にしてるのは、
先生の方なのか妹の方なのかっていうのはね、
ちょっと微妙っちゃ微妙なんですよね。
似たような話はね、たぶん関連エピソードでもやってるんですけど、
先生には妹がいらっしゃるっていう、
いらっしゃるっていう動詞の形を変えるトリガーになっているのが先生だとしたら、
やっぱり先生っていうのが主語だということができます。
こういうのを二角主語とか言ったりして、
日本語の主語っていうのは、にっていうのがつくことがあるんですね。
これは所有文だけではなくて、わかるみたいな動詞がそうです。
彼に英語がわかる。
これを尊敬語にして先生にまた変えて、
先生に英語がおわかりになる。
にだけだとちょっときついですかね。
先生には英語がおわかりになるっていうふうに言うと。
この場合ははっきりと動詞の形を変えているのは英語じゃなくて、
先生の方ですので、これはやっぱり二角主語なんですよね。
それと並行的に考えれば、
先生には妹がいらっしゃるっていうのもやっぱり先生の方が主語で、
日本語の存在動詞を使った所有文の主語っていうのは、
やっぱり所有者の方だということが言えるんではないかと思います。
ですので、日本語の彼に妹がいるっていう所有文は、
主語の方がにで表されて、目的語の方ががで表されているっていう、
ちょっと変わった格表示の仕方ということができます。
もしかしたら今後、
所有者の方ががで目的語の方がをっていうふうに、
典型的な他動詞の格表示に変わっていくかもしれません。
彼が妹をあるみたいな言い方になるということですね。
これ相当違和感あると思いますが、なくはないなと思うんですね。
知っているっていう、知るっていう動詞の健常語、
存じ上げるっていうのは、まさにこれが起こっていって、
これは私がそのことを存じ上げているっていうふうに、
がとをが出てきているわけですが、
この存じ上げるっていうのは、漢字からわかるように、
存ずっていうのがおそらく元なんですよね。
この存ずっていうのは漢語なわけですけど、
あるという意味の存在動詞で、
古文の辞書を見てみたら、
この存ずっていうのが持つっていう意味で使われていたそうです。
現代語では健常語としてしか残ってないし、
しかも意味は所有じゃなくて知識みたいなことになっているわけですが、
あるいは思うみたいなね、より抽象的な意味になってますが、
何々を存ずっていう言い方はあったみたいなんですよね、昔は。
あるいは存じ上げるっていうのをわざわざ出さなくても、
有するっていうのがあります。
これも漢語から来ているわけですが、
あるという字ですよね。
これは現代語でも所有の意味で使って、
何でもいいですけどね、
権利を有するみたいな感じで、
存在動詞が所有文で使われ、
かつ、所有物の方が権利をっていう風に、
典型的な目的語のマークであるをというのがついています。
そういう風に、
存在動詞がだんだん多動詞っぽくなっているということが起こっているので、
彼が妹をいるみたいな言い方が、
もしかしたら今後出てくるかもしれません。
というわけで今回は存在と所有、
あるいは知識、思考、
そういったものの連続性のお話でございました。
関連エピソードもぜひ聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:50

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