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おはようございます。しゅうへいです。このラジオでは、1年後のあなたが楽になるヒントを、1日1つ、瀬戸内海の島からお届けしております。
引き続き、瀬戸内海も猛暑で暑いですね。皆さんも体調気を付けてお過ごしください。で、今日のテーマはですね、「嫌いなあの人を楽に許す方法」ということで、昨日の放送に続いてですね、文人主義。
平野さんという作家さんの文人主義という考え方が非常に面白かったので、今週は、本当の自分とは何かとか、自分の評価とか、自分は何者なのかみたいな、自分の正体みたいなものを、文人主義とか仏教の無我とかから考えていく週にできたらいいかなというふうに思います。
なので、今日のね、この自分の、あの人が嫌いっていうのを楽に許す方法なんですけど、昨日の放送の文人主義の解説、ざっくりとした解説を聞くと、さらにより理解できやすいかなと思うので、今日のチャプターの1に入れてますので、もしまだ聞いてないという方は、そちらも併せて聞くと、より理解が深まるかもしれません。
はい、ということで、じゃあ今日のテーマに入っていくんですけど、人生で常にあの人が嫌だな、あの人が苦手だな、なんであの人はそんなことするんだろう、なんか嫌だなみたいな、なんかツイッターでその人の名前が出てくると、うわっとか、インスタでちょっとフォローはしてるんだけど、フォローを外すとまた何か思われそうでフォローしてるけど、何かこう表示されたら嫌だなとか、
なんかフォローを外すとかブロックするまでじゃないんだけど、なんかこの人の発言が鼻につくなとか、それはこう職場とか学校とかね、あとはママともとかパパともとか、趣味とかサークルとか、いろんなところにそういう人がなんか常にいませんか、僕はね、僕もやっぱいるんだよね、でなんか前はそんなと思ってなかった、なんか最近ちょっと気になるなーっていう人もいたら、
で、それからまた気にならなくなったんだけど、またなんかこの人鼻につくなこと言ってんなーとか、自分に言ってんのかなーみたいなね、薄々気にすることを僕もあります。で、もちろんそれがこう過度になるとやっぱ嫌いだとか、まあなんならもうミュートをしたりとかフォロー外したりとか、SNSで言うとね、あとはこうリアルなところで言うと、まあその、例えばその人と会わないようにするとかっていうような距離感を僕も調整したりしてますね。
で、あの、まあ文人主義というその本当の自分みたいなものは一つとかではなくて、例えば大好きな人を思い浮かべてみてください。家族とかパートナーとか芸能人とかでもいいけど、その芸能人の情報に触れてる時とかライブに行ってる時のあなたとか、大好きなパートナーと一緒にカフェにいるあなたとか、ご飯食べに行ってる時のあなたとか、そういう一人一人のあなたがいますよね、これを文人という単位で考えるのが文人主義なんです。
一つ前の放送でも話しましたけど、で、ということは、その要するに今日のテーマですけど、嫌いなあの人を楽に許す方法なんですけど、あなたが嫌っている、例えばそうだな、田中さん、田中さんっていう人が本当嫌いとかではないんだけどごめんなさい、田中さんっていう人がもしあなたが嫌い、僕が嫌いだったとした時に、でもあなたが嫌っている田中さんというのは田中さんの文人の一人なんですよね。
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あなたは田中さんの、田中さんというと本当に身近な田中さんのこと言っちゃいけないあれだけど、その嫌いなあなたの、そうだな、嫌いな相手のすべてを知ってるわけじゃないじゃないですか。そうでしょ。どんなに嫌な人にも何か良いところがあるというか、なんかあの、think like a monk、あの、モンク思考という本があるんですけど、僕これもこの前読んで面白かった、まあ久しぶりに読んで面白かったんですけど、
あの、モンク思考の中に、あの、なんかその誰か愚痴を言いたくなったり誰かに怒りたくなったらこうしようっていう話があって、それは何かというと、そのどんなに嫌だなって思う人で嫌な点を紙に書き出すんですね。で、3つぐらい書き出すと、それと同時に良い点も書き出してくださいという風になると、結構嫌な点よりも良いところも同じぐらい、何ならそれ以上出てくるらしいんですよ。僕まだやったことないんだけど、
確かにちょっと思い返したら、まあそうだよね、全部知ってるわけじゃないし、っていうことですよ。だから、もしあなたがその一方的に誰かから嫌われてた時に、お前のことはこうだから嫌いだって言われたら多分、
対外の人が、まあごめんなさいか、またはいやそんなことないとか、まあ同時にどっちも思うかもしれないけど、いや自分にはこういうところもあってって思うじゃん。
っていうことを多分ね、そのあなたが嫌いな相手も同じことを思うんですよ。そう、だから何が言いたいかというと、要するにあなたが嫌っているその人自身も、あなたが嫌っている一面の文人でしかない。全部が、全部を知ってるわけじゃない。
っていうことです。それはあなたが嫌われた時に、自分のこと何も知らずにあんなこと言いやがってって思うのと同じです。そう、まさにそういう言葉って文人主義的な考え方を表してますよね。
狙ってようが狙ってまいが。つまり、僕らはもうパートオブミーなんですよ。全部。ワンサイドオブミーなんですよ。まあこう言葉間違ってるかもしれないけど。そう、だから誰かを嫌い、あの人苦手だなって思って全然いいし、でも思って嫌いで嫌だなって思ってても、でもなんかそのままだと嫌だっていう場合は許す方法もあると。
で、その許し方は何かというと、無理やりいやあの人はいい人なんだって思うんじゃなくて、自分はあの人のこういう部分は嫌い、こういう文人の部分は嫌いだったけども、もしかしたらあの人にはそれとは違う、違う文人の部分があるはずだと。それは自分と同じようにね。
で、もし自分の嫌いな人と仮に自分の友達とか仲良い人が仲良くしてた時に、なんであんな奴と仲良くするんだって思ったとしても、それもいいんだと。なぜならば、そのあなたが嫌いな人が見せている一面はあなたにとっては嫌かもしれないけども、もしかしたらあなたの友達にとってはその文人はもしかしたら少しいい人なのかもしれない。友達にとってはね。
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友達にとってはこの人と付き合いたいなと思う文人を見せてくれてるのかもしれない。そう、だからたまたまそのあなたが嫌いな人とあなたのその代表ですよね。レペゼンあなたみたいな。レペゼン、あなたの代表の文人みたいな同士が出てきてたまたま相性が悪かったっていう風に考えると、なんか自分があの人を嫌っていてなんか自分が惨めだなとか、ちっちゃい人間だなと思わなくてもいいし、
もう一方で相手に対してもなんであんな人間なんだってことも思う度合いが低くなりませんか。僕はなったんですよね。楽になったんですよ。文人の一人だもんな。自分も文人の一人だし、みたいな。
あともう一個、あの人嫌いだなって思ったのを楽に直す方法としては、あなた自身も割と理由なく誰か嫌いますよねっていう話です。
これ僕もあります。なんかまあ違和感とかもある。で実際に話したり実際に何か一緒にやることがあって苦手だなって思う人もいる。話してみたりとかしてね。でもほとんどの場合は
ツイッターとかさ、SNS流れてくる場合とかってさ、まあなんとなくなんですよ。特に理由がないの。
でそういうふうに考えると、あなた自身仮に嫌われたとしても、それは特段あんまり理由がないかもしれない。同じようにあなたが誰かを特段理由もなくなんか嫌だなと思ってるだけ。
ってことはさ、何かしたかなとか心配になるじゃん。自分が嫌われたりとか嫌われてるかなと思った時何かしたかな何がまずかったかなと思うけど、特段理由もないっていうことなんですよ。
でこの特段理由もなく嫌うっていうことすらも文人の一人の考え方なんですよね。
そう、だからそれでいいんだよ。あ、私のこの文人はあの人のことが苦手なんだなって思っとけばいい。そうするとその人のことをそんな憎らしく思う比率みたいなのも多分低くなっていくんです。
あ、自分のこの文人のここの部分があの人嫌いなんだなって思うだけなんで、自分全体として嫌ってる。もう真っ向から対立しようみたいな思ってないっていうふうに捉えられるんですよ。
なので実はこう苦手な人に対してどう思うか、そして苦手な人を苦手と思われたらどうしようかっていうのはこれ結構表裏一体で、
コインの表と裏のような関係なので、この文人主義っていう考え方を導入することによって両方が少し楽になるんですよね。
僕はなんかほんと読んで、はーっと思って自分の今までのこととか反省したりとか申し訳なかったなと思いつつ、一方でそっか、そんな気にしなくていいんだなと。
僕の文人の一部が相性が悪かった。で、相手の文人の一部が自分が苦手だなと思っただけなんだっていうふうに思えたんですよね。
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なのでぜひ嫌いな人で消耗するというか考えただけであーってなる人は多分この文人の一部同士っていうふうに思うとすごい気が楽になると思うので、
ぜひ試してこういう視点を持って少し考えてみる時間をとってみるといいんじゃないかななんてことを思います。
ということで今日ちょっと文人主義とか文人的な考え方がピンとこなかった方はぜひ一つ前の放送でもう少し詳しく文人について話してますのでよかったら聞いてみてください。
明日も何かしらこういった文人主義から得た話とか、あとは仏教の無我とをつなげてももしかしたらいいかもしれないね、あとはセルフイメージとかそういった話をできたらいいかなというふうに思います。
今日も聞いていただいてありがとうございました。また次回お会いしましょう。バイバーイ。