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おだしょー:こんにちは おまわし です
佐々木:佐々木です
おだしょー:前回 タスク管理トレーニングセンター という 僕と佐々木さんが一緒にやっている
オンライン講座があるんですけれども そのご紹介をさせていただいて
10月末までこのコードを入力いただく と 割引になりますよということで
ご紹介させていただいたら 早速 何名かの方にお申し込みいただき
ました ありがとうございます タスク管理トレーニングセンター
については また改めて概要欄の ほうに載せておきますけれども
この中で佐々木さんがある日の 自分のタスクシュートクラウド
の画面を見せながら こういうふう に過ごしてますと こういうふう
にタスクシュートクラウドを使って ますというふうな事例紹介の動画
がありまして その中だけでもないん ですけれども よくタスク管理において
1日の予定を立てた上で これとこれを 今日やろうと言って1日を過ごすん
ですけれども 結局 やろうと思った ことができなかったとなって 非常
にこの安短たる気持ちでベッドに 入ると その時にこういう気持ちは
誰しもが味わったことがあるし 日々 味わっているという方もいる
と思うんですけど この感情を罪悪感 というふうに呼んだりするじゃない
ですか 罪悪感って他の人に対して そういう
つもりじゃなかったのに傷つけて しまったとか そういう時に感じる
他の人に対して感じる感情だと思 うんだけれども でも今日やろう
と思ってやれなかったことに対して 感じるっていうのは これは結局
自分に対して感じることなんですよ ね これって考えてみたらおかしい
なというか 不思議だなという感じがするんですよ
いずれにしても罪悪感を感じている と自分に対して自信がなくなって
いくというか 自分っていうのは 予定を立ててもできない人間なんだな
となっていくと だんだん本来やればできる自分
なのに それができなくなってしまう という
じゃあ何も決めずに思い付いた とおりにやればいいのかって言う
と多分それもうまくいかないという か 多分それで過ごしてみると やっぱり
一日の初めに今日やろうと思った ことを決めればよかったなって
なって じゃあどっちがいいんだということ
になっていくじゃないですか こういう罪悪感をめぐるどっちに
すればいいんだ問題っていうのが あるなと思っていて これについて
今日は話したいと思うんですけども この辺りのまずは大橋さんの罪悪感
に対する見解っていうのはあります か 今大橋さんが言われた中で言う
と罪悪感をまず人に対して持つ っていうのが これが多分やっぱり
出発点にあるんだろうなとは思います ね だから これ僕はやっぱり心理学
畑から考えちゃう癖があるから 罪悪感といえば専門用語になって
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しまうんだけど長寿がという言葉 になるんですけど あれ要は最初
は親なんですよね 親に対して罪悪感を持つ年頃という
ものがありまして それ以降罪悪感を持つことが
できるんですけれども 私も娘を育てててつくづく思った
のはまず人間最初は罪悪感なんて 持つ能力はないってことなんですよ
それが少なくとも0歳早々の10日 目とか20日目のときに親に罪悪感
ってかけらほども抱いていないん ですよ 親に対して罪悪感を持ち
出すのがいつ頃かというのは実は ちょっと諸説があるぐらい簡単な
話ではないんだけど 少なくとも 佐々江さんでもおなじみの勝雄
君がやっちゃいけないことをやって 並兵が怒った顔を思い浮かべる
みたいなシーンが出てくると あれを見るとみんなが納得できる
ということはみんなああいうこと を知ってるわけなんですよね
つまり子供のときには実際に親 に叱られたという記憶があって
その記憶が頭に根付いていつしか 悪いことをしようと悪いとされている
ことをしそうになると勝手に親の 顔が浮かんできてね
その親の顔によってお前悪いこと をしようとしているぞとそういうこと
をすると俺が罰するぞと非常に 不思議なんですけどね
それ想像の中の出来事だからそれを そこまで恐れる理由はないんだ
けど子供はこれに完全にある意味 コントロールされる時期があるんです
よね おそらく2,3歳だろうとは思うん
ですけれどもこれが罪悪感の原型 かなというふうに思いますね
でこの多分並兵の顔がいずれ長寿 画と呼ばれるものにだんだんな
っていくんですよね
これはそのやってしまったこと に対して感じることじゃないですか
罪悪感ってね
そうやってしまったことに対して 次に罰が来るという怖さがリセット
ですねその親によって罰される というこれはこれから起こること
ですね
なので例えばこの1日の終わり に罪悪感を感じるっていうこと
もあればですねちょっと今聞いて て思ったのは朝の時点で今日も
1日が始まるけど昨日みたいに何 もできなくてやろうと思ったことが
できなくてまた罪悪感を味わう のはやだなと思いつつまたでも
味わうことになるんだろうなみたいな ですね
なんかこう戦う前からもう負けて しまうというかね
そうするとこう本当に身動きが 取れないというかなんか失敗しない
ような安排でいきたいなみたいな ね
そうするとね結局そのまあそんな スタンスではうまくいきっこない
じゃないですか
だからなんかこれを何とかで破 したいというか結局じゃあ僕なり
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のその解放としてはですね昨日 は昨日今日は今日ということで
まあ白紙の状態というかねとい ったことをリセットしてゼロ
から何て言うんだろう昨日のその 罪悪感を引きずらずに始めれば
いいんだろうなと思うんですよね
はいはいはい
ただそれはまあ多分このコンピュータ みたいにですね新規作成みたいな
感じで空っぽのファイルを作る みたいなわけにはいかないじゃない
ですかね
うんはいはい
だからそれはどう乗り越えたら いいのかっていうところなんです
よね
それで今のお話の中にももう出て くるんだけれども結局まずね
罰するのは本当は他人だったわけ ですよ最初はね
勝雄くんと並平は別の人だから つまり罰するのが他人ということ
は罪悪感を持つのが他人だった のは大橋さんが言う通り当然なんです
よね最初はそうだったんだから
だけどいつしか自分の心の中に 住みついてしまうわけですよ罰
する人がそして監視している人 がね同じ人ですけどつまり自分
で自分に罪悪感を抱くというのは 実はこのおそらくは元親だった
ようなやつに対して罪悪感を持ち その自分自身の中に住んでいる
長寿がなんだけどその長寿がという やつに罰されるということを恐
れてやっぱり罪悪感の予想みたいな ものそれを持つことになるような
ことをそれ自体が怖いと思うような そんな出来事が起こるようになって
いくんですよね人というのはこれ 多分人だけと言い切れるか分からない
けどおそらく人間の心の特徴なん でしょうねこういうものがなければ
立法とか法律ってほとんど意味 をなさないので多分こういうこと
が全ての人にある程度は機能する ようになっているということなんだろう
と思いますでさっき大橋さんおっしゃ ったみたいにその新規今日から
全く新しくやるってことができない っていうことと実はこの罪悪感
というものを引きずるっていう の同じことだと思うんですよね
罪悪感を植え付けられたのはやっぱり 本当過去にあるわけですよその
原点というのか景気となったきっかけ みたいなものっていうのは多分
2,3歳の頃にあるんですよねこれを ある意味発動させなければまず
一つはいいんだと思うんですよね でそんなことができるのかと思
われるんだけど多分ですね大人 になってこれをやったらかなり
問題だよねということについて はそうたやすく罪悪感を抱かない
というのを発動できないと思うん ですが私は何でもかんでも罪悪感
が発動するっていうのはやっぱり 今の仕組みから考えても大変おかしい
なことなんじゃないかなって思う ようになりましただって元々が
つまり活憶を並へが起こるっていう 程度の話なんでそれをわざわざ
ですね自分の行動を立するために なんだけどコントロールするために
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いちいちですね長寿ががこう罰 を与えるぞという話を持ち込む
ことじゃないと思うんですよ例えば まあさっきの話で言うと今日やる
べきことが終わらなかったとそんな ことをわざわざ親に怒られる
云々の話から持ってきて自分の 行動をコントロールするっていう
ほどのことじゃないと思うんですよ ねだからここは罪悪感というもの
を持たないと多分決めることで ですね持たなくなることは割と
簡単にできるんじゃないかなという ふうに思ってますけれどもね
それに対してですね昨日はでき なかったけど今日またやればいい
じゃないかというふうに予想を 今新たにですね決意をするとしても
このもし同じように今日もでき なかったらその結局だから仕事
ってね終わらなければ翌日以降 に取り返していかなきゃいけない
わけですよまあ単純に論文を書く みたいな仕事であればその一日
何ページとか何ページというより はないか何文字書くとかね今日は
これぐらいの分量を進めるとか って決めたものが進められなかったら
その分も含めて翌日以降に返して いかなきゃいけないというか
借金が溜まっていくかのようにね 蓄積していくようなこれはあく
までもイメージですけれどもそう なると到底返しきれないぐらい
のね不採用を負ってしまうんじゃない かというところから結局だから
その大学館とは別になんかこう もう返しきれないぐらいの不採用
を抱えてしまってもうダメだ逃げ たいって思うようなところもある
と思うんですよねそうなったら 当然ねじゃあ見倒すかあるいは
それでも今日からシャクシャクと 返し始めるしかないと覚悟を決める
かしかないと思うんですけどなんか 結局その大学館とは別に返しきれない
不採っていうその負担というかね 負荷かなからまた動けなくなって
しまうようなこともありそうなんですよ ね
で今の話の中でももう何度も出て きましたけれども負担とか負荷
っていうのも多分やっぱり罪悪 感を抱いてるんだろうなと思うん
ですでそれってある決まりごと に基づいているという印象がやっぱり
あってその罪悪感を抱くためには 自分で決めたことは自分で守らなければ
いけないっていう多分その長寺 家的なルールが一つあるんだろう
と思うそういうことが心の負担 になる人にしてみるとですね自分
で決めたことはちゃんとやらな ければいけないよっていうそういう
何か正しさのようなものがない とそうしなかったからといって
罪悪感を持つようになるはずが ないんですよね私は実際自分で
決めたことをしなければいけない とは思ってないのでそのような
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ことでは罪悪感は抱かないので 不採が増えるってことはないんですよ
これはそういうものを自分の心 の中にルールとして持つか持たない
かで多分決まるんだと思うあの さっきの沙澤さんの話で言うと
盆栽終わったとかなんでもいいん ですけれどもそれは並兵の決めた
ルールですよねいずれそれを自分 で決めるようになっていくんだけ
れども自分で決めるようになる ってことはですね根拠が特別ない
限り自分で決めなくても別にいい わけじゃないですか自分でそういう
ルールを正しいとしなくてもいい わけですよ自分でそういうルール
を正しいとしたから守れないとき に罪悪感を抱くっていうこの仕組み
が実は最初はそういうところに 端を発してたんですよね一番最初
に親の言った通りに親が言った 通りに親が言うのは正しいって
決めたのはそれは別に何か根拠 があってのことではないと思うん
ですよね親が言ったから正しかったん ですよそれと同じ構造をこれは
持ってるんですよ長寿が言った から正しいことになっちゃってる
んですよそれ捨てるのは意思で できることだと思うんですよ社会
にそれによってバッシングされない のであればっていうことなんだけど
今の話でいくとタスクシュート に置き換えるとですねタスクシュート
じゃなくてもあらかじめ今日やる ことをタスクリストに書き出す
とかそういうことをしてる方多い と思うんですけどその夏期に
そのタスクリストを書いている 自分っていうのがいてその人の
通りにできなかったっていうのが 今の話ですよね
そうですただしそこに一文一文 間違いなくこういうのがあると思
うんですよねこの人が書いた通り にするのが正しいとそういうルール
がその時セットで発生してたと思 うんですよ心の中にねだけれども
青橋さんもご存じの通りタスクシュート 自体にそのルールはないと僕は
思うんですよねタスクシュート を作って設計したときにここに
書いたことをやるのが正しいよ とはタスクシュートは言ってない
と僕は思うんですよ
マニュアルの法則という本に興味 とコミットっていうのが出てくるん
ですね興味っていうのがこういうこと をできたらいいなとかこれやり
たいんだよなとか興味本位なわけ ですよっていうものとあとは絶対
これ今日やるぞとあるいは今日 これを沢木さんっていう人に提起
するんだという思いを込めて書いた ものもあってねそれが一色たに
まとまっているわけですよねなので 当然このコミットするものはできる
んだけども興味本位のものはでき なくてもね興味本位だったから
いっかっていうふうに諦められる んだけどもでもいずれのものも
ですね同じフォントで同じ太さ でね書かれるもんだからどれも
がコミットに見えるんだろうね
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でもね私は大橋さんはタスクシュート の創始者なんだからある意味
もっと自信を持っていいっていつも 思っていてねそれを言ったのは
マークホースターなんですよつまり コミットだったら絶対にやんな
きゃいけないという正しさは彼が 発生させたものであってそういう
法則なりなんか客観的なジャッジメント の基準なりを世の中が持ってる
わけではないんですよつまりタスクシュート にコミットを書こうと興味本位
で書こうとそれをやらなければいけない というふうにタスクシュートは
やっぱり僕は言ったことがない と思うんですよつまりそのうち
の一つをやらなくても罪悪感を持つ 理由にはならないと思います
ねワカリンファス1個もやらなくても 悪いってことにはならないと思
うんですよね
そうか僕自身は日々今はタスクマン タスクシュートクラウド両方使
ってますけどタスクマンにある ものもクラウドにあるものもやら
ずに終わる日が結構多いわけですよ ね特にクラウドのものはパソコン
で行う仕事が中心なのでこれと これ何かルートできてないなっていう
のは目に入ってくるし認識もして てそのときに一定期間以上全く
手をつけずにリピータスクですよ ね毎日これやろうと決めてリピート
タスクだからそこに現れるんだ けども今日もできなかったとクラウド
はよくしたもので手をつけない 日数のカウントが勝手にカウント
アップされててもうこれ14日間も やってないんだみたいなね逆に
やったものはクラスのカウント アップがされていくので非常に
そこがツールならではというか これできないなっていうのが数値化
されてつけられるので多分それを 見た人はっていうふうに思って
そこに大変か覚えるだろうなと思 うんだけども僕は逆にこれはこれ
だけやれないということはやらなくても いいんだっていうふうに最近思う
ようになってねそういうものを 消すようにしてるんですよそう
すると冷蔵庫でひなみだトマト とかが冷蔵庫に入ってると冷蔵庫
開けるたびにさトマト食べなきゃ でもトマトを使うレシピないし
なとかつって蓋を閉めるわけですよ ねその感覚に近くてだったらトマト
捨てればいいわけじゃないですか けど参加コストというかトマト
なんかせっかく買ったのになとか 買うときはあれもしようこれもしよう
と思ってるトマト買ったのにな っていう何か恨めしい何かがある
わけですよねそれを捨てられない とそれに似てるかなと
これは僕がもう言いまくってる から聞き飽きられてるかもと思
うんですけれどもトマトとかは捨て られないんですよ結局ね捨てるん
だけれどもだってそれは外から 買ってきたものじゃないですか
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だからもったいないという参加 コストって今おっしゃった通り
の現象は当然起きるんだけどタスク シュートはそうじゃないんですよ
あれは何を書くのも自由自在で 買ってきたから書いてるわけじゃ
なくて要するに書きたいから書いてる だけなんで参加コストが発生する
っていう段階ですでに何かが狂い 始めてると僕は思うんですよね
やっぱりねあれをこうねあれは やっぱり僕が思うに私自身の素
の反映であるのが一番望ましくて さっき小橋さんもおっしゃった
ようにこれほどこれをしないということ は私はこれをしない人なんですよ
そういうふうに判定してさっさ と捨てなきゃいけないと思うん
ですよねどっちかといえばねだから 参加コストが発生するっていう
のはこうなりたいっていうのを 反映させようっていうふうに考
えてるわけですよね私はこれを する人でありたいっていうこと
ですよねそれ私はそれをしない 人であるっていう方が私はそれを
したい人であるっていうより大事 なんですよねタスクシュートにおいて
はつまりこの過去の自分のやり たいじゃなくて今の自分のやり
たいを優先するっていうこと 今の自分がやるであろうっていう
つまり今の自分とはこれだよね って言えるようなものでないと
いけないと思うんですよねそうでない と学校の時間割になってしまうん
ですよ学校の時間割というのは 今日はあなたたちは英語と国語
と数学をやる人なんですあれは 他人が決めるからそういうこと
になるんで自分が決めるのにわざわざ そんな意味のわからないことを
する必要は本当はないわけですよ やりたいっつーんならばそこを
止めようとは思わないんだけれども 本来的にはあれはやっぱり時間
割とタスクシュートは別物にしなきゃ いけないというふうな気を私は
思ってるんですよ だから罪悪感とかは本当はありえない
ものなんですけどね まあだから朝に書いた今日やろう
と思ったことを目にしたときに あちょっとこれ今は違うなって
思ったときにそこにピッとこう 気軽に消せるようなリラックス
だというかね そうですねだからこれをやろう
って思ったのだろうけれども今 これをやるんじゃなくてこっち
をやるっていうふうにその何ですか ね切り替えるときにいちいち目
に入ってくるってところが頑目 なのであってそこのときには切り
替えるべきなんですよね書いてある 通りにやるっていうツールでは
やっぱりないと思うんですよね その辺がね窮屈とか縛られるみたいな
イメージにつながってしまうん でしょうね
まあましてそれを縛られるという のであればねやっぱりそれを時間
割のように考えているってこと ですよねで時間割のように考えている
ということはそのリストは他人 が作ったってことになっちゃって
ますよね昔そう思い出したんだ けど私の書いた本に対してでも
我々我々って書いてあったんだ よねプログラマーは自由を愛する
人間で決められた通りに動くなんて 囚人と変わらないって書いてたん
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だけど決められたんじゃないって ところが大事なんですよ囚人って
大変なんですよね6時に入浴して 6時5分に出てこいとかそういうこと
平気で言われるから囚人なんで あってタスクシュートはそういうこと
は一切言ってこないしそれを矯正 する力がないですからね
そう厄介なのは結局じゃあどう すればいいんだってことに対して
いやそのあなたの好きなのにや ったらいいんですよとなるとすごく
こうね突き放されたようなこと に感じられるかもしれないので
なんかこうこうすればもうできます よってこうすればを教えてほしい
のにいやそれは自由でいいんですよ って言われるとなんかじゃあどう
したらいいんだっていうね
あのですね僕が思うのは最近特に 思うのはやっぱりこう正直に残す
ってことの意味ってのはですね 正直な自分のありようというの
を僕らは知らないからなんです 最初から知ってるんならタスク
シュートも多分いらないだけれども 僕らはそれを知らないんですよ
例えばこうしたいけど実際には こうなるっていうのが正直な自分
なんですよねそういうのって記憶 に残すのは相当難しいしよっぽ
ど他人に絶え間なく指摘される と多分腹が立つと思うんですよね
タスクシュートを見ることで私は こうしようとしても実際にはこう
なるその両方ともあるんですよね 自分の中には素の自分というものは
タスクシュートをずっとつけて いると素の自分というのがだんだん
こうリフレクトされてきてだんだん だんだん自分に本当の自分って
どういうふうに動くのかとかどういう ふうな考え方でリスト作っては
実行しようとしたり失敗したり するのかが全部わかるように全部
はわかんないけど今まで全くわか ってなかった部分が相当わかる
ようになるのでそうすると本当の 自分がやりたいこととか本当の
自分でできることというのがですね だんだん補正がかかっていくんです
よね僕はそれが多分タスクシュート やるさっき大橋さんが言うところ
のこうすればっていうのはこう だと思いますねまず素の自分を
ちゃんと目で見ることですよね 多分ね僕らが素だと思っている
自分ってめちゃくちゃ間違っている のでその間違っている自分がこう
だったらいいのにとかこの自分 がやりたいのはこういうことだろう
と思っていることは9割方デタラメ だと思っていたほうが多分いい
と思うだからうまくいかないん じゃないですかね
なるほどなんか今ちょっとすごい 言語化できたんですけど言語化
できたというか改めてそれはそうだ よなっていう結論ではあるんですけど
要するに今日やろうと決めること っていうのは理想の自分なんだよ
ね
うんそうしかもかなりずれた理想 の自分ですよ
うんだから1日の割にその通りでき なかったらそれは理想の自分と
現実の自分が違ったよねっていうこと の確認でしかないというかね
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そう確認でしかないんだけどマスク シュートっていうのはそれがどの
程度どんなふうに違っているのか かなり細かく出てきますからね
それを1年くらいやるとねちょっと 夢のない話かもしれないけどこれ
を1年くらいやるとすごく自己 像というものが変化を遂げることが
できるんですよねそれが大事だと 僕は思います
なんかね自分がやりたいことは 自明だと思っているのがまず大きな
間違いでなんかねこうマスクシュート に最初に取りかかった頃という
のは毎日食べるもののメニュー がなんかこうケーキケーキケーキ
みたいになっている感じなんですよ ねチョコレートケーキイチゴケーキ
チーズケーキみたいになっているん だけどだいたい現実に食べ始める
とそういうものは食べられなくて なんかこう豆腐とかご飯とかになる
わけですよねでそれは地味だとか 妥協だとかいう話じゃなくて実は
そっちのが好きなんですよこれを ただ理解することでですね食べて
いくもののメニューを当然変わ っていくわけでこの自分が何が
好きかっていうのを見て判断できる ようになるところがスタートライン
なんだと思うんですよねなるほど ねそうかそうだねその自分なんだ
ねそうなってそれが分かると分かった 気がしたんですよね自分を
はねそれどれぐらいのタイミング で分かったんだか1週間ぐらい
あそんな早くそうやっぱり急速 に何かが変わっていくっていう
のがあったんで毎日これしかしない なみたいなことか毎日明らかに
こっちが優先されるよなっていう のを何度か見ることで何度かっていう
かもうその時には相当の回数見る ことになりますけどね100は絶対
超えるからそれを黙って突きつけて くるわけですね
そうですねいやあのさっきさあの 孤独のグルメっていうコミック
してますよねちょこっとだけような ことがあります
あれでね孤独のグルメっていう ぐらいだからあの独身の男性が
おじさんがですね仕事の終わり にまあ今日は何食おうかなということで
なんかプラッと一人で飯を食うん ですけどこだわりがあるわけで
食べることにねうんなんだけど そのなんかスパゲッティナポリタン
とかさなんか割とこの高級な食事 というよりはよくある食事とか
をすることがあってそういう時に いやーこういうのでいいんだよ
こういうのでみたいなねそういう セリフを何度か呟くことがあって
それがまさにねあの今の話でね そうですそういうことなんですよ
まあじゃあ今日は長々と話して しまいましたけれども大悪感を
持つというのは実はこういうので いいんだよっていうものを受け
入れずにですね何か妙な理想を 追っかけてしまっているがゆえ
に生じる感情じゃんじゃないか と
そうですねそしてやっぱり大悪感 というのは本来はそのそれを何
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種の正しいと思っている正しい ということには別に根拠はない
のにただそれをしくじったという 理由だけで大悪感を持ってしま
っているというほとんどそういう ケースだと思うんでその辺のこと
をちょっとこうわずかにでも自覚 していただくとですね多分その
大悪感は消え失せてしまうんじゃない かと思いますね
はいということでですねまあとは 言え日々大悪感と共に過ごして
いるぞとこれを何とかしたいぞ という方はですねぜひタスカの
トレーニングセンターでですね 動画とかもありますので大木さん
にも相談もできますので
はい
で前回もお伝えしましたけども 10月31日まではですね前回言わな
かったけど15パーセントありべき 初月15パーセントありべきご受講
いただきますのでその時にですね 申し込みフォームにクーポンコード
という欄がありますのでここにですね これから言いますコードを入れて
いただくと初月15パーセントあり べきになりますのでご指摘します
ねCAST10ですねCAST10と入れていただく と終わりに近くになりますので
ぜひこの機会にですねご受講いただ ければと思いますはいということで
じゃあ今日は終わりたいと思います ありがとうございました
ありがとうございました