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2023-01-14 31:52

知られざるソテツの話

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恐竜時代に大繁栄し、現在まで生き延びてきた植物、ソテツ。

無骨ながら存在感と魅力にあふれるソテツについて、色んなエピソードをお話しました!

・恐竜時代に大繁栄!
・奄美、沖縄で食用とされたソテツ
・ソテツに含まれる毒の話
・横井庄一さんの命を繋いだソテツの実


ソテツ(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%86%E3%83%84

蘇鉄のすべて(amazon)
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ソテツをみなおす―奄美・沖縄の蘇鉄文化誌
https://amzn.to/3W9GIII

宮古島キッズかるた
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宮古島キッズネット
https://miyakojima-kidsnet.org/

窒素循環(生物をざっくり紹介するラジオ ~ぶつざくⅡ~)
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静岡 龍華寺の巨大ソテツ(セミブログ)
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00:01
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、生きた化石と呼ばれる植物、ソテツのいろいろなエピソードについて、ご紹介したいと思います。
おくればせながら、あけましておめでとうございます。今年もどうぞセミラジオをよろしくお願いいたします。
前回の縄毛カルタ後編では、ポッドキャスト番組教育ザックバラに語るラジオいくザクと、
生物をざっくり紹介するラジオぶつザクのしろさんにゲストに来ていただきまして、
群馬の共同カルタ、縄毛カルタについてコラボ配信をさせていただいたんですが、
それが新年初の配信だったんですが、ちゃんと新年のご挨拶ができていなかったんですね。
ちなみにこちらも言えてなかったんですが、去年の12月27日で、このポッドキャスト番組セミラジオは1周年を迎えました。
第1回の配信は2021年の12月27日、山梨県のゆるキャラ八幡犬について取り上げた回だったんですが、もう1年も経つんですね。
2023年も興味の赴くままにいろんなお話をしていきたいなと思っていますので、聞いていただけると嬉しいです。
直近の配信で群馬県の共同カルタ、縄毛カルタを前後編に分けてご紹介させていただいたんですが、
セミラジオでもよくご紹介させていただいている宮古島のカモさんから、縄毛カルタについてツイッターでご感想のメッセージをいただきました。
カモさん、ありがとうございます。
縄毛カルタ会楽しんでいただけたということで本当にありがたかったんですが、
そのいただいたメッセージの中で、無料でダウンロードできる宮古島キッズカルタという共同カルタの存在を教えていただきまして、
送っていただいたURLを拝見したんですが、この宮古島キッズカルタは無料でダウンロードして印刷して遊ぶことができるようになっています。
ウェブサイトの方で全札の内容とイラストを見ることができるようになっているんですが、
どの札もとてもユニークだったり、打って変わって歴史の重みを感じさせる内容になっていて、
すごくいいんですよね。
カルタの内容としては、宮古島の方言や日常の光景を切り取ったり、宮古島の歴史を知ることができるものになっています。
この宮古島キッズカルタ、何枚か印象的な札をご紹介したいと思うんですが、
この札は音で聞いただけだと、宮古島の方以外にはどういう状況なのかすぐにはわからないんじゃないかと思うんですけども、
03:10
まずここで言う幸運機というのは、農業のための地ならしをするトラクターよりも小型の農業用の乗り物のことですね。
で、パリへ行くというのは、札の説明文を引用させていただきますが、
パリは宮古島の方言で畑のことです。フランスのパリではありません。
って書いてあるんですね。
宮古島では畑のことをパリって言うんですね。
面白いですよね。
何とも言えない味わいがありますね。
次の札行きますね。
で、ティーを伸ばし、パズを曲げてラジオ体操。
これも音だけ聞くと、どういうシチュエーションでラジオ体操なのかわからないと思うんですけども、
宮古島の方言でラジオ体操というのは、
これも音だけ聞くと、どういうシチュエーションでラジオ体操なのかわからないと思うんですけども、
宮古島の方言でティーは手、パズは足なんですね。
ティーが手というのは何となくわかるんですが、
パズが足というのは宮古島の方言って独特ですごく面白いなと思いますね。
すごく興味を惹かれちゃいました。
あともう一枚、宮古島の歴史の一端に触れる札をご紹介させていただきますね。
ム、ムイガーの断崖降りて水を汲むという札なんですけど、
昔、川がない宮古島では、ガーと呼ばれる湧き水の出る場所まで行って水を汲んでいたそうなんですが、
宮古島のグスクベというところにあったムイガーは、
60メートルも断崖を降りたところにある水場で、
今でも当時の過酷な宮古島の生活を知ることができる場所なんだそうです。
生きるために水は欠かせないものですが、
60メートルの断崖を降りて水を汲んで、また登ってたわけですよね。
今、水道の蛇口をひねれば水が出てくる生活をしている自分からすると、
ちょっと頭が下がる思いがしますね。
この宮古島キッズカルタを配布している宮古島キッズネットさんのホームページでは、
そうした宮古島の歴史についても詳しく紹介されていて、
とても興味深いサイトになっています。
キッズカルタとともに概要欄にリンクを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
改めてカモさん、面白くてとても興味深い宮古島キッズカルタ、教えていただきありがとうございました。
06:02
それでは本編に行きたいと思います。
今回は植物の素鉄についてお話ししていきたいんですけども、
この素鉄、分類上はラシ植物というグループに属しています。
ラシ植物というのは代表的なところで言うと、松や杉を含むいわゆる新葉樹、
それと日本人には馴染み深いイチョウなんかもラシ植物に分類されてますね。
このラシ植物に対してヒシ植物というグループがありまして、
これは原生のほとんどの木と草を含む植物の主要なグループになっています。
桜もチューリップもウツボカズラもその辺に生えている雑草も大体ヒシ植物なんですね。
そんな圧倒的なマジョリティであるヒシ植物に比べて種類も少ないラシ植物なんですが、
地上に現れたのはヒシ植物よりも古く、そんな時代からしぶとく生き残っているだけあって、
原生のラシ植物はどれも個性的で特殊な能力を持っているんですね。
例えば松や杉なんかの新葉樹であれば常緑樹で寒さに強いという特徴があります。
ラシ植物である素鉄にも特殊能力があって、それは空気中の窒素を固定して栄養分にできるという能力なんです。
窒素は植物の成長には欠かせない物質で、肥料の主成分の一つでもあります。
窒素に関してはこの番組でもよくご紹介しているポッドキャスト、生物をざっくり紹介するラジオぶつざくの102話でも詳しく取り上げていて、
詳しく知りたい方はぜひそちらも概要欄からチェックしていただければと思うんですけども、
多くの植物は土の中に含まれる窒素を栄養分として体に取り込むわけなんですけど、
一部の植物は空気中からダイレクトに窒素を取り込むという能力を発達させています。
例えばマメ科の植物は根っこに根粒菌という細菌類を共生させて、その根粒菌の力を借りて窒素を空気中から取り込んでいるんですが、
ソテツも根っこに卵巣類という細菌を住ませていて、その卵巣の力を借りて空気中の窒素を体に取り込んでいます。
空気中の窒素を固定できると何がいいかということなんですが、
土の栄養分が乏しい場所でも成長できるというメリットがあるんですね。
後の方でも触れますが、奄美や沖縄では米や芋があまり育たない土地にソテツを植林して食用にしてきたという歴史があります。
09:11
こうした荒れ地でも育てられるという特徴もソテツの窒素固定能力の賜物だったんですね。
そんなソテツ類なんですが、地上に出現したのは約2億5000万年前の古生代と言われていまして、
特に反映したのは約2億年前から1億4500万年前のジュラ紀と言われています。
ジュラ紀というのは巨大な恐竜が地上を支配していた時期で、
肉食恐竜のアロサウルスや植物食恐竜のステゴサウルスが生息していた時期ですね。
その頃から考えると恐竜はわずかな生き残りが鳥に進化して、
チュンチュン、カーカー、ホロッホーと言っているわけなんですけども、
ソテツはその頃とほぼほぼ変わらない姿のまま生き続けているわけで、
それってすごいことですよね。
ソテツ類は現存する種類は356種類で、獣族3家が含まれます。
日本に自生する唯一の種類が学名サイカスレボルタという種類で、
和名はシンプルにソテツと呼ばれています。
学名の意味はサイカスがヤシに似た。
レボルタが巻き上がるという意味で、
この巻き上がるというのは若葉の形状から来ているそうです。
ここからは特に断りのない限りは、
ソテツというのはこのサイカスレボルタ種のことを指すと思っていただければと思います。
このソテツは日本列島の九州南端や南西諸島、台湾、中国大陸の南部に分布していて、
主に海岸近くの岩場に生育しています。
自生の北源は宮崎県福島市の豊岬とされています。
豊岬は三崎馬という半野生化した馬の群れが住んでいることでも知られてますね。
ソテツという名前の由来なんですが、
ソテツは鉄分を好む植物で、
樹勢が弱まってきたときに木に鉄釘を打ち込むと、
蘇って元気になるということから、
蘇る鉄、ソテツと呼ばれるようになったそうです。
ソテツのソの字が蘇生するのソ、蘇るという字なんですね。
釘を打ち込むと元気になるというのがなかなかインパクトがありますよね。
それだけソテツにとっては鉄分が重要な栄養素ということなんでしょうね。
このソテツは本州には自生してないんですが、
12:02
気候が合えば丈夫で育てやすい植物なので、
園芸用として広く育てられています。
昔から園芸用の木として愛好されていて、
全国10カ所のお寺や神社、古神託のソテツが天然記念物に指定されてまして、
中には樹齢1000年を超える答えもあるんですね。
日本三大ソテツというのもありまして、
これは全て天然記念物に指定されていて、樹齢1000年を超えるソテツなんですが、
実はそのうち2本が静岡県にあるんですよ。
今回の収録でも参考にさせていただいている
ソテツのすべてという本があるんですが、
僕はその本でそのことを知りましたね。
僕はもともとソテツが好きで、自分でも育てているんですけど、
自分が山梨県に住んでるんですが、
都内の静岡県にまさか日本三大ソテツのうちの2本があるとはということで、
その本を読んだとき驚いたんですね。
で、これはぜひ見てみたいということで、
2020年に日帰りでその日本三大ソテツのうち日本を見に行くという一人旅を企画して行ったことがあるんですよね。
この静岡ソテツ旅についてはブログにも写真付きで詳しくまとめているので、
概要欄からぜひ見ていただければと思うんですけども、
その日本三大ソテツのうちの2つがあるのは、
静岡県静岡市の龍下寺というお寺と、静岡県吉田町の能満寺というお寺です。
どちらもすごく立派なソテツに出会える場所なんですが、
個人的にすごく衝撃を受けたのは龍下寺のソテツでしたね。
その静岡市にある龍下寺は温暖で気候が合っているからだと思うんですけども、
至るところに巨大なソテツや南国の巨大な植物が所狭しと生えていて、
夏目矢市の巨木とか樹齢300年以上の内輪サボテンとか、
そういうすごい植物がたくさんあるんですよ。
ソテツも数メートル越えの巨木がたくさん生えていて、
天然記念物に指定されているのは、その中でも樹齢1100年以上の巨木です。
樹齢1100年以上のソテツで、
根回りが約6メートル、枝数が60本ほどもある化け物のようなソテツでした。
その龍下寺の天然記念物に指定されている大ソテツは、
地面を這うように横に大きく広がっている感じなんですが、
そのすぐ隣にある樹齢800年のソテツは割と縦に長く伸びていて、
ヤマタノオロチュのような迫力のある大ソテツで、
15:02
個人的に一番好きなソテツだったりします。
龍下寺のソテツや巨大な植物の数々は、本当に見応えがあってすごいので、
ぜひ一度見ていただきたいですね。
そしてソテツについて、今回ぜひご紹介したかったのが、
奄美と沖縄の方々とソテツの関係についてです。
今回資料として、さっきも少し触れたんですが、
奄美出身の坂井菊本さんの書かれたソテツのすべてと、
奄美沖縄環境史研究会の安慶孝子さん、東山正直さんが編集された
ソテツを見直す奄美沖縄のソテツ文化史という本を参考にさせていただきました。
ソテツと奄美沖縄の方々の関係性は歴史的に深く、
地域によってスティチ、スティツなどとも呼ばれていました。
地域によって本当にいろんな呼び方があったみたいですね。
ソテツの用途としては、実や幹はソテツに含まれる毒を除去した上で食用に、
葉っぱはやはり毒が含まれているんですが、
毒を除去した上でお茶の代用に、
あとは土砂の流出防止、防風などにもソテツは幅広く使われていました。
特に奄美では畑の肥料としてソテツの葉っぱが広く用いられていて、
ソテツの葉っぱを足で畑に踏み込むのは小学生以上の子供たちの仕事だったそうです。
ソテツの葉っぱは棘があるので、それを足で踏み込むのは本当に痛かったという、
当時実際にソテツの葉っぱを踏み込んでいた方のお話もあります。
ソテツと麹で作るソテツ味噌は、現在も奄美のお土産として売られていて、
今はほとんどが工場生産されているんですが、
主に明治以前、奄美や沖縄では個人個人のお家でソテツの毒を抜いて、
ソテツを食用にしていたそうです。
ソテツは毒抜きをしないと食べられないので、
お米や芋がある時期はそれらをメインに食べていたんですが、
教作や食糧不足の時期には命をつなぐための存在としてソテツがあったそうです。
どちらかというと沖縄より奄美の方がソテツの植林の密度も高く、
ソテツの葉を肥料にしていたのも主に奄美で、よりソテツが生活に根差していたようです。
奄美というのは歴史的に他の地域からの支配を受けてきた土地なんですね。
もちろん沖縄もそうだと思います。
奄美はどこの支配も受けなかった天竜という時代から、
18:05
琉球王朝に支配され、薩摩藩に支配され、アメリカに支配され、
そういう歴史をたどってきた土地でした。
ソテツはそんな奄美の人たちに寄り添う存在だったと思います。
奄美出身の詩人である泉宝郎さんという方がいるんですが、
その方がソテツに奄美の人たちのアイデンティティを託して書いた母上という詩があるので、
引用させていただきます。
母上
畜生、俺たちはソテツ実を食べるんだい。
薄暗いノイバラの狭間の小道に漂れたソテツの実。
日暮れの肩にかさむ憂鬱なスキ。
耳たぶのすすけた島の子たちよ。
恐ろしい宿命の手にかき散らされた背下の勇敢の扉をすっぱたいて出ろ。
折屋の隅っこに青く凝った娘たち。
君たちも物暗い紡ぎの島目を引きむしってしまえ。
そしてみんな出ろ。出ろ。
出ろ。この夕明かいの歴度にしがむ群がるソテツの度数赤い情熱の最後はどうだい。
時代の彼方、文明のどん底へ。
そこへ遠く捨てられた島のむくれよどんだ車道の上に影薄い哀れな農民の足跡を刻んで
俺たちの行く道はまだ遥かに暮れている。
しかし俺たちは知っている。
虚無の島におぞおぞと描かれた俺たちの祖先の静かな妊婦の生活史を
ノイバラを踏んで台風と激浪と生活に揉まれて
生きろ。死ね。俺たちの祖先の残した唯一の遺訓はそれだ。
ソテツを見ろ。ソテツを。
それを食べて俺たちは俺たちは勇敢に吠えるのだ。
息吹くのだ。テクテクと歩め。
といういろんなものを感じさせる詩だと思います。
この詩はソテツのすべてにも収録されています。
天海では江戸時代の天保四年、西暦でいうと1833年に
三月まで雨が降り続き強作が発生しました。
天海の人たちはソテツを食べてようやく生き延びたんですが
夏に至ってはソテツもそこを尽きるほどの大強作だったそうです。
強作が起きた時に陸続きの場所があればどうにか移動して
難を逃れるということもできると思うんですが
この時代に海に囲まれた島ではそれも難しかったと思います。
なので天宮、沖縄ではソテツの植林が推奨されていたんです。
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琉球王国に西音という政治家がいたんですが
この人が書いた農務庁という書にはソテツの毒抜きの方法がこと細かに記されています。
ソテツを食べて頭痛がした時は黒砂糖を食べると良いみたいな
軽い中毒症状への対処法なんかも書かれているんですね。
天海、沖縄では明治以前だけでなく地域によっては
大正から昭和期、太平洋戦争の最中にもソテツを食べていました。
第一次世界大戦で自国の領土が戦火に見舞われることなく戦勝国になった日本は
戦災国の経済が復興するまで輸出国として核金あふれ
高経液に湧いていました。
それは沖縄の主要作物である砂糖にも影響を与えて
1920年の初頭には砂糖の売り値はピークを迎えていたんですね。
しかし日本の高経液は戦災国の復興に伴って市場を失って過剰生産になってしまいます。
そして1923年にはちょうど100年前ですが関東大震災による強行が発生。
1927年には金融強行。
1929年には世界大強行が発生しました。
そんな中沖縄の経済は回復することなく生活が困窮する深刻な事態に陥ってしまいました。
沖縄では大規模に稲作は行われていなかったので米を食べるには買わなければいけなかったんですね。
お金がなければ米は買えず不作でさつまいもも育たないとなれば適切に調理しなければ命に関わる素鉄を食べなければいけないわけです。
天海も経済的に困窮し状況は沖縄と同様だったようです。
素鉄のミヤミキは豊富な澱粉を含むとともにサイカシンという毒を含んでいて食べるためにはこれを取り除かなければいけません。
素鉄の毒抜きに失敗して亡くなってしまった方もいたそうです。
今から素鉄の毒抜きについて少し触れたいと思うんですが
僕の話す内容は先に挙げた素鉄のすべてと素鉄を見直すという本からの一部引用に過ぎないので
この配信を参考に素鉄を食べるというのは絶対にやめてくださいね。
ないとは思うんですが本当にそれだけはお願いします。素鉄には猛毒が含まれてますからね。
24:00
素鉄のすべてと素鉄を見直すによると素鉄を食べるには実を食べるかミキを食べるかで必要な工程が違ってくるようです。
どちらもサイカシンという猛毒が含まれているんですが素鉄の実に含まれるサイカシンは水溶性で粉状にしたものを水にさらしてアク抜きをすることで食べられるようになるようです。
素鉄のミキの方が食べるのが大変で表面の黒い皮を剥いて中心部の白い部分を削いで乾燥させたり発酵させたり水にさらしたり複雑な工程を経ることでようやく食べることができるようになるそうです。
素鉄の皮を削いだり加工するのは本当に重労働で実際にやるのはすごく大変なようです。
硬い皮を削ぐだけでも大変なんですが皮を削がれた素鉄が粘着性の物質を分泌してそれが乾いて硬くなるとさらに作業が大変になるそうです。
チェーンソーでこの素鉄の解体をやろうとした人がその粘着物質でチェーンをダメにしてしまったという話もあるそうです。
こういう話を聞いてしまうと素鉄を食べるのって本当に大変だなぁと思ってしまうんですけども
特に奄美の多くの地域ではかつては素鉄は毎日食べる日常食で素鉄は温神という方も少なくないそうです。
もともとは毒が含まれる植物を食べるということについて正直言って怖いなと思ってしまう自分もいるんですけど
意外とそういうもともと毒が含まれる作物って利用されてるんですよね。
例えばこんにゃくの原料になるこんにゃく芋には周酸カルシウムという毒が含まれてるんですが複雑な工程を踏むことで毒抜きをして食べているんですよね。
あとは世界の熱帯で栽培されているキャッサバ芋、猛毒である精酸が含まれてるんですがこちらも毒抜きをすることで多くの地域で食べられています。
キャッサバ芋の2019年の全世界での生産量は3億356万トンでこれは主食にする芋類としてはジャガイモに次ぐ第2位で3位のさつまいもを大きく上回る量なんだそうです。
もともと毒がある作物もうまく毒抜きをすることで活用されてるんですね。
ソテツについていろんなことをお話ししてきましたが最後に横井翔一さんとソテツについてのお話をしようかと思います。
横井翔一さんは1915年生まれの愛知県出身の方なんですが第二次世界大戦終結後28年間もグアム島のジャングルで生活していた残留日本兵として発見時は大きな話題になりました。
27:15
横井さんは第二次世界大戦時に旧日本軍の軍人としてグアム島に配属されました。
横井さんの所属していた部隊は米軍との戦いによって壊滅状態になり1945年に日本は無条件降伏をしました。
グアム島でも残留日本兵の投降を呼びかける放送が流されたんですが横井さんたちは敗戦を信じられずジャングルで自給自足の生活を続けていました。
部隊の生き残りは5人いたんですが2人が投降。もう2人は台風の影響で亡くなってしまったそうで最終的に横井さんは1人になってしまうんですね。
そんな状況下で横井さんの命を繋いだのが実はソテツでした。
これはグアム島に自生する南洋ソテツという種類なんですが横井さんは米軍に追われて逃げ惑っている時にたまたま現地の人がソテツの実を水につけているのを見たんですね。
また幼少の頃にどんぐりを水につけて悪をとる話をおばあさんに聞かされたことを思い出してソテツの実を水にさらせは食べられるんじゃないかと思い立ったそうなんですね。
実際グアム島に住む茶もろ族の人たちはそうやって毒抜きしたソテツの実を主要な食物として食べていたんですね。
横井さんは毒を抜いたソテツの実を粉にして団子状にしたものを毎日焼いて食べていたそうです。
このソテツ団子を朝7つ昼に5つ夜に7つ食べるのがいつの頃からかルーティンになっていたんだそうです。
横井翔一さんについての話は知ってはいたんですが、横井さんの命をつなぐのにソテツが一役買っていたというのはソテツを見直すという本で読むまで知らなかったですね。
本題のソテツについてはここまでなんですが、ちょっとお知らせをさせていただきます。
僕が運営している生き物とサブカルのブログセミブログで1月7日に新しい記事を書きました。
その記事では山梨県を代表する名所地である松仙郷というところにある自撮りそばが食べられる受講庵というお店について取り上げています。
このお店はこの番組でもよくご紹介しているイラストレーターであり、ポッドキャストススマートを配信されているススムさんと松仙郷に行った時に訪れたお店で、かなり独特の雰囲気のあるお店でした。
30:06
どのあたりが独特かというと、お店の入り口に巨大なゴジラのフィギュアが2体置かれていて、どちらもマスクをしていて、
両腕にソフトクリームを持っていたり、腕に鉄球がついた鎖がはめられていたり、どうしてそうなったのか全然わからない、そういうところが独特でしたね。
このお店についてブログの記事で写真付きで詳しく書いていますので、よかったら概要欄から読んでいただけると嬉しいです。
もう一つ、こちらもセミブログで最近書いた記事なんですが、最近李朝のヘテというものを入手しまして、これは元々は中国の伝説上の生き物であるカイチという生き物が朝鮮に伝わった時にヘテという名前で呼ばれるようになり、今回入手したのは朝鮮の王朝である李朝で作られたヘテの像です。
そのヘテ像の造形がなんともユーモラスで面白くて、このセミラジオでも日本の狛犬についてお話ししたことがあるんですが、そういう狛犬の造形に通じるところもあるなぁと感じて自宅にお迎えすることにしました。
そのヘテ像をいろんな角度で写真を撮ってブログ記事に載せてますので、こちらも概要欄から見ていただけると嬉しいです。
セミラジオではお便りを募集しています。概要欄のフォームやツイッターでハッシュタグセミラジオでご感想いただけると嬉しいです。
今日はソテツについていろいろなエピソードをご紹介させていただきました。ご視聴ありがとうございました。
31:52

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