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こんばんは、さいかです。
今日は朝の8時半ぐらいに家を出て、青春18切符の残りの1枚を使うために、どっか行かなければと。
行行期限が2日後に迫っていたのでね、もっと計画的に行ければよかったんですが。
で、とりあえず最寄駅に行って、その間で行けるところ、2つぐらい候補あったんですけれども、どっちにしようかなーって。
反対方向だったので、早く決めないと電車に乗っちゃうぞと。
で、関ヶ原、岐阜県の関ヶ原駅に行くことに決めました。
私の住んでるところから、だいたい2時間ちょっとで行けるようだったので、ちょうどいいなと思って。
もう1つの候補が和歌山県だったんですけれども、目的地がすごく遠かったので、今回は関ヶ原に行くことにしました。
今朝は旅に関する私の40分のプレゼンがあり、その後参加してくださった17名の方からいろんなフィードバックをいただいて、大変私も励みになりましたし、
今までこういったイベントで話すということが初めてだったんですが、好きなテーマでプレゼンするの楽しいって朝後でもテンションが上がって、
また何か機会があったらこういうイベントとかやってみたいなって思いました。
本当は家でゆっくりしようかなと思ってたんですけれども、どうしてもそのテンションが解放したくて、プチトリップに一人で行ってきました。
外で話しながら収録しているので聞きづらい点があるかもしれないですが、ご了承ください。
この番組は旅好きのデザイナーの私が日々感じたことをゆるくアウトプットしている番組です。
関ヶ原の戦いといえば天下分け目の大戦。
私は日本史が小さい時から大好きです。
小学生の時ぐらいからかな、いろんな史跡巡りとか家族旅行で連れて行ってもらったのとかがきっかけだったのかな。
偉人の漫画を読んだりとか、あとは大河ドラマとか、そういうチャンバラな映画を見るの大好きでした。
関ヶ原駅のアクセスはとても良くて、大阪からだと京都を通ってそのまま琵琶湖沿いに右側のルートで行くんですけれども、
彦根城と関ヶ原をはしごするなんてこともできるぐらいの距離感です。
調べたら彦根城は今、天守閣を工事しているそうなので、今回は関ヶ原だけを楽しむことにしました。
4年前にできた岐阜関ヶ原古戦場記念館というすごく綺麗な近代的な建物があるんですけれども、
そちらのミュージアムが入場料500円なんですが、とっても充実したミュージアムで、
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まず1階のウェブシアターみたいな場所があるんですけれども、
ウェブでも予約が前日の3時までだったらできるんですが、
当日でも空きがあったら入れたので、今日は私は予約なしで行きました。
4Dの映画館のような座席がちょっと動いて、風が出る、すごく迫力のあるサウンドと映像が流れて、
関ヶ原の合戦の中にいるような臨場感のある映像が楽しめました。
私ね、関ヶ原の戦いのストーリー、6時間で決着がついたんですけれども、
当軍が勝ちました。石川家康が勝ちましたが、その流れあんまり説明してって言われても説明できなかったんですけれども、
今日は関ヶ原の合戦の6時間の流れ、決着までの様子を上から俯瞰して、あとは中から俯瞰して、
さらに年表を通じて、アニメーションを通じて見ることができたので、結構頭に入りましたね。
プリカが多いですが、甲冑とかあとはお手紙とかの展示もたくさんありましたし、
一番上のフロアに行くと、実際に徳川家康が最後陣地を置いた場所あたりがミュージアムがあるところなんですけれども、
小早川秀明が付陣した山、あとは石田三成が付陣していた陣の場所、徳川家康が最初に陣を置いていた木張山、
そういった山が一望できるパノラマになっていて、付陣のところに旗が立っているんですね。
あそこまで行きたいって気持ちになります。
ただ全部の付陣を回るにはかなり時間がかかるので、今回は石田三成が付陣していた陣のところまで歩いて行ってみました。
関ヶ原の戦いのあった戸線上を実際に自分の足で巡ることによって、このスケール感を感じます。
最初、家康は桃配山というところに陣を置いていたんですが、しびれを切らして前へ前へ進んでくるんですね。
その前に進んでから三成の陣があるところまで、三成の陣があるところから5分くらいのところに決戦跡地というとても大きな石碑が建っているんですけれども、
教科書とかマップで見ていたイメージとは全然違くて、それこそ高低差があるんですね。
徳川は東軍の陣より西軍の陣の方が山の上だったり高いところにあるので、それで東軍の体力をちわちわ削っていったんですけれども、
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実際に歩くとその高低差を感じることができたので、本当にここを歩いてよかったなと思っていますし、何なら他のところも全部回りたいなと思います。
9月15日が新暦ですが関ヶ原の戦いがあった日です。なので来週ですね。
ただ旧暦だと10月が関ヶ原の戦いがあったということで、来月町全体でのお祭りがあるそうです。
実際に兜をかぶった人たちが行列をなして何かイベントをしたりとか、劇とかホラー街やのろしが上がったり、
その関ヶ原の戦いを体験できるようなイベントがあるそうです。私も参加したいなと、また来月も行きたいなと思いました。
石田三成の陣の跡地のところ、ちょっと小高い山なんですが、そこに登ったら、おもてなし武将をされている小林川秀明さんがいらっしゃいました。
ボランティアで毎週日曜日に解説をされているそうです。小林川秀明になりきって説明してくれるのでとても楽しかったです。
私がびっくりしたのは小林川秀明ってやっぱりどうしても裏切り者のイメージが強いです。
最後、鉄砲の音にびっくりして山の上にずっと待っていた小林川秀明は寝返って、西軍じゃなくて東軍の味方をしました。
それが石田三成たちを追い詰めたという教科書に載っている、私たちが知っているお話ですね。
ただ、ここ数年、5、6年の研究で、江戸時代で創作された物語という説が出たそうです。
大河ドラマのどうする居安手はその鉄砲でびっくりして、そのシーンもカットされていたし、NHKの歴史の番組ではその話についても討論がされていたそうです。
ただ、まだ教科書の訂正や資料館のパネルの訂正などはされていないということで、いろいろと名の事情があるそうなんですけれども、
私は日本史が好きですが、やっぱり事実で変わると思います。
研究によって違った側面が出てくることって多いと思います。
もしかしたら数年後は教科書に小林川秀明は元々東軍だったと書かれる時が来るのかもしれません。
私もこの後帰ってから調べたいと思っているんですけれども、これだから日本史好きやめられないなという気持ちです。
この小林川秀明は元々東軍だったせつ、裏切り者ではないという。
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小林川秀明の子孫って、親が亡くなったので残っていないそうなんですね。
本人も赤ヶ原の2年後に亡くなり、20歳という若さで亡くなりました。
なので、子孫がいないので悪役にしやすいということで、江戸時代の物語、赤ヶ原ではそのように悪役、裏切り者としてキャラクター付けがされたということです。
歴史って諸説もありますからね。
そんなお話を聞きながら、私は赤ヶ原行きを後にし、今地元に戻ってきました。
いやー、一人でどこかにフラッと行くのはやめられないですね。
青春18時キップは今回5枚綴りのものをすべてフルで使いました。
また冬に発売するので、その時もまた買ってどこかに行きたいなと思っています。
それでは今日はただの旅の感想でしたが、ここまで聞いてくださりありがとうございました。