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こんにちは、💫ルナです。
昨日はアメリカ大統領選の結果が気になりますというお話をしたんですけど、
トランプ氏が勝ちましたね。
まあそうかなーって予想してたんですけれども、やっぱりっていう感じでした。
これからね、日本の政治にもどんな影響があるのかなーとかね、
はい、まあ注目していきたいと思います。
今日は、あのね、腰痛のヘルニアで、
私ちょっと前に手術したので、それから20日経過して、
どんな風になったのかお話ししたいと思います。
えーとね、私は腰痛のヘルニアで悩んでました。
今年の4月からね、なんか足の痺れが出てたんですけど、
まあすぐ治るかなーと思って。
最初は病院にも行ってなかったんですよ。
そしたらどんどんどんどん痛くなってきたのでね、
あの整形外科、近くの整形外科にも行って、
ちょっと治療とかしてたんですけど、
私の場合はヘルニアのね、
追患版の4番と5番のところのヘルニアが飛び出てる。
はい、そういう診断ですね。
MRIを取って初めてわかったんですけど、
それでね、新しい治療法があるということで、
20日前にあのヘルニコアっていうね、
ヘルニコア試してみました。
あの、はい、結果どうなのか。
何を試しても痺れ、左足の痺れは全然なくならなかったんですけど、
今日初めて左足の痺れがありませんでした。
今朝起きたら。
嬉しいです、本当に。
もうこの痺れってなくならないのかなって思ってたんですけど、
何人かの人にも、
その痺れっていうのはね、
手術したりしても、きっとなくならないよって言われてたので、
やったっていう感じです。
でもね、腰の痛みとかはまだ残っていて、
完全に治るには3ヶ月ほどかかると言われてます。
なので今日は痺れがなくても、また明日は痺れがあるとか、
ちょっとね、その治療、
どんな治療かって言ったら、以前も話してるんですけど、
切らない手術なんですよ。
長い細い針をね、
つい看板のところに刺して、
お薬をそこに入れるという治療法なんですけれども、
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その薬が安定しないんですよね。
なかなか固まらない間は、
手術した後は10日間ほどはすごく腰痛で痛くて、
それはもう腹反応としてありますよって聞いてたんですけれどもね、
それで痛み止めとか飲んで火事とかしてたくらい、
手術の後しばらくは痛いんですけど、
それも徐々に取れてはきました。
でも完全に腰の痛みっていうのは、
治ってないまだ20日なんでね、
でも痺れはなくなったっていうのがびっくりなんですよ。
私薬をね、きつい痺れに効きますよ、神経痛に効きますよっていう、
腹反応が結構強い薬を飲んでいたんですよね、しばらく。
それでちょっと良くはなったんですけど、
完全に朝起きた時にね、
左足、足の裏とかお尻の下あたりとか、
必ず痺れて、1時間くらいしたらその痺れが取れたりとか、
そんな症状だったんですけど、
今朝初めて何の痺れもなくなったっていうのがすごいなと思います。
不安だったんですけど、これ本当に治るのかなって。
まだ今腰の痛みがあるので、これ治るのかなっていうちょっと不安はありますけど、
良くなってきてるなって実感しています。
この新薬の治療を受けるまでの過程なんですけど、
きっかけはね、実は母、うちの母のおかげといえばおかげなんだなって、
今思ってるんですよ。
それはどういうことかと言いますと、
私一つの病院でね、整形外科にかかってたんですよね。
腰痛のこのヘルニアで。
レントゲンは取ったんですけど、MRIとかは取ってなくて、
別に進められなかったし、MRIを取りましょうって進められなかったし、
治りますよって感じだったので、そこに行ってた先生がそうおっしゃってくれてたので、
薬を飲んでたわけなんですよ。
あと注射もしてもらったんですよね。
そこではなんかちょっと軽い注射だったと思います。そんなに痛くない注射。
でも治らなくて、どうしようかなと思ってたんですよね。
そしたら、そうしているうちにね、
今年の7月に母がね、大腿骨の骨折をしてしまったんですね。
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家で転倒して、救急車で運ばれて、それでしばらく入院してたんです。
おかげさまで今はもう元気になりましたけれども、
その時、手術してくれた先生がいらっしゃるんですよ、母をね。
その主治医になったわけなんですけれども、
その先生にちょっとかかってみたらって、母がね、私に何気なく言ったんですよね。
一緒じゃないのって最初思ったんですけど、まあ時間もあるし私は。
まあ母の様子を見に、様子は見られないんですよ、コロナ禍なので。
あ、そっか、でもちょっと何分かとかは良かったのかな。
着替えとか持って行ってたんですよね、洗濯してね。
そういう時にちょっとあったかな、ちょっともう忘れてしまっているんですけど。
まあそういうこともしてたし、その病院に行ってたし、母の主治医に診察してもらったら、
最初はね、また別のお薬ね、出しましょうということで薬を飲んだんですけど、
その薬はちょっと効いたんです。ちょっと効いて、お尻のあたりが痛みがなくなったんですけど、
痺れは取れなかったので、それで今度は痛い方のブロック注射っていうのもね、
もう本当に治りたいっていう気持ちが大きかったので、それも受けたんです。
それもちょっと効いたんですけど、しばらくしたら効果がなくなったりしてね。
厄介ですね、ヘルニアって本当に思いました。痺れて取れないんだなってね。
なんかすごい不安になりましたね。何をやっても治らないっていうことがその時そういうふうに思って、
この先こんな感じでずっと過ごすのかなとか思ったりもしてたんですけど、
それでその先生はMRIを見て、手術をするほどでもないんですよねって言ってくれたんですけど、
じゃあ次はどうする、どういう治療をするのって話になって、
私が先生、こういう時代なのでね、手術でも切らない手術ないんですか?みたいに私からちょっと聞いたんですよ。
そしたら、ああそうですねっていうことで、ちょっとこの病院ではそういうのがないし、
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僕は最近腰痛の方の手術に関わってないので、大腿骨の骨折の手術はできるけれども、
腰痛のヘルニアの手術の方は詳しくないので、もしかしたら新しいのが出てるかもしれないから、
ちょっとね、設備の整った病院を紹介しましょうかって言ったので、
その時に、ああそうだな、それもセカンドオピニオンっていう、セカンドオピニオン?
3つ目だからセカンドオピニオンじゃないんですよね。3つ目の病院。
まあ紹介してもらおうと思って、その時思いついたのが、7年前にね、母はね、
その時も手術してるんですよ。ちょうど70歳の時に脊柱環協作症になってね、歩けなくなったんです。
その時は歩けなくなって、どんどん歩けなくなって、もう杖になって、最後はもう車椅子みたいな感じまでなってたのかな。
それで、大きな良い病院があるっていうことで行って、そこで手術を受けたら治ったんですよ。
全然歩けるようになって、治ったので、その病院を思いついたんですよね。
あの時の手術してくれた先生、良かったなって。
その母の症状とか手術について聞いたのは、私、子供の私だったんですよね。
このままだとお母さん寝たきりになりますので、手術を早くした方がいいですよって私聞いたんですよ。
父もいたかな、ちょっとその時なんか私だけだったような気がするんですよね。
その時にすごく怖かったんですけれども、はいということで手術してくださいって言って、
その先生のお話とか、なんかいろいろ聞いたり、もう話がね、
自分に自信があるんだな、この先生っていうのが話しててわかったんですよ。
この先生きっとすごい腕のいい先生なのかなって思って、最終そうだったんですけれども。
それで治りました、母は。
それがあったので、ちょっと長いですね、喋ってて。
そうそう、それで、その先生はもうすごい上の方の、なんて言ったら、偉い人になってて、
助手の先生が代わりにね、この新薬の治療を手術してもらって、
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その先生のところに紹介状を書いてもらったわけなんですけれども、
今後の経過も見てくださるので、よかったんですよ。
そう、だからその巡り合わせ、巡り合わせですよね。
そういう時期があったんですよ。
そういう時期があったんですよ。
そういう時期があったんですよ。
そういう時期があったんですよ。
そういう時期があったんですよ。
そう、だからその巡り合わせ、巡り合わせですよね。
母の大腿骨の骨折がなかったら、私はこの新薬の治療にまでたどり着いてないのかなと思いました。
よかったです。しびれが取れるなんて思ってもみなくて、
もう本当にね、3人ぐらいの人に、手術も受けても、しびれは取れない可能性が高いよっていうことを言われたんですよ。
ここで、ここのね、私入院した病院の看護師さん、みんな優しい人だったんですけど、
最後の、最後関わってくれた看護師さんも、
実は私もね、ヘルニアがひどくて、手術したんだけどということで、
その人は、手術する時はこの新薬はなかったので、内視鏡でやったんだけれども、
しびれ、もう私と同じように片足だけのしびれ、そのしびれは残っているので、しびれはなかなか取れないと思いますけど、
ちょっとでもよくなったらいいじゃないですか、みたいな感じで、いろいろ励ましてくれた人も、しびれってなくならないって言って、
私が聞いた人はみんなしびれはなくならないって言ったんですけど、私の場合はしびれもなくなってきて、
順調に回復している希望が持てています。
ということで長くなりましたので、この辺で終わりたいと思います。
予通で悩んでいる方は結構多いかなと思うので、こういった治療も一つの選択肢かもしれません。
それではまた次回の配信でお会いしましょう。
ルナでした。