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どうもゆず茶です。今日は本題にいきなり入りたいと思います。今日は1オペ育児がなぜ辛かったのかを言語化してみたというテーマでお話をさせていただきます。
私は今はわりと明るく発信をして、子育ても大変なこともあるけれども何とかやっているんですが、子供が0歳2歳の時は暗黒期でした。
ずっと聞いてくださっている方は知っていると思うんですけれども、ちょっと最近のおぼいしを聞いて思い出すことがあったので、そちらの話をさせていただきます。よろしくお願いします。
本題です。私は今は小1の娘と年中の息子がいます。今は大変なこともあるけれども、子供たちの成長によって楽というか子育てに余裕が出てきた面は正直だいぶありますね。
息子が年少さんになったぐらいからは、それなりに自分の時間もとれるようになったし、言葉が通じるというのが大きいかな。
そうなんですけど、0歳2歳ですね。特に0歳2歳の時はマジで暗黒期で、希望がないと思ってたんですよね。
それをちょっと思い出したんですが、そのきっかけとなったのが、ぼいしのパーソナリティで、ワンママハルさんがワンオペ育児にメリットはないという放送を撮られたのと、
ぼいしパーソナリティでお片付け系の放送されているマーチさんという方が、子育ての辛い原因がわかったというような放送をされたんですね。
その2つの放送はリンクを貼っておくので、聞いていただきたいんですが、ぼいしのパーソナリティの方が過去の乳幼児の子育ての辛さとかを言語化されていて、めちゃくちゃ首がもげるほど納得したので、
私も過去の記憶を思い出して話したいと思います。
私の当時の状況なんですけれども、1人目、上の娘のときは育休だったんですよね。そのときはすごい良いママだったんですよ。
良いママというのもあるんだけれども、たぶん娘はいわゆる育てやすい。よく寝るし、よくおっぱいも飲むし、
寝る、夜泣きももちろんするんだけども、たぶん私がそこまで苦に思わなかった。本当に30分ごとに起きるとか、そういう感じじゃなかったんですよね。
1歳ぐらいまで離乳食もすごい食べたから、むしろ子育てが楽しいと思って、全部手作りしてたし、
別に意識高い系のママじゃなかったけど、余裕があったんですよね。
でも娘が1歳になったちょっとぐらいに、息子の妊娠が分かって、そこからが結構暗黒期だったんですよね。
特に息子が生まれてからは、完全なワンオペ育児で、地元じゃないところに住んでて、当時の夫は部落企業で、本当に一人で子育てをしてました。
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0歳と2歳です。私はたぶん、確か息子が生まれて1ヶ月ちょっとかな、いわゆる1ヶ月健診とかが終わったら、当時住んでるところに行ったんだけれども、そこからの記憶はないというか、暗黒の記憶しかほぼないんですよね。
マーチさんの放送を聞いて思ったんですが、マーチさんはお子さんが0歳の時が一番大変だったって言ってて、それは何でかって考えたら、やっぱり自己決定ができないこと。
これがすごい辛かったなっていうのをおっしゃってたんですよね。
でもそれはめちゃくちゃわかるなと思って、子どもが0歳と2歳でかつワンオペでやってたら、自己決定とはって感じじゃないですか。
本当にそうなんですよ。0歳と2歳なんて、ただただ大変じゃないですか。2歳なんていやいや気だし、0歳時も寝る子だったらいいけども、当時息子も寝てたかもしれないけども、それでもやっぱりいろいろ授業があったりとか、おむつ変えたりとかしなきゃいけないとかで、やっぱバタバタしますよね。
0歳と2歳を外に連れて行く、日本に連れて行くっていう言葉で言うと、なんともこびわで終わるんだけども、それのための準備がどれだけ大変かっていうね、経験した方にしかわからないんですよ。
本当に10時に日本に行くって言っても、これ何回も話してるんだけど、そのためには朝から逆算をしてやらなきゃいけないわけで、その間にもいろんなイレギュラーが起こるわけですよね。自分の意思ではどうにもならないことが多発するんですよ。
多分それによるストレスとかは私すごかったんだろうなって思って、だから私は本当に自分さえ我慢すればっていう思考になってたし、それで実際病んだんですけど、マジで病みましたよ。
何回も話してるけど、私は本当に朝が来なければいいのにって何回も思いながら寝てましたね。寝てたとしても、当時0歳の息子の夜泣きで起こされたりとかして、辛かった思いがしかないですね。
当時の写真を見ると今でも胸が痛むぐらいなんですよ。写真の中の子どもたちは笑ってはいるんですけども、笑ってる中の私、スマホを持ってる私は、その時は笑ってるかもしれないけど、心から笑ってないですね。
当時の自分の写真とかほぼないし、この子たちは笑っていればいいぐらいな、生きていればいいぐらいに思ってたかな。あんまり思い出したくもないぐらいなんですけども。
本当に当時は自分を大切にするってことは全く、そんな考えにも及ばなかったんですよね。
だから、やっぱり自己決定ができないことがどれだけ辛いかっていうのを本当に思うんですよ。
当時思ってたのは、本当に仕事をしてる方が100倍楽じゃなくて、仕事も仕事で大変なのはわかるんですよ。
私も夜勤やってて、駅員をやってたんですよね。駅員っていうのは泊まり勤務があって、0時終電が終わって、0時ぐらいに寝室に行って朝4時に起きて、朝9時まで勤務するっていう。
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その中にお風呂を詰ませたりとかがあるから、実質3時間睡眠っていうのをやってたんですよ。
やってたんだけども、結局3時間寝て朝9時には仕事が終わって、そっからフリーなわけじゃないですか。そっから寝れるわけですよね。
だけども、例えばゼロサイズのお母さんだったら、3時間睡眠だったとしても、次の日寝れる保証って全くないですよね。
特にワンオペだったら。その状況でやむなっていう方が無理じゃないですかって今本当に思って。
やっぱり自己決定、自分で決定して動けるっていう、何とも身軽なのがやっぱり大事ですよ。
でもそれはやっぱり産後すぐというか、乳幼児のうちは自分一人だけど難しいから、やっぱり誰かに協力してもらわないと絶対になかなか難しいですよね。
当時それはできていなかったから、たぶん私の心が病んだんだと思うんですよ。
かつワンオペ育児だったので、私は。
ハルさんも言ってたけど、ワンオペ育児はメリットはない、メリットしかないっていうのを仰ってて、やっぱり疲弊するんですよね。
ワンオペ育児で家庭内で一番弱い子供にお母さんの余裕がないと、お母さんというかワンオペ育児をしている方の心の余裕がないと、やっぱり家の中で一番小っちゃいというか弱い子供に当たってしまうっていうね。
そういうサイクルになりますよね。
ハルさんが言ってたのは、やっぱりお母さんに余裕がないと子供の隙間を見つけられないっていうね。
今この子は何が好きなのかとか、何に興味を持っているかっていうね。
そういうサインを見逃すから、やっぱり良くないっていうのもすごい言ってました。
これはマーツさんも言ってたんだけど、こうやっていくら体験の話だって、家中にいるお母さんには何も響かないと思うんですよ。
それはわかる。私も当時いろんな情報を見てて、絶対に楽になるからとか、そういうのは何万回も聞いてて、
分かるんだけど、だから今が辛いんだよってめっちゃ思ってて、絶対そうだと思うんですよね。
でも本当にその感情っていうのは悪いわけじゃない。
それが当たり前だし、やっぱり振り返ってみると、その時はめっちゃ大変だったけど、今も私もこうやって発信できる立場になったわけなので、
本当に耐えるしかない楽しみを見つけて、自分の拠り所を作って乗り越えていってほしいなっていうのをすごい思ってて、
やっぱりそう思うと、私が今発信している意味っていうのは、
そういうお母さんたちにどうにかしてこういうDAOとかオンラインコミュニティに参加して、
サードプレイスを持って自分を取り戻してほしいっていうのが、
私はずっと1年半ぐらい発信をし続けてるんだけども、根本にはやっぱりそこがあるなって思うんですよね。
だって当時の私がこんなに毎日台風を配信してて、かつ自分のユーザーとして転職してるなんて知ったら、
なんか失神するんじゃないかっていうぐらいびっくりすると思うんですよね。
だから子育てで比喩してるお母さんも、たぶん何か一歩踏み出せばそういう可能性があるんだよっていう、
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オンラインコミュニティだったらDAOでもいいし、別にオンラインサロン、誰か好きなインフルエンサーのオンラインサロンでもいいから入ってみると、
夜泣きしてる間でも、その間ではディスコードとかでやり取りがされたりとか、すぐに返事はなくても、
翌朝目覚めたら誰かから返事が来てるとか繋がりを感じられて、
母親でもない妻でもない自分でいられる場所っていうのが見つかると思うから、
やっぱり私はここを伝え続けたいなって、そういうお母さんとか孤独の方がこういうオンラインコミュニティを見つけて、
そんな始めてみようかなっていう企画になりたいんだなっていうのを改めて思った放送でございました。
はい、というわけで今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。ほなまた大きい。