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  2. 積読で思考環境を作る
2023-10-30 12:50

積読で思考環境を作る

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再読だけが創造的な読書術である
https://amzn.to/45QfhZc

面白いですね。まだ半分しか読めてませんが、良い!というわけで。

自分が考える場所や環境構築として、積読もいいですし、再読もやはりいいなあと。再読一冊でも良いのでなにかしてみるといいかもしれません。考えやなにかが膨らむかもしれません。

それで、本とか読書とか難しそうと思っている方がいればそれはそこまでのものではないです。あと高尚とかなんか知的なとかもまあ思い込みの部分もあるかと。ですが、一方でそういう部分もあるかもしれない。

対話的とかそういうものが発生する媒体や体験ってなかなかないですから。初対面の人と話すとかも対話的ですし、色々とあるはずです。そういう意味で読書という体験やデバイスはなかなかおもしろいものだなあと改めて感じつつあります。

#再読 #思考環境 #読書
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サマリー

本を読む行為について考え、本を読むことで自分の考えを深めることが重要であると彼は話しています。

本を読む行為についての考察
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、読書術に関する本を読んだので、読んだのでというか半分ぐらいしか読んでないんですけど、
そこで出てきた、いわゆるですね、本を読む、読書による思考のビオトープ。
ビオトープというのは、自然環境、人工的にだと思いますが、構築するようなことだと思いますが、
そのことについて少し共有していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、ある本を読みました。
再読だけが創造的な読書術であるということで、この方ですね、長田さんですかね、長田臨さんという方が書かれた本ですと。
しばらく寸読してたんですけど、ちょっと読みまして、半分ぐらい読みました。
読書術みたいなノウハウというか、本の読み方みたいなところにはまだ入ってないんですが、
入ってなくても十分満足してるんですけど、何かというとですね、この方面白くて、
前作はですね、寸読だけが完璧な読書術である。確か完璧な読書術だと思いますけど、
そうですね、合ってますね。寸読こそが完璧な読書術であると。
そういうタイトルを書かれた方なんですけども、ちょいちょい前作の話も出てくると。
僕は読んでないんですが、そこでですね、まずですね、初めて聞いた人は、読書術っていうところで本を読む行為というのを
多分限定的に捉える方が多いと思うんですが、本を読んでないよねと。
寸読っていうのは何かというと、本を積んであると。文字通り本を横に積むとか、縦に置いておいてもいいんですけど、積んであると。
読んでない状態を指します。で、その本を積んどくしてあるときに、読んでないじゃないですかと。
それを読書術と言っていいんですかという話を、もしかしたらリスナーのあなたも思ったかもしれません。
で、言っていいか悪いかというですね、そういう正解とかないんですけど、ここでは言っています。
つまり読書術であると。で、僕の解釈も入るんですが、何でそんなことを言っているかというと、
積んどくって何かというと、本をまず買ってある状態です。ここでは電子書籍もあるんですけど、一旦紙の本としてください。
で、紙の本を僕も積んどくしているんですけど、今ラジオを張っている後ろに置いてあるんですけど、
その本ってどうやって手に入れたんですかというと、自分が面白いとか、買いたいと思ったり読みたいと思った本なんですよ。
実際に。で、強制されてこれ買えって言われたものはまずない。で、その積んどく状態ある、もしくは積んどくするときに買っているわけですから、
読書術っていうのは競技と言いますか、千輪指では本の読み方ですよね。例えば目次から読むとか。
採読もそうかもしれません。重要なものに線を引きながら読むとか、読書記録をするとか、
そういうですね、吟味するみたいなのも読書術だと思うんですが、ここでですね、積んどくも多分購入した時点から
意図して選んでいるわけなんで、講義では読書術でもういいんじゃないかなと僕も思っています。
で、その買いたいものを買ったから読書術っていう意味じゃなくて、むしろですね、もっと突っ込んだ話をすると、
対話的な読書の重要性
その買いたくて買った、読みたくて買った、読もうとしているものっていうのはすごく重要なわけです。
Amazonで言えば欲しいものリストみたいな感じかもしれませんし、どうでしょうね、アマプラとかNetflixとか、
あとはSpotifyとか、動画とか音楽とかいろいろありますが、お気に入り機能ってありますよね。
それで目星をつけたり、自分が欲しいものをそこで一旦、何だろうな、ツバをつけるじゃないですけど、チェックするわけです。
チェックするんだけど、実際紙のほうの場合、買ってますからね。すでにあるんですよ。
なので、お気に入りよりもっと突っ込んでいる感じをイメージしてください。
で、それがあることで何が起きるかというと、著者、この長田さんという人は、情報のダグリューという言葉を何度も使われているんですけども、
簡単に言えばですね、今はSNSから、YouTubeから、メディアでもいいですし、インターネットですね、情報が飛び交っているわけです。
じゃなくても、コンテンツ、無料のコンテンツで楽しめることが多い。無料だけでいいというわけではないんですが、非常に多いですよね。
それを感じている人には、情報が多すぎてついていけないという方もいたり、実際についていく必要性があるのかないのかは非常に大事なことなんですが、一旦そこは省略しておいて、
気がつけばですね、例えばSNSをずっと見たり、無料ゲームをずっとやり続けたり、SNSをやるといってもですね、
投稿するという人ってかなり少ないんですよね。1割くらいじゃないですかね。多くの人は見たり、それを眺めたりして過ぎていく。
それをですね、否定して全部ダメだということはもちろんないんですが、そういうですね、分かりやすい象徴的な意味では、
SNSとかYouTubeも含めて、情報というのはですね、コントロールして得ているならいいんですが、それだけじゃなくて勝手に流れてきて、勝手に得て、勝手にレコメンドされて見ていく。
この仕組みを作った人はすごいんですが、それって本質的に考えると飲み込まれていないかということなんですよね。
そういう意味で対比ではないんですが、一旦その大きな流れから身を引くというか、避難するというか。
そういう意味で病棟とか、さっき言った人工的な自然環境じゃないんですが、自分だけの環境を作るという意味で積読があると。
つまりですね、その積読というのを作ることで、ある種の防波堤になる、つまり堤防になるわけですね。
その大きな流れから身を守って、かつ、ここが大事なんですが、本というのはですね、再読だけでもなく最初の初読でも、
その著者の言っていることを理解しようとする必要があるわけですね。小説でも何でも。
その時にこれはどういうことなんだろうかなって考えたり、こういう世界観だなって身を委ねたり、もしくはこれはよくわからないなと思ったり。
本書に読み捨てという言葉もありますが、全ての本に同じタイトルで臨むというようなことは多分ないなと僕も思ってまして、
いろんな本を読んで、読み方みたいなのを型の方ですね、覚えていって、実践していくというのが本の読み方としてはあり得るかなと思うんですけども、
そういうところで、その防波堤じゃないですか、堤防を作って、好きなものだけに囲まれるみたいな意味じゃなくて、
好きなものとか読みたいものを持ってきたところで、それが本当に面白いかはまた別なんで、ただそこで本としては対応をすると。
その本を手に取って、専属品を手に取ってですね、読んでみると、それがですね、心地よいか心地悪いかはまた別問題なんですが、
対応していって、そこで考えるということですね。
著者の考えを解釈して、自分の考えとぶつけてみる。そこはイメージによるんですが、対話的なので、一方通行、著者からの一方通行ではあるんですが、
こちらは1対1で、個人対個というんですか、これはどうなんだろう、これはどうなんだろうということですね、何度もやり取りしていくというのが対話的かなと僕も思っています。
読書の役割と環境の重要性
そういうことをできる時間、まさに一人の時間みたいなことが生まれてくるんじゃないかということを感じましたし、たぶん、著者はそんなことを言っているのかなと思っています。
長くなったんですが、これ結局どういうことかというと、自分で考えましょうとか、思考とは言わないんですが、自分でやってみましょうとかっていうのは、アイデア出しとかもそうなんですが、授業とかもそうなんですが、
自分で考えることが必要なんですよね。でも、それを僕もそうですが、トレーニングも何もせず、練習も何もせず、いきなりできるわけないんですよね。
本自体を、人の考えを読んでどうするのみたいな方もいらっしゃるかもしれませんが、人の考えを読むことで自分の考えに気づいたり、その人の考えと重なる部分もあるし、そうじゃない部分もあるし、
そうじゃない部分もあるしというふうに、その考えとかを深めていくという意味では、やはり読書が重要なんではないかなということを持ったという話となります。
気になっているのは、読書とかYouTubeとか、デジタルアナログに関わらず、スマホとかウェブとかという記事がダメなんて思っていないんですけれども、違いは何なんだろうなということなんです。
ちょっと分かっていないんですけど、ウェブ記事でもYouTubeでも、それを噛み砕いて自分なりに解釈しないと読み解けない、固いせんべいじゃないんですけど、そういうものであれば対話的かなと思ったりします。
ある種の難しさがあるというと怒られるかもしれませんが、簡単に見ててぼーっと分かるみたいなものだとちょっと違うんじゃないかなと思ったりします。
リラクゼーションみたいな、癒しみたいになっているので、何か違うかなと。
もちろんそういうコンテンツがあることが悪いではなくて、ここでいう対話的なものを促すことがないと読書的と対話的と言えないかなと思います。
つまりどういうことかというと、YouTubeでもSNSでもその頭を使って固いなというようなコンテンツを見てて読んでいれば、別にデジタルという手段といいますか、情報の伝達が悪いわけではない。
むしろそれによって手堅く考えているならいいんじゃないかなということを思うわけですね。
ここ非常に難しいんですけど、今僕ができる原稿化としては以上となっています。
非常にこの読書術、面白いところではあるかなと思います。
直感的に自分は何を考えてどのように生きていくかみたいなことって、割と哲学的で難しい部分ではあるんですが、
人一人で考え方とか、などに生き方とか、仕事もそうですし、過ぎきれいもそうですね。
人と違うからこそ面白いかなと僕は思っています。
そういう意味でこの読書、固いなと思っている人は、僕がお伝えしたことが固かったかもしれませんが、
別に固いことをやれという意味ではなくて、身近にちょっと歯ごたえのあるものとか、環境ですよね。
歯ごたえがある環境に入れるという、ベンチじゃないんですけど準備運動できたりとかですね。
そういうのが大事なんじゃないかなというニュアンスでお伝えしました。
うまくその辺りが伝わるかは分かりませんが、またですね、URLも貼っておくので興味があればぜひ見てみてください。
今回は以上となります。食料ラジオ大橋です。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
12:50

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