分かるとは分けること
シゴクリラジオ
こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、テーマとしては分かるとは何か。
非常に、ん?
まあ、哲学的ではないんですが、分かるとは何か。
結論的に言うと分けられること。何度か話したような気がしますが、重要なので何度も話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては分かるとは何か。
結論的には分かるとは分けられることということで、これですね、分けるとかっていう話をね。
ある友人の話を思い出すんですが、それは置いておいて。
基本的に分ける、分割ですね。分かるという漢字がありますが、漢字じゃなくても分けることですね。
分かるとは分けられることであると。だけど逆に言うとですね、分からないってよく言いませんか?
何かそれ分かんないよね。政治、経済、ビジネス、仕事、恋愛とかもあるかもしれませんが。
とりあえず何か人間関係分からないとかもいろいろありますが、何か苦手とかもね。分からないとかって言いませんか。
リスナーのあなたは分からない連行してますか?分からない分からない。
分からないことって僕も毎日あるんですが、分からないって時どうしますか?みたいな話で。
僕の場合はよく調べたりします。何だろうな、言葉の意味から。
現象とかね、いろんなものがあるんですが、分かるって何かっていう時に調べたら分かるかというと、どういうことが起きるかっていうですね。
分からない単語とか事象とか、現象があったりするじゃないですか。
その時、分かるものが何かっていうところで調べていって、こういうことなんだなっていう風に言語化されていたり、言葉にされていたり、もしくは図解で説明されていたり、言葉の意味を説明していたりすると、
その現象自体に名前が付けられて、それこそ分解可能になっていくんじゃないかなって思ったりしています。
最近ですね、例えば、生花って生花っていうか生きた花っていうことですけど、
生花って呼んでたんですけど、別に生花は間違いじゃなくて、生け花って呼ぶっていうのもあるみたいで、生け花は確かにいけるんだけど、
花道とかにおけるお花ですね、作品みたいなイメージを持ってたんで、これは結構意外でして生け花業界というのかな、生花業界というかな、花期っていうんですかね、分かりませんが、
そのあたり、すごい新鮮というかね、気づいたんですよね。
そういう時も、今の話でいけば、いけばなっていう単語の意味で、どこを自分は指しているのかっていうふうに、まず自分側の方で理解を分けるとか整理して、
そういう使い方されてないんだなっていうことで、この差異が生まれるわけですね。
差異があるから、違っているから、良いとか悪いとかじゃないんですよね。
リスナーの聞いている方はもちろんわかるかもしれませんが、良い悪いとか善悪とかじゃなくて、違いがあるよねっていうね、違いがあることをまるに指摘すると何か怒られるというか、
攻めてるみたいなふうに、言い方だけじゃないとは思うんですけどね。
慣れがあるんじゃないかなって、これは違いますよねっていうのが、圧がかかるみたいなふうなのを、こうなんていうんですかね、じゃないですよね。
これ難しいですよね、オブラートに包むみたいなのが、日本ではまだまだ、別に日本じゃなくてもあるんですけど、あれだとあると思うんですけど、
本当に攻撃しているならダメですけど、本当に攻撃していない場合に誤解みたいなところでなんか変なふうにこじれていくのは、誰もが本位じゃないから、なんかなんかですよね。
で、それは脱線なんですけど、その要は、今言ってた生け花だったら、僕からすると稼働の状況で作品みたいな意味だって使ってたんだけど、
別に成果っていうふうに、要は花が、いわゆるイミテーション、いわゆる造花ですよね。
作ったものじゃなくて、正確にはお花を育てているので作っているんですけど、生きた花であるということで、生け花というケースもあるというふうに分けたことで、
これでね、聞いている方は、なるほど、そういうふうに今話している僕ですね、お菓子の考え方を理解されている方もいるし、
いや、そんなふうに自分は使ってないよっていうふうであれば、そういうふうに理解する人もいるんだよねっていうふうにお分かりになるとは思います。
で、分かるとはまさにこの話と同様で、分けられることなんですよね。分けられれば説明できる。
言語化と理解
だからよく分からないから、その分かるところまで行かなきゃいけないですね。分かるところまで降りていって、もしくは上がっていってもどちらでもいいです。
行って、どこまで分かるかを確認する土台を作る。で、なかったらもうその分かる部分を作るしかないですね。
で、分かる部分がある程度あればそのある程度のところに降りていって、どこに行ったら分からなくなるか、その境界なりグラデーションみたいなところを攻める感じですね。
分かる分からないの境界がはっきりと分からないんですが、分けるという行為がそこをある程度クリアにしていくということになるかなと思います。
で、何か分かった分かったって言って、分かってない人っているじゃないですか。っていうのは分けられてないというだけなんで、分けてくださいっていうしかないですよね。
で、何で分かるためのサポートとしては分ける工夫をすると、そこを支援するというと、そこそこいけるんじゃないかなと思います。
もちろんそのやり方もあるんでしょうけど、分類、カテゴリー。
で、あと分からないっていう状況は、まさに分けられないということなんで、分からないって言ったときに何が起きているかが理解できないっていう意味もあると思うんですよね。
分けられないとね。もしかして唱えてみると理解が進むかもしれないですよね。
難しすぎて分からないっていうのも文字通りその通りなんですよね。分からないって分けられてないから分からないわけですよね。
分けてみると実は分かるかなと思っています。
で、この感覚を今回こんな話をしているのは、実は自分は分かっているんだけど言語化していないのはたくさんあるんですよね。
表現の重要性
で、相手がこれはこの人は分からんなみたいなときに、僕がやっていることってひたすら言語化でしかないんですよね。
もちろん言語化じゃなくて、こういうふうだったら伝わります。こういうふうだったら分かりますか。
例えでもいいし、その人の経験に基づいたものを提供して、その人が分けられるところを見ていくって感じですよね。
それをもうちょっとざっくりというか、例えでいくとパスですよね。
よくキャッチボールみたいなものでいいですけど、野球のグローブとボールを持ってキャッチボールをやったことがある方がいれば分かるかもしれませんし、
サッカーとか運動でもいいですけど、挨拶みたいなものでもいいですよね。
おはようと言っておはようというときに元気よくおはようございますと言えば、相手も元気だなというのがおはようございますに込めていくね。
そこら辺になっていくと表現とかコミュニケーションになっていって言語化しづらいので、
おはようございますの挨拶がすごい暗いおはようございますみたいな感じだったら、体調悪いんじゃないかなって思うじゃないですか。
それって言語化なんだけど、言語化する前にそこにメッセージがこもってるじゃないですか。
だからすごい演劇じゃないですけど表現っぽいなとは思います。
だから別に役者になるとか表現のスペシャリストになるみたいな話じゃなくて、伝えることはできますよねみたいなのがいっぱいある方がいいんだろうなーみたいなことは思ったりします。
だからテキストだけで完結する何かとかそういうわけじゃなく、今しゃべるからしゃべればなんとかなるっていうのは、
もちろん考え方としていいんですが、いろんな選択肢があるほうが面白いというか安いのかなっていうことは思ったりしています。
分けるとは分けられること
話戻しますと、分かるっていうことは何かといったら分けられることだと。
自分が説明というか理解度をどこまであるかっていうのはシンプルでして、説明できればいい、説明できるかどうかなんですよね自分がね。
言葉でもいいし、使い方は何でもいいですけどね。話す、書くでもね。
例えば僕が最近ハマっているBlenderという3Dモデリングソフトがあります。
これ1ヶ月前くらいからやってて、今年のね、気づけばハマっているものの2024年3大ハマったものに入るんじゃないかなって。
他のハマったものも忘れてますけど。
それも説明をね、こういうときどうすればいいですかみたいな話をされるときにこうしたらどうですかとか、もしくは自分はこういうことに悩んでいるとか分からないんだけどどうしてますかって。
それもですね、結局説明というか分けられないとダメじゃないですか。操作のここの部分で分からないんだよねっていうか。
なんかガチャガチャやってるんだけど分かんないよね。相手も聞いた人も何も言えないので。そこですよね。
それって今ってデジタルツールで言えば色々本当にありますよね。
テキストでももちろんいいですし、その画像を1枚撮ってここが分からんって言ってもいいですし、動画でもいいですよね。
もちろんコミュニケーションで相手に負担があって動画を10分見ないとダメとかあったらちょっとしんどいけど。
5秒くらいの消灯動画というか、自負動画っていうんですかね。
本当にここで分からなくて、ここでおかしくなるとかね。
感覚ですけど、確かにこれはプログラマーとかシステムの不具合を出す人とかの感覚がないとなかなかやりづらいなとか思いながら
自分はそういう経験があるので、特にそこまで面倒くさいとかやりたくないとか全く思わないので。
そういうのは自分の強みになるなとは思いながらも、スクショ画像、テキストもあるし、色んなまとめ方があるし、やり方があるっていうのも大事かなと思ってます。
そういうときに自分が説明して、こういうふうにできるんだよっていうふうにしていくことを。
いわゆるラーニングモデルみたいな学習の仕方ですね、形式として。
説明できるってことは、説明っていうのは言って相手が理解してもらわないと意味ないので、相手が分かるように説明できるようにすることですね。
言語化。それができるようになっているということは多分分かっているってことなんですよね。
だから3Dモデリングソフトのブレンダーっていうのは、別に僕が初心者とか初心者じゃないとか、プロになるプロにならないとか、そんなことはどうでもいいとしておいておいて、
自分が感覚としてできるようになった、成長している、上達しているということをある種、証明しなくてもいいんですよ。
証明しなくてもいいんですけど、成長しているということができるという根拠は分かっているってことじゃないですか。
分かっているとは理解しているってことは、別に資格試験があってとかも分かりやすいですけど、
そこも全部置いといて、じゃあ分からない人がブレンダー分からないんで教えてくださいっていう人がいて、
その人に説明をして分かってもらえるかどうかです。もうシンプルにそこですね。
分かってもらえるなら、僕は理解しているし、相手も理解していれば、僕が分かったってことですね。
相手が分かったっていうのも大事ですし、同時に相手が分かるってことは、分けられているってことは、僕自身も分けられているってことになるんで、
それが分かるっていうことになっていくかなと思っています。
成長と学びのプロセス
すみません、ちょっと声がガラガラになってきましたけど、今回ですね、分かるとは分けられることだということを少し感じたので、
共有してみました。
分からないとか分かるとか、なんだろうねって思う人はそんなにいないかもしれませんが、
なんだったかなって思うときに、分けられるってことだよなみたいな。
確かに分けられたって時は分かってますし、分けられないなって時は分かってないです。
分かるからいいとか分からないからダメとかなくて、分からないから分かろうとするから、分かるから分からないことも出てくるっていうね、
その繰り返しでしかないんで、分かる分からない分からない分からない、分からない分からない、永遠にやり続ける感じですけど、
それがですね、成長学び、気づきになっていくことが僕は面白いなと思っています。
ぜひ分からないことも分かることも楽しんで分けていきましょう。
今回は以上となります。四国にラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。