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2023-07-28 08:40

第二回中村泉の三味線・民謡ラジオ

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玉村町在住の三味線・着付け講師、中村泉がお送りする三味線・民謡ラジオ。


「みんなが知っているあの曲、実は民謡だった」をテーマにお届けします。

00:01
中村泉の三味線民謡ラジオ、こんにちは。
多摩村町在住の三味線木付公司の中村泉です。
この番組は、かごめかごめ、そうらんぶしなど、
知っていた曲が実は民謡だった。
そんな身近にある民謡や三味線についてご紹介します。
突然ですが、群馬県の民謡といったら、
どんな曲を思い浮かべますか?
今回、ぜひ知っていただきたい曲は、
常州マゴウタです。
この歌は、いわゆる竹物といって、
尺八と鈴の伴奏で歌う歌です。
群馬で歌われてきたマゴウタ、
馬形節はいくつかあり、
高崎から越後へ向かう三国街道あたりで歌われた
三国マゴウタ。
中川道松井田塾あたりの薄井マゴウタ、
赤城三陸で歌われた赤城マゴウタ、
上野村の十国マゴウタ、
相子井村の鎌原マゴウタ、
そして片隅村の片隅マゴウタなど、
知られていないだけで、
山があり峠のあるところにマゴウタあり、
でしょうか。
そして、ぜひ知ってほしいのが、
かばさわよしかすさんが歌い、
全国的に広めたマゴウタが、
上州マゴウタです。
かばさわさんは明治32年、
旧瀬田郡藤見村生まれ、
若い頃に同じ旧瀬田郡の
貝ヶ谷村の幕朗、
幕朗というのは、
牛や馬の仲外人のことです。
観音徳という人から、
三国マゴウタを習い、
赤城マゴウタの節を加え、
整えて歌っていました。
当時は馬肩節と呼んでいたそうです。
昭和10年、民謡歌手の初代、
濱田喜一さんのすすめもあって、
上州マゴウタと改名。
日本の数あるマゴウタの中でも、
特に素晴らしいものに仕上がっています。
それではここで、
かばさわよしかすさんの歌う、
上州マゴウタをお聞きください。
03:11
明日は港よ
貝戸場で
はい、はいどう!
ほらほらほらほら!
はい、はい!
山でどことじゃ
木の根が
甘くなった
はい、はい!
落ちる木の葉が
早くなる
ほらほらほら!
はい、はい!
貝戸!
ほらほら!
はい、はい!
可愛い男に
馬肩を
差して
はい、はいどう!
鈴の鳴るたびよ
跳ねてみたいよ
はい、ほら!
はい、はいどう!
はい、ほら!
ほらほら!
いかがでしたか?
いいですね。
尺八の伴奏なしで
マゴウタの持つ鈴だけで歌う。
実にリアルですよね。
馬の背に荷物を乗せ、
山や険しい峠道を
一歩一歩歩く姿が浮かんできますよね。
素朴で流れるような節のまし。
群馬県の馬肩節として誇れる名曲です。
実は、かばさわさんは
大正時代から昭和初期まで
馬肩をしていました。
前橋から桐生や沼田へ、
遠くは東京方面まで
人や荷物を運ぶ仕事をしていたといいます。
06:03
民謡の名手であったかばさわさんは
鋒月の名でマゴウタを教えていました。
そして、私の身近にも
かばさわさんのお弟子さんがいて
私自身、そのお弟子さんから
城州マゴウタを習ったことがあります。
その頃、私はまだ子供でしたし
声質が細く竹物向きではなかったので
うまく歌えず嫌いでした。
でも、あれから半世紀近くたっても
あの歌の始盤詞を覚えていることが
なんだかとても嬉しいです。
今回この歌を取り上げたことで
思い出したことがあります。
それは直接ご本人にお会いしていたこと
私に三味線を習うのを勧めた母が
かばさわさんの孫弟子であったこと。
お会いしたのは昭和52年10月に
79歳でお亡くなりになる前
私が小学生か中学生の頃だったと思いますが
70代後半になっていたかばさわさんは
白髪でそれでいてとてもがっちりとした体格
日焼けしたお顔は笑顔の似合う
優しい方と記憶しています。
赤着しぐれて野股は雨よ
明日は皆神指そまで
という群馬らしい歌詞とメロディーの美しさ
秀逸なふしまわし
かばさわさんの歌は馬に語りかけるような
淡々としたもので
それは本物の孫が歌う本物の孫歌なのです。
ただ残念なのは今歌われる孫歌は
年を長々と引っ張る歌い方が多いようです。
本来の民謡は生活や仕事から生まれてきたもの
馬の立ち名を引き鈴一つで歌う
かばさわさんのような孫歌を歌う方が
一人でも多くいて
そして継承してくれることを強く望みます。
そして群馬の民謡は?と聞かれたら
一番に上州孫歌と答えてほしいですね。
いかがでしたか。
なおこの番組はポッドキャストでも配信中です。
また次回お会いしましょう。中村泉でした。
08:40

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