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2024-07-21 10:57

第272回 引きこもりになり修行僧のような生活を送っていたら、無宗教なのに色々と悟ってしまいました。一体何を悟ったのか。

宗教歴20年そして退会した自分。現在は無宗教だが何と瞑想中ではなく食事中に毎食集中して食べていたのもあり、人間について色々分かったことがありました。それをここでだけ公開してしまいます。

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修行歴20年、そして退界した自分。現在は無宗教だが、なんと、瞑想中ではなく、食事中に、毎食集中して食べていたのもあり、人間について色々分かったことがありました。
それをここでだけ公開してしまいます。画概要。
まあ、宗教に入ってて、まあ、その宗教もね、色んな宗教混ぜちゃうような宗教で、まあ、仏教だったりね。だから、割とまあ、自分は心理学を学んだわけでもないけど、結構ね、まあ、心のことについて色々学んだような感じもあります。
まあ、そういうエリート教育じゃないけどもね。小さい頃から学んでいたので、だいぶ心については添い終わるというか、まあ、そういうのもあったと思うんだけどもね。完全に何もない状態から何も生まれないだろうけども。
食事中にね、本当に瞑想しているんじゃないかと思うくらい、まあ、集中して食べるんです。それぐらいじゃないとね、味覚が弱くて、その味を感じ取れないんですよ。だから、テレビなんか見て食べている人も多いだろうけど、日本人で。そんなこともしないし。
しかもね、禅定なんかね、あの姿勢も大事ですよね。手を合わせてとか、あれなんかもね、要は、まあ、仏教的に、宗教的にどうなのかわからないけども、あれも理にかなっていて、その軸をしっかりね、定めて、長時間、その同じ姿勢をキープするという意味ではあれが大事だと思うんだけどもね。
一番理にかなっているわけですね。お祈りする、手を合わせるとかあれもそうですね。中心に手を置くじゃないですか。まあそれで、身体の偏りをなくして心の偏りもなくすとか、そういう意味合いもあるのかな、わかんないけども。
でね、それと同じように自分も食事中のね、あの、お坊さんたちが禅定中、動いたら勝つってやられますよね、あれと同じように。全く同じ姿勢をずっとキープしないと、するわけですよ。別に、そんなね、修行のためじゃないんだけども、そうやって同じ姿勢をキープしないとね、食事に集中できないわけですよね。
で、だからああやって、瞑想中、集中するために同じ姿勢をキープするっていうのもやっぱり理にかなってるわけですよ。だから今話したようなことも、別に勉強したわけじゃなくて、その食事中集中姿勢だから長年ね、そのおかげでわかったことですよね。
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で、これはもうまさに最近の悟ったことというかね、悟ったって言うと大げさだけども、なんかいかにもガレたじみてるけども、まあでも悟った、逆に言うとね、悟ったってことにしていいと思うんだけどもね、自分としては別に大げさ意味で言ってるわけじゃないから、事実だし。
で、よく悟ったがね、一つのことに囚われるなと、流れに身を任せてるというかね、まさにそれをね、実感したことがあって、それが大事だってね、食事中ね、こういう風に食べ方したらいいなと。
例えばですよ、少し味わって、で時間経ったら意識を少し変えて、さっき姿勢を変えるって言ったけどもね、想像してみてもらえればわかると思うけど、首は流石に動かしますよ。おつゆ飲むときは。
食べ物によってちょっと角度も変わるわけじゃないですか。で角度を変えてすると、行動も変わると意識も変わるんで、それでまた味わえると。でまた首の位置を変えると。
それに気づくときがあるんですね。こんな風に、この食べ物はこういう風にして食べたらいいんだと。で毎回同じじゃないんですよ。同じ具材でもね、その時によって味付けも違うし、味の濃さも違うし。
それもある時気づいたんですけどね。毎回同じ料理でも変わってくるなと。味わい方もそれに対応しなきゃいけないと。
で、今回はこの料理に関してはこういう風に食べたらいい、こういう食べ方をしたらいいなって気づいても、じゃあ二口目をそれと同じ食べ方でやったら同じように食べれるかというと、全く同じ食べ物の濃さの同じ味付けでも、やっぱりね味覚がそれになれるっていうのもあるし、やっぱりその口に入れる量とかほんのちょっとの違いが変わるんでしょうね。
だからその時によって全く意識を変えないと。でもね、意識を変えないといけないっていうその意識も変えないといけないっていうかね。今の話だとこじらせてるように聞こえるかもしれないけど、説明してしまうとこうなってしまうんだけど、そういうことに気づいたりね。
一回じゃあ食事になぜ集中し始めたかの話しますけども、ある時にね、これも集中し始めたからなんですよね。集中しなきゃいけないなって分かったっていうよりも、分かったんだけども、その前にまず集中したタイミングがあったんですよね。
でも味わえてないと。なぜかというとテレビを見てるからだと。考えが通してるからだと。気づいたんですよ。これは徹底的にそういう生き様じゃないけどね、食事中の生きる姿勢というかね、変えなきゃいけないなと。行動の仕方から。
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それでそれまで朝ドラ見たりテレビつきながら見てたのをやめ。で、そのタイミングで自分が潔癖症になり床に座ってるのもできなくなり、その理由だったか、キッチンテーブルというのかな?
テーブルを買って椅子に座るようになって、それからテレビも一切見なくなり、しばらくテレビ見てたのかな?でもテレビも見なくなり、食事中は一切会話もしないで、ほんと修行僧みたいなんですよ。物音も一切、外からは聞こえるかもしれないけども、物音も一切立てないで。
で、洋館にも静かにしてもらうようにして。するとね、やっぱり、これ瞑想してる人は分かると思うんだけども、ちょっとした物音でもね、察知できるようになるんですよ。それだけ心が澄んでる状態というかね、仏教的に言うとそういうことになるんでしょうね、分かんないけども。
言い換えると変化に敏感になってしまってるというかね、音に対して。それまで騒音でも気にならなかったのが、小さい音でも気になると。
あとね、もともと自分は発達障害で、触覚過敏があって、それもかなり重度だし、そういうのもあってね、それ自体は一生変わることではないんだけども、それでそういうのも相まって、洋館が皿をガンガンに置いてる時があってね、なんでなのか、わざとらしいけども、わざとじゃないのが逆に怖いけれども、
それも静かにしてくれって言って、新聞の音がうるさい時も静かにしてくれって言って、これは良いのか悪いのか、しょうがないっちゃしょうがないんだけども、この流れの中でね、集中するとかそういうことだから。
もう外のね、犬の鳴き声でさえも捕らわれたらあれなんですよ。誰でも経験あるんじゃないですか。寝てる時時計の音が、針の音が気になって、それまで全然気になってなかったのが。逆のパターンもあるんだけど、最初は、今ね、家の腕時計が壊れて、それまでソーラーパネルっていうのかな、光、太陽と家の光でついちゃうんだけども、
家で一日を閉めるようになってね、引きこもりだったらそんな感じするじゃないですか。そういう理由じゃなくてね、別の理由でちょっと閉めてるんだけども。
なんでだっけな。窓開けなくなってからだ。それで窓開けないで代わりに夜、ドア開けるようになってね。不思議なことにその後、ポッドキャスト撮るようになり、何年後かにね。よくあったんですよ結局。
それが壊れてね時計がね。でね、羊羹が耳が悪くてね、音は一切聞こえないって言うんだけども、どう考えても音聞こえるんだけどもね。針の音だって、いや自分は聴覚過敏なのかな。親からよく小さい頃から地獄耳って言われてたけども、針の音がね、10メートルぐらい離れても聞こえるんですよ。でも羊羹は一切耳にすごい力付けてるんだけども、聞こえないって言うんで。
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しょうがなくね、それ使ったんですよ。新しいの買うっていうのも嫌だし。自分がまあね、最近特に昔からそうだったんだけども、シャーペン芯の芯一本折れるだけでも心傷んでたんで、まあケチな性格なんでね。で今は節約してるし、そういうのもあってね、全体で節約してるんでね今はね。
で最近はそんなことしても、どうせ処理は意味がないって最近気づいて、多少柔らかいんだけども、それでもね、まあそんな時計買って、買わないから、しょうがなく一回で親が使ってるの使って。最初ね、音は気になったんですよね。だけど今は全く気にならないんですよ。そういう逆パターンもあるんだけどもね。
食事中はね、やっぱり神経研ぎ澄ましてるせいなのか、犬の鳴き声でも、まだね、気になるし、あと気持ちの問題もあるんですよね。その近所の人が、隣の家の人が苦情、直接は言わないけども、言ったみたいで、それでね、ああ、この家の人事故中なんだなと、そういう意識に変わってから、なんかそれが腹立ってきてね、犬の鳴き声が気になったり。
あと近所の車庫を開けたり車を出す音でさえね、なんか今は気になってきて、ああトウモロコシ間違って帰ってきたんじゃないかみたいな。あとは別にそれでなくて、なんだろうね、郵便来たんじゃないかとかそういうあれなのかな。なんかその家の前車通るだけでもね、確認しなきゃいけなかったり。確認作業が入るわけですよ、自分は。虚惑性障害なんで。
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