00:00
倉木凪です。
この一つ前の Podcast って思ったんだけど、
以前、何度か、人は、どうしてもやっぱり人のことを完全には理解できないと。
だから、自分のことを理解してもらえると、それが当然だと思うのは間違いだと。
ああ、そういう面白い考え方あったなと思って、思い出してたんだけど。
でもね、やっぱり理解してもらえる、理解してもらえないって場合によってやっぱりそういう違いってあったりするじゃないですか。
だからこれね、まあ抽象度の、考える抽象度によっての違いなんですよね。
でね、その抽象度の違いを全く意識しないで話す人っているんだけど、これがね、理解できないんだよね。
例えば今の話で言うと、AさんとBさんが話してて、Aさんがね、
いやー彼女から、いつも仕事だと自分どっちが大事なんだと言ってきて、
仕事が忙しいってことを理解してもらえないんだった。
Bさんがね、まあお互い大変だな、俺も。
彼女は理解してもらえるけども、管理職になってなかなか部下もこの辛い状況を理解してもらえてないんだけども、なかなかそれって難しい。
難しいんだよな、っていう会話をしてたとしましょう。
で、そこでCさんが途中から話し入ってきて、
それを聞いてて、人は人を完全に理解することは不可能だみたいなね、
哲学、哲学者、あるいは哲学学者が言うようなことをいきなり言ってきたらね、
どうでしょうかね。でもこういうことって普通に世間ではあるし、
で、このAさんもBさんも感心してしまって、まあ確かになみたいな。
で、なんとなく話、7になって終わるみたいな。
普通にこんなこと、全然珍しいことないですよね。
でね、一番このCさんがね、全く理解できないんだよな。
それだけ哲学的なことも分かってて、頭いいんだな。
なぜここでね、空気読めてないというかずれてるというか、
03:00
いやそういう話じゃないんだよなって何で分かんないかなと思うんだけど。
今はそういう抽象的な話じゃ、そこまで抽象的な話じゃないから、
それでちゃんちゃんとはなんないんだよなって何で分からないのかなと思うんだけど。
で、別の例えで言うと、部活が忙しくて、小学生の時の夏休みみたいに自由がなくなったよなってAさんが言ったらBさんが、
まあ時間の面でもそうだけども、俺は親によっていろんな制約があるから、
そっちの方が辛いな、もっと自由にやらせてくれる親だったらなっていう話をしてたとしましょう。
でも自由か自由でないかって捉えるのは人間のその時の心の状態の問題であって、
とかあるいは真の自由とはこういうことだとか言い出したらそれもね、
いやいや、そうだけども、ってなりますよね。
やっぱりこれも抽象の違いな、ずれちゃってるんですよ。
で、自由って言ってもね、哲学的概念として使われる場合と、
まあこうやって世間話で使う場合で全く意味が違うんで、
それを一緒くたにしちゃって話しちゃってる感じじゃバカだなと思っちゃうんだよね、こういう人いたとしたら。
次、クラキが理解できないことなんだけど、
例えばだけど、いきなりね、たとえから入るけども、
学生の追い込めいこに対して、高校生ってことにしますか、
学生なんて、高校生時代っていうのはな、
ありのことなんて全く気にしないで、自分の道を突き進めばいいんだよ、
っていう親戚のおじさんがいたとしましょう。
でこれね、人の人生を左右するのほど平気でいる人、
しかも一つの、ある程度さっきの抽象度で言うと、
結構具体的なね、方法論というか生き方というか、あるわけだし、
でしかもその、今の言い方ですよね、
もうちょっと補足というかないかなと思うんだけど、
まあ例えばだけど、俺は、俺の、まあちょっとした偏見かもしんないけども、
学生時代こういうことがあって、だからこういう後悔してて、
君にはこういう風になって、
06:01
まあこういう姿をおじさんとしては見ていたいんだみたいな、
ならまだいいわね。
君は昔子だったから、なんか自分を見てるようで、
なんか、だから、
おじさんの理想としてはこういう風になってほしいなと思うんだけどどうだろうか、
ぐらいの程度の言い方ならいいよ。
その人の人生を左右することは平気で言えて、
で、
まあ一つの、
まあ価値観でしかない考え方を、
特にこのメイクお役のことはよくわかってるわけでもないのに、
そう生きるべきだと。
勝手にね、その人が本を見てね、
ああこの生き方がいいと思うのは勝手だけども、
親戚のおじさんが、
君は、まあ今はまだ若いからこもってるかもしれないけども、
実際こうなんだよって言って。
で、ある程度抽象的な話ならいいよ。
そんな具体的なこと言って。
抽象的であったりある程度不変性があることをね、
まあ誰もがまあそうやって思うよなってことを、
改めて理解してもらう。
まあそれはそれでちょっと、
そんなこと言って意味があるのかどうか疑問だけども。
あとあるいはね、これで問題なのが、
まあ知った激励するって意味で、
言葉自体に意味があるわけじゃない。
まあそういったことならいいよ。
でもそういったことかどうかもわからず言ってる人っていますよね。
一見知った激励してるだけなんだけども、
でも価値観を押し付けてるっていう。
その危うさはなぜわかんないのかと思うんだけど。
なぜ自分のその、
人生のモッドにしてるようなこと?
それはあくまでも自分の価値観でしかなくて、
あくまでも自分がそう決めてるだけであるし、
自分にはその生き方が合ってるだけであって、
一向一向にそれを当てはめても全く意味がないし。
でね、まあ、
ちょっとこれ話すまではわからなかったんだけど、
というか今まではわからなかったんだけど、
言いとこがね、全く、
これ同じことだな多分な。
業館と、祖母とおばもいたかな。
で食事をしていて、
部活の紹介のことで、あるいは、
まあ他のことでもね、
すごい不安になることがあると祖母に相談したら、
09:01
まず、
いとこがね、若いんだから、
ガムシャルにやればいいんだよみたいな、
無鉄砲にやればいいんだよみたいなこと言ってきたんだろうねきっと。
大体そういうニュアンスの話だったんだけど、
まあこの場合はまあ一つの、
アドバイスとして言ってくれてるから、
まあこっちもそういう風に捉えればいいだし、
まあそれよりも、
まあでもね、これもそうだよね。
しかもその時祖母に相談してるんだっていとこに相談してないし、
だからその時の感情をぶつけてきただけ。
まあそれがまずそもそも問題だし、
なんとなく学生のくせになるんだから、
そんなことで不安になりすぎて、
気に食わなかっただけでしょ。
でその時は思ったことをただアドバイスのごとくに言う感じ。
まあそれは置いといて、
やっぱりこの場合でも、
もっとその人の人生に影響を与えてる。
しかもこの場合はまあ大人が子供に言うわけだから。
それをなぜわきまえて話せないかなと思うんだけど。
クラキが重く受け止めすぎなのかな。
でまあ他の人の場合であっても同じだと思うんだけどね。
自分だったらそんな無責任にね、
こうした方がいいなんて言えないけどね。
いかにそんな人間がね、
この生き方が正しいみたいな、
そんなものはないってことは、
わかってるからなんだけど、
まあ難しいことを言い始めたらね、
不完全生定理とかそういうことを言い始めたら、
まあキリがなくなるんで今回は話さないけども、
これが正しいなんて生き方はないわけですよ。
まあでもこれが正しいと信じて、
生きてるのがまあ人間ですよね。
でも正しい、これが正しいなんてものはなくて、
でもじゃあ逆にこれが間違ってるなんてものはなくて、
でも社会で生きていこうとしたら、
これが正しい、これが正しくないっていう、
判断することも大事だし、
ある集団ではこれは正しいかとか、
別の集団では正しくなかったり、
そうやっていろんな条件によって正しい正しくないを、
使い分けてるのが人間だっていうのが、
まあそこまでぐらいは言えると思うんだけども、
まあいい、ある程度、
12:01
子分別なら大人なら、
このぐらいなんとなく分かんないのかなと思うんだけどね。
いかに人にそうやってね、親戚の方に、
あと何だろうな、
まあ1個1個が何の部活をやるか悩んでたして、
まあ部活制度だったらいいか、
もっと人生を動かすような、
しかも教訓めいたことを言ってるようで、
単なる自分の押し付けでしかないような、
何だろうな、
まあ上司が部下に、
まあ上司が部下になったら、
一つ指導というか教訓として、
っていう話でまあ部下もそれを分かってて、
そんな本気では取れないっていうかな。
でもね、親戚のおじさんがもう1個目1個に対して、
君はちょっと真面目すぎるんだよ。
もう友達なんていなくなってもいいぐらいの破天荒さでやれとか。
うん、こういうこと平気で言えてしまう人は理解できないね。
で、次の話だけども、
また例えから入るんだけども、
部活で何を入ろうか迷ってる追い込め役に対して、
またこれもねおじさんが、
迷うことも若者の特権だとかね、
あるいは、
もう迷ったら負けだよとかね。
いやこれって何の回答にもなってないよね。
その追い込め役が、
その部活を決めるためのね、
手明かりには一切なんないじゃないですか。
そういう思いつきで平気でそういうことを言える人、
これも理解できないね。
あとはね、
でもこういうことって普通あるじゃないですか。
普通に。
で、何の解決にもなってなくて。
でもいかにもその場はね、
うまくアドバイスもらってうまくいったみたいに、
終わってしまうっていう。
でも本音としてはね、
いやそういうこと聞きたいんじゃないんだけどなって。
これ別に親戚同士じゃなくても普通にあることでしょ。
なんかずれてるんだよなっていうね。
こういうことが普通にある世の中が、
理解できないね。
全くロジカルじゃないというのかな。
建物で言うと土台から少しずつ建てていって、
買い物ってそういうもんですよ。
建設的に離していくべきなわけですよ。
でも土台からどんどん作っていくって感じじゃなくて、
15:01
なんだか思いついた木を次々に、
ただめちゃくちゃに積み上げていくみたいな。
で、それで曲がり通ってしまう。
もっとどうもおかしなところだと思うんだけど。
あとは親戚のおじさんがこれまた、
追い込め以降に、
団体競技に入るべきだよ。
とか、マイナースポーツはやめたほうがいいなとか。
こういう自分の価値観でしかないことを、
アドバイスとして平気に言えてしまう人。
これでまた補足がちゃんとあればいいよ。
でも単純にこれだけ言い放って終わりな人。
さっき言ったようにどれだけ、
自分の発言って、
この世界に影響を与えているのか。
特にこうやって面交以降に対しての場合、
どれだけ影響を与えているのか。
それは自覚なしに話を平気でできてしまう人。
全く理解できないね。
それが良い悪いじゃなくて本当に理解できないんですよ。
そういうことを言える人。
さっきの話もそうだけども。
人に対してのアドバイスとして。
でも全然あるしよ。
親戚のおじさんが、
学生に、
中学生のうちは、
真面目に生きなくていいんだよ。
もっと適当に生きていいんだよみたいな。
こういうことを言えてしまう真剣な人。
良いとか悪いとかじゃなくて理解できないんですよね。
そういえばさっきの良いところの話もそうだけど、
祖母もね、
自分が勉強頑張ってるって言ったら、
トウモロコシから、洋館からそういう話があったのかな。
でもガリ弁は、
ダメだけどねって。
ガリ弁の定義とかも分からず。
たぶん祖母の時代でも全然違うんだろうし。
とりあえず、
なんとなく自分が思ったこと、
ポンって言ってしまうその感じ。
その一言によって、
どういう影響を与えるか、
どういう風に相手は受け止めてしまうか。
そういうことを全く考慮なしに言えてしまう感じ。
こういう人って普通にいるでしょ。
理解できないね。
そういうことが世の中で普通に
わかり取ってしまうことが理解できないですね。
次の話、最後ですけど。
親が子供に習い事をさせる。
18:02
中にはね、いろんなのをやらせる親もいるじゃないですか。
何のため、何を。
これがまた、
その親自体の考え方は分からないのもあるけども、
特に教育熱心なわけでもないけど、
そういう方でもないけども、
ピアノをやらせたり、
結構本気で取り組ませてる。
こういうことが世間で普通なのが理解できないっていうね。
つまり、
何かはっきり目的があってやってる、
としたらそれはそれで理解できないし、
どういう効果があるのかも分からず、
とりあえずピアノをやらせてる。
これもよく分かんないし。
ピアノとか何だとか、いろいろだけど。
あと習い事でやらせること、
日本特有なのかな。
全てね、
大体、習い事って言ったらピアノとか、
英会話は多少役に立つかもしれないけど、
大抵役に立たないことなんですよ、将来。
書道だな。
工室なら自分は綺麗になるかもしれないけど。
ちなみに自分は全く綺麗にならなかったけど。
野球だな。
プロ野球選手になれるのなんて0.0何パーセントでしょ。
野球を小学校の時からやっとくことによって、
他のスポーツで、
もうそれを活かされる。
で、プロになれる確率。
もう0.0何パーセントでしょ。
昔の人ならね、いろいろあったのかな。
花嫁修行的な、お茶をやらせたり。
あとそれだと話が変わってくるけども、
今のね、最近ので言うと、
最近というか、そこまで昔じゃない話で言うと、
水泳とかね、
まあこれは心臓が、
強化されるみたいな、言ってる人いたけども、
だったら大人になってからタバコ一本吸うのは、
やめさせる方がずっと大事だろうと思うんだけど。
で、
じゃあね、ピアノとか、
で、何か能力が伸びるかと言うと、
まあ周知力だったり、あと、
手書き音になる。そんなのね、遺伝で決まってくるからそんな、
ピアノやったって伸びないよ。あとね、
ピアノやって何か伸びる能力があるんだら、
別にね、塗り絵してたって、
家でお菓子作りしてたって、
別にそれ、それぞれの何か、
伸びる能力があるし、
周知力だって別に何かしてるやん。
いや、周知力それでピアノ、
別にピアノじゃなくていいと思うんだよな。
21:01
お、月謝、高いお金払ってね、
行く、やる、やらせるようなことじゃないと思うんだよな。
それでは明日っけ。