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ポイエティーク
こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と──奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
今日は、番組始まって以来初の奥さん持ち込み企画。
企画ではないな。
企画ということではないね。ポイエティークRADIOで話したいことがある。
あ、お便り。私のお便り。
奥さんからのお便りなんだ。
一応ゲストじゃない?後でお便りって手にしてもいいけど──
奥さん側から話したいことがあるって言ってくれるの、なんか面白いな、嬉しいなっていう気持ちがあります。
どんな内容なのかっていうのは、先にしちゃってるから、あまりドキドキはしませんが──
緊張感がありますね、持ち込んでもらうっていうのはね。
というわけで、RADIO NAME 奥さんからね。
RADIO NAME 奥さんです。
先日、スポティファイのプレイリストが公開されていたんですが──
そちらに満開ステージA3ブランニューアルスという曲が入っておりまして──
もともとA3が好きなのは私で──
このポッドキャストでも散々A3の話をしてたので──
もういい。
熱心なリスナーの方はご存知だと思うんですけど、A3好きなのは私なんですよ。
それをプレイリスト作ったよって言って見せてくれたじゃない?
サムネに思いっきり夏組のアルバムジャケットが入ってて。
入れたんだって思ったんだけど──
それだけで終わったんだよね。
入れたんだっていうだけでね。
マジか入れるんかって思ったけど──
それでふんふんで終わったんだけど──
これは共通の知人の人がね、自分のトラウマというか過去の──
記憶をえぐるような作品を見た時に10年前なら死んでたという発言をされてたんですけど──
その案件だなっていうことにしばらく経ってから気づいて──
なんかちょいちょい言ってるけど私は自分が好きなものについて開示するのがすごい苦手で──
ラジオ、ポッドキャスト内でA3でこういうことがあってねっていうのは──
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それはコンテンツの言葉だったり要素を借りて喋ることだから──
別にこういうところがめっちゃ好きみたいな話をしてるのとは別のことじゃないですか。
それがね、その距離感を飛び越えてね、いきなりコンテンツをぶち込んできたって。
乱暴さに対してもふんで済ませられる大人になった夏でした。
お便り以上です。
はい、奥さんありがとうございます。
ありがとうございました。
まず最初に宣伝として言っておきますと、スポティファイという音楽サービスがございまして──
そこでですね、プレイリスト。
ポイエティックラジオのお供、夏の混沌編というプレイリストを僕の方で作っておりまして──
大体30曲ぐらい、2時間半分ぐらい入ってる超大のプレイリストなんですけど──
適当に入れてるだけなので、シャッフル再生でぜひ楽しんでいただければなっていうもので──
コンセプトとしては、ポイエティックラジオで音楽をかけるとしたらこういうものをかけるぜっていう──
ごったにのやつで、ちょっとあまりに混沌としすぎたので、夏の混沌編って作ってるんですけど──
その中で一番混沌とさせてる曲が、そのA3っていう演劇をモチーフとしたね──
ゲームが元になった舞台のオープニング曲を──
劇中オープニング曲ですね。
そのA3っていうものがね、もともとその──
素振れかけていた劇団を立て直していくために若い男の子たちと一生懸命頑張るっていう──
ざっくりとそういう物語なんですけど──
宝塚みたいに組があって、春夏秋冬でね、春組夏組っていろいろいて──
今夏なのでそのうちの夏組のバージョンのオープニング曲をプレイリストの中に入れていったっていうのが──
まずあってというところで、それが奥さんにとってみれば一昔前で、それこそ10年前であれば──
もうその私の趣味を勝手にアウティングするなっていう問題になりかねなかったぞっていう──
ご指摘をね、いただいたっていうことだと思うんですけど──
それはね、そうなんですよね。
いやそう、これね、あのね、もう言っちゃうけど──
実は一回もうこの話で録音してて、でもそれがあまりにもまとまりがなかったから──
2回目なので、その前回1回目没にした録音のね、話をね踏まえて言うとね──
なぜこれが私にとってアウティングにならなかったのかっていうと──
あなたは主体的にそこそこエーステを好んでいる。
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好んで見てるからね。
もうこれは否めないじゃないですか。
フュータンも行ったし──
公演もちゃんと確かめてね、また見に行ってますからね。
シトロン可愛い可愛いって言うし──
だからそのあなたはもうもはや主体として──
エーステのファンの一人であるっていうのがあるからこそ──
アウティングにならないっていう──
あなたも当事者なわけじゃない?
無害者として責任に介じしているみたいな立場ではなくて──
なんなら柿内さんこんなの聞く?って言われても──
そのリスクを負ってもプレイリストに入れる程度には好きっていう──
むしろなんかちょっとフフってなったんですけど──
それは大きいよね。
まあそうだね。
だからあなたの趣味として入れたわけじゃなくて──
僕の趣味として入れたっていう定義になっている。
これに関してはポエティックラジオのプレイリストだから──
僕だけのっていうよりは一応ポエティックラジオとしてのっていう──
別のクッション入ってはいるけれどもね。
ゲストよし。私ゲストよし。
まあだから責任編集としては僕だからね。
どちらにせよっていうところなんですけど。
たぶん私が作ってたら入れないし。
ああそうか。それ自分で介じしないと。
いやてかそうね。今自分で言って思ったけど──
プレイリスト公開とかできないなそれは。
そもそもねプレイリストの公開自体がね。
いやなんかどれを選ぶかってなったときにさ──
どこならセーフなんだろうって。
そういうときに大したやつだと思われたいみたいな気持ちが──
久々に顔を出しちゃうみたいな。
なるほどね。でもそれはあるよね。
やっぱりそのプレイリストの話に一回。
プレイリストの話とあなたの趣味のアウティング的な話──
アウティングミスりだけど。アウティングの話。ミスりではないな一応。
10年前ならアウティングだった。
10年前ならアウティングだった話っていうのは結構繋がってて──
要するにその趣味というものを開示することが──
どんな意味を持つのかっていう話なわけじゃないですか。
これもだから常々僕たちの中では話してることだけれども──
前回の放送でね、あなたが自分と作品とっていうのはかなりパーソナルな──
ある意味作品と向かい合うことはすごい内省と繋がってたみたいな話をしたときに──
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僕は痛く感動したじゃない。
つまりそれは作品と自分との間にパーソナルな関係を──
大事にしていくっていうやり方なわけじゃない。
僕はなかなかプレイリストもそうだけど──
作品に触れてその作品に触れたことを──
言いふらすところまで含めて──
なんかセルフブランディングみたいなところが多分にあるぞっていうところ。
だから僕にとって作品っていうのは──
あなたにとって作品は結構ご飯とかお茶みたいなものに近いと思うんだよ。
これ一回聞いて。
僕にとって趣味っていうのは服なんだよ。
あとはいい腕時計とかね。
いい車とかね。
自分が俗していると想定している仮想の共同体に対してのステータス個人の──
トロフィー。
トロフィーとしての道具として一種機能するところがある。
それは結構どの世界でもそうだよね。
映画でもそうだし、本読みの世界でも何かしらそういう──
あるじゃん。
これを知らないともぐりだねみたいなのとかさ。
逆にあえて外してこれを入れるとかさ。
いろいろそういう──
自分はこういうやつですって自己プロデュースの──
本当になんかヒップホップのサンプリングみたいな。
お前そこからそれ取ってくるんだ。
分かってるねみたいなとか。
そこかーみたいな。
そういうところの面白さみたいなのが多分僕には結構あって──
どちらかというとメタ的なところから作品を選定したりとか──
あとはあなたがよく言うさ──
僕は構造的に作品を見るみたいな。
あなたはその時起きたシーン一個一個に対して──
一喜一憂することが大事みたいな見方をするじゃない。
逆にそれしかできないっていう言い方をする。
僕はそれをちょっと俯瞰して構造で見るみたいなのも──
ある意味それが参照なわけじゃん。
なんていうのかな。
だからそれこそただ絵を見るときに──
その絵がこれが何々機のこういう風な画家の──
こういう技法でみたいなことを言うのと──
単純にそれを見ていいなって思うことは──
実は別の体験だけれども──
こうなんかあるっていうのは──
やっぱりそれはその──
絵にせよ本にせよ音楽にせよ──
何かしらのコンテンツを踏まえた上で──
どこに位置づけられているのかっていうところが──
ないと僕は作品を見れないんじゃないかみたいな。
ちょっと今の話は心外なのは──
私がこう文脈というものに──
すごく無頓着みたいな感じがするんですけど──
いや別に絵を見るときにその──
作品の立ち位置とかその作家の──
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どういうタイミングでそれを描いたかとかは──
普通に紙して見ますけど。
ちょっとごめん。今の言い方が悪かった。
ちょっとなんかそういうピュアピュアターン細胞みたいな。
絵に関しては僕の方がずっとそういう──
ただ見る見方をしてあなたの方が文脈を見ているけれども。
だから訓練ではあるんだけどもちろん。
映画とか本に関しては──
あとお芝居とかに関しては──
そうじゃない感じがするよね。
今ね、例え話に絵を出して──
奥さんが塗ってしたところで分かったんだけど──
逆に僕は絵に関してあんまりそういう──
興味があんまりないんだよ。
その何時代のどうとか。
そうじゃなくて油絵とか見たときに──
すっげえコテコテに分厚く塗ってあるなみたいなところに──
普通に素朴に面白がっちゃうみたいなところがあるから──
逆に言うと僕はそこにそういう時代背景から──
コンテクストから絵を読める。
あなたは結構絵すごいなって思うんだけど──
多分それで同じことがその映画だったり──
映像表現ないし──
本を読んだときに僕が──
これはこういう構造を持っててこういう意図があって──
みたいなことを言ったりするときの奥さんの──
普通に見や行くねみたいな顔をだんだんしてくるみたいな感じとに──
結構似てるのかなって今思った。
実は──
今の話聞いて面白いなって思うのは──
私は多分作品の中に時間の概念があるものを──
構造的に見るのがすごい苦手なんだなって思った。
それは面白いね。
時間の中であるものを一つの──
構造があるものとして──
把握するっていう能力と──
平面的ないし立体的にそこに一気に空間的に──
ある提示されている──
それこそ絵とか彫刻とかっていうものを──
ある意味で──
そこに実際にあるもの──
一気に提示されているものから──
そこに至るまでないしそれが内包する時間的なもの──
コンテクストを──
後から透かし見ていくっていう作業の方があなたは上手で──
僕はざっと時間芸術があって──
それをさらに大きな時間の中に──
はめ込むとか──
逆にその一個の時間の持続っていうもの──
それ自体を一つの構築物として捉えて──
ここはこういう形をしているって言ったりするっていうことが──
割と好きっていうところの差があるよね。
っていうことだよね。
あなたが得意なのは──
その作品の中に時間があって──
私が見やすいのは──
もうその作家のある期間の時間が──
その作品に凝縮されているようなもの。
だからその前3年ぐらいに何があって──
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この絵を描いたのかみたいな──
私はルドンがすごい好きだけど──
やっぱりルドンの作品の中で──
プライベートな出来事と──
絵とかが──
ルドンは特に如実だからさ──
あんまりその──
業界の流行りとかのために──
描いてないからこそものすごく素敵な絵が多いから──
それが見やすいみたいなのがあって──
その絵が見やすいと言うか──
それが見やすいと言うか──
みたいなのがあって──
作品そのものに時間があると──
その一瞬一瞬の自分の気持ちで忙しくて──
そこをフラットに見られないのだろうね。
そこをフラットに見られないのだろうね。
それは面白いね。
私とあなたって不得意があるなって今気づいたけど。
単純にメタ認知があるないっていう比較ではなくて──
単純にメタ認知があるないっていう比較ではなくて──
時間と時間というものどっちに対して──
どの程度の構成を把握する得意不得意があるか──
どの程度の構成を把握する得意不得意があるか──
ところなんだなっていうのが分かって。
それは面白い発見ね。
突然の気づきですね。
横道が面白くなってきちゃったけど──
一応本筋としては──
あれだ。
時間がある作品との対峙の話もそうなんだけど──
時間がある作品との対峙の話もそうなんだけど──
私も別に苦手と言っても全くしないわけではなくて──
私も別に苦手と言っても全くしないわけではなくて──
構造的な。
これがこういう伏線だったみたいな。
それは単純なネタバラシ的な話ではなくて──
それは単純なネタバラシ的な話ではなくて──
この時点でこのキャラクターはこういう象徴を──
そういう象徴を忘れてたみたいなのが後からわかるみたいな 振り返ってみるとわかるみたいな時にもうそのキャラクター
が お気に入りだった場合も
そう動かされているものに 感情移入しちゃうみたいな
ないしもうそういうところが好きみたいになっちゃう だから特にフラットに見れない
あでもだから元の道に戻すとあなたはそういったその一個一個の感情だったりに すごいこう
入っていくっていうところも含めてやっぱりだから作品との付き合い方っていうのが 内静的であり得るわけで僕の方はそのあらゆるものをなんか一段上の構造に
把握したがまあ絵に関して違ったことがわかっちゃったけど把握したがるからこそ そういうそのなんていうのかな作品そのものというよりはその作品がどういうコンテクストに置かれて
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いてどういう作品を見ているっていうふうに表明すると今俺はイケてるように見えるのか っていうところを結構一番に考えている
ところがあるっていうところに多分その一番の差があったからこそ でやっぱりそこで没入できた方がいいじゃんって憧れがあるからこそ
奥さんの前回のその作品との付き合い方っていう話の中ですごいいいなって 思ったんだなっていうふうに思ってでこの話を
なんかさらに発展させるためにもこのスポーティファイの夏の混沌編のね このプレイリスト非常に象徴的だったなと思って言ってしまえばあなたが本当にある意味100%
作品に対して内省的な こう関わり方をしてたとしたらそれこそ
そのこのポイこのポッ 8プレイリストの中に a 3の曲が入っていることは一つのアウティングであったりとか
勝手なあなた の内面の開示になりかねなかったけれどもそこは割と相対化できてた
だその子あなたと作品の使い方が全面的な没入ではではない形でもあり得る なんていうかそのあなた作品に対しての評価とあなたに対しての評価っていうのがちょっと
分かれてきている のかなぁみたいな話だと思う
なんていうのあなたはそれまでは自分にとって自分とパーソナルな関係を持つと作品が ディスられるとまるで自分の悩みがディスられてたような感じだったわけじゃ
でもそれは今もそうよ ああそうかヘッドでもなんていうかまあそのそれがいい
そこで傷つくのが嫌だからそもそも趣味を隠すっていう方向だったのがその趣味が ちょっと外に出ること自体はちょっと平気になってきている
結構私さあ多分ポッドキャスト内でさ a 3は好きってさ ちゃんと認めたことよりさまだ好きじゃないって言ってることの方が多いと思うんだけどさ
まあ好きか好きじゃないか別にいいんだけどね その言及の度合いとしてはかなりでかいから
いやでも言及すること自体はさあなたはさあ読んだ本の話ずっとしてるわけじゃん 人気でさあそれと変わらないからさあそこに好きかどうかないわけじゃあまあそうだね
ヘッド持ったから拝借するだけの話で
だからそれとそうなんかでまあさあ 印象にも言ったけどあのプレイリストあなたの
なんていうの プロデュースドバイあなたなわけでであなたが別に
あなたはあなたなりにエースリートの関係を築いているわけじゃんすでに
それをさ私は先に好きだったからってさ どこいうのはさあ僕たちがいいじゃん
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だからその私 と作品の距離感がどうこうと
プレイリストに入っ
あだからあなたが a 捨ての曲が
なんか ちょっと恥ずかしいけどまあなんやかんや言って好きっていうことが
分かってるから 大丈夫なあだからそれもそれがあなた主体じゃん
同じこと言っちゃうだからあなたがそういうそういうことを言うこと自体が距離が 取れてるじゃんって話
そのだから10年前だったらアウティングだと思って なんか怒ったり悲しがったり
しかねなかったっていう発言自体がさ そもそもそのある意味だか a 3っていうのはみんなのものだからあなたのものじゃない
じゃそうだねだから僕がそれをプレイリストに入れた時になんで勝手に出るの まあそのこそなんで勝手に入れるのに含まれているどちらがでなんで私の趣味は
勝手に回避するのなんだけどでも言ってしまえばなんで勝手に入れるのっていうこと っていうこと自体が結構ナンセンスなんだけどそのナンセンスさに気づけるぐらい
その作品と自分との関わり方っていうの相対ができるようになっているっていうところが ミソだと思っていてそれができてなかったからこそその僕が例えば
ここであんたポッドキャストであなたって a 3好きだもんねとか プレイリストに曲入れたよとか言ったときにそれだけですごいダメージを受けるって
ことがなくなっているわけじゃん でもそれがもともとはあったかもっていうってがあったあったからこそ10年前は
死んでたってさっきのことが出てくるわけじゃんっていうところが面白いなって 思ったっていうのがまずあなたにあなた目線で立ってのこのプレイリスト
にまつわる作品との関わり方の中であなたが経てきた年月によって変わってきたところ なのかなって
ことね ちょっとさあ関係ないんだけど行くいいパソコンチラチラ見ながらしゃべってやめてほしい
あでもこれパソコンあのこれの誰の これをねじゃあこうした方がいいんだよね
なかったごめんねちょっと後々でこのお便りを聞いてくれないってあとでお便りも 紹介しないといけないそうだね
それをならわかるけど 何入れてたかなと思ってくれ
てたの 今の話で言うとさあすごい手付けの話があってさ
高校の時に好きだった ブーケーのバンドがあって
でクラスの男の子も結構好きだったのね 受けとかが
で でもまあそう
の 男の子のことは普通に苦手
うるさい野球部員だから嫌いみたいな感じだったんだけどある日 学校の
あのデッキで pv 流し始めて放課後に
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居合わせちゃってなんかもう 私関係ないし黙ってればいいのにもうなんか
すごいダメージを受けちゃって すごいなんかすごい身内の恥みたいになっちゃった
のね思い出すだからそれこそあれだよねそのさあファン のさ質と作品の質はさ本来
別なんだけどどうしても切り離せない感じになっちゃうみたいな話と言ってるよね 最近はそれこそあの kpop 系のさ
ファンってすごいこう自分で発信するじゃない その子でその中ですごい面白いなって思うのが結構だから
そこの悪いファンに対してさ そのこう kpop 全体まあそのなあるグループ全体のイメージを損ねるからそういう発言進んで
くださいみたいな
実が出来上がっているなぁそうだねあれすごいなって思うんだけど それもだからやっぱり一つのこの
あるものが好きであるっていうことによる共同意識みたいなものがそこに出来上がって いるっていうことなわけじゃない
それはよくも採用するし悪くも採用するしっていうところであなたのその話は悪く 採用した例
すごい多分そこの場では耐えたし別に喋るような枝柄じゃないから何も言わなかった なと思うんだけど
なんかねすごい 衝撃的だった
その子はその子が勝手にさあ自分の趣味を開示してるだけなわけじゃないまあ 学校の映像機器使っちゃいけないから普通にダメやってることダメなんだけど
それぐらいいいじゃんと思う
なるほどねまあでも共感性周知っていうかだから何かしらそこにこう仲間意識を持っている わけじゃん
同じ好きなのになっているってことだね
面白い話だね
それでね
あなたにとってのこのプレイリストっていうのはある意味そういう 私とその作品とその作品を好きであるそうっていうものとは全部別だっていうところの
相対化 がなされたことに気づきっかけだったわけじゃん
僕としてはこのA3の曲をこの中に入れるっていうのは
それこそ なんでここに
なんていうのかな それこそこうA3がめっちゃ虎さんっぽい場違いさを持ってるというか
すごいこう上品な寮邸の中で なんか
カップラーメン食ってるみたいな感じの位置づけじゃない それはどうしてもそうなるじゃない
だからそれで別にいいやっていう風に諦めたところに なんかこう
僕の成熟があるなって それこそ僕はその僕が好きな
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あなたの話の逆でさ こういう映画を見てる人こういう音楽を聴いてる人たちのが何かイケてる
グループっぽいからそこのものを摂取してわかっているかを出そうっていう作品の 聞き方をしてたわけじゃん
ドンキなんかいかないよっていう顔をしながらなんかこう
ハイソサエティな趣味の界隈にいる顔をしてたんだけど ここに来て諦めがついたのか
急にキティちゃんサンダルで外出するようになったみたいな 一つの
なんていうの 記念日だなって思うこのプレイリスト
割と僕のキティちゃんサンダル部分を 一生懸命入れた
プレイリストで あなたの最大のキティちゃんサンダルはネロちゃまだからね
そうだね まぁちょっとその話はあれだね 今ちょっとあんまりうまく挟める気がしないけど
でもそうなの だからやっぱり
まぁでもそうだね そういう
だから キッチュなものや
俗っぽいものみたいなものに対しても まぁ別に
実際聞いてるしなっていう気持ちでプレイリストの中に入れ込めるようになったっていうところが 僕にとってのこのプレイリスト
面白いところだなっていうふうに 思っているよっていう話だね
一応今日はプレイリストの話にするけれども 確かにあなたの言うようにその悪趣味性の
諦めて受け入れるってところの一番最たるものはネロちゃまだな間違いないけど その話は何回もしてるからいいか
そうだね
面白いよね
お互いに作品との付き合い方が カレーとともにちょっとずつ変わっていっているのかもね っていう話なのかな
うーん うーん
そうねぇ なにがなんか不服装だけど
いやなんか自分では相対化できてるかどうかさ わからないというか
まぁ言われてみれば確かにそうなんだけど
うん というかああ違う距離が取れてるかどうか
なんか こうずっと持ってたその趣味の開示への苦手意識はさ
そう簡単になくならないし
あとなんかその前回さ もう私はイマジナリーフレンドが見えなくなっちゃったからって話をしたけど
だからもう ずっと本当に好きなのかって思いながらいろんなコンテンツを摂取している
状態の方が長いぐらいになっちゃったから なんか私にとって本当に好きっていうのは
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あの頃だったんじゃないかみたいな でもなんかその頃は今以上に作品との距離が取れなくて
小寺市だから別に元に戻りたいとは思わないけど
だからそういうことなのかその時はその時の好き になり方があって今は今の好きになり方があるよねってこと
うんなんじゃない それこそさまたこの話するとこれ遅らいになっちゃうかもしれないけどさ
あなたのナイーブなさ 作品への没入
するような関係の持ち方をさ 昔僕はさ童貞臭いねって表したっていう話があるじゃないですか
話があるじゃないですかって言ってもらって 僕らだけのあれだけど
すごいだからそれで言うと今のあなたはさ あれだよね
モテキで言うところの二次童貞っぽいよね モテキって漫画があったじゃないですか
あれにおいてはだからその昔付き合ったことはあるというか恋愛経験はあるんだ けれども
なんか10代の頃に1回会ったきりでその後今のその30手前ぐらいになるまでは 間は特に何もなかった
で1回そういう環境を取り持ってるからこそ 特にその過剰な依存
願望とか過剰な 幻想はないんだけどないからこそ逆にその関係をどう作ればいいんだっけ
とか好きってなんだっけってところも含めてすごいこう こじらせていった結果なんか別の面倒くささを持ってしまった
みたいなことを確かなんかそういう言葉で表現してた気がするんだけど 今なんかねそれをふと思い出した
あなたのそんなこう ある意味あるある面ではよりめんどくさくなっている感じを見ていると
作品との付き合い方を別に恋愛のアナロジーで 語ることにどれだけ意味があるのかわかんないけど
すごいだから今あなたはモテキの あの感じなのかもな
うん いやなんてだからそのやっぱり多少分別がついてくるとさ
くったかなく好きっていうのを怖くなってくるわけじゃん 作品の話ね
いやでもそれで言うとさあ あなたをね巻き添えにするけどね私たちさあすごいさあ恋愛においてさあなんか
やばくてなんぼみたいなところあったじゃない 若い頃の話ね 若い頃の話であなたとはないじゃん
だからずっと恋愛なのかって思いながら ああそうそうそうでもそういうことそういうこと
いやなんか想定していたよりドライじゃないけど
私が知ってる恋愛とは違うっていう気持ちはずっとあるじゃん それこそ学生時代の僕やあなたの恋愛っていうのはとにかくめんどくさいものだったわけじゃん
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ズブズブにめんどくさいドツボにはまっていったりとかズブズブに相互にやばい依存度を深めていくところまで行くであったりとか
最終的にも人格否定ぐらいしないと別れられなくなっていくぐらいのその様相を二人でゲラゲラ笑いながら互告し合ってたっていうのがバックグラウンドにあるからこそ
恋愛っていうのはそこまである意味全人格的にズブズブに没にしないといけないものなんじゃないかっていうものがあったけれども
それが醍醐味ぐらいむしろそれのことを恋愛だと呼んでたみたいなところがあるから常にこのある意味理性的に振る舞える状態のままで関係を取り結んでいること自体が
本当にそれでいいのかみたいになっていることと続けるねとそういってそのある意味なんだろうこれは
あるキャラクターに対して言っていいのかな別に
例えばかっちゃんにしとこうかっちゃんにしとくと時代がわかんなくなるから言っちゃうけどセフィロスがね大丈夫これアウティング?
なんかもはや別の自分だからいいや
例えばで言うとセフィロスは私だみたいな
例えばそういう
それは何?わかるよ
セフィロスは私だみたいな没入感がコンテンツを好きになるってことだと思ってたら
A3に関してはある意味近所のおばちゃんみたいな好きになり方なわけじゃん
あらつづるくん頑張ってるわねーとかみすみくん頑張ってるわねーみたいな
そこがね意外と変わってないんだよね
好きになったキャラが救われてほしいっていう気持ちがすごい強くて
だからセフィロスって言われちゃったからセフィロスの話ちょっとだけするね
セフィロスはもう手遅れなわけですよラスボスだしさ
だからさ過去回想にすがるしかないからさ原作でさなんかちょっとしか出てこないさ
その正気だった時代の二次創作を永遠と読むことでさ
なんか過去の栄光でも出会ってもいいからセフィロスが救われてた原作画が見たいみたいなさ
そういう
ね
のがあってだから私は今もみすみが救われるかどうかが気になりすぎて
別にクオリティだけで言ったら原作見ないでそのゲームの方を見ないで
Aステだけ見てたいんだけど
みすみの未来が気になりすぎて原作にも手を出しちゃったっていう状態なので
じゃあ普通にやっぱ好きってことでいいんじゃね?それ
うーんだから私にとってある人であるとかキャラクターであるとかを好きになるっていうのは
幸せになってほしい救われてほしいっていう祈りにめっちゃ近いから
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それはだからなんでそれが自分の人格と癒着するかっていうと
まあキャラクターに自分を投影してそれを救われる物語を
見ることで自分そこに自分を乗っけてちょっと浮かばれるっていうことを繰り返してきたからで
まあ別にみすみに何も私は乗っけられないんですけど
だから好きになるキャラクターと自分
セフィロスに1ミリもかぶんないな
でもまぁあれか
でもまぁその
誤解されやすいアウトサイダーが好きなのはずっと変わらないから
そういうところが一緒かもしれないね
なんかやっぱりだからそういうそのでもなんていうの
今の話聞いてるだけでもやっぱり自己投影っていう度合い自体はちょっと弱まってきてるんじゃない?
だから私がさもうさ救われてるわけじゃん
その過剰な適合を要求しなくても
ありのままの救済事務部で
なんか全肯定される生活を今送っていて
だからそういうなんか救われたいみたいな気持ちというか何だろう
フェイトシリーズで言うと今エミヤさん家の晩御飯みたいな世界でいるもんね
そうだね
だからなんだろう
モチベーションになるような鬱屈とした感情がもうないから
なんか本当に純粋に救われてくれっていう感情だけがある
だからその距離感がすごい私だっていうところから近所のおばあちゃんぐらいのムーブになって
頑張って幸せになるといいねっていう見守りポジになっている
そこにその過度に自分を託しているわけでもないけれども
ある意味過去の自分だったり何かしらはもちろん添えはするんだけれども
純粋にその相手の幸せを願っているよっていう
その割合が増えてる
その自分と他者とって比率で言うと他者の方が増えてる感じがするっていうのが
多分僕が言いたかったこと
なるほどねそうだねそれはそう思う
だから多分今お仕事にしても自分がたりにはならないと思う
でもまあある程度になるんじゃない
好きになるっていう服がどうしてもね
好きになるものを語るっていうのはさ
僕は何度も言うけどやっぱりそれは自分がたりになるんだよとは思うんだよ
やっぱり作品について真剣に語ろうとしたらそれは自分がたりになるしかないから
この話録音でしたのか忘れちゃったけど
作品のことを従前に理解できるっていう錯覚は
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それこそだからやっぱりある人のことを完璧に理解できるっていう
幻想と同じくらい怖いことなわけじゃん
多分前回しましたね
それと同じでさそうじゃなくてやっぱり作品は作品である
人は人であるっていうところから
その上でその幸せな成就を願っていますよっていう気持ちはさ
実は作品の話だけどもその願いを持っている主体は自分なわけじゃん
みたいなところの話にやっぱりなっていくんじゃないのかなと思うんだよ
そうねだからみんな物語が好きなんだよねって
だから何だろういくら設定が口頭向けでも
そこで何か描かれる感情とかは
読み手が理解できれば本当なわけじゃん
それが物語の効能だから
だから救われろって
あなたのイマジナリフレンドの話を聞いた時に
これすごい曖昧な記憶のまま喋るから
出典元とかちゃんと真面目に調べてほしいんだけど
エルマーとリュウの自動作家
書いた自動作家名前忘れちゃったけどいるじゃない
その人が言ってたことをして
自動書の役割っていうのはそれこそイマジナリフレンドを作ることなんだと
自分の隣にもう1個椅子を用意して
そこに一緒に語られてくるイマジナリフレンドを作ることなんだみたいなこと
時期どおりに曖昧な記憶をもとに言ってた
大人になるにつれてそのイマジナリフレンドっていなくなってしまうけれども
その自分の隣に作った空席
椅子自体は残るんだ
そこに新しくいろんな大事な人を座らせたりとか
そういうその余地を作るためにも
自動書っていうものはあるんだよみたいなことを
なんかどっかで読んで
非常にこう
いい話だなって思ったんだけど
なんかそういうことなんじゃないかなって
やっぱり自分とはめちゃくちゃ癒着してたから
隣に席があるっていうより
ほぼ自分と被害化した自分で
全てのスペースを占めてたかもしれないけど
そこがスコーンと抜けたことによって
むしろそういう新しい
今だったらミスミとかフィクションだけじゃなくて
いろんな物事を
自分の近くに引き寄せて
その幸せを願ったりとか
そういうことができるっていう
なんかそれがやっぱり
尊いことじゃないですかっていう
やっぱりそれは
自動書の話だから自動書の話で終わっちゃうけど
やっぱりそうやって他者を招き入れるよって
どうやって作っていくかって言ったらさ
やっぱりそうやっていろんな作品に
本気で取り組むしかないじゃん
こんないい話してるのに
そんな例でいいのか言ったんだけど
やっぱり胃袋を広くするにはさ
バカ食いしないとダメじゃん
そうしないと受け入れる胃袋って増えないから
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やっぱりそれと作品をどんどん取り込むことによって
自分の中にいろんな人だったり
物事を受け入れられるだけの余地を持つ
自分のスペースをどんどん大きくしていくために
たくさん食べて胃袋を広げていかないといけないんだよ
っていう話なのかなって
今その椅子の話を聞いてね
思ったことはね
私にとってその椅子はずっと二人掛けだったわけ
ある救われて欲しい人とそれを救える人がいるのを
それこそ壁としてね
壁ないし観客席からね
見るみたいなイマジナリーフレンドとの付き合い方だったから
であなたは相性によると思うけど
スパダリだと思うんですよ
かなり
僕自身はね
甘やかしスキル選手権では優勝すると思うんだけど
私に対してだけね
あんた以外に対しては結構クセだろう
だからイマジナリーフレンド劇場にあなたを出演させる時に
なぜ相方が私なのかっていうことがずっと
ねうまくねわからない
私は壁ないし観客席なのに
なんでここに引き出されてるんだろうっていうね
駆り出されてるんだろうっていう気持ちはねずっとある
それは録音でどこまでする話か
公開のろきみたいになっちゃう
けれどねやっぱり僕もあれなんだよ
きっと理解
誤解されがちなストレンジャーキャラとして好きだったからさ
あたしのこと?
あなたのことじゃなくて
自分が好きになるキャラクター
そういう人が多かったから
僕は多分そこに自己投影してる部分もあるんだけど
どちらかというと
僕だったら一番そのキャラクターを幸せにできるのにっていう
やっぱりだからそういうスパダリ
元素がやっぱり自分の中にあったと思うんだよ
だから
それこそだから
ベタなところで小学生の時とかさ
シザーハンズとか見てさ
やっぱりシザーハンズだよね
シザーハンズとか見てさ
俺はこのエドをね幸せにできるのは俺だって思うわけ
俺がウィノラライダーだったらよかったのにっていうのすごい
アナメリバじゃなくてってね
そうそうそうってすごい思うわけ
やっぱりそれと一緒で
一緒じゃないけど
その時にだから僕はそこで
俺はエドだじゃなくて
俺がウィノラライダーだったらよかったのにっていう
派閥だったんだよ
たぶんその小さい頃が
だからこそすごいたぶん
需要と供給が合致したんだよね
そうだね
そうそうそうだね
だからそういうその僕の中のウィノラライダーになりたい願望と
あなたの中の自分はエドみたいな感じになり
45:01
ガチっていうある意味自己イメージとが
ちょうどよくはまったんだと
あなたにとってはアレだもんね
アンナさんがイマジナリフレンドだったわけじゃないでしょ
シャーマンキングのオソレヤマアンナさんが
そうだから僕にとってのやっぱり
自分の人格の中でのロールモデルが
今あんまり違ってないけど
幼い頃あったとするとやっぱりヨーくんなんだよ
シャーマンキング
やっぱりヨーくんはアンナさんのことをちゃんと幸せにできる子だったから
だからやっぱりヨーくんみたいになりたい
じゃあ幼少期にシャーマンキングを選んで
アンナさんを幸せにできるヨーくんを
なるべき姿として
心に添えて育つおすばたりになるってこと?
いやだからシャーマンキングはめっちゃ教育にいいと思う
だから全国のね
今だからそれこそ同世代の人たちがどんどん親になってたりしてるから
まあそういう人たちが聞いてるかもしらんけど
あのねシャーマンキングを読ませるといいと思う
あれは手塚治虫より絶対シャーマンキングの方がいいから
全国の図書館に置くべきシャーマンキングを
アニメはちょっと結局あんまり面白くなかったけどね今回のアニメは
そうなんだ
漫画で
だって一緒に暮らし始めて一番最初に前回買った漫画がシャーマンキングって
一緒に暮らし始めて一週間ぐらいで
ブックオフで全部買い集めてきたよね
やっぱりまずはこれを読まないと
すごかったですね
ちなみに僕シャーマンキングは初めて買ったんだよ
あ、そうなんだ
もともと実家では弟のものだったから
ゴゴさんの弟子だったから
僕はそれを読んだ
じゃあそっかゴゴさんの方がより優しい子だもんね
そうそうだから僕が
僕はだからちょっと遅かったかもしれない
接触するものとして僕は先にワンピース買っちゃってたから
だからちょっと微妙にガサツなんだよ
でもゴゴさんはずっとシャーマンキングだったから
これはもうね優しい人に育ちます
そうっすね
証明されたね
ちょっと本当にね適当なこと言ってますけど
というところで
要するに皆さんシャーマンキングを読みましょうっていうのが結論かな
あれだなシャーマンキングの
読み返れをね入れとかないとね
まあでも秋でもいいんじゃない
秋のコント編に入れますか
秋のねちゃんと秋組バージョンの
あのブランニュー
ブランニューアルトじゃなくて
ショーマストゴーン
ショーマストゴーンをね
入れると思うので
あそこで混沌とさせようと
混沌って便利な言葉だね
そう混沌は便利な言葉だ
まあというところで予想以上に喋っちゃいましたけど
まあちょっとお便りのね
ご紹介に行きましょうか
というところで
今ちょっとだけ
うちうちで
こう
スパダリダなんだのっていうところで
こう自画自賛しあって
恥ずかしい人間たちだな
48:00
恥ずかしい人間たちだなっていうところですけど
海外的にはクソ野郎だっていうところの
バランスを取るためにも
ちょっとお便りをご紹介したいと思います
読みますね
ラジオネームトラと申します
私は肌の感覚花瓶で
季節によらずマスクをつけることが困難です
特に今の時期は暑さと湿度もあって
ほとんど全くつけることができません
コロナ以降は外に出る機会が減らしましたが
どうしても出なければいけないこともあり
そのことをとても心苦しく思っています
申し訳なさと肉体的精神的な苦痛に
外出の度に板挟みになっています
先日柿内さんの日記で
マスクをしない人について言及があり
マスクで軽減するのはどちらかというと
自分からの感染リスクであって
つまりそこにあるのは感染させても構わない
という自身の加害可能性の想像力の欠如だ
その欠如がただ悲しいと書かれていましたが
その気持ちは私自身もよくわかっているつもりです
変な話ですが
私も周りの人がマスクをしていないと
不安な気持ちになりますし
時には不快な気持ちになります
自分でも矛盾しているし勝手だと思うのですか
幸い私は面と向かって非難されたことはありませんが
マスクをしない人の入店を断る張り紙はよく見ますし
マスクをしていないと
周囲の自然を感じることもよくあります
最初の緊急事態宣言の頃
大好きだった古本屋の店主の方が
マスクをできないような他人の気持ちを思いやることができない人間は
うちの客にはいらないということを
ツイッターで書かれていて
それ以来そのお店にはいけなくなってしまいました
コロナで辛いことはたくさんありましたが
これが一番辛かったかもしれません
もちろん想像力の欠如から
マスクをしていない人もいると思いますが
申し訳ないと思いながら
マスクができない人間がいるということも
記憶の隅の隅に置いていただけると嬉しく思います
社会的な重罪人として扱われる苦しみが終わる日を
早くくることを今ただ願うばかりです
多分失礼いたしました
コーナーのテーマからずれていたら申し訳ありません
これからも放送と執筆活動を楽しみにしております
ということで
寅さんありがとうございます
一応これ今週の不定周期のコーナーに書いていただいてるんですけど
別にどのコーナーにどんなことを書いても全然良いので
すごい良いお便りありがとうございますっていうところが
まず第一なんですけど
ちょっと今ね長く食べちゃったから
一回ちょっと水飲んでないとちょっと何も
うーん
飲み終わったら喋るとね
僕に当てで話すと
まず寅さんの何だろうな
51:00
お気持ちというかね
心苦しさっていうのは非常によく伝わってきていますよっていうのは
多分これ聞いてくださってると思うので
まず第一に伝えたいなと思うところでございます
ここからがリアクションが難しいなとは思っていて
なんだろうな
僕が世の中で一番嫌いなものは戦争なんだけど
2番目が仕事で
3番目に嫌いなものは
ご不快な気持ちにさせてしまったのならすみませんっていう謝罪文なの
この謝罪文をして
人間は全員信頼しないことにしてるから
言わないんだけど
だからそのなんていうのかな
ある意味僕が書いたものっていうのは
この寅さんのようなマスクつけたくてもつけれない人の
に対する想像力が欠如している
ないしは自分が何かそういう想像の
範囲の外ってわけではなかったけれども
その自分が書いたものの加害可能性に対して
鈍感であったないしは雑だったよねっていうお話である部分もあるじゃないですか
なんかそれに対してなんていうのかな
すごいここ難しくて
寅さんに対しては
なんかそんなそう心苦しく思う必要はありませんとか
まあそれこそだから早くコロナ終わるといいですね
っていう気持ちしかない
しかないのが大前提とした上で
なんていうのかな
謝るのは違うじゃん
っていう気持ちになって
別に謝ると誰も寅さんも書いてないから
これは単純にちょっと話がずれちゃうんだけど
でも謝るの違うじゃんって思いながら
これ読んだ時に一番思ったのは
不快な思いをさせてしまったなら
すみませんの一言で済ませたら
どれだけ楽だろうかって思ったの
だってあなたはそれが信用できないのは
楽だから言ってるなって思うから
だから僕ができることってやっぱり
それは別にもともと書いてる時からずっとそうだけれども
自分の書いたことによって
誰かが傷つくかもしれないっていう加害可能性だとか
自分の創造力っていうのは
何かしら絶対足りてないだろうなっていうことを
なんか受け入れるしかない
じゃない
なんていうのかな
それこそ東寛がね
言論の重下なんかで書いてるんだけど
最近の東寛はずっと言ってるんだけど
これまでずっと被害者意識を募らせるような
私はこんな風に傷つけられたっていう哲学は
ずっと育ってきてるんだけれども
自分がどうしようもなく
54:01
加害者側に回ってしまうかもしれないってことを
真剣に哲学してる人が少なすぎるみたいなことを
常に最近の東寛はずっと書いてるような気がしていて
僕はそれがすごいグッとくるところがあって
東寛はそこで何を書いてるかっていうと
漢学の哲学の時からそうなんだけど
子供のことを書いてるわけ
哲学ってのはだいたいその被害者としての
頼みもしないのに
生んでしまうと生まれてしまった
生んでくれなんて言ってない
子供の側からの思想は多いんだけど
それでもなんか生んでしまった
大人の側の加害性というか
身勝手に一つの命を始めてしまうっていうことに対して
でもそれはたまたまでしかないんだっていうことを
たまたまでしかないんだけれども
その責任は自分にあるっていうことを
どう引き受けていけばいいんだろうかっていうことを
通っているように読んでいて
それはすごいだからね
なんていうのかな
単純に人のことを傷つけるないし
人に加害を加えるってこと
加害を加えるって十分だな
加害を可能性があるってこと自体が
絶対に許されないことなんだっていう
考え方に立つのではなく
普通に生きていれば人のことは傷つけちゃうし
加害者になることはあるっていうところから
始めないことには
まともな人間としての生活できないと思うんだよ
やっぱりそこは申し訳なさとかじゃなくて
申し訳なさでもあるんだけど
そこは簡単に誤って
関係を切断しちゃいけないところであって
今回の僕の書き方では
寅さんのような人に対しての
ある意味加害者が発露してしまったりだとか
なんていうのかな
そういう事情に対しての配慮みたいなものが
文章として特に現れていないっていうのは事実だから
そうだとしか言えない
ここで僕がね
そういう人がいることは分かってますよとか
僕が日記に書いてるのは
明らかにそうではないような人を見たから
悲しくなって書いてますよとか
あと一番危惧してるのは
ワクチンを2回接種するということと
マスクを外していいっていうこととの間には
何の因果関係もないですよっていうような
もやもやが膨れ上がった結果
ああいう書き方になってますっていう
僕のその事情とかは
読み手側からすれば知ったことないわけじゃん
57:00
書いてあることが
読み手にとっては全てだから
なってくると
そういう背景の弁明をしても
別に誰も救われないし
かといって
謝って済ませるっていう問題でもないし
決着しないんだよね
だからこれから気をつけますも嘘なんだよ
これからも多分書いていけば書いていくだけ
虎さんを集中して傷つけるみたいなことは
絶対にないんだけど
でもそれがもしあった
何が誰の時代か分からないから
偶然そういうことがあってしまうかもしれないけれども
すべてに注釈つけることは不可能だし
だから誰のことも傷つけないままに
何かを話したり書いたり行動したりするっていうことは
絶対にできない
っていうことを引き受けた上で
書いていくしかない
っていうことと
とはいえ
それによって傷ついてしまったっていう事実は別である
だからそのなんていうのかな
僕がずっと書いていきますっていうことと
虎さんが僕の書いたものを読んで
嫌な気持ちになったよっていうことと
っていうのは同じだけの価値がある
どっちが偉いとかじゃない
どっちの方がちっぽけだとか
そういう話でもない
っていうところで
なんていうのかな
ある意味その虎さんが感じてしまった
心狂いしたりあったり
苦痛みたいなものと
僕が書いたものとっていうものを
ある意味ぶつけたとしても
なんていうのかな
虎さんに苦し思いをするのは筋違いだっていうのも
馬鹿げていれば
虎さんの心苦しさを引き起こしたような文章を
取り下げるべきだっていうのも
やっぱり同じくらい馬鹿げてると思うんだよ
やっぱりその2つは
そもそも比べようがないもので
なぜなら両者ともに
かけがえのない個人だからなんだよ
だから書いている僕という人間もいれば
それを読んだ虎さんという人もいるっていうところで
だからすごいね
今僕はめちゃくちゃ居心地が悪いんだけど
謝ればすぐに終わるのになっていう
気持ちでもいるんだけど
でもやっぱりこの居心地のあるさに
引き受けた上で書いていきますね
っていうことしか言えないし
虎さんに対しては
だから嫌なら読むなみたいな意味ではなくて
もし今のこの時期しんどかったら
コロナの時期にしんどくない人はいないので
僕もたぶんそのしんどさに合わせて
ちょっと加害性みたいに
上がってっちゃったりすることもあると思うから
もしちょっとしんどいなって思ったら
僕のことはミュートするとか
読まないとか聞かないみたいなことにした方が
もしかしたら楽かもしれないし
とはいえ
なんていうの
1:00:01
ある意味僕と虎さんは幸いなことに
友達とかではないからさ
その距離をとって疎遠になって
なんかもう一回連絡するの
なんかやりづらいな
みたいなことはないわけですよ
だから虎さんの中でなんか大丈夫そうとか
また見に来てもいいなって思ったら
見に来てくれたら
それはすごい嬉しいなって思うし
何よりねこういうことを
ちゃんと言ってくれるのはすごい誠実だと思う
ちゃんと言ってくれるし
そのちゃんと言ってくれ方がね
全然攻撃的じゃないんだよ
すごいちゃんと自分もじゅうじゅうわかってます
みたいなところで
すごい僕に気を使ってくれてるのをすごい感じる
文章だから
1年以上ずっと気を使ってきたんだなって
だからそこにその追い討ちをかけるようなことを
書いてしまったのかもっていうところが
すごいしまったなって思うんだけど
みんな弱ってる
みんな弱ってる
だからね
本当にだからこのトラさんのお便りは
僕こういうことがやりたくてね
このポッドキャスト始めたんだよね
もうちょっと余裕のない
攻撃的なものが来るかなぐらいに思ってたの
やっぱりその一方的に書くとか喋ることって
すごいこう
こんな弱小ポッドキャストでもさ
何かしら特権性を帯びてしまうわけじゃない
それに対してちゃんとこう
物申すってことじゃないけど
その違和を感じた時に
ちゃんとそれを表明してくれる
しかもそれをこんなにも
そのある意味こうなんていうのかな
丁寧に気遣いを持って言語化してくれるっていうのは
それこそさっきのまでの話とも一緒でさ
やっぱりただそのこう
自分の中に受け入れられる他者の余地っていうのを
どんどん広げていく実践でもあるわけじゃない
みたいなところですごいね
お便りをいただけて非常に嬉しいですっていうのが
それはだからこっちの身勝手な受け取りでは
にはなってしまうんだけれども
あるなって思っています
いやだからもうしんどいですよね
っていうのにつきます
だから本当にこのポッドキャストや日記も含めて
付き合える時だけ付き合うとか
まあそれこそそのなんだろうな
外に出る時もね
なんかあるよね
ステッカーみたいなのがね
ヘルプマーク?
ヘルプマークじゃなくてね
そのマスクつけれませんみたいなのが出てるんだよ
1:03:01
どっかの自治体限定かもしれないけど
なんかそういうそのマスクがつけれません的な
各種ね
そうそうそう
そういうものをつけたりとか
もしくはそのせめてあのめちゃくちゃ薄手の
ストールで隠すとか
花瓶はね
まあでも結構それも厳しいのか
センス?
センスで隠す
扇で平安貴族のように
みたいなのとか
まあなんかなんていうの
そのこんなにこう
なんていうのかな
気遣いにあふれた文章書けるとらさんだから
いろいろともそういうことを調べて
いろいろやってると思うから
そういうアドバイスはいらないと思うんだけど
でもなんかやっぱりこの
今のねこのしんどい状況が
なんとかやり過ごして
いらぬ気遣いでなくね
ちゃんとこういうそのこのお便りみたいなね
そういうこの他者とちゃんと気遣い合いながら
より良い在り方探していこうみたいな
前向きな気遣いだけで済むような状況に
早くなれば良いのになあというのは
非常に思っています
というところかな
今の僕の回答で株足じゃないな
なんかここはもっとどうなんですか
みたいなのありますか
いやガイアなので
正直
そうだね
まあそのさ自営って難しいよね
発信されるものに対してさ
なんかその犬がかわいそうに舐めに合う
映画リストみたいなのあるけどさ
そういう感じでさ
そうなんだよね
読むまでさ自分にとって地雷があるかどうかわからないしさ
やっぱりそのそういうものを開展しているみたいなさ
意識をさ発信する側にさ
常に持ってほしいけれども
じゃあ常にそれを持てっていうふうに
思いながら見てるかって言うと別にそうではなくて
当たってしまった時に
なんか本当にそういうのって暴力性だよね
みたいなことを気持ちに私はなるんだけど
だからそれこそさ
しつこいよだけでルックバックな話をするとさ
あれもだからその共和人の話だっていうことを明示しないまま
この一年ちょうど一年っていう時期に
生々しくこう記憶を引きずり出すような表彰であることを
サジストで何もないことに対して結構こう
意見があったりするじゃないか
だからなんか
1:06:00
そういう話ともね
ちょっと通じるところがあるというか
どこまでをその想定し得る加害として
予防線を張るべきなのかっていうところは
結構難しい話だと思ってね
それこそねそれこそなんかも
僕なんかはさ
いるだけで
何かしらの加害を
加害性を持っているわけじゃない
例えばそれこそヘテロ男性であること一つとっても
寄婚者で寄婚者である
正社員で東京に住んでいてとかって
この要素がすべてさ
そういう要素でイケシャシャと
何かあるいはパートナーと楽しそうに
こうしている様を日記で垂れ流したり
ポッドキャストでチャーチャー喋ってること自体が
一つの加害になる可能性っていうのはあるわけじゃない
そこはねでもとはいえそれに対して
だから萎縮しようみたいに
なるのも違うじゃんっていうところの
すごいこう難しいんだよね
で多分その難しさと使い物を
ある意味だから今トラさんは感じてるわけじゃん
自分のその体質っていうものによって
やもやまれずある意味
街中で脅威とみなされるような状況に
言うる
そこでね難しいよね
ただ単純に言い直ればいいじゃんって
もう言えないしさ
それは僕らが言い直る
僕らの自分の加害性に対して
言い直っちゃいけないのと同じような形で
だからもう本当にこの今
トラさんが書いてくださってるみたいに
もう迷い続けるとか
考え続けるしかない
だよねそれはね
でまぁまぁこのトラさんの
今ここで書いてくださってる話に関しては
単純にCOVID-19が悪いっていうところだから
弁解寺見るから嫌だけど
僕が悪いわけでもないし
もちろんトラさんが悪いわけでもないし
単純に感染症が悪いから
頑張りましょうとは言いたくねえな
頑張るって嫌いだからな
生き延びましょうっていうことぐらいしか
前向きなメッセージとしては言えないんですが
そういう感じかなと思っています
ちょっと本当にこれまで
いろいろとお便りだったりをいただいていますが
1:09:03
本当に日記とポッドキャスト続けてきて
よかったなって思っています
なので元気があって余裕がある時に
もしまた気が向いて
このポッドキャストや日記を読んでくださって
そこで少しでも何かしら
よかったなって思うようなことがあったら
それはそっと胸にしまってないし
日々の糧にしていただけたら
すごい嬉しいなって思いますし
そういうことをお便りでもらっても
もちろん嬉しいんだけれども
それと同じぐらい
こういうところに違和感がありましたとか
今日ここで話したことに対して
よりそう何か怒りや違和感があった時に
それに対してまた
例えばこれを聞いて
寅さんがやっぱり言い換えされちゃったとか
責められちゃったみたいなことを
もし思っていたら
それは絶対そういうことではないので
むしろ書けない
本当にお前何任せるんだなっていうところで
もっとある意味
自分の攻撃性を全開にして
お便りをいただいても
かなりしょげるでしょうけど
しょげた上で
ちゃんとそれに対して
こういうことができればなっていうのは
思いますので
ちょっとうまくまとまらないですけど
うまくまとめてはいけないっていうところで
一旦この便りに対しての応答は
今日のところここまでにしたいと思います
もしよければ引き続き
寅さんよろしくお願いします
というところで
すっかり長くなってしまいました
じゃあ本日はこれでお開きということで
次回以降は特別編成となりまして
そうですね
次回は多分若翔文子さんのゲストにお迎えして
大傑作ウロン記号の話を
代わりに読み人代表の友田さんを交えながら
3人でちょっと話すっていうのを予定していて
その後はずっと
小村寺のあおきさんとお互いのポッドキャストで
お互い5回分
総計10回分の
ポッドキャストを録音するって
武者修行に出てきますので
ちょっと奥さんは一旦お休みで
夏休みに撮っていただいて
って形になるとは思いますが
もしまたそれこそ寅さんに限らずね
お便りがもしありましたらいただければ
1:12:01
奥さんはいないかもしれないけれども
僕の方でしっかりとお答えしたりとか
それこそあおきさんと一緒にお答えしたりとか
あおきさんに答えることなかったら
僕だけ別撮りで
そのお便りコーナーで作るってことは
全然できますので
またいろいろと送ってくださると嬉しいです
というところで
ポニーテイクラジオお相手は私
柿内聖子と奥さんでした
どうもありがとうございました