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ポイエティーク
こんにちは、ポイエティークRADIOです。
奥さんです。
柿内正午です。
今回はいつもの自宅のスタジオを離れ、夜外で夜のお散歩ガゼラの録音に挑戦してみています。
途中で、えげつないぐらいの車の音や環境音やモロモロが聞こえたりする可能性が多いにありますが、
そもそもこれちゃんと使えるものになっているかどうか全然分かりませんが、やってみれたらと思います。よろしくお願いします。
このまま始めるの?
始めるよ。だってもうめんどくさいじゃん。
頭でふざけちゃった。
で、まあだからそのままこのまま続けて、
まあだってどうせ使えないからこれきっとっていうぐらいのテンションでやった時の方が面白いんじゃないかっていう。
ダサい。
自分たちの天の弱性を信用したやつね。
いつもそのなんだろう、これは録音のために録っとこって言いながら全然録っとかずに喋ってる内容の方が面白いっていう、
あるある打ち合わせの方が盛り上がるっていうやつあるから。
今回は打ち合わせのつもりでやってみようということで。
割と厳しそうだけど。
これはすごいね。
まあいいんじゃない?そういうこともあるよね。
あるよね。
っていう感じでやってみたらいいんじゃないかと思うんだけど、
今日はじゃあブルシッドジョブの話をしようと思います。
奥さん何も知らない。見知ら状態。
なんかあなたが役者あとがきを読んでいるのを後ろでちょっと見てた。
そもそもデイビッド・グレイバーが最近死んじゃったみたいな話も知らない?
死んじゃった人なのは知った。
それは知った。なるほど。
じゃあ見知ら状態で一回ブルシッドジョブと聞いて、
どんな話なのか堂々と予想を立ててみるみたいなことを一回してみませんか?
しないです。
いや、してみて。
どういう印象を持っている?
この漏れ聞いている、僕から漏れているもろもろからして。
管理職のためにする、本当は必要じゃない仕事によってほとんどの仕事を成り立てる的な話なのかなって。
すごいね。その通りで。
その通りだよっていうところで、一番何がすごいかっていうと、
見知らのすごい…見知らじゃない。
ブルシッドジョブっていう言葉のすごいところは、
特に知らなくても、この言葉だけ聞いただけで、
自分がこれまでやってきた仕事ブルシッドジョブかもとか、
あの仕事ってブルシッドジョブかもとか、
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読まずに言えちゃうところだと思っています。
元々このビッド・グレイバーっていう、
それこそ文化人類学者で元々、
アナキストでもあるっていうおじさんなんだけど、
このおじさんが、一番その本読まない人たちに有名になった、
一番の理由っていうのが、
オキパイ・ザ・ウォールストリートっていう運動があったの知ってます?
知ってる。
我々は99%だって言って、
1%の富裕層にだけを優遇するような、
政策に対して意義を唱えた活動がありましたが、
あれの主催者というか、主謀者というか、
がデビッド・グレイバーっていう人で、
割と本人としては無政府主義者というか、
アナキストらしきものっていう言い方を本人はしてて、
ライク・アナキストみたいなことを言って、
アナキストから叩かれたりもしてたんだけど、
その時にアナキストに対して、
そういう原理主義っぽい扱い自体が全然アナキストっぽくないから、
俺はもっとアナキに行くぜみたいなことを言って、
超かっこいいおじさんだったんですよ。
そういうおじさんが書いた本で、
もともとはウェブ記事、
アナキスト系のウェブニュースサイトみたいなところに、
だいたい原稿用紙でいうと20枚ぐらいの、
ブルシッド・ジョブ現象についてっていう証論を書いたわけ。
それ自体はすごい軽いエッセイなわけですよ。
だから何だろうな、
そういう便利なインターネットで出てくる概念あるじゃん。
匿名?みたいな。
幼稚園に落ちた日本史名的なね。
そういうバズり方をしたわけ。
うちもこれブルシッド・ジョブかもしれないみたいな感じで、
寄せられた声をもとに、
もう一回体系立てて、
ブルシッド・ジョブとはどういうもので、
なぜ生まれて、
自分たちはそれに対してどうすればいいのか、
ということをまとめた本があの本なんですよ。
だからそもそも最初はそういうコンパクトな証論で、
全て言い切れるような内容しかあの本には書いてなくて、
一説によるとあの本自体は面白くない。
ブルシッド・ジョブというアイデア自体は超素晴らしいものだから、
それで全て持ってるけど、
別にあんなにたくさん長々と書く必要はなかったよねっていうような感想も、
あるような本なんですね、もともとは。
だからアイデア勝負というか、
ブルシッド・ジョブという概念をちゃんと使いやすいような形で整備したというところが、
グレーバーの一番大きな仕事だったなっていう、
この本に関してはね。
あの本自体は本に生きてる時に参照してるの?
そうそう、だってあれがそもそも2018年だかにもともと、
元になるエッセイが発表されて、
19年に刊行されたか、もしくは18年に刊行されてて、
すでに僕が結構読んでるような、
それこそ役者の坂井隆であるとか、
マルキストンの斎藤浩平であるとか、
要するに坂本隆一と仲良さそうなオシャレさよくおじさんたちが、
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すげーブルシッド・ジョブっていう言葉を便利に使ってたわけ。
だから原点としてはすげー前から使われてて、
本読んでる人からすると、
グレーバーの杉野慎徴っていうのがすげー良さそうだっていうのは、
割と結構有名な話だった。
だけど坂井隆自身が役者としての仕事がすごい遅いから、
こんなに時間が経ってしまっているっていうのが一番。
だから待望の役所なんだけど、
待ちくたびれすぎてだいたい内容知ってる気でいるっていう本でもある。
日本語役版はあれが初めての?
日本語版役としてブルシッド・ジョブが出たのは、
今回のが最初なんだけど、
そもそもブルシッド・ジョブの成果を引用した論文だったり、
他の思想書みたいなものが、
もうすでに翻訳がいくつも出回ってて、
それを僕はすでに読んでるから、
ブルシッド・ジョブの多分面白いところも知ってるんじゃないかって思ってるんだけど、
とにかくそんな感じの本で、
奥さんがさっき言ってくれたように、
要するに、
管理層の、マネジメント層のためのどうでもいい仕事、
クソどうでもいい仕事のことをブルシッド・ジョブと定義してるんだけど、
厳密な定義としては、
働いている、その仕事に従事している本人としても、
そこに全く何の価値も見出せず、
何なら有害でさえある業務でありながら、
その業務に携わっている人は、
雇用形態の一種として、
それがクソどうでもいいものであるということを、
取り繕わなければいけないと感じている仕事のことを、
ブルシッド・ジョブだというふうに定義しています。
私の資格取れとかね。
そうそうそうそう。
だから、もともとやれKPIだの、
やれ年間目標なので、
マネージャークラスの人たちが業績を評価するためには、
何かしら評価しやすい、数値化しやすいような、
何かをでっち上げなきゃいけない。
だから、職場ではだいたいつむつむしかしてないみたいな人でも、
ちゃんとその職場にいることにすごい意味があるとか、
なんかそういう、
なくていい仕事?
なくていい書類仕事あるじゃない?
ただ年間の目標に入れてるからという理由だけで、
でっち上げたレポートとかさ。
ただ年間の目標に入っているからこそ取った資格とかもそうだと思うけど、
そういうような仕事のことをブルシッドジョブだと
言っているという話で、
これ自体はそんなに目新しい話では、
グレーバー的にも目新しい話ではないというか、
前の作品で、官僚制のユートピアっていう、
同じ人?
はい、分厚い本を僕は読んでいたと思いますけど、
アカリみたいなマシーン。
あれは最高だったね。
あれはどういう本かというと、
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アメリカと合衆国というのは、
官僚制天国であるという話なんだけど、
その自由と個人というものを
あれほどまでに大事にするアメリカが、
なぜ世界一の官僚国家になってしまったのか、
ということが描かれていく作品で、
あれはすごい面白くて、
結論としては身も蓋もないんだけど、
自由というのはそもそも官僚制の条件なんだ。
どういうことかというと、
フリーであればあるだけ、
共通言語がなくなっちゃうわけですよ。
みんながみんな、あれがしたい、これがしたいって言ってると、
そもそもそれぞれの人たちの間に
市民社会を形成するための防衛形成のための仕組みって
何一つなくなってしまう。
そうなった時に何が起こるかというと、
標準化。
同じ測定方法で語ろう。
それこそ例えば、
お金の多価で語ろうとか、
これまでに付き合った人の人数で語ろうとか、
数値化しやすいようなところでだけ
ヒエラルキーができてくるということに、
そもそも自由というものは、
自由でありながらも、
誰かと協力して生きていこうと思った時には、
必ず必要になってくるものだし、
その上で、
数値化できようもないものを
いちいち数値化しないといけないみたいなところに、
標準化のナンセンスっていうのがあるわけだから、
人が個人の権利だとか自由というのを追求すればするだけ、
ペーパーワークというのが増えていく。
自由にするのは結構よ、だったら成果を出してね、
っていう場合、
じゃあその成果ってどうやって測るの?
っていうところで、
誰も望んでない新しい書類が作成しなきゃいけない
みたいなことが増えていってしまう。
っていうのが官僚制のユートピアの骨子であって、
だからブルシッドジョブで言ってることっていうのは、
そこで生まれて官僚制によって生み出されている
書類仕事っていうのは
ブルシッドだよねっていうようなことを
言ってる以上のことはそんなにないような気もする。
ないような気もするんだけど、
この本の中で、
ブルシッドジョブの中で重要なのは、
じゃあなぜそういうブルシッドジョブに対して
人はすごい嫌悪を示すのかっていうところにこそ
中心の問いはあって、
だからアイデアとしては官僚制のユートピアで
全てあったんだけど、
ブルシッドジョブを今、
途中まで3分の1くらい読んで、
やっぱりこれ読むべきだったじゃんって思ってる
一番の理由は、
そもそもそのブルシッドジョブの特徴として、
何も仕事してないくせに給料がめっちゃいいって。
ブルシッドジョブの代表的なものとして出してるのは
企業弁護士であるとか、コンサルタントであるとか、
そういう上流の人たちなわけですよ。
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そういう人たちっていうのは、
実際に何かものを作り出してるわけでもなく、
ただ単純に、
身的にはアグリーザンスみたいなことを言ってれば
それでお金がもらえちゃうみたいなところに
クソさがあると。
しかも本人たちも、
ただカタカナ語を覚えてさえすれば
もう別に何でもいいみたいなことを
薄々わかってるっていうところに
ブルシッドジョブの個性はあるんだけど、
でもそれってある意味、
夢のような話じゃん。
ろくな仕事しないでめちゃくちゃ稼げるっていうのは、
それこそベンサムから言ってもね、
最小労力による最大効率をね、
最大効果か。
とりあえず少ない労力でさ、
ベラボに結果を出せるわけだから、
むしろそれは夢じゃんと思うんだけど、
じゃあなぜアクセンチュアでバリバリやってたような人たちが
気づいたらスピって、
固い中で半分宗教みたいなセミナーをやってしまうのか、
なぜ急にコミュンダみたいなことを言い出して
ヒッピー地味な田舎暮らしを始めてしまうのかっていうのは、
明らかにその見入りなんかよりも、
自分の仕事っていうものがもって社会に対して、
あるいはその隣の具体的な誰かに対して、
与える効果っていうものを実感しないと、
人っていうのはすげえぐったりしちゃう、
ゲンなりしちゃうっていう話を、
多くのページを押さえて語っている本なんですよ。
だからそもそもそれは、
本の中でも出てくるんだけど、
ドストエフスキーが書いているような、
囚人っていうものを本当に人間として殺しているのであれば、
無意味な労働に従事させるのが、
一番の囚人たちに対しての拷問なんである。
ただ右から穴を掘って、
左の穴を埋めて、
またその左の穴を掘り返して、
右の穴を埋め直すみたいな、
そういう仕事を一週間も続ければ、
その囚人っていうのはどんな拷問よりもきつい思いをするんだ、
みたいな話を書いているんだけど、
まさにそういう話で、
ブルシュートジョブっていうのは、
ある意味その成果主義であるとか、
ある意味その資本主義の覇則によって、
誰もが成果主義に追い立てられていて、
この暇もなく、
ただお金だけを追求して、
借り立てられているみたいなことをよく言われるけれども、
あれは嘘で、
そこで忙しくしているように見せなきゃいけないって思いだけで、
特にろくに仕事もないのに、
事務所にくじごじで座って、
やっていることはネットサーフィンみたいな人たちがめちゃくちゃ多いと、
そういう人たちのほうが、
なぜか給料が多いみたいなところもあるというところで、
なんとなくそれだけ聞くと、
ブルシュートジョブに従事している人たちがブルシュートじゃないかってなるんだけど、
むしろそのブルシュートジョブに従事しながら、
そのブルシュート具合を自覚している人こそが、
精神的にはものすごい逆対にあっているんだっていうのが、
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グレーバーのお話で、
だからこそそれに対して、
俺もブルシュートかもみたいなことで、
いろんな声が入っていったっていうのが、
そもそもあの本が出たときの背景。
その上で、
このご時世の中で、
それこそエッセンシャルワーカーみたいな言葉が出てきたときに、
それこそそういう坂本隆一仲良さそうなおじさんたちが、
聞き通してこのグレーバーのブルシュートジョブという言葉を引き編み出して、
ブルシュートジョブなんかでエッセンシャルワークにこそ、
お金を払うべきだみたいなことを言ってましたけど、
グレーバーの元々の著作家するとあまりそこは論点に、
まだ今のところ入ってないというか、
今のところむしろブルシュートジョブが、
なぜこんなにも蔓延していて、
なぜ私たちはこんなにブルシュートジョブに苦しめられなければいけないのか、
というところにこそ、
フォーカスが当てられているような本かなと思っています。
だからこの本を読んで、
この今の仕事のブルシュート具合というのを開示していくっていうのが、
たぶん一番素直なこの本に対する反応なんじゃないのかなっていうのを思っている感じかなと。
それは本当に何か測る方、通知にしないと何も評価できないみたいなことに対する疑問だったりとか、
モヤモヤみたいなものを感じている人であれば、
わりと面白く読める本なんじゃないのかなというふうに思っているような本です。
なるほど、そうなんですね。
そうなんですよ。
だから本当はここで僕たちのブルシュートな日々の仕事についてみたいな話にしていくのが一番いいんだろうけど、
わりとコンプラアンケートが多い話だからね。
なかなかこの音声の配信の中でどこまでそれをやれるかっていうのは難しいところなんですけど。
それは各々がセラピー的に差を取り巻いてみればいいんだろうね。
別にそれはここで話さなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、
そうなると僕、このブルシュート条文は面白いですよってプレゼンしただけでこの回終わっちゃうんだけど、
まあいいかそれ。
じゃあ、
ねろのために石を貯めるために虚無集会してるのはブルシュート条文なの?
ブルシュート条文だね。
そうなんだ。
そこはちょっと難しいところではあるなとは思う。
でもちょっと難しいなとは思う。
でもねろが来たらそれはブルシュート条文じゃなくなるんだもんね。
そうだね。ちょっとねろとFGOの話はたぶんこの次の回かなんかにちゃんとやるつもりではあるんですけど。
今ねじ込むのは違うね。
まあでもいいんだよ。
今僕はそのFGOっていうね。
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そしゃげにめちゃくちゃドハマリして、
この40日間くらいかな。
1ヶ月強くらいの期間、
家庭に不安を持ち込みかねないくらいの勢いでやってるんですけど、
その時に出てくるねろクラウディウスっていうキャラクターが
なぜかすごい好きになっちゃって。
そうだね。
突然だったよね。
ガチャって呼ばれてるね。
石を集めて、その石を元におみくじみたいなの引けて、
そこでランダムにキャラクターが手に入るみたいなのがあるんですけど、
ゲームを進めてると無料で手に入ることもあれば、
お金で買うこともできるんだけど、
さすがにお金をそしゃげに払うってことはまだハードルが高くて、
一生懸命無意な、
本当にただベルトコンベアに乗ってくるパンを
一個一個丁寧に潰していくみたいな、
すごい虚無に満ちた作業をしながら石を集めて、
それでまたおみくじを引いては、
また今回もネイルが来てくれなかったってことを
ずっと繰り返しているんだけど、
これがブルシッド・ジョブかどうかっていうと、
結構微妙なところで、
千葉雅也は多分ブルシッド・ジョブ読んでないんだけど、
千葉雅也はツイッターで、
結局ヨカっていうものを実現したとしても、
そのヨカをそしゃげに溶かしてるんだったら、
それこそブルシッドじゃないですかみたいなことをツイートしてたんだけど、
そのツイートを見たとき、
僕は千葉雅也が言ってくれれば読んでねえなって思ったの。
なんでかっていうと、
そもそもブルシッド・ジョブっていうのはジョブなわけですよ。
千葉雅也というのは間違ってはいないんだけど、
そしゃげに時間を溶かすことはブルシッドではあるかもしれないけど、
ブルシッド・ジョブではない。
それはなぜならばジョブではないかっていうところで、
むしろ賃金が払われている状況の中で、
ガチャ集会的なことをさせられていることが
100%良くないんだっていう話だから。
そもそもブルシッドであること自体が
どんな状況の中でも100%良くないことなのっていうのは
別の話かもしれないなって思う。
確かに全然ジョブじゃないし、なんならお金払うからね。
むしろ払うから。
いつネイログラディウスのために、
僕がそしゃげに金を落とすのか。
落とす前に一回収録して、
落としてからもう一回録音をしてみたいなというような気はしてる。
落とす前提で話してるけど、落とす気ないんだけどね、今のところ。
大義としてはネログラディウスのためだけど、
本当にネロが来るかどうかわからないという。
でもそれ言っちゃいいんだよね。
要するにあれは疑似ギャンブルなわけじゃないですか。
それこそドコゾーの裏組織にお金が入るとかじゃなくて、
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具体的にタイプムーに入るわけでしょ。
あの辺りの作っている運営さんにね。
だから向こうも仕事だからね。
何かの仕事に対してお金を払うっていうのは別に普通のことだから。
むしろだからそれは、
それを言うと競馬とかもね、頑張ってる馬とかに対してお金払ってるっていう考え方もあるから。
別にだから全部普通なんじゃねって思うんだけど。
でもやっぱり見返りを求めちゃうからね。
特にその見返りがランダムだからね。
ちょっとその、やっぱり、
特にそんなにユミズのようにお金を使えるような感じではない人からすると。
何かね、そこにお金払うってどうなのっていう気持ちは結構あるな。
美味しいかわからないレストランとか、美味しいかわからない寄り寄せグルメに近いなって私は思っちゃう。
そうだね。
しかもだから別にお金払うことだけじゃなくてさ、
それこそ今みたいに手間暇時間をかけて石を集めるみたいなこともさ、
同じくらい虚無なわけじゃん。
むしろお金で済むならその方が良心っていいみたいな考え方もあるわけだからさ。
だからそもそもこのゲームに踊らされているこの自分というものがどうなのみたいなところはあるかもしれないけれども、
それでいったらね、それこそ別に本読むのだってこうやっておしゃべりしてるのだって、
何でもかんだっていうのはね、特に何か価値を生み出してるわけではないですから、
ブルシッドかもしれないけれども。
ここがね、グレーバーの話から全然めちゃくちゃ離れですけど、
価値がない、生み出さない、経済的な効果を生み出さないものっていうものはブルシッドなのかっていうところに関しては、
僕らとしてはむしろあんなわけねえだろっていう話だから。
やっぱりそこはね、お金というものが払われてしまっているにもかかわらず何の価値も生み出していないっていう、
そのねじれがあるからこそブルシッドジョブについては、
そのブルシッド性を何かしらバカにしたりとか、悪いもんだっていう意味があるけれども、
そもそもその価値があるない、価値を生み出してるか人に役に立ってるかみたいな価値観を、
そのまま全てに適用していくみたいなことは避けたほうがいいだろうなって思っています。
そし上げ自体は割と経済活動なので、そこに対していや俺がネロが欲しいというこの気持ちは、
社会がどうとかそういう話じゃないみたいなことを言い切れるかって結構微妙だなというか、
それこそアルゴリズムによってドパドパに出ているアドレナリンの奴隷になっている可能性っていうのは、
可能性っていうかまさにその通りだから。
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虹回転を見ると変な瞬間。
そこに関しては普通に設計された興奮に、そのまま単純に興奮しているっていう素直なポルノ消費者でしかないから、
そこは自分の愚かな消費者性みたいなところの反省に入ってくる話なんだけど。
そうし上げの話は別でね、ちゃんとガッツリやったほうがいいなって思ってるんですけど、
まあでもいいや、そんな感じなんですよ。
だからグレーバーのブルシッドジョブっていうその発明、
そのドゥルーズがよく言う哲学っていうのは概念というか新しい言葉を発明することなんだと。
そういう意味では製造業みたいなもんだみたいなことを言ったとか言わないとか言ってますけど、
そういう意味ではこのグレーバーのブルシッドジョブという言葉は、
非常に語彙に特許があったら大儲けだったんじゃないかっていうぐらい素晴らしい概念なんじゃないかなっていうふうに思っています。
じゃあお散歩も目的地に着きそうですし、ちょうど30分ぐらい喋ったから。
無事撮れてることを祈り、このぐらいにしたいと思います。
お腹すいた。
お腹すいたね。
じゃあ今日はここまでです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。