1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第1話 経済重視の信長も共鳴..
2022-11-24 08:01

第1話 経済重視の信長も共鳴した利休のマイナス美学【千利休生誕500年 第3部】

「天下一の茶の湯者」であった千利休(1522~1591年)の本来の職業は大阪・堺の商人である。その一端を示す史料の一つは「財産処分状」だ。天正19(1591)年2月に豊臣秀吉の命で利休が切腹する直前に書かれたとされる財産譲渡の記録で、「末期の文」とも称される。

《問ノ事泉国ある程の分 同佐野問しほ魚座ちん銀百両也》

茶道総合資料館(京都市)の伊住(いずみ)禮次朗副館長によると、「問」は物資の保管や運搬を業務とする問屋のこと。「佐野」は和泉国佐野で現在の大阪府泉佐野市。古くからの漁港で室町時代後期には定期市が開かれていた。「しほ魚座」は塩漬けの魚を扱う同業組合と理解することができる。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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利休の商人としての背景
政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休は、生誕500年を迎えます。
多方面の活躍と、謎の多い生涯で、現代人をも惹きつける利休。
その魅力に迫るシリーズ、茶聖あり。千利休生誕500年を、菅俊介のナレーションでお届けします。
第3部は、戦国時代。茶人と経済の関係、そして著名人に与えた影響などをたどっていきます。
第3部 第1話 経済重視の信長も共鳴した利休のマイナス美学
天下一の茶の勇者であった千利休の本来の職業は、大阪、堺の商人である。
その一端を示す資料の一つは、財産処分錠だ。
天章十九年。1591年2月に、豊臣秀吉の命で利休が切腹する直前に書かれたとされる財産譲渡の記録で、末期の文とも称される。
敦のこと、泉の国。あるほどの文。道佐野敦。塩魚座。賃金百両なり。
京都市にある佐渡総合資料館の泉副館長によると、敦は物資の保管や運搬を業務とする敦家のこと。
佐野は泉の国佐野で、現在の大阪府泉佐野市。古くからの漁港で室町時代後期には定期市が開かれていた。
塩魚座は塩漬けの魚を扱う同業組合と理解することができる。
賃金百両については、佐野にある名屋を一般商人に使用させた賃料と、塩魚座の座禅の合計か、あるいは佐野の塩魚座に貸した名屋の賃料か、二通りの解釈ができる。
泉さんは、離宮の聖火が魚どん屋だったとか、海浜近くに倉庫を有する名屋州であったという伝承は、それなりに実態に近いと読み解く。
名屋州は豪商の集まりで、都市の自治を担うエゴ州とも呼ばれ、離宮が有力商人であったことを物語る。
千利休と豪商たちの茶会
アジアを代表する国際貿易都市として、15世紀から16世紀に繁栄を極めた堺。豪商たちの財力は、民や朝鮮から移入された空物などの名物と呼ばれる茶道具に継ぎ込まれ、社交や商談の場として茶会が流行する。
ただ、離宮の茶会は、そうした茶会と一線を隠していた、と表選挙の茶会に生まれた千里錦蘭大学の産方孝之名誉教授は指摘する。離宮の弟子で堺の町州であった山上宗治が、離宮の茶会についてこう記している。
客人振りのこと、多かた一座昆竜にあり。上々密伝、懲礼往始。一義、初心のために情を語りおかるるものなり。ただし、当時、双益嫌われ候。
双益とは離宮のこと。堺の豪商で離宮にも大きな影響を与えた茶人の武之女王は、茶席が楽しく盛り上がる一座昆竜が大切と伝えていたが、離宮は世俗的な話題で盛り上がる茶会を嫌っていたようだ。
田田さんは、離宮は一期一会へとも言うべき厳しい真剣な出会いの空間として茶会を考えていたと説明する。
平禄十一年、千五百六十八年、足利義明を擁して上洛した織田信長は、堺の商人らに銀二万元の軍資金の献上を命じた。堺は信長に従うか徹底交戦するか意見がわれたが、今井宗久や須田宗久ら堺の豪商は信長との和睦を成立させる。
宗久や宗久は信長の戦争の平坦補給をし、武将らを客とする戦勝茶会や結束茶会を演出する。信長の戦力範囲が官僚組織を整える間もなくどんどん広がっていく中、茶会が信長政権の秩序づくりに機能したと産方さん。
武家の儀礼や文化として茶の湯を確立していこうとする信長にとって欠かせない存在となったのが利休であった。
合理的に思考し新たな改革を推し進める下国城の道を上りつつある信長の心に利休のマイナスの美学や合理精神による工夫が共鳴したと産方さんは推察する。
シンプルなだけに深く心を通わせる利休流の茶の湯が経済を重視した信長の時代に武家の儀礼となり、利休を死と仰ぐ武将たちの結束の輪が形成されていった。
信長や秀吉の下で茶会を取りしきる茶道にまで上り詰めた利休は経済人でもあった。
その精神は時の威勢者や政商に影響を与え、現代の社会や経営者にも息づいている。
お届けしたのは産経ポッドキャスト茶政有 千利休生誕五百年 第3部の第1話
経済重視の信長も共鳴した利休のマイナス美学でした。
豊臣政権の外交官 頭角現した故の悲哀
第2話は豊臣政権の外交官 頭角現した故の悲哀をお伝えします。
利休と豊臣政権との関わりを紐解きます。
なお産経ニュースでは文章写真やグラフィックでお楽しみいただけます。
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ナレーターは菅俊介でした。
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