2022-09-08 08:18

萩本欽一(下)【浅草物語~人と歴史が息づく街】

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東京・浅草時代の萩本欽一の写真に、当時の街並みが写った一枚がある。屋上でくつろぐ萩本の後ろに映画「用心棒」(黒澤明監督)の看板が見え、浅草東宝劇場の前には人の姿も多い。
「用心棒」は昭和36年公開で、萩本が浅草東洋劇場の門をたたいてから2年後だ。しかし、この頃すでに浅草には斜陽が忍び寄っていた。
33年4月に売春防止法の罰則が施行され、江戸時代から遊郭として栄えてきた吉原の灯が消えた…

【原作】 産経新聞連載「浅草物語」(令和4年、鵜野光博執筆)
【語り手】木村匡也

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産経Podcast
東京の大衆芸能を代表する町として栄えてきた浅草。
その昭和の精髄を肌で知る世代の萩本錦一さんに浅草の物語を聞きました。
産経新聞に連載された浅草物語、萩本錦一を再構成してお届けします。
案内役は私、木村強也です。
萩本錦一下、町の明かりが消えた修行時代。
コント55号で原点回帰も。
東京・浅草時代の萩本錦一の写真に当時の街並みが映った一枚がある。
屋上でくつろぐ萩本の後ろに黒沢昭監督の映画、幼神坊の看板が見え、浅草東宝劇場の前には人の姿も多い。
幼神坊は昭和36年公開で、萩本が浅草東洋劇場の門を叩いてから2年後だ。
しかし、この頃すでに浅草には斜陽が忍び寄っていた。
入って3年後に人があっという間にいなくなりました。
だってね、明かりがついてないんだもの。
新宿はピカピカついているのに浅草は真っ暗。
劇場も次々になくなってしまった。
先輩はこう説明した。
お前にはわかんないだろうけど、あそこに吉原があったんだよ。
あれが廃止になっちまった。
あれと映画がセットだったんだ。
昭和33年4月に、売春防止法の罰則が施行され、江戸時代から有格として栄えてきた、吉原の明かりが消えた。
浅草の歓楽街と吉原との人の流れが綺麗。
さらに39年の東京オリンピックを前に、コメディアンも活躍したストリップ劇場が徹底した取り締まりにあった。
浅草フランス座もオリンピック直前に一度看板を下ろしている。
34年には上校5歳のご成婚があり、テレビの普及が加速。
娯楽の主役もテレビへと移りつつあった。
萩本は昭和41年に坂上二郎とコント55号を結成し、42年頃からは活動の中心をテレビに移している。
浅草にいた期間はおよそ7年だった。
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金ちゃんって東洋劇場に若い頃いたよね、と言ってくれるお客さんに会ったことがない。
だから記憶に残したことは一度もなかったんだね。
そう謙虚に振り返るが、萩本の芸は紛れもなく浅草仕込みだ。
ほとんど師匠の東八郎さんのモノマネなんですよ、という素人いじり。
例えば東洋劇場のコント「痴漢講座」では、舞台に踊り子を4人挙げ、夜道をとぼとぼ歩けば痴漢に合わないと教える。
しかし踊り子がどう歩いても東は、「お前とぼとぼじゃない!」などと突っ込み、痴漢役の萩本は、
「私が痴漢ですという顔で出てくる痴漢がいるか!」などと突っ込まれる。
何にもできない人がこんなに受けまくる、不思議な世界でしたよ。
この素人いじりは厚見清が得意とした客いじりに連なる浅草の伝統で、
坂上に萩本がしつこく突っ込む55号、さらに金ちゃんのドンとやってみよう!などで見せた芸風に直結している。
両腕を横に振る金ちゃん走りも、東直伝だ。
55号の人気が頂点を過ぎた昭和48年、2人は公開収録という形で原点の浅草に帰ってくる。
浅草松竹園芸場を舞台にした番組、コント55号のなんでそうなるの、だ。
コントの合間にはストリップショーも挟んだ。
必然的に客はおじさんばかり。もちろんテレビでショー部分は放送されない。
一番笑わないお客さんを入れた方がいいコントができるんです。
我々はお客さんに合わせて反応するので、子供ならしゃべるよりこけた方がウケる。
テレビはすぐ若い人を客に入れるけど、すると軽い笑いで十分になる。
しかしウケないと、こんな女子供相手のギャグじゃダメだ、とその場で変えていく。
55号の味が出るんです。
浅草の芸を見事にテレビに落とし込んでみせた。
そして今。
若い人にはとりあえず浅草行けと言うんだけど、なかなか行くやつは今いないですね。
若手の修行の場としての浅草は様変わりした。
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東洋劇場は昭和43年に閉館し、何度かの変遷を経て、現在は同じ場所で1階に浅草園芸ホール、4階に浅草東洋館が開業。
連日寄せ屋、漫才、コントをプロの芸人たちが披露している。
新型コロナウイルスの感染拡大が収束状態にあった昨年12月。
週末の浅草は人でにぎわい、東洋館にはおぼんこぼんやナイツといった人気芸人を見るための行列もできた。
ただ、平日の昼間は寒散とすることもある。
取材で訪ねた12月10日、正午のブザーで開幕した舞台には、6人の客を笑わせようと奮闘する若手芸人がいた。
浅草という土地が私を育ててくれた。
だって、お客が少なくても頑張れるし、3人しかいないこともあったのよ。
そう振り返る萩本の言葉は、時代を超えた行進へのエールでもある。
サンケイ新聞社がお届けする戦後紙開封。
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問題2。
桶狭間で吉本が打ち取られたとの知らせを受けた家康。
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問題14。
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