00:01
宇治原です。松崎です。中村です。
というわけで、私、ジンブン学、今日もやっていくわけなんですけども。
今日もやっていくわけなんですけども。
いや、2024年、4月1日ですよ。新年度。
終わっちゃったよ。何もかもが。
4月1日なのに、始まったじゃん。
今、終わってるもんな。
終わってるもん。
原稿届こってる。予定届こってる。金もない。
太ってきてる。
終わってるな。
3年生です。我々も。
それが一番終わってるね。
何が?
3年生のことが。
3年生のことが。
大学3年生ってならない予定だと思う。
どういうこと?
2年で。
2年で死ぬってことでしょ?
そうそう。
大学3年生ってないものだと思ってた。普通に。人生でね。
人生でね。はいはいはい。
まあまあまあ、そうね。よくあるよね。
有名になりつつある人っているじゃん。同年代とかで。
大学2年生くらいまでは学生の定位で生きてるんだけど、3年くらいになったから急に学生の雰囲気出さなくなるみたいな。
20歳超えるってのがあるんじゃない?
これくらいだもんね、みんな。
今日も健康診断だったわけですけど。
健康診断って喋れる?
喋れないけど。
健康が大事ですよね。
昨日が口の締め切りで。
で、縮みじるってことでしょ?
この前縮みじる飲んだらめっちゃしみたわ。2日余裕に。
お前絶対さ、時間切るわ。
インスタント。
インスタント?インスタント効くの?
効く効く効く。
効くとかないだろ。
4月1日ですよ。
いや俺、そのさ、おととい高校の同級生と飲んだんだけど、
そいつらが今日新社会人ですわ。そういう年齢、俺。
そっか、藤原二航平だもんね。
いい予測だよ。いい予測だよ。
藤原さんってそうだもんね。二航平だもんね。
やめろって。
あ、ごめん。
いいじゃん、別に同級でやってんな。大学三年生だよ、俺。
そうだけど。
お前大学三年生なんだよ、二航平なのに。
やめとけよ!あんまりそういう意地で。
いっぱいいるしね。
世の中いっぱいいるから。
また二年生なんだ。
新社会人。
また二年生なんだっけ?
あんたお前。
もうそのシステムの話はいいよ。
いやそれで、いやでも、高校の同級生僕ですわ。
10人集まって社会人だったのが一人しかいなかった。
うーん。
で、そいつの入社式にみんなで集まろうかってなったんだけど。
そういう奴らが連帯してるのでは?っていう。
いやそれでもない。
そういうわけではない。
厳しいやろ。
意見厳しすぎるな。
ちょここ遅れ気味だから。
それで、なんか、入社式見送り行こうかなって。
朝早すぎて。
社会人のペースに大学生についていけないから。
無理だよ。
今日見送りに行きなかったの。
あ、今日か、入社式。
そうそうそうそう。
あ、ちゃんと4月1日にやるのか。
ちゃんと4月1日。
6日ぐらいじゃないんだ。
泣けないだろ、入学式にやるから。
早くさ、2日から働かせたいだろ。
いやでも、今年は4月1日が月曜日だから。
だから最初から5連休にしなきゃいけないんだよね。
だから4月1日が水曜日とかだったらさ、3回会社行ったら2日休みとか。
でも最初にさ、3日で休めるなと思ってたらさ、続かないの?仕事。
03:03
いやでもそうでもない。最初5日間慣れない環境でさ、っていうのは結構きついじゃん。
まあね。
3日行ってちょっと休憩いられるっていうのはね。
そうだね。
大体1週間終わったらまた態度変わるもんね。
多分。
俺は分かんないけど職があって。
1週間、1ヶ月、半年とかでしょ?
いや、まあでも年じゃないもん。本当に40年で働いてるわけだから。
何か話そうとした顔してんの?
いや、今就寝雇用の時代なのかなって思っちゃう。
いやまあでもさ、就寝雇用、一つの会社でもなくてもさ。
まあそうね。
結局何年、何歳が大事なんじゃない?何年目とか。
まあ定年85歳ですからね。
そんな言った?定年85なの?
あれそういうディストピアじゃなかった。
ディストピアじゃないですね。
今何?定年60じゃないですか。
いやこの前にさ、ちょっと友達で会ったらさ、
どうせ年金払っても帰ってこねえからなって言ってさ。
そんな会話かと思って20歳になると。
まあそうだね。
もうだって年金払うからね。
払ってる?年金。
一応払ってますよ。
払ってます?
怖くないの?冷静に。年金って。
何か。
受験勉強と一緒だよね。やっぱ。
ああ、将来。
将来。
まあでも社会保障だからね。
まあそれはそうだね。保険はわかるじゃん。
まあ俺まだ払ってないんだけど。
保険料はさ、帰ってくるじゃん。すぐに。
今俺が倒れたら。
年金は帰ってこないからな。
まあそれは。
勉強の時にもそんな。
ドリンクバーの元取るみたいな話じゃないんだろう。
いやでも保険はさ、個人対個人だけどさ。
年金は社会全体対社会全体だから。
はいはい。
そういう考え方はできないけどね。
まあということでね。
ということで今日はゲスト会になります。
今日は。
年金払ってる人がね。払ってるのかな年金は。
なんかいらないから今のこと。
いらなすぎる。
年金保険いらないの?
まあ久しぶりにゲスト会ですけども。
今日は演劇学科から山内くんに来てもらってます。
こんにちは。すいません。お邪魔します。
演劇学科3年生の山内です。初めまして。
えっと、自己紹介してもらう?
してもらったじゃん今。
えっと、ピトゥールっていう劇団っていうか
自分一人のカンパニーみたいなのがやってて
そこで演劇やったりしてます。よろしくお願いします。
そうですね。
この前3月15日、26日会って
ちょっと俺ちょっといろいろ最後届こってて
いけなかったんですけど。
俺と松崎は見させていただきましたね。
ありがとうございます。
遅刻した。
遅刻してんなーと思ってね。
そうそうあの、前の席がさ、ちょうど空いててさ
すっごい見えたからよかったんだけど
あれやったね、なんか
すっごい久しぶりに、大学1年生の時
ちょいちょい行ったことあったんだけど
あの、なんだ、ああいう場所で演劇を見れるって名前なくて
そうそうそう。
で、自分普段ライブハウスとか出るから
その、まあステージの上じゃん。
それ見てるとやっぱり
まあ良かったんですよ、みたいななんか。
そうっすね。
良かった話?
06:00
何の話もしてない。
何が良かったか分からなさすぎる。
すごい長い前髪があって
良かったら終わっちゃったから今。
いやなんか、あの、普通にさ
ライブハウスの上とはまた違う
なんだ、演劇やってる人だからさ
そっちに降ってるからさ
多少そのライブハウスのミュージシャンとかも
演技要素はなくはないと思うけど
降ってるのを見たから
なんかすごいね、なんか
ステージの上とかどうしようかなって考えてたね、俺は。
自分の感じやった。
松崎どうした?
俺はね、ステージ低いな。
ステージ5センチくらいしかないよ。
あ、そうなの?
結構衝撃場っていうか
衝撃場って低いの?
いや、場所によるけど
あっちは特にね、ちょっと変な劇場。
何人くらいのハウス?
あっちは50かな。
でも結構終わってたよ。
50で2階の満席。
なんで満席が見れたんや?
満席の劇場とは?みたいな話で
満席になるとまずくて
なんとか満席やってよかったんだけど
満席になるとまずいんだってこと?
最初に
なんか客席と
舞台といい感じに繋げたいなと思って
満席、今日は満席で
っていうワードをちょっと出してたんだけど
満席じゃなかったらさ、よくわからない
わからない
1日目と最初は
2日目は
1席空いてて、やばいなと思ったら
チュー
入ってきて
足りないと思って
最後に足りない要素ね
しかもちょうどいい感じのとこに入ってきたんだよね
役者が結構前の方の
入り口のとこでセリフ言ってるときに
ぬるーっと入ってきたからなんかすっげー演出が
よかったんだよね、それが
じゃあ、よかった
俺も
入った瞬間、はじめ
すごいいいタイミングだったのに
ちょうどそっちに
感動的な
松崎が入ってきて
松崎がドドンとするっていうね
まず
システムがわかんないからさ
名前言ってお金払うってとこからさ
そうだよね
名前ですかみたいな
名前で取り行きやもんね
ライブハウスもそうです
ライブハウスの方が
もうちょっとフラッといけるじゃん
ライブハウスの方がもっと適当だと思う
取り置きして行ったことないでしょ
取り置きしなくても取り置きですって言えば取り置き扱いも
ライブハウスとかって
多分あれやから
裏ルールすぎる
知ってる人の裏ルールすぎるだろ
知らないやつは勝手にゲストで
行ってくるやつがあれよくない
ライブハウスはさ
お前のライブハウスはそんな長くいらねーんだよ
今日やっぱうちのゲストがいらねーんだよ
ゲストがいらねーんだよ
演劇どうだった?
雑なフリだけど
演劇をね
見たことが
マジで初めてなんじゃない
09:01
だからもうまずこういう
ものなんだかっていう
ところが
始まるよねまず
やっぱ衝撃とか近いっていうのが
なんだろう
なんかこう
巻き込まれるでもないけど
近さっていうのは
例えば映画とかは
違うなと思った
強制力がこういう感じで
思ったよりも
見てる人側がだいぶ
捕まってる感じ
ちょうどそういう場所だっただけののかもしれないけど
こっちからコミットするという
演劇の会場ってこういう感じなんだ
って感じがあったかもしれない
その前にね
中学の友達の
やってる漫才のライブ行ったんだけど
漫才のライブって
客いじられるんじゃないかっていう怖さがあるんだけど
それがないよね単純に
見てるだけだから
マジで漫才のライブってなんか
怖いよね
幕間の企画とかやるとさ
なんかクイズみたいなことになるじゃん
あれどうしよう
俺なんか言わなきゃいけないのかな
衝撃状あるある
すごい話しかけてくるとか
客のほう来て
なんかしてもらうとか
手握ってもらうとか
そういうの怖いよなと思う俺も
目が合うからさ
コミュニケーション取らないといけないとこもあるじゃん
普通に話すって意味じゃなくて
密接なコミュニケーション
そういう意味では良かった
また良かったになっちゃったけど
なんか希望感と
やってることがすごい合ってたかな
それは嬉しい
公演打つのは初めて
何回か
他の劇
団体で演出したり
書いたりしたけど
2年生も終わるし
自分の立ち上げてみようかな
って感じでやった1本目
冷静に
2年のこのタイミングで始めて
っていうのが
スケジュール的に
良いスケジュールだな
この時期に始めて
ちょっとずつ増やして
これからも打つんだっけ
そうだね
夏とか秋とか
それも良いよね
1回目の後
時間を空けたい
どういう演劇だったか
っていう概要は
そこら辺
感想を聞いて山内に行こうかな
山内
そうですね
山内から今回のことを
説明してもらいました
難しくない?
どういう作品なの?
ちょっと
ある程度
実質だけでいい
演劇の団体が
ピトゥールって名前じゃないですか
語源の意味とか話とか
そういう話
あと
先に言っちゃうけど
12:01
ピトゥールの
風土的なものを感じたから
自分の
確かに東京出身じゃなくて
あっち出身ってことでしょ
その話とかも聞いてみたいな
じゃあ説明
ピトゥールっていうのを
さっきも言ったんだけど
ピトゥールっていうのは
出身が沖縄の
さらに離島の石垣島
高校3年生まで
いて東京来て
ピトゥールってそこの言葉で
一人って意味で
最初は一人でやりたいなと思って
劇団組むのってさ
めんどくさいと責任を求めなきゃいけないから
一人でやって
みたいな感じでやろうと思ったけど
劇団一人で
劇団一人がいるからさ
だめだ
ピトゥールって
一人って意味で
ピトゥールって名前でやってて
そういう名前だから最初は
箱も最初決まっててちっちゃいとかあったから
一人芝居やってみたいな
っていうので一人芝居をやったんだけど
どういう話かって言ったら
書き出したのが
ちょうど年明けぐらいで
その年明けがさ
すごい色々あったじゃん
地震起きて
金だらけ飛行機燃えて
本当の始まりかと思って
なんか2024年始まったけど
なんだったんだろう感が
すごい強くて
それをもう一回
2024年が始まるっていうことは
どういうことなのか
それは時間として始まる意識の中で
新しい時代を始めるとか
そういうことってどういうことなんだろうな
みたいなのを演劇ってお客さんと
共有しながらいくんじゃないかな
みたいな話をやってみた
フェスティバルってことをよく使ってるんですよね
祝祭館
ワーランドフェスティバルっていう
一人芝居の一人の手と
向こうに広がっている
祝祭、新しい時代みたいな
大秘みたいな話を
やってみたって感じです
ごめんね
聞かれたら
意気じゃない質問してくるから
この時の質問めっちゃ求められるよね
たぶんね
うん
祝祭館がやっぱり
良かったね
罪と罰の話は
サクッとするけど
不幸な人たちの葬式を
みんなで見るシーンがあるんだよ
不幸に死んじゃった人たちの
葬式行って
死んだ人の妻は貧乏で
子供たちも飢えてて
Tシャツ1枚みたいな
ところで葬式を盛大にやろう
お母さんも気がおかしくなって
不相応でぐちゃぐちゃのことを
やるんだけど
それにすごい人がいっぱい群がって
見てるんだよ
15:01
それはすごいきつい状況なんだけど
祝祭の盛り上がりがすごい良くて
祝祭館が出ることによって
自分が
本当に
祭りってそういうもんじゃん
自分が大多数であって
自分が鑑賞者でもなければ
やってる側でもないっていう
ただそこに熱狂があり
そうそう熱狂がありっていう
そういうのを
見て思ったね
葬式祭館について
だから
やっぱり小さい劇場でやるっていうのは
結構いいなと思ったね
巻き込まれるっていう
そうそう
演出とかも凝ってたよね
金本いろいろできたかな
って感じはしてる
すごく手が早いよ
そもそもスタッフの人たちも
音響とか
照明も元々やってる人じゃなくて
映画学科の
音響やってますって
誘ったら音響撮ることしかやったことなくて
流したことねーよ
だから一から作っていく感じ
できたかなと思うんだけど
でもそう思ってくれたのなら
祝祭って言ったけどやっぱり
映画と違って
生身の人だし
編集もできないし
ものだから
本当に祝祭ですって感じでやると
すごい嘘になっちゃうんだよね
ミュージカルみたいな
何かじゃないところで
できないかなと思って
後ろに今回窓を
つけててさ
窓だけあるんだけど
窓の後ろにお客さんが見てくれたらな
みたいな感じで
一緒に見るって時間もあったよね
一人芝居が良かったよね
見えない祝祭が見える
実際祝祭を作ることより
一人でいることで
祝祭感が出るんじゃないかと
祝祭をその場に作るっていうよりも
祝祭を見るのが重要なのかもしれない
感を刻めるんじゃないかと
でも祝祭が大事なの
祝祭はなくて
でも窓を置くってことが
重要なのかなと
覗けるのかな覗けないのかな
っていう風に
一人でごちゃごちゃやってるって
ところが大事なんだよな
祝祭って失われたものじゃん
そういうものに対して
窓の外から見えるようにして
届かない感じというか
祝祭の復興って難しいからね
ない祝祭があるのか
18:03
ない祝祭が見えるというか
あるかどうかわからないけど
っていう感じは
聞こうと思ったんで
最初見たときの感想だと
数字の内容を軽く触れるけど
最初は獅子舞がやってくるじゃないですか
開演したら
開演見てないんだけど
途中でも出てきて
出てきたところは見てるよ君
2回目は見てる
そこから獅子舞の中から
演じてる人が出てくる
みたいなとこあったじゃん
あそこ俺すごいよかったのね
急にフックがあったのよ
だからもうちょっと
一人芝居じゃなくてもいいかもしれないな
今の話聞くと
一人芝居の意味はあったんだなと思ったね
それは一人芝居って
最初に獅子舞役のやつが
出てくるんだけど
開演前に
出しちゃって
男が何してんだってなったら
暗転してパッ切られて
獅子舞になって踊り出すっていう
あそこのコミだったんだ
開演前から仕掛けてて
そこが
ステージの上歩くっていう
何か探してるのかなと思ったんだけど
そういうことだったんだ
宣伝も
役所一人だけだったんだけど
全然違うやつ出てくるんかい
ちゃんとフックに当たった
あざとくならないのが演劇の意図だなとは
ちょっと思って
全体的に
メタ的ではあるじゃん
一人芝居の観客と祝祭とか
相互作用していくような
風に作ったんだけどさ
それが演劇っていう身体的な
表現だからこそ
そういう
メタ的な仕掛けが浮かないなと思った
例えば
獅子舞を撮るっていうのも
種明かし的な
メタ的なやり口ではあるわけじゃん
映画だと冷めるんだよね
冷めるぜ
突然何かあったなと思ったら
カチンコ入ってきてカットみたいなやつ
ハイドルのMVにしか行ったことないですね
いやそんなことない
そんなことない
映画学会行ってきな
ちょくちょくやるから
でもそういうのね
メタさんっていうのが大事だと思うんだよね
なんか最近
映画はすごい好きなんだけど
ショートフィルムを見て
そのフィルムを公開している
アビショコンが出てくる
すごい感動して
映画でもこういうことできるんだ
やりたいなって思ったのは
21:01
演出している時にあったかもしれない
観客をいかに
最近ゴダール独作活の評論書いてたからさ
またそのモードで喋っちゃうんだけど
ゴダールは
ハーミュージックっていう映画の中で
切り返しが大事だって言うの
映画ってカットバックで切り返しで会話が進むじゃん
そういう風にゴダールは
例えばパレスチナとユダヤ人の問題とか
あるいは想像上のハンブレッドが住んでいた城と
実際の遺跡として残っている城とか
そういう非対照的なものを
切り返しの相手を使って
対照化できるんじゃないかみたいなことを
ハーミュージックの中で言ってて
それってつまり観客側と演者側でもある
それが映画だったら
でもそこの切り返しをどううまくするか
ってことがすごく難しいと思うんだけど
だから
例えば
意図なんていうのも
具体的に話しちゃうけど
佐賀和志っていう小説家の小説の
そのまま物事をそのまま見るっていう姿勢が
従来のものと違って
そこが新しかったんだけど
それがむしろ観客側からしたら
日記とか
自分のパーソナリティの話とか
そういうことを作品にするっていうことと
どう見たら捉えられちゃうっていうところが
コミュニケーションが
うまく交通ができてないんだよね
っていうところで
そこをどううまく
切り返すことで
対照化するかっていう
先対者との対照化するかっていうのが
大事だと思ってて
そういう意味で
例えばししまいの
外すじゃないけど
満席っていうワードとか
そういうのすごい
切り返しとしてすごい
すごい良かったなとは
思うからね
特に
一人芝居だからそれは
余計意識した
一人でいるから
どうドラマを起こすかっていったら
基本
例えば一人だけの映画とか
電話がかかってきて
芝居が起こったり
外で何か起こってそれを見てたり
じゃないところで
もっと空想のどこかと
実にそのことを
切り返し
目的と障害を起こせないかな
すごい
そこで観客と切り返すことで
観客も見てるっていうことがより明確になるし
そういうこともなくて
見てるってことが明確になるんじゃなくて
演者の境地が
読手の中に再現されること
だから読み書きするように読み書きして
読み書きするように読み書きする
っていうことをいかにし得るか
みたいなことで
そうじゃないと結局作品系は
自己肯定とか
現実装備とかそういう
安直な方に流れてっちゃう
その意味でいかに対象に扱うか
っていうことだから
むしろ演じることなのかもしれない
例えば観客も
24:01
同じように
そういうシステムじゃないけど
そういうことがすごいあったかな
って今思うかな
とにかく稽古場で
役者には想像
想像して自分が何を喋ってて
どこにいるのか
見えてるのかそれとも見えてないのかを
とにかく想像して
それをどうやったらお客さんと
同じ想像できるのか
に対して良い方法を探っていこう
っていうのが楽屋の稽古
本にもあったもんね
にんじん畑の下りと
にんじん畑か
あれ結構
俺よく好きだったよ
なんて言えばいいのかな
正確な言葉が忘れちゃったんだけど
私は
街の中歩いてる時
にんじんの
ウサギのフード被れば
ここがにんじん畑になって
っていう話をしてて
本が良かったのもあると思うんだけど
なんだろう
そういう
世界に取り込まれていく感じ
自分が
取り込まれていく感じ
というか
そこでスクラップビルドができてなくて
機能不全が起きてる
っていうことだと思うんだけど
だからその
違和感も含めて作ってるのかなと思ったね
窓の話もそうだけどさ
窓もやっぱり
その
窓と名の付けてる
あの
ビニールテープの線だわけ
そうそうそう
だからなんだろうな
あの規模感で
言い方あるかもしれないけど
ちょっとチープなところがあるじゃん
いろいろ含めて
それでその都合をそのまま取り込んでやってるっていうのが
すごいなんか
良かったね
笑ったおじさん
ごめんなさい
確かにそういう意味では全部
なんだろう
また結構自分の身勝ちが喋れないようになったけど
濱口リュウスクの映画がすごいところは
明らかに
実際の演技を作っていく過程を
持ち込んだことなんだけど
そうすることでどうなるかっていうと
そこで相互採用することでさ
一種の革新派的に説得力を生んでしまう
っていうシステムを
作ってるんだけどさ
メタ的に採用していくことで
なんかその
うまく言葉にならないけど
ビニールテープの窓の人たちに
被ることでウサギになれるっていう
自分で何か動作をすることによって
問題を
なんだろう
世界の見方を変えるってことなんだよ
意味付けを新しくする
みたいなことだと思う
意味付けを新しくする
新しく
そこに勘があるじゃん
これを勘じゃなくて別の名前を付けるっていう
なんかそういう風に
なんだろうね
するっていう物解き方を変えるじゃない
例えば
俺がやってるっていうか
今の演劇の流れ
27:00
俺が面白いなと思う
なんで面白いかって言うと
例えば小道具としてこれが勘があって
これの勘をスマホみたいにするとするじゃん
勘がスマホになる
っていうのが普通の演劇だと思う
衣装をかぶってその人みたいに出てくる
ランドスタイルをかぶったら小学生になっちゃう
みたいなのが演劇だと思う
じゃなくてランドスタイルをかぶってる
俺はまずランドスタイルをかぶって
小学生になりました
っていう全部を見せることによって
そこで対義が生まれて
どっちを向いてくると思うんだよね
演じてることは演じてるんだけど
演じてるってことを
すっ飛ばして嘘を
嘘としないようにやってるんじゃなくて
嘘を嘘としてしっかりとやる
っていうことが大事なんじゃないのかな
そういうのがあると
過程をやっぱり中に
入れ込んでいくっていうのが
なんだろうそれはやっぱ結局
いかにリアリティを
担保するかっていう話になるのかな
リアリティの担保なのかな
でも本当に
そこで見るのはリアリティじゃない気もするんだよね
別にそういうことをすることによって
リアリティが見えるわけでは
感覚的に違う気がするんだけど
今考えてるけど
リアリティじゃないんだよな
身に迫り方みたいな話なんだよな
それってリアリティなんじゃないの
リアリティってそういうことじゃない
切迫感のこと
なるほど
俺の中でそういうのが
なんとなくあるんだけど
フィクションが嘘じゃなくなるっていうか
っていう感じのイメージとしては
フィクションが嘘ではなくて
ちゃんとしたフィクションとして
立ち上がってくるっていう
やっぱさ
スタジオでさ
例えば
フジロックに行ってミュージシャンを見てたらさ
音楽ってそういうもんだけどさ
あっちのステージに立ってる人たちと
個人の俺じゃん
っていう風になっちゃいがちじゃん
そういうパフォーマンスものっていうのは
だから
その切迫感ってか
強いなれてる感じがないのが
いいのもあるんだけど
自由に行き来できるっていうのが
逆に椅子に座って
っていうのがすごい隅で良くて
あれ立ってみてたらまた全然
違うと思うんだよね
立ってみたら全然感覚変わると思う
立ってみたらきっとその良くなくなっちゃう
気がした
ホーラーのレスポンスできちゃう
ホーラーのレスポンスが
成立しないっていうのも含めて
松崎の話じゃないけど
そうだね
対象化されてる気がする
寝る寝る寝る
とゆーととゆーと
単純に言えよ
単純じゃないんだよね
ただ食べるんじゃなくて
家庭を持ち込ませることで
一種共感者にするんだよ
なるほどね
だからそういう
寝る寝る寝る寝的リアリティの
担保なんじゃない
寝る寝る寝的リアリズムの誕生じゃない
やんやんつけもんできない?
やんやんつけもんできてるんだよ
やんやんつけもんは
30:00
1の粉と2の粉を入れることで大丈夫
やんやんつけもんはDGなの
やんやんつけもんは
2つの
あるものの組み合わせなんだよ
やんやんつけもんは
そうだね
寝る寝る寝る寝は1の粉2の粉を入れることによって
あと水を入れることによって
立ち上がる
寝る寝る寝る寝を
普通に売ってるのと
完成品がね
0から作る寝る寝る寝があるときに
どっちの方が
正直なこと言っても
そうですね
そういう意味で寝る寝る寝るは
子供としては
食べ物に対する
コミットであるわけじゃない
食べ物に対する
まな板と
包丁で割ったら
切れるおもちゃがあって
積み木があって、みたいなコミットの仕方な
わけじゃん
それがフィクションでやられている
そう
おおいデルデルデルデルデルデル 全然イメージ変わらなくなっちゃ
って
いやプロレス用さ嘘なんだって知 った時さなんか最初えぇーって
思うけどそっから俺余計プロレス 気になった
分かる俺同じ
俺その高三の時プロレス一年 ずっと見てたんだけど
うん
うん
まあね受験勉強で闘争を求めた と思う
笑
プロレスって嘘なんだよ勝負は
ですよね
うん
そう
らしいです
別にその勝ち負けは
でもプロレスはどことどこのグループ の構想があってどこの勝ち負け
があってっていうのが壮大なストーリー になって興行が行われていく
ヒップホップじゃん
そう興行ストーリーになるよどこ とどこが反発してどっちがヒール
でみたいになってるんだけどでも 肉体と技は本物なのよ
はいはい
AVもそうじゃん
オーディオビジュアル
オーディオビジュアル
アダルトビデオ
アダルトビデオ
アダルトビデオで行われている ことも実際のものではないけど
体は本物じゃん
うんうん
肉体はね
そう
でも違うんだよ本当は今の時代 のアダルトビデオだったらまず
まず
大丈夫僕らならない
AV女優になるっていう過程から やらないといけないんだよ
それがだから社員者じゃない
だからAV女優が撮影現場に入る 前に
いろいろ打ち合わせとかやっていく っていうことでその撮影現場に
共犯者にしていくっていうのが
でも最近のアダルトビデオだって さ
アダルトビデオだって
長いだろ
アダルトビデオだって完璧なフィクション じゃなくて
それはプライベートの映像という フィクションだったり
そういうところから始めてくる 最近は完璧なオールスタジオの
作品ってあんま売れてないじゃん
それは知らんけど
ごめんちゃんと詳しくて
この辺まじで切りたいな
いやでもすごい重要だと思う
アダルトビデオを大事に捉えた と思って
33:02
それは
俺最近続けてほんと申し訳ないん だけど
俺すっごい面白いなと思った作品 は
マッキンリー山脈に本当に行って お宝を探しに行くと
その女優とスタッフが
ガチで探してくるお宝を
探しに行ってすっごくくたくら って泥まみれになって
で宿に戻って一晩も過ごすっていう
宝あるのかなっていうのもある わけ
なるほどね
それは面白いなと思った
確かに観客も一緒にお宝を探した 気持ちになるかもしれないけど
その後の夜に力が入る
ちゃんと夜の宿で疲れた気分になれる
そうそうそうそう
そこがオールフィクションであった としても
一気に観客がフィクションが溢れてる 時代にもあるから情報的に
そこに対してどうそこが
切迫感を感じることをコミットしていくか
っていうのになったら
割とプロレス的な要素が必要なかもしれない
だからでもM-1もだってさ
アナザーストーリーとかの方に
すごい力を入れてるじゃん
お笑い芸人がお笑いについて話すみたいなの
だからバラしすぎても良くないのかもしれないけど
なんかそれが今
余計盛り上がるコンテンツを
作れたのかなって感じは
山内の演劇とか聞いてる限りだと
作品の中での物語の作り
物語のフィクションの立ち上げ方だけど
アナザーストーリーとかは
キャラクターの漫才のメタ以外
外部の個人としての物語の交換ではあるんじゃないかな
あれはもうちょっと違うんだと思う
あれってあちこち踊りと一緒で
仕事論なんだよね
だからどっちかっていうと
多分普通にビジネスパーソンが
そうかこうやってマーケティングすればいいのか
って話とかに近いと思う
自己プロデュースデザイン
そういうだから
箇所分時間さえも
そういうネオリベラルズム以降だと
そういう生産性の話に結びついちゃうみたいな
話だと思うから
だからそういう仕掛けを施すのも
どこまでやるかってことになって
むずくなってくるよね
作品の
例えば山内の演劇とか
天口龍介とか
作品ができる仮定っていうのを
入れ込んでいくっていうのは
すごいリアリティ
切迫感を担保する上で
すごい有効だと思うけど
そういうのがそれこそ
当事者性の表現
そういう
なんていうのかな
単純にアイドルがさ
風呂上がりの自撮りとか
載ってるじゃないですか
ブログに
怖くない?
だって風呂上がって
今から寝るかと思う前に
ファンのために自撮りしとかないといけない
パーソナリティを消費してくっていう傾向
にも安易に結びつきかねないっていうのは
危ないところではあるんじゃない?
単純な
遠いものの
遠くにある
ディスプレイの奥のフィクションとして
アイドルとか個人っていうものが
そこのリアリティ
切迫感を保管するために
風呂上がりの自撮りだったり
劇場の裏の芸人で
楽屋の芸人だったり
っていうところを
撮る方向に行く
36:00
キムタクがさ
YouTubeやってるんだけど
すっごい悲しい勢いだと
キムタクのYouTubeって
キムタクがガスと言ってるとこ
映しちゃってる
キムタクのプライベート
キムタクのプライベート見ちゃってる俺
特にジャニーズはSNSもやらないし
ジャニーズじゃないスマイルアップね
旧ジャニーズ
旧ジャニーズは特にSNSもやらないし
YouTubeもやらないし
っていうリアリティの無さの
最後スター
キムタクとか俺ら
どうなの?スターって
確かに俺ミノミア・カズナリが
Twitter始めた時に
俺の2000年代、10年代くらいの
フィクションが崩壊して
崩壊してる
すごいわかる
スターはね
スターは
スターはいないよね
いない
そういう意味で
逆にそこのグロテスクさ
みたいのがあるじゃん
分身とか声優の結婚
VTuberの私生活
とかっていうのは
切迫感がより生まれてしまうことの
グロさみたいなことも観客は感じてるんだ
完璧にそういうところが
切り離されて欲しい場合と
そこを生むことでリアリティを担保する場合もある
はいはいはい
スターだからいないよね
そういう意味だからやっぱ
いないね
スタッフ材なのは
府県の創出ってこと?
いやそうだと思う
中心的な物語よりも
もっと身近なものなんだよね
風潮が備わってるもん
どんどんだってさ
それって普通にさ
松田聖子とのみさかの違いって
話なんじゃない?
1人じゃなくて集団の中で
自分がコミットする個人の物語を
見つける
どんどん近づいてきたもんね
昔ってさYouTubeだったじゃん
可愛い女の子ぶりになってテレビだったじゃん
アイドルだったじゃん
年寄り子ってYouTubeになったじゃん
YouTuberって自分の部屋で動画撮ってみたいのが
今はショート動画でさ
マジで生活の中で撮ってる
可愛い女の子を見るようになったじゃん
俺がデジタル的に見せるわけじゃないから
俺もう
お前のアルゴリズムだな
でも可愛い男でもいいけど
あとギター弾いてる上手い人とかでもいいけど
どんどんテレビの向こうからさ
ディスプレイの中で近づいてきてるじゃん
それもインスタグラマーとかもそうだよね
普通の綺麗な人とかね
俺もよく分かってないけど
だから
このおじさんがインスタグラマーとかもそうだよね
綺麗な人とか
二光芸かなって言っちゃったけど
そうそうそれ怖いよね
ずっと怖い
自分もショート動画上げなくちゃいけないのかな
あとそういうところと自分の距離も近づいてると思う
どんどんどんどん
多分よく言われるけど
多分2000年代のルッキーズももっと進んでるし
そういうところでね
それは加工の話もあるんだけど
でもそこ難しいよね
加工されてるんだよ
そこには加工が補足されてるって
距離としてはどっちなのそれは
39:00
でっかくて
張りごてなんじゃない
近くて張りごて
だから逆にこう
遠近感がないんじゃない
平面的になる
そう平面的になっちゃってる感じがする
松崎もよく言うけどさ
バイトの休憩時間とか
俺は別に見ないんだけど
TikTokとか見て過ごしてる人とかいるじゃん
最近気づいたんだよ
TikTokがあんな字幕ついてるのが
音なしでも見れるから
バイトの休憩時間
全然関係なくなっちゃった
いや
あれ見るとだからさ
やっぱり
生活がこう
咳立てられて
埋め立てられていく感じ
自分の世界がどんどん逆に
平面的なもので囲われてる感じ
そうそう
っていうのは普通に
自分の話ですけど
流れ見て
風景の喪失みたいな話だなと思って
でもさそれってさ
お前の社会にコミットしすぎなんじゃない
いや俺は別にしてない
見てるとみんなそうだなって思う
俺は自分がね
社会にコミット全然してないんだなと思う
TikTokが見ると
社会があって安心するなと思う
TikTokを見ないときに俺って
社会じゃなくて自然に接続されてるからさ
どっちかっていうと
TikTok見ると
安心感がある
関係ない物事がそこに起きてる
関係ないっていうか
関係ないとかないな
自分が
干渉しえないことが起きてるってこと?
社会じゃなくて接続されてる
社会じゃなくて
接続されてるだけ見えるみたいな
接続されてないと思う
そのことないじゃない
山淵は社会に接続されてる
アホ質問だ
でも
また自分の作品の話に戻るけど
ウサギの
最初にウサ耳帽子を
かぶって役者が
ピンク色のパンツを履いて
っていう衣装でやってくるんだけど
やった子は
俺の彼女なんだけど
本当に着てる衣装はウサ耳帽子をかぶって歩いてる
そうそう
俺も沖縄から
東京来た時に街歩いてて
なんか歩きづらくて
パンツとか欲しいなって
キャップかぶったり
装着品も付けないと歩けない感じがして
でもそれって
どっか自分をキャラクターに落とし込むことで
社会にコミットしようと
してるんだなと思って
フィクションを作ることによって
逆に社会に参加しようとしてるんだなって
すごい思って
自分に加工を残して
そうなると難しくなってくんない?
画面に近づいてくる
来るさ
そこで加工されてるんでしょ
だから社会に
コミットするための加工ってことじゃん
それが近づいてきてるって
距離感どうなってんの今
いやでも多分
そういう
42:00
TikTokとかInstagramとかの
加工してる彼また彼女と
それを見てる
我々
僕が相互に
加工というコミットをして
相手にある社会に
接続してるんじゃないか
俺だって電車乗るとき普通の人間の
顔つきしてるよ
なんでお前が普段そんなヤバい顔してるの
俺よく電車で
自分の顔が窓に映るじゃん
家の鏡で見る顔つき違うんだ
でも例えばさ
ベッドでさ下着でさ
TikTok見てるときってさ
こっち無加工じゃん
ああそういう顔つき
それは気を抜いてるかどうか
加工されてる
それは気を抜いてるかという
プライベートの問題じゃない
プライベートの時間に関わってくるんじゃない結局そういう
TikTokとか
加工されてる
加工されてるものっていうのは
こっち側は無加工で見てない
はいはい
いろんなケースが
それってタイミングの問題じゃない
普通に
生活の中に入ってくるってことが重要だから
そうそう
加工されないように
見てるんじゃない
メンタルでやってるメイクだから
こっちがプライベートで
加工してない状態のときは
グロテスクなものが見れないんだよ
うんうん
結局加工されてるものを見る
加工されてるものが近づくっていうことの方が
楽なんじゃない
そういうこともなくて
いやでもさ
ゲームさ電車の中でしてるおじさんさ
自分の部屋みたいな顔をしてない
だからそれゲームだからだろう
ゲームっていうのも一つの加工された
TikTokを社内で見てる人も
一人の部屋にいるみたいな顔をしてないってこと
あー
だから見てる側は加工される
結局プライベートゼロにするって話なんだよ
だから
そんな立ち位置だったの
こっちが加工したときはあっちだって話じゃないの
だってお互い加工した状況で
対面するっていうのも
またコミュニケーションの正しい
加工位置と位置として捉えて
加工位置として捉えたときに
あ、位置で捉えちゃダメか
だから人が位置で
加工を見てる側とつけてる側で
例に本質に分配するの
いや俺は
ちょっと待って話整理していい
俺らしさ普通に限界があって
この話さ限界があって
なんでかっていうとさ
まずこっちが加工して社会に接続するパターンと
向こうが社会に
加工して接続するパターン
加工してないパターン
加工してないパターンって
2P2の4通りの
方向があって
全部が1通りに
まとめることはできないので
それぞれのケースで考える必要がある
俺は見てる側は社会のどんな場面においても
その時は無加工だと思ってる
うん
っていう松崎と
広都で
今加工されてないの
されてるの見てるとき
45:00
TikTokを見てる人は加工されてるの
いや加工されてないの
加工されてるTikTokを見てるの
加工されてるTikTokを見てる人は
加工されてないの
これもっとカサ上げるんだぞお前
2人とも加工してない
大丈夫かこのくらい
加工してないときに
向こうが加工してるか加工してないか
そうそうそう
加工されてるじゃん
向こうが
加工されてないっていうのは
前提なんじゃない
でもさそれTikTok見てるおじさんが
もし自分TikTokやりたいなと思ったら逆になる
そうそういうこと
だし
受け手と呼び手が切り替わる感じ
切り替えしちゃう
だし
対象化されてるじゃん
だしそのさ
個人とディスプレイだったらそうなるだろうけど
山内的に
社会に接続されてる
個人対個人だろ
街歩いてるとき
そういうときは互いに
普通の顔つきをしてるように
加工を必要とするって話
まとめました
そういうことですね
話ずれちゃったよ
山内の仕事の話から
山内の仕事の話から導き出された話だからね
それはそうだよ
結局お父さんが話を言ってるから
小説家が読んでる時間の中にしかないけど
それは初端に小説を読んでるってことじゃない
小説を読んでる時間から
離れた間にも考えてることが
小説なんだっていうことなんだけど
小島信に
小坂栄一がゴダールの絵菓子を渡したら
小島信が私は今小説を書いていませんが
この本を読みながら
何かを考えてるってことは
小説を書くことと全く同じだと思います
だからそういう意味で
今山内の演劇は
俺らの性の問題へと開かれてきたわけじゃん
まあそうだね
それはそうだけど
だからこれはこれで
俺これ悪いと言ってないよごめんね
そんなに
すごい俺が反撃してるみたいにならない
今さ
すごい捨てられてるみたいな顔しかしない
血走った目で
俺の方を見てさ
いつも
山内にバレちゃうよね
どんな顔で俺らが撮ってるの
面白いと思うけど
すごい重要な話だと思う
そういう意味で
個人と社会の対話の仕方
お互いのコミットの仕方
フィクションの中でどう
あくまでフィクションの中で
フィクションの中においてはどういうふうに
機能していくのか
フィクションと個人が
切り返しにあるから
健全に
成立するわけであって
パーソナリティ商品になってくると
個人と個人が切り返されちゃうから
不健全な状態というか
すごいこう
まあ単純にどんどん
息苦しくなっていくような構成に
シフトしていっちゃうよね
それはフィクションと個人というのもそうだし
48:00
さっきの
個人個人の話でいくと
例えば
俺とかが夜に
風呂上がりのアイドルの自撮りを見た時の
悲しが不健全ってことでしょ
怖いってことでしょ
だからお前も風呂上がりの自撮りして
アイドルのブログのコメントとかに
貼っつけるのが
対象化なんじゃない?
対象化なのか
ということで
後編へ続く
ということで今回は
ゲストの山内君に来ていただきました
ありがとうございました