1. おまえらわかってねえんだよなあ
  2. #16 俺の名前は江戸川チャンド..
2023-08-19 29:10

#16 俺の名前は江戸川チャンドラニ

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日本で一番インド人が多く住んでいる街(リトルインディア)とはどこか、皆さんご存知ですか?①日本で一番インド人が多く住む街、江戸川
②リトルインディアの立役者、チャンドラニ
③なんでもやりますチャンドラニ  参考にしたサイトはこちら↓ https://president.jp/articles/-/29322?page=6-------------------------------------------------------
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サマリー

彼はインドの文化が日本に広まっていった経緯について話します。西笠井にはインド人が多く住んでいる理由や、チャンドラニさんの活動についても取り上げます。彼はインド人が増え始めた理由や、IT人材としてのインド人の需要、そして西笠井でのインド料理店や食材店の誕生など、インド人コミュニティの成長と発展について話します。彼はまた、西笠井に住むインド人コミュニティの始まりから、リトルインディアの形成までを紹介します。そして、彼が駅前のインドカレー屋に行った際、出くわしたパーティーをしていたインド人たちの話も紹介します。彼はまた、地域には様々な異文化が存在し、それぞれの地方の特徴にも触れています。

00:03
やっぱり時代はさ、インドだね。インドかな?インドだね。インド、まあ流行りだよね。流行りでしょ。好きよ、インド。
ねえ、だって人口もね、世界一だしさ。そうだね。うん。RRRもあんだけ流行ったし。なーとなーとなーとね。
絵の木も見たよね?見たよ。あれよかったよね?いやものすごい好きだった。そうそうそう。いいね。初めてインド映画見たけど、めっちゃ好きだったよ。
ね。そう。あれさ、今度吹き替え版出るじゃん。あ、らしいね。今から出るんだと思ったけど。歌の場面とかどうするんだろうなと思って。
歌の場面とさ、あと言語通じないくだりあるじゃん。あー、あるね。なんかあの、姫みたいなのと。うん、そうね。あれどうするんだろうね。確かに。津軽弁とかでやる。
確かに、いろんなところで津軽弁出るし。まあ、個人的にあんま吹き替え見る方じゃないからさ。うん。そう、いや俺も見ないのよ、吹き替え。見ない。
でもなんか、あのー、結構有名な声優らしいね。あれなんか盛り上がってたね。そう、盛り上がってた。この人がやるんだみたいなニュースで見た。
気にはなるけどちょっとさ、3時間見れない気がするわ。そう、でももう1回見るってなったらやっぱり字幕で見たいなっていう気持ちはあるかな。
まああるあるあるはいいんだけど。そう、でね、そうだからリトル、今ね、日本におけるリトルインディアはさ、どこでしたっけ?
西笠井にインド人が多い理由
西笠井。西笠井ね。西笠井なんだけど、西笠井にさ、何人ぐらいインド人住んでると思う?えー、全然わからない。西笠井ってさ、え?笠井?
西笠井駅の周りってことよね?西笠井駅周辺。でもまあ、あれだね。笠井も多分込みかな。俺が見たデータだと。うーん、全然人口わかんない。5000人とか。
あー、あのー。2000人いっちゃってる。超えてきたね。あ、ごめんなさい。4000人だって。あはは、ごめんね。ちょうどいい感じに言っちゃった。
4000人、そう。まっとうに超えてきた。4000人なんだけど、まあ日本で一番多いわけよ。インド人が。人口密度が多いんだもんね。そうそうそうそう。圧倒的に多いと思う。
で、じゃあそもそもなんで西笠井にインド人が多いんだろうと思って。うん。調べたんだけどさ。うん。なんで多いと思う?全然わからん。西笠井でしょ?そう。降りたことないからな。
まあでも笠井もトントン言うんですよ。海が近いじゃん。うん。インドって海にいっぱい名してるじゃん。そうだね。しかも形もちょっと似てない?笠井と。ほら、笠井周辺でさ。日本をさ、上から見た時にさ、ちょっと笠原辺ってさ、多分この辺に住んでない人にはわかりにくいけど、あのー、下に三角形みたいな形でさ、若干、若干突き出てるじゃん。そうだね。確かに。
インドってさ、上から見た時にさ、下に三角形じゃん。ロクピーチーズみたいな形。だよね、だよね。だから、ちょっと地理的にね。ああ。もう。正解?やっぱりね。そう。いやなんか、そう。いやなんかね、実はこれ結構歴史があって。うん。何のために西笠井に来たかっていうと、実はインド紅茶を普及させるために来たっていうのが始まりらしくて。
へー。インド紅茶。ああ、飲んだわ。飲んだ?なんか、俺のさ、家の近くにあるインド料理屋さんにさ、行くとさ、待ち時間が長いんだけどさ、これ、うちから持ってきたんだよって。デリーのインド、あの、紅茶だよって、めっちゃ飲まされるよね。いいな。味違う?違う違う。違いますねって言って、若干違う。あ、若干違う?若干違う。若干ぐらいなの?若干ぐらい。正直そんな、ものすごい違うってわけじゃないけど、なんか、インドのって言われるからさ。まあ言われるとね、インドの紅茶の味かもってなる。そうなんだよ。確かに。
ちょっと茶居の風味がみたいな。そう。詳しそう。いや、まあそういうわけでね、今日はリトルインヤーについて話をしようと思うんですけれど。はいはいはい。お願いします。はい。
おままか!
で、まあ始まりとしては、1978年なのね。うんうん。まあ最近っちゃ最近。そうだね。前っちゃ前だけどみたいな。うん。そう。に、今回のキーとなる人物ね。うん。
ジャグモハンチャンドラニさん。誰だよ。ジャグモラニチャンドラニさん。ドラニドラニすんな。ジャグモハンチャンドラニさん。まあチャンドラニさんね。チャンドラニさんね。チャンドラニさんが1978年に来たんだけど。うん。
まあなんで、まあこの人がインド紅茶を日本に持ってきたっていうのが1978年なんだけど。うん。そもそもさ、その紅茶一つ持ってくるのに1978年ちょっと遅いっちゃ遅いじゃん。そうだね。ありそう。そうそうそうそう。で、なんでかっていうと、まあこの時別にイギリス紅茶自体はあった。うん。でも流行ってた。
でもなんでインド紅茶として持ってこれなかったかっていうと、1971年まで国内産の保護を目的として、あの紅茶の輸入が制限されてたらしくて。へー。そう。日本でね。日本で。うん。そう。だからあんまり海外の紅茶を入れないようにしてたみたいな。うん。のがあって、っていう中で、まあチャンドラニさんはあの1978年だからもう解禁されてて。うん。まあインド紅茶を日本に広めようと思ってきたんだけど。うん。
まあやっぱり当時の日本だと紅茶といえばイギリスっていうのが先に立ってるから。うん。まあ紅茶だけじゃなくてカフェとかレストランとかそのものをプロデュースしてインド、インドというものをまあ広めていこうみたいな。ほう。のを考えて。うん。で、すごいのは結構食器とかテーブルクロスとか。うん。提供の仕方とかまで結構考えたらしい。へー。すごいねチャンドラニさん。そうチャンドラニ覚えたじゃん。覚えた。そう。
西笠井でのインド文化の広まり
っていうのが始まりで少しずつこのまあインド紅茶はさっきのえのきみたいに。うん。ちょっとなんか違うねみたいな。うん。認めてくれる人も増えていったっていうのが始まりなんだって。うーんそうなんだ。そう。これが一番のスタートなんだけど。うん。まあそれだけじゃさすがに西火災に人が住むっていう理由にはならない。確かに一人が住めようってなってるだけでね。そうそうそう。あそこまで理由じゃないもんね。そう。のともっと言うとこの来日した時は場所書いてるんだけど多分西火災ではないので一旦来たっていう段階では。おー。そう。
で、どっからこの火災につながっていくかっていうと日本でその紅茶がさ、さっき色々こだわったのもあってうまくいき始めるとそれなりの倉庫が必要になってくる。うん。わけよ。で、まあなるべくさ都内近くの方がいいじゃん。そこで見せ出したいから。うん。なんだけどまあちょうどいい場所がない。うん。っていう時に当時その火災駅の手前に新しい駅が東西線でできますっていう計画があって。はい。それが西火災駅。うん。
で、じゃあこの西火災っていうところに出そうっていうことになったらしいんだけど。うん。で、なんかね当時の、当時のっていうかその当時を振り返ったちゃんどれのさんのコメントがあるんだけど。うん。荒川を渡った火災駅の手前です。ほとんどサラチでしたよ。インド人どころか日本人だっていない。わずかな農家ではレンコンやコマツナを栽培していましたね。それから沿岸部ではノリの養殖っていう風に言ってて。へー。そんなに田舎だったんだと思って1978年。いやほんとに。
だいぶじゃん。高度経済成長。え、そうそうそうそう。母親世代は別に暮らしてる。そうだよね。そうそうそう。時代なのにさ。うん。とか。で、まあなんかこれって実はその火災にはあの白子ノリっていう会社あるじゃん。そんなさ、あのー。火災にはあるじゃんっていうぐらいの常識かよ。火災にはっていうか白子ノリって結構ある。俺は有名だと思ってたんだけど。へー。おいしそう響きは。そう。なんかまあ要はノリの会社だけど。うん。それの本社が火災に実はあって。うん。で、まあこれ前提としては
前提がなかったから。知らねーよ。知らない地方局見たときに言ったじゃん。そうなんだけど、まあノリの養殖で元々有名な場所。だから元々海でしたっていう話で。うん。そう。で、戦後までは割と島が点在してたレベルの。へー。とこだったらしいよ。あ、そうなんだ。そう。で、陸地の部分も湿地帯が広がってて。うん。水害が耐えないみたいな。ふーん。うん。そんな感じだったんだなーと思って。ね。そう。っていうまあまあ火災だった。まあ確かにさ、隣の浦安とかの方。うん。で、何回か仕事したんだけど。
あの辺の埋め立て地の割合って結構多くて。うん。6割だっけ?かなりの割合を埋め立て地なんだよ。あー。だから。浦安ってそのイメージある。確か。そうそう。昔の地図見るともうほとんど陸なくて。あー。ないんだじゃん。全然。そうそうそう。マップ上にね。うん。完全に海。あー。だからこの辺もある程度そうだったんだろうね。だろうね。まあで、その火災の開発が、まあ元々さ、その海とかさ、蓮根とかしか栽培してない田舎がさ。うん。開発が始まったっていうのが1972年に。うん。火災予期の開発事業っていうのが。うん。
始まって埋め立てが進んだっていうのが始まりだった。へーそうなんだ。そう。で、まあそっから、そのタイミングであの火災臨海公園もこの計画に沿って建設したんだって。
うーん。なるほどね。そう。っていうのがまず始まりで。うん。で、まあ西笠駅ができますよってなったんで。うん。駅の他にあの倉庫とか。うん。
トラックのターミナルとかも作ることになった。西笠駅。うん。っていうのがあって、チャンドラニーさんはじゃあもう西笠駅に引っ越しをしようって言って。うん。
住み始めたっていうのが一番の西笠との始まりね。うんうん。そう。で、ただそっから20年ぐらいは西笠はもうチャンドラニーさんこそ住んでたものの。うん。
外国人にはほぼ縁のない場所。うん。だし、1998年ぐらいまでは西笠にはインド人4世帯しか暮らしてなかった。へー。20年ぐらいで。そう。へー。全然だね。そう、気合い入れて引っ越ししたのに。ね。4世帯ぐらいしかいなくて、だから全く今の状況とは違うわけじゃん。うん。
で、ただそのインド紅茶のビジネスはだいぶ好調だったから。うん。1981年にシャンティ紅茶っていう会社を作って。うん。で、もうホテルとかカフェとかレストランとかデパートとかを経営してっていうような
事業としての広まりは1998年至るまでも結構してたの。うん。そう。で、ただその日本に来てるインド人もほとんどの人が貿易の関連とかチャンドラニーさんみたいなレストランの経営とかぐらいに留まってて
オフィスとしての西笠井
まあ低成長の時代、あまり広まっていかない時代。うん。だったんだけど、そのさっきさ、1998年まで4世帯ぐらいだったって言ったじゃん。うん。でも1999年になると
インド人が急に増え始めたって言ってて。うん。どんぐらい増えたの?何人かわかんない。いっぱい増えたって。うん。そう。で、なんで増えたでしょう?
1998年にってことだよね。99年から増え始めた。99年から?うん。なんかあったかな?そんな国的な事業みたいなのもあんまりその辺うといからさ。うん。わかんないけど。
なんかね、国っていうか割とグローバルの問題かもしれないけど。グローバルの問題?そう。1999年というか、まあ99年が大事っていうか、2000年の手前っていうのが大事。
あの、ノストラダムスの大予言。あ、それもあった。あ、それもあった。それもあった。そう。でもそれはあんまりインド人を呼ぶ理由がない。
そうだよね。インド人、えー、世界的な理由でしょ?そう。2000年の手前。そう。で、あとまあインドっていうのも結構大事。
なんか戦争とかあったのかな?戦争じゃないね。じゃない。そう。
オリンピックとか?オリンピック?別にインドとかではなわれてないよね。しかも日本で開催してないしね。そうだね。
万博とかも違うよね。違う。どっちかっていうと結構のっぴきならぬ問題みたいな。のっぴきならぬ問題。逆にインド人ってどういう特性を持ってるかっていう。
なんかインド人が必要だったわけよ。あー、なるほどね。そう、日本に。日本にインド人が必要なわけ?その頃は別にITってわけでもないでしょ?
いや、それがITってわけだったのよ。あ、そうなの?そう。俺知らんかったんだけど、その頃からITといえばインド人だったらしくて。へー。
で、なんでじゃあ2000年の答えを言うと、2000年問題ってさ、知ってる?知ってる知ってる。2000年問題で一応説明しとくと、2000年になったその瞬間に世界のコンピューターが誤作動するんじゃないかっていう問題があって、
で、その大体のコンピューターが西暦の下二桁でデータを処理してるから、97年だったら97でいけるんだけど、2000年になると00になっちゃうから、これが1900年と誤認されて、いろんなシステムが止まっちゃうんじゃないかっていう懸念があったっていう話ですよね。
で、それで慌てた日本人が、ITといえばインド人だからで、インド人の技術者をどんどん呼んだっていう。へー、そうなんだ。
ことが、そもそも日本にインド人が来始めた、ある程度の数っていう始まりらしい。そうなんだね。
そう、そもそもさ、俺この頃のさ、そもそも3歳だからわかんないけどさ、インドといえばITみたいなさ、なくない?
そう、今でこそあるけど、当時からあったんだっていうのは意外だったな。
ね、なんか結構不思議だなと思ったんだけど。
それでともかくインド人がどんどん日本に来るから、行き始めたら、まあそのIT人材として呼ばれてるからさ、
観光庁とか銀行とか大手企業とかまで都内で働き始めて、ってなるんだけど、まあその時にカサイに臨時のマンションっていうのが与えられたんだって。
へー。
西カサイか、西カサイに与えられた。で、まあなんで西カサイに来たかっていうのは、さっきのチャンドレニさんと割と同じような理由で、
土地が空いてるとかっていうので、なんか結構多分この時の西カサイとかが注目されてたらしくて。
うーん。
で、まあただ、そのみんな生活には困ってたらしくて、で、そのマンションをね、そのちゃんと国としてさ、IT人材が欲しいですって呼ばれた人はもちろんマンションを買い与えられてるんだけど、
だからその人たちはいいわけよ、最初に来た人は。でも彼らに憧れてきただけのインド人っていうのもいるらしくて。
あーなるほどね。
で、一旦来たけど、住むところがないっていうので、生活に困ってるって人たちがいたんだって。
うん。
っていう中で立ち上がったのが、チャンドラニ。
ほう、そう。ここで立ち上がる。
そう、困ってるインド人を見過ごせないからっていうので、そもそもやっぱチャンドラニさんはさ、独学で日本語をマスターして、日本の文化とかを、もうだって1900、2000年の時になって、もう日本来てから20年、22年ぐらい経ってるから。
そうだよね、ずっと前からやってるもんね。
そう、だからもうだいぶ、もうこの火災では名も知れたインド人みたいになってて、信用があったから、だから例えば、まあ人の家賃払うぐらいは結構できたらしいのね。
うん。
で、なんか結構書類とか用意して、で、まあチャンドラニさんが言うならぐらいで、いろんな人をこう住まわしてあげたりしてたらしいんだけど、でもなんか、結構保証人ってどうするの?みたいな話になったらしくて。
っていう時にも、チャンドラニさんがわざわざ自ら、いやじゃあ、奥さんとかに内緒で、僕が保証人になりますって言って、いろんなインド人の家の保証人になったわけですよ。
すごいね。
すごくない?
英雄っぽいね。
インドの父っぽいよね。
確かに。
うん、そう。で、そこまではまあ、だから住み始めましたってとこはいいんだけど、で、次にチャンドラニが思ったのは、みんな住み始めたのはいいんだけど、次に何が大事かって、何が大事だと思う?
インド料理店の誕生
仕事じゃない?
そう、でも仕事は一応みんな、東京とかで働けたらしいの。
あ、そうなんだ。
そう、昼間は。
仕事はある、食べ物か。
そう、だから次は料理ですってなって、さすがだね。昼間はみんな都心で働いてるからいいんだけど、なんか、で、都心の方には一応インド料理屋っていうものがあったらしいんだけど、西笠井の方って、もともと蓮根畑だったって言ってるぐらいだから、結構何もなかったらしくて。
うんうん。
そう、で、インド料理食べれないって別にふるさとの味ぐらいの話だからいいんだけど、結構ベジタリアンの人が困ったらしい。
あー、うん。
そう、その時ってあんまないじゃん、ベジタリアン用の料理とか。
そうだね。
そう、で、なんかみんなで調理しようとかいろいろやったんだけど、チャンドラニさんも料理は素人だから、うまくいかなくて、っていう時にチャンドラニさんはインドからプロを呼んだんだって。
へー、すごいね、発想がすごいね。
で、作っちゃえって言って、で、西笠駅の近くの和食の店が店じまいするってなったから、そこを居抜きで借り上げて、インド料理屋を出すことにした。
全然関係ないんだけどさ、最近仕事行ったところでさ、府中本町かな?の近くの和食料理店、完全に昔からあるカッポーテみたいな見た目をしたインド料理屋さんってさ、
それってやっぱりこれじゃん、同じ流れやん。
カウンター席にさ、わかるかな?
あの透明なやつ?ところあるじゃん。
あそこに何が入ってんの?
うまくやってよ。もうちょっとうまくやってよ。
っていうところがあったから、今も受け継がれる分じゃないかな。
始まりは一緒だよね。
そう、で、まあなんか居抜きで借り上げてっていうので、で、店名もなかったけど、
これが、隅田川から東では日本初のインド料理店なんですって。
へー、ちょっと微妙な範囲のね。
で、ちゃんどれんさんが胸を張って売ってたらしい。
これインタビュー記事から撮ってるんだけど。
っていうのが、今やね、日本人にも大人気のあのスパイスマジック軽かった本店の前身となった店だった。
あ、あのスパイスマジック軽かった本店の前身になった。
そう、あのね、どこだよ。知らん。
そう、なんだって。
で、まあそのインドの人材とか技術とか、日本で信用されてきましたねっていうので、
2000年問題のためだけに初め呼ばれてたらしいんだけど、
そっからその、まあインド料理店とかの働きも含めて、
いろんな働きを見て日本企業から新規の案件が次々と持ち込まれるようになってきて、
どんどん定着していったっていう、そこはいい流れなんだけど、
ただ、また問題が起こって。
で、ちゃんどれんの今度奥さんが言い始めたんだけど、
あんた毎日外食してんのって言われたらしくて。
へー、今さらって。
そうだね、今さらだね。
で、ちょっとハッとしたらしくて、
食えるところはできたけど、外食ばっかりじゃちょっとってなって。
うーん、作れないから。
そう、だから食材店が必要だって思ったんだって。
インドの家庭のぬくもり
で、今度スパイスを始めて、
で、なんかいろんなインドの食材とかを輸入する食材店っていうのを作って、
で、まあそれをもとに奥様たちが腕を振るうっていう、
そのインドの家庭のぬくもりみたいなものが西笠井にやってきたっていう。
へー、なるほどね。
で、なんかそこまで行くと食はある程度満足してたんだけど、
今度なんか結構古き良き日本みたいな働き方だから、
旦那の方はIT人材として呼ばれてるから働くんだけど、
奥様家にいるわけじゃん。
で、スパイスもあるから料理はできるようになったけど、
さすがになんか暇っていうかさ、家にいるだけだとってなるから、
で、今度はチャンドラニさんが旦那が働いてる間寂しい思いをね、奥さんが知ってるだろうからっていうので、
インドのテレビ番組を引っ張ってきた。
なんでもするやん。
で、なんかその、香港ではインドの映像が流れてるらしくて、
その電波をどうやって届けたか知らんけど、日本に届ける仕組みに変えたんだって。
関係ないけどそういうことってあるよね。
なんかさ、俺ちょっとだけオーストラリア行ったじゃん。
ああ、行った。
あの時に結構驚いたのが、国内だけの番組しか映んないっていうのが珍しいんだなってことを知ってさ。
逆に?
そう、例えばさ、もちろん規制とかはあるんだけど、中国とか韓国で見れるテレビ局ってさ、
多分隣の国のやつまである程度見れるのよ。
チャンドラニさんと西笠井
中国が韓国の見れるかは分かんないけど、例えばオーストラリアで見れるやつも他国のやつも見れるのよ。
うーん。
だからさ、その時は台湾人とかさ、中国人もいたかな?の人と話してたんだけど、
他の芸能人とか知ってるのよ。他の国の。
ああ、そうなんだ。
それがまあ、言ったら世界的に有名なみたいなのかもしれないけど、
それが俺が聞いたのは中国人のアーティストだったかな?をインドネシア人の男から教わって、
どこでも有名だよって言われて。
でもなんで有名なのかなと思ったらさ、そもそもそういうテレビ番組が見れるらしいね。
確かにそうだよね。じゃないと知らないもんね。
逆にさ、日本がこんだけガラパゴス化して、日本の中しか知れないっていうのはさ、
日本の中でのコンテンツがこれだけ充実してるからなんだなって逆に思ったよ。
逆にね。
そう。逆に国内でコンテンツがそこまでないから他国のやつまで見れるようになってるけど、
はいはいはいはいはい。
日本だと十分に自国の中だけで見れるコンテンツがあるから。
なんか近い話をさ、韓国の人にさ言われて、
韓国って全然アイドルはいるけどバンドがないらしいの。
で、本当にスリーピースバンドみたいなやつが全くないから、
だから日本のバンドのこととかめちゃめちゃ詳しくて、
でも逆に日本って海外のバンドとかめちゃめちゃ出てるのは知ってるけど。
知らないよね。普通のやつって。
西笠井のリワリフェスタ
だから逆にさ、日本ってこんだけ世界が見れてないみたいに言われるけどさ、
日本の中でコンテンツがこんだけあるから、
見なくてもいいような環境でいるんだろうなって。
逆にね、そのうち見ないといけなくなっちゃうかもしれないけど、
今は別に責められる理由ではないのかもなってその時は思ったよ。
そうだね。なんか知らねーよっていうのが責められるあれではないね。
そうそう。コンテンツが十分にあるっていう。
確かに確かに。
そう。もうむしろね、豊かなことだよなって。
そうなんだよ。思ったよ。
っていう全然関係ない話だけど。
いやいやいやいや。確かに。
なんだっけ?
電波引っ張ってきた。
そう、テレビが見れるようになったよ。
運動映画じゃない。
テレビ引っ張ってきたっていう。
そう。で、その後、今度そこまで行ったらさ、
もう奥さんと旦那はいいんだけど、子供も生まれるからさ。
そうだね。
ってなると次に必要なのは何でしょう?
え、子供番組見れるからな。
え、でもおむつとかって一緒じゃない?
あ、おむつとかね。そうだからおむつとかは別にいいの。
そうだよね。
物はあるから。
輸入食はいらないね。
子供の生活としてちょっと考えた方がいい。人生として。
人生として?
服とかってこと?
服も買えるっちゃ買えるじゃん。
まあまあインド人用の服はいるか。
うん。確かに。
着物を着せるわけ?
見せるには着物着てねーよ。
インド人としてね。
確かに服の話全く出てこなかったな。
え、額に埋め込む石がねーみたいな。
違うよ。違うよ。
学校だよ。
なるほどね。
そうそう。インド人用の学校が必要ということで。
まあ日本人用の日本人学校って海外でもあるからさ。
同じ感覚でそのインド人学校が必要っていうので
西笠に作ったのって。
へー。
チャンドラニが。
あ、そうなんだ。すごいね。今もあるのかな?
今もあるんじゃない?
多分。
インド人用の学校っていうのがね。
そう。
で、なんかヒンドゥ語と英語で教育をやるんだって。
へー。
で、あとは教育があったら、その延長線上だけどさ。
祈りの場がいるっていう宗教的な話があるから。
で、ヒンドゥ教の寺院とかをこの船堀。
笠井の近くだけど。
に作って、で毎日礼拝。これ未だにやってるらしい。
日曜日は本当にインド人でめちゃくちゃ混んでるらしい。
あ、そうなんだ。
そう。
で、こういうふうにチャンドラニさんが作ってたコミュニティのおかげで
どんどんやっぱり西笠にインド人が増えていって
レストランとか食材店もどんどん出てきてみたいな。
で、なってて、その中でリワリーができないかっていう声があがったらしい。
リワリー?
そう。リワリー。
リワリー?
そう。
なんだ?リワリー。
リワリー。
スポーツ?
ぽいよね、名前は。
これはヒンドゥ教の新年を祝うお祭りだって。
へー。
そう。だからそのリワリーをやりたい。
まぁそんだけ人集まってるからね。
ってなって、で、なんかね、もともとその本国だと
あれなんだって、爆竹とか鳴らす系の光の祭典って言われるらしいんだけど。
っていうので、そこまではできないけど
その区民会館を借りてお祭りをするっていうのが江戸川区民会館?
へー。
を借りて、で、初めの年は30人ほどだったけど
3年後には300人ぐらい参加するレベルで。
すごい。
そう。っていうので、西笠を代表する巨大イベントに化していって
今では東京リワリフェスタと呼ばれて
インド人だけでなく日本人も含めて5000人以上集客してる。
リトルインディアの形成
へー。すごいね。
そう。で、2018年で19回目を迎えて
毎年10月の西笠祭、10月なんだ。
毎年10月の西笠祭の風物詩らしい。
あれ?見た?
え?
行った?
行ってない。
おい。去年行ったのに。
行かねーよ。
そう。で、もうだから在日インド人の父として呼ばれてるんだって。
あ、そうなんだ。
そう。チャンドラニさん。
すごいね。
そう。で、今江戸川インド人会の会長も務める。
あ、まだご存命?
まだご存命らしい。
あ、そうなんだ。
そう。すごいよね。
すごい。
っていうね。
で、しかも、そのチャンドラニさんの会もあって
2019年の4月には、江戸川区政に対してで
西笠祭に15年ほど住んでて
日本人に帰化したっていう
プラニク・ヨゲンドラさん
ヨゲンドラさん。
ヨギさんって名前になったらしいんだけど。
ヨギ。
そう。ヨギさん。
ヨギさんが区議会の議員選挙に立って
で、当選したの。
だから議員になった。
すごい。
そう。江戸川区も。
あ、そうか。帰化してるからね。
そう。帰化してるから。
なるほどね。
っていうね。
そのチャンドラニさんから始まって
うん。
まあ、ここまで繋がってるっていう。
繋がってリトルインディアになりましたっていう。
へー、そうなんだ。
そう。
ちょっと行ってみたいな。
西笠祭ね。
うん。
インドカレーが食べたくなった。
インドカレー食べたくないね。
めちゃめちゃ面白いね。
そう。
なんかさ、IT系なんだろうなっていう
なんかパッて思うじゃん。
なんで西笠祭多いんだろうと思って。
だけど、こんな始まりがインドカレーでとかさ
あんまり思いもしなかったし。
あと、チャンドラニさんがこんなにいろいろやってるとも思わなかったし。
確かに。
そう。っていうね。
なるほどね。
なんかさ、各国、日本もそうだしさ
さっきオーストラリアの例出したからオーストラリアもそうなんだけどさ
各国で今でいうリトルインドみたいな感じでさ
リトルチャイナとかさ
あるね。
リトルジャパンとかさ
うん。
あるじゃん。
うん。
でもさ、例えば海外のオーストラリアだとさ
シドニーの中にリトルチャイナっていう中国人街があって
で、ブリスベンっていう北の街だとさ
日本のフェスタがあったりするのよ。
ジャパニーズフェスタあったりするんだけどさ
結構、逆に日本にもさ
例えば歌舞伎町でなんかコリアンの集団があったりする
そういうさ、各人の街ってあるけどさ
その街の多さがさ
結構マフィアとか悪い人っていうのが
多いイメージで調べてる限りだったね。
あ、そうなんだ。
そう。だから治安もどちらかというと悪いイメージだね。
俺の中ではね。
だけどそういうさ
チャンドラニさんみたいなめちゃめちゃ立派な人がいると
別に西笠井が篠本治安悪いってイメージは俺なくて
いや、はないわ。
だよね。
だからすごい健全な街ができるんだなと思ってね。
確かに。
やっぱりそういう作る人が
ね、いい人だと
そうね。
もう街の印象
今に至るまでの街の印象も全然違うんだなと思ったわ。
うーん。
そうね。
うん。
逆に治安の悪い歌舞伎町とか思えば
そうね。
多く似柄が知れるってのがね。
歌舞伎町マジで治安悪いもんな。
ね。
うーん。
っていうね、ことを思いました。
そうね。
そう。
っていうね、あの
笠井にインド人が多い話でした。
なるほどね。
実際に今はいるのはさ笠井駅の方で
うん。
そんな正直インド人めっちゃいるなって思ってないんだけど。
めっちゃいる感じじゃない。
でもあの先々週かなんかさ
一緒にえのきと撮った後さ
インドカレー屋でのインド人パーティー
一人で駅前のインドカレー屋行ってさ
うん。
で、中入ったらさ
パーティーしてたインド人が。
あ、そうなんだ。
そう。
なんか俺普通のテーブル席みたいな方案内されたんだけど
ちょっとブースが二つ分かれてて
奥のなんかバイキングコーナーみたいなとこあって
うん。
そこで音楽かけてインド人たちが踊ってたからさ。
へー。
やっぱいっぱいいるんだなと。
あ、そうなんだ。
そう。
隠れてね。
そう、隠れてね。
なんで隠まってるみたいな。
面白いね。
それこそさっき言ってたインドのさ学校とかも
インターナショナルスクールみたいになってそうだよね。
いやそうだよねたぶんね。
今で言ったら。
ね。
ありだよねそれはそれで。
そう。
だからね。
ちょっとまあインドカレー屋も探したいけど。
うん。
西笠へも一回ぐらい行ってみたいなと思って。
いや行ったほうがいいね。
ね、近いのに俺も降りたことないし。
うん。
ね。
行こうと思ったわ。
うん。
まあじゃあ今度行ってみましょう。
うん。
カレー食べに行きたいな。
そうね。
うん。
カレー食べよう。
あっさり。
あっさり。
この長い歴史を聞いた後でカレー食い。
カレー食いで。
でも食だってね。
チャンドラニーさんも食を揃えに行ったから。
確かに大事だね。
食って大事だよ。
服よりね。
そうだね。
服より大事だから。
さっきの流れで言うと服より大事だから。
そう。
まあというわけで。
うん。
インドの話でした。
オッケー勉強になったわ。
うん。
うん面白いね。
そうそうそう。
こういう各地方に俺は正直そこまでさ。
地域の異文化と特徴
うん。
あのつばさに聞くまでリトルインドって呼ばれてることそんな知らなかったんだけど。
うん。
そういうのが各地方にいろいろあるんだろうね。
俺が住んでるのは今埼玉の方だけどさ。
うん。
それこそ川口市の中には。
あ、あるじゃん。
そうそうそう。
西川口駅とか。
うん。
わらびの方とかは。
うん。
えっと何人だっけ。
何人かが中国人かな普通に。
忘れちゃったけど。
いや、なんかね。
インドネシア人?
なんかそっち系だった気がする。
確かインドネシア人か。
そう。
そう。
が日本で一番人口密度が多いんだっけ。
うんうん。
みたいな話もあるしさ。
確かにそういうお店多い。
うんうん。
そうだね。
そういう、自分たちが今住んでるから近く分かるけど。
そうね。
うん。
各地方知らないところもいっぱいあるんだろうなと思うと面白いね。
そうね。
またちょっと調べてみたいけど。
うん。
ぜひ聞かせてほしいね。
ええ。
というわけで。
はい。
今日もお疲れ様でした。
はい、ありがとうございました。
お聞きくださりありがとうございました。
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29:10

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