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はい、オオワダ発声練習です。9月ですね。ちょっと涼しくなってきた感じがします。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日は、家族と非機能要件というテーマで喋ってみます。
なんか思ったんでね、ここ1日2日ぐらい、なんとなくこのことを考えていたので、その話をしてみます。
非機能要件の説明
まずは、非機能要件について簡単に説明しておこうか。
プロダクト開発に携わっている人であれば、見聞きしたことがある言葉だと思いますが、一般的ではなさそうですかね。
非機能要件。まずこの要件には、機能要件と非機能要件があって、
例えばそうですね、ソフトウェアのプロダクト、ブログサービスを例にして考えてみると、
例えば、自分だけが閲覧できる非公開状態でブログ記事を投稿できる、みたいなのは機能要件。
記事に対してコメントを投稿できるとかは機能要件と呼ばれるような要件ですね。
機能要件は客観的にその要件を満たしているかどうかっていうのが、ある程度明確にこの機能があるかないかって言ったときに、
あるとかないとかっていうのを明確に判断しやすいやつが機能要件。この機能があるとかないとかね。それが機能要件ね。
非機能要件はそうじゃないものということで、例えばブログサービスで毎日使いたくなるような雰囲気があるとか、
投稿したときに気持ちのいいトランジションとかがあって、投稿してよかったな、また明日も投稿しようってなるとかっていうね、
使い心地とかね、気分よく使えるとか、そういうあるなしをパキッと判断しにくいような要件を非機能要件と言ったりします。
今日はその非機能要件の話をするというのがこの後ですね。
家族に対するスタンス
今僕は妻と二人で暮らしていて、大和田家とラベルのついた家庭を運用しています。
僕が家族と一緒に暮らす上で、自分自身のスタンスとして持っているのが家族に機能的に依存しないように暮らすということですね。
これは別に結婚する前とかからこうしようと思ってたわけじゃなくて、とはいえ結婚生活がもうすぐ9年ぐらいになるのかな、入籍してから9年ぐらいになるタイミングなんだけども、
今自分の日々を立ち止まって見てみると、こういうスタンスを持っているなってね、後から気づいたこと。
これが家族に機能的に依存しないように暮らすということ。
つまりこれはどういうことかというと、妻が急に1ヶ月間フラッと旅行にでも行ったとして、フラッと1ヶ月間家を開けて帰ってこなくても、僕の暮らしがそんなに困らないということですね、機能的に依存しないというのは。
逆に機能的に依存するっていうのはどういうことかっていうと、例えば洗濯はもう完全にやってもらうとか、食事の準備はやってもらうとか、
あとは掃除、洗濯はもう任せてるから、その人がいなくなったらもう家がどんどん散らかっていっちゃう、みたいなのが機能を誰かに委ねて依存している状態。
だからその人がいなくなっちゃうとその機能が失われるから、完全に生活の中でそこは機能しなくなるということですね。
それが機能的に依存するっていうことだなと思っていて、僕はそうはならないようにしたいという気持ちがどうやらあるようだっていう話を今説明しました。
なんとなくね、誰かがいないと自分の生活の一部が機能しないっていうのは、自分的にはあんまりかっこよくないなと思っていて。
例えばね、何かハンディキャップがあって、どうしても苦手だからやってもらってるとか、あるいは逆に自分の得意なところでは周りの人をサポートしてあげるとかね、そういうもちつもたれつとか、
そういうのは全然いいと思うんだけど、自分はやればできることであれば自分でやったらいいじゃんと思っているし、わりと周囲の人に対しても自分でやれることは自分でやったらいいじゃん、苦手なことだったらお互いに相談しましょうみたいな、そういうスタンスなんですよね、どうやらね。
結婚生活を8年、9年やってる中で、自分はそれを心良しとしているらしいということがわかってきました。
妻との関係と非機能要件
なんでね、妻と仲良く暮らしてて、最近あのじゅんまみっていうね、僕と妻の会話をメンバーシップ限定で公開してるポッドキャストも始めたんだけれども、ああいうのを見てても、なんか毎日楽しく会話はしてるし、一緒に過ごす時間も結構多いんですよね。
出かけるときは大体一緒に出かけるし。なんで、まあどうでしょうね、自分で見て、まあ仲良く暮らしてる2人だなとは思うんだけれども、依存するのは良くないと、どうやら自分に対しては思ってるっぽい。
だよね。まあ依存、そうだな。別の言葉を探してみると、甘える、甘えるのは良くないと思ってるかな。なんかいるのが当たり前みたいにね、だんだん長くいってなっちゃうのは怖いなと思っているのもあるし、
まあなんとなく自立してたいみたいな。一人暮らしの時は一通り自分でやってたわけだから、まあそれぐらいはやろうよと思ってるところはあるっぽいんだよね、自分はね。
で、たまに、まあ年に1回も考えないんだけど、じゃあ実際妻がね、何らかの理由でこういなくなって、なんか一人で暮らすことになったら、なってもヘッチャラなのか、自分はヘッチャラなのかって考えるときがね、まあ年に1回ぐらいそういうことを急に考えるタイミングがあって、
まあ2年に1回というか、そうだな、たまに考えるときがあってね、近年ね、うん、そういうこと考えて、なんかね、考えてみるとね、全然なんかダメになっちゃう気はするんだよなぁ。
機能的に依存しないとかさ、なんか一人になっても生きていけるようにみたいなことを、そういうスタンスで生きようとはしてるんだけど、いざね、妻がまあ何かしらのね理由でね、いなくなっちゃったらね、まあ出てっちゃうかもしんないじゃないですか。
もうお前には付き合ってられんって言ってね、出てっちゃうかもしんないじゃないですか、明日にでもね、わかんないけど。まあそうなったときに、まあ機能はいいんだよ別にその、こういうことをやるっていうのは別に一人でもできるんだけど、うーん、まあね、寂しいよね、一人でね暮らすようになったら。
まあ妻がいなかったらね、こう、今ね、栃木県那須塩原市に住んでみたり、長野県松本市に住んでみたりっていう結構面白い生活をやってきてると思って、あの昨日もバーベキューやったりしてんだけど、まあ一人ではやんないだろうなっていうことは結構あるんだよね、出かけ遊びに行ったりさ。
それはね、思うから、だからその、非機能の方、だから妻がいることで、あの実現されている、非機能要件みたいなものがすんごいたくさんあると思って。
妻に対して、あなたがいないとダメなんだみたいに言ったことは僕はないとは思うんだけど、いないとこうなっちゃうっていうのはあんま考えないんだけど、あのいるおかげでこういうハッピーなことがあるなっていうのはすんごいたくさんあるわけ。
日々ね、楽しいしね、あと自分だけ、一人では見つけてこないなんか良いもの、コンテンツとかさ、まあ音楽でも映画でも、それをね、お互いにこんなのあったから一緒に見ようとか言ってみて、二人で感想をね、交換したりとかって、まあそれ一人じゃさ、なかなかできないから。
だからね、いざね、妻がいなくなったらね、結構ね、あの、一気に病気するレベルでね、なんか生活がカタカタになるんじゃないかなっていうね、気がしてますよ。
あんま具体性のない想像なんだけど、なんか一人でも生きていけるように心がけてますみたいな顔をしてる人ほど、いざそういう状況になったら、実はめちゃくちゃ精神的に依存してましたみたいなことが露呈して、日々がボロボロになるんじゃないかなと。
たまにね、そういうことを考えますね。まあこればっかりは、あの、何の具体性もない話なんで、まあいざそういう状況になってみないとわからないことですが、そういうことを考えたりしているので、今日は話してみました。はい。はい。発声の練習でございました。はい。また次回お会いしましょう。バイバイ。