2024-06-23 10:08

マーシャルが提示した2つの質問について

マーシャルが提示した「自分がお願いしたことを他者がやってくれる時に、その相手が言動する理由がどんなものであって欲しいのか」について話しました。 

 

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 参照: 

テンバ学校の冒険  P79 https://amzn.to/49XNh86 

1つ目の問い「わたしはその人に何を変えて欲しいのか」 

2つ目の問い「その人のどんな理由から、私はそれをやって欲しいと思うのか?」 

 

「わかりあえない」を越える P75 https://amzn.to/3pam4xA 

1つ目の問い「自分は相手に何をしてほしいのか」 

2つ目の問い「自分の望むことを相手がするなら、その理由はどのようなものであってほしいのか」

 

Youtubeにもアップしました🎥

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こんにちは、苅部ミュア智美です。 昨日、「テンバ学校の冒険」という本を読書会をしていたのですが、この3章のところを話していました。
その時に、3つのRという題で、1つ目のRが自分を敬う、リスペクト・セルフ。 2つ目のRが他人を敬う、リスペクト・アザー。
3つ目のRは、自分の感情・思考・行為に責任を負う、リスポンシビリティ。 この本で言うと79ページで、分かり合えないを超えるとかにも書いてあるのですが、
ちょっと読みますね。「教師として、私はかつてマンシャル・ローゼンバーグがトレーニング中にくれた2つの質問をいつも胸に抱いている。」これは教師としてというのは、この本を書いたキャサリン・カデンさんですね。
キャサリンはNVCの認定トレーナーでもありますし、NVCやその他の学びを活用して、ホームスクリーニングだったり、他の人と一緒に学校を運営・開催していた人です。
この本は、学校を運営していた時のエピソードなどが書かれている本ですが、2つの質問を胸に抱いている。「彼がくれた2つの質問は、暴力を回避すること、そしてこの生まれながらの能力を引き出すことに関わっていた。
その質問とは、私はその人に何を変えて欲しいのか。そして、その人のどんな理由から私はそれをやってもらいたいと思うのか」。
この2つの質問ですが、マーシュルがリクエストの話をするときに、この2つの質問を伝えるんですよね。何か命令して、強要してやらせることもできる。
その人に何を変えて欲しいのか。その人に何をして欲しいのかというのが1つ目の問いで。もう1つの理由が、その人のどんな理由から私はそれをやってもらいたいと思うのか。
自分がやって欲しいと思う行為を、どんな理由でその人がやってくれることを願っているのか。
この2つ目の質問を自分の中に持っていると、問いを持っていると、さっき言った強要とか命令ということが起こりづらくなります。
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どういうことかというと、私は子供が2人いるんですが、もう21歳と17歳で大きいので、あまり命令とか無理やり何かさせるのは難しいんですけど、
それでもお皿洗ってとか、猫に餌やってとか、というふうにお願いすることはできますよね。
今わざとこの言い方をしたんですが、それがお願いなのか命令なのかというのは、字面では分かりづらい。
もちろん何々やってって言っているので命令にも聞こえるんだけれども、家族間だとそういう言い方をしたりもしますよね。
その時に相手にしてほしいことを伝えているんだけど、2つ目の質問。
娘たちにどんな理由でそれをやってほしいのかというところが入ると、私が親で親の言うことは絶対やる必要があるという何々すべきというような考え方とか、
親が言っていることをやらないという選択肢はないというような考え方から、嫌なんだけどやる。
やらないと小事があってとか、母の機嫌が悪くなるからという理由でやる可能性もあるし、
母さんは今忙しくて私に頼んでいるんだなとか、そういえば猫の餌は私たちが担っているんだったということに思い出して、リマインドありがとうというね、そんな気持ちで助け合い。
いつも母がやっているけれども頼まれた。それをもちろん叶えてあげたい、貢献したいという気持ちからやったり、自分が担っていることをリマインドしてくれたんだなってありがたいなっていうね。
助け合いみたいな、お互いにお互いがサポートするみたいな世界観というか考え方、意識の中で、そうそうありがとう思い出させてくれてありがとうというような気持ちからやるということも可能性としてありますね。
なので選択肢がないとかやるべきだ、やらないとトバッチリが来るっていう理由なのか、それとも貢献だったり、私が担っているってそれこそ責任、先ほど責任という言葉も出たんだけれども、自分が選択してその行動をするっていうところから意識からやるのかっていう違いがあるよねっていうのをこの質問が振り出してくれているっていうのが読み取れます。
NVCではそのべきとか選択肢がないから渋々やる、従う、服従とかねいうふうにも言ったりしますけど、そうなったときに必ず代償だとコストって言ったりするんですけど、代償が発生するっていうふうに言うんですね。
どんな代償かというともちろんいろんな代償が考えられるんですけれども、一つにはその選択肢がないっていう無力感みたいなものにつながることもあるし、もしかしたらその後でいつもいつもそうやって私がしたくないことをやらせてっていうふうに反行動とか爆発とかいうことが起こる可能性もあります。
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いずれにせよ関係性が通じてる感じがないですね。イエス・ノーが言える感じがないとか、つながりの中にいるっていうふうになりにくいんじゃないかなと思います。それが代償ですよね。もう一つの方の本人の意思や本人が何らかのニーズを満たすために貢献をしたいんだとか、その意欲を持ってやるっていうふうになったときにはその代償が発生しにくいですね。
そして、私が例えばいろいろ忙しくて猫に餌やってって言ったとしたら、娘たちも私は私、試験の勉強してて今集中してるから、1時間後だったらできるけど今すぐはできないんだけどどうするっていうね、つながりの中、そしてお互いが知恵を持ち寄せて助け合うっていう、
共にクリエイティブに手段を考えるとか、競争をですね、共にクリエイティブする、クリエイトする、コ・クリエイト(Co-Create)っていうふうに言ったりしますけども、そんなことが可能になってくるっていう、
(身体が)キュッっとなって、やらなきゃいけないと言われてるから、やりたくないのに、もうさっさとこんなこと終わればいいっていう感じで猫に餌をやるのか、それともそうだった猫も餌もちろん欲しいだろうし、お母さんも忙しくて頼んでるんだな、やってあげるよっていう感じなのか、私も忙しいんだけど1時間後だったらできるけどどうするっていうね、
やりとりの中にいると、もしかしたら私も1時間後だと猫はね、6時に餌をもらえると思っているだろうから、それはかわいそうだし、その後ずっと1時間ね、みやみやに鳴かれるのも、私もまあまあ集中力が途切れるので、じゃあ私さっとあげるわとかっていうふうに選択、じゃあ私がやるっていう選択をするとか、子どもたちがいろんなニーズを満たすためにやることを選択するっていうね、
べきではなくて選択するっていう、意欲を持ってやるっていう、その2つの、ここもグラデーションでね、そんなにやりたいわけじゃないけれども、でもやってあげてもいいよっていうようなものもあったりすると思うんで、はっきりくっきり2つに分かれるわけではないんだけれども、
極端なところを出すとすると、べきからそのことをやるのか、それとも選択からやるのかっていう、その違いがこの質問によって炙り出されてくるし、この質問を自分に持っていることで、誰かに何かものを頼まれたときに、それは私が喜びからやりたいのか、それとも自分のニーズをすごく満たすわけではないけれども、相手をサポートしたいっていうニーズはね、
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自分一人のニーズを満たすわけではないけれども、相手をサポートしたいっていうニーズを満たすなっていう、じゃあやろうっていうのがね、わざわざそれを認知レベルで考えなくても、自分で選択しているっていう感覚を持ちながら言動することができるようになるかなというふうに思います。
もっと短く話そうと思っていたんですが、なかなかに長くなりましたが、ちょっとこの2つの質問はNVCの中で重要な質問なので、もう一つの重要な質問が、人はなぜ他の人に思いやりを持っているのかっていうのと、同時に人はなぜ暴力的にもなれるのかっていう、この2つの質問だったりね、2つの質問っていうのがいくつかあるんですが、
それのうちの1つをちょっと私なりの解釈を含みますが、ちょっとその質問とその質問が持っている意味について話してみました。ではまた何かの機会にお会いできることを楽しみにしています。
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