1. 農のかけ算ラジオ
  2. #15 農×犯罪
2023-12-06 30:28

#15 農×犯罪

  • 今回は 農×犯罪
    宮口幸治「ケーキの切れない非行少年たち」を読んで、この社会の意識と負のループを改善するために農業とも絡めて考えてみました。
  • 犯罪の背景
  • 非行少年の共通事項
  • 犯罪の心理
  • 時代が彼らの居場所をなくす
  • 教育のヒント
  • 受刑者の活用事例
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農のかけ算ラジオ、道テラスの山浦です。このラジオでは、農業と様々なテーマ、
漁師等を組み合わせて、新しい視点やビジネスアイデアを垂れ流していく番組です。
はい、今回のテーマなんですけども、農×犯罪というところで、まあなかなか農業と組み合わせるようなテーマではないように思えるんですけども、
最近ですね、テーマのきっかけになった宮口浩二さんという方のですね、「刑期を切れない飛行少年たち」という本を読みまして、ちょっとここについて
犯罪というテーマで一向してみたいなと思い、ちょっとテーマ、犯罪にさせていただきました。
農業×犯罪ということで考えると、一般的に農作物とか機械等ですね、トラクターとかの盗難が一番に浮かぶかなと思うんですけども、でも今回は農業が犯罪者や
犯罪の抑制にできることなんかがないかなと思って、それについてちょっと考えていきたいなと思います。
皆さんテレビとかネットニュースとかでも見ていると思うんですけども、本当に毎日のように人殺しとか強盗とかがニュースで取り扱われているかなと思うんですけども、
じゃあその背景について様々ちょっと想像してみたいなって思うんですけども、結構当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないですけど、僕たちが見ている事件の
表面的な酷さとか残酷性とか悲しみみたいなところだけを見て、結構やっぱり犯罪者を完全に悪とみなして何ちゅう事をするんやと、どういう親が育ってたんやとか思ってしまいがちかなと思います。
結構戦争とかもそうかなと思うんですよね。今ちょうどウクライナであったりとか、パレスチナの問題もあるかなと思うんですけども、なんでそんなところに爆弾落とせんのとか、
人殺せるのか、そんなひどいことができるのか、政治家は本当に、みたいなこともあるかなと思うんですけども、でも逆にその犯罪でもそうなんですけども、戦争もそうですね。
そこの背景について我々はちゃんと考えたことがあるのか、みたいなところも結構大事なんじゃないかなと僕は個人的に思っていて、やっぱり何かが起こる、事件が起こる、戦争が起こる背景にはやっぱり原因があるんですよね。
歴史背景であったりとか、個人の犯罪であれば、その人の生まれてきた環境であったりとか、その人が持っている何かであったりとか、っていう要因があると僕は思っていて、もちろん犯罪自体、戦争自体、人殺しとか、そういう人が悲しいようなことについてはどんな理由があっても、それ自体が許されるってことはないんですけども、
じゃあ僕たち自身がそれを批判する前に、僕たちはそうならないためにそういう社会づくりをしているんだろうか、そういうものに貢献できているんだろうか、みたいなところはちょっと考えてみたいなと思います。
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逆にそうならないために目の前の人のことをちゃんと理解しようとしているんだろうか、ということを皆さんにもちょっと問いたいなと思ってこんな回にしています。
例えば、さっき紹介した刑期の切れない非公少年たちという本には、犯罪を犯す非公少年の共通事項というところで6つ挙げられています。
例えば、全部言いますけれども、認知機能の弱さ、単純に見たり聞いたり、想像する力が弱いということであったりとか、感情統制の弱さ、感情をコントロールするのが苦手、
例えば、まっすぐに切れるとか、そういうやつですね。あと、憂鬱の気かなさ、何でも思いつきでやってしまうとか、予想外のことに弱いとか、あと不適切な自己評価、自分の問題点がわからない、自信がありすぎる、またはなさすぎるとか、
対人スキルの乏しさですね。これなんとなくわかるかなと思います。人とのコミュニケーションが苦手であったりとか。
あともう一つが身体的不器用さと、力加減ができない人、体の使い方が不器用である人、そんな人いるかなと思います。
単純にこれらを聞いた時に自分の身の周りで思い当たる人というのが何かしら必ずいるんじゃないかなと思います。
何なら自分もこれが当てはまる、自分もそうなんだよねっていう人もいるんじゃないかなと思います。私自身もまさにそうで、
なんていうか、まあすぐにキレるじゃないんですけども、やっぱり車の運転中とか、本当そういう車はもう存在が悪だなとか、早くしろよとか思ってしまったりとか、
結構思いつきで行動するとかはもう私のあるあるですし、その割には集中力がないんでなかなか続かなかったりとか、
あの無駄に自信があったりとか、まあ本当にタイミングによっては、あのもっと自信がなさすぎて、本当に自分みたいな人間はみたいな、
攻めすぎて死にたいと思ったことなんか何回でもありますし、人と話したりとか、こういう場に行くと、
多分あんまりそうは見られてないと思うんですけど、僕あんまりそういう場自体が得意ではなくて、結構一人になりたいってずっと思ってたりするんですよね。
単純に人からはそう見られないことが多いけど、本人はそう思ってないみたいなところっていうのは誰かしら、もうみんな
ちょっとあるんじゃないかな。まあそれの単純なミスアンダスタンドの極端な例が人を犯罪に消しかけるんじゃないかなっていうのはちょっとあったりします。
まあでもなんかこういろいろ挙げたけど、よく言われたりしますね。例えば自信が、
無駄な自信があるっていうことは大事なことであるとか、まず行動するべきだとか、思いつきで行動するじゃないですけども、
まず行動してなんぼだみたいな、そこから考えていくみたいな、いい部分で捉えられる部分、例えば
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何だっけ、堀江門とかは多動力っていう本を書いたりとか、一般的には落ち着いてられないみたいなのが多動性なんやらかんやらみたいに言われたりとか、いろいろ見方はあるとは思うんですけども、
まあそういう障害があるんだけども、それが本人が気づかないとか、親も一番そばでいるはずなのに気づかないとか、
まあもちろん社会も気づかないみたいなところが結構あるんじゃないかなと思います。 いい点に働けばいいんですけども、結構やっぱりそういう極端な部分っていうのは悪い方向に
働く部分の方が多いので、そういった理由で彼らというか犯罪者の人たち自身が自暴自棄になったりとか、
そのさっき挙げた6つの点の中で
あったように、未来、これをやったらこうなるよねとか、捕まるよねとか、相手の気持ちとかを考えるような想像力が足りずに犯罪に落ちること
っていうのもあるということです。それがただバカなのか、そういう障害と認定されるか別としても、もともとある
体質みたいなところっていうのかで、全然考え方がまた少し変わってくるんじゃないかなと思っています。
特になんですけども、やっぱり一度犯罪を犯してしまうと、どれだけ本人が反省して
社会復帰しようと、このままじゃダメだって言って努力しようとしても、やっぱり一度犯罪者を犯した、元受刑者とか元犯罪者っていう視点で
社会から食らう偏見が、改めてその人に対して罪の意識をかぶせたりとか、そういう言葉を浴びせられたりすることで自暴自棄になったりとか、
彼らから可能性を奪ってしまって、災害に繋がるっていうようなこともすごいたくさんあるかなと思います。
また戦争の見方として考えたときに、僕は個人的な趣味で、もともと国際支援とかやっていたので、心理学が結構好きでいろんな本を読んだんですけども、
例えば人殺しの心理学とか心理学7つの実験みたいなのが本当に面白くてですね、
読んだ時期があったんですけども、単純に結論から言うと、僕たち自身も環境要因とか、簡単に人を殺す人間になれるんだなーっていうのが僕は学んだことなんですよね。
いわゆるマインドコントロールみたいなところであるとか、権威による圧力みたいなのをかけられると、ダメだとは分かっているけれども、自分を守るためであったりとか、上がいいって言ってるし、みたいなノリで人を殺したりとか、人を苦しめること、
っていうのは普通にあったりすると思うんです。今の社会でも。何が言いたいかというと、僕たち自身も状況によっては簡単に犯罪を犯す予備軍だということになると思うんです。
僕も家族のためだったらいくらでも人を殺すかもしれないし、何本ものものを盗むかもしれないし、本当にもうこの後こうしなきゃ死ぬっていう状況に陥った時だったら、皆さんもそういった手段を取る可能性は大いにあるんじゃないかなと僕は思っています。
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犯罪とかじゃなくても、誰かしらみんなもそうだと思うんですね。
誰しもが何かしらの形で人の心身、心や体を傷つけたことってあると思うんですよ。逆にないっていう人は気づいてないだけで、もしくは想像力が不足してたりとか、自分も客観視できてないだけなんじゃないかなと思うんですよね。
そういう僕たちの無知であったりとか無意識であるせいでの差別だったりいじめ、そういうつもりはなくてもですね、そういうものが犯罪を助成することがあるということをこの社会全体として学んでいかなきゃいけないんじゃないかなと思ったりしています。
農業関係ないんですけど、もう少しこれについてお話しさせていただきたいなと思うんですけれども、僕自身の経験値でもあるんですけれども、人間って絶対やっぱり人間社会の中でしか成長できないと思うんですよね。
このケーキが切れない飛行少年たちを書いた宮口の本の中にも、適正な自己評価は他人との適切な関係性によってのみ育つというふうに書いてありました。
なので、そういった適切な関係性等で我々対人スキルみたいなものを学んでいくとは思うんですけれども、この時代の流れというかですね、やっぱりこの対人スキルが低い人にとってはかなり今は厳しい時代になってきているんじゃないかなという部分も指摘されていました。
今の社会は対人を主体とする第三次産業といわれる、いわゆるサービス業が全体の7割になっていて、農業とか漁業、林業みたいな自然と向き合って仕事をする第一次産業とか、職人みたいな仕事ですね、技術に向き合う第二次産業みたいなのがかなり減ってきていると。
これは多分皆さん理解できてますよね。農家が爆発的に減っているというのももちろん知っているだろうし、いろんなニュースとかでもやっているような日本の伝統技術を継承する人がいないし、少なくなってきていると。
そういう社会的な問題、時代の流れの問題と同時にSNSの普及とかによって、やっぱりそもそもの対人スキルをトレーニングする機会が減っているということも指摘されていました。
単純に言葉でポチポチ打つだけで声を発さなくていい、相手の表情を見なくていいみたいなところ、そういうの全て対人スキルだと思うので。
そういう点で考えると、便利な世の中というのは、同時に特定の人の居場所をなくしているのかもしれないなと思っています。
他にも今度は書かれたことは伝えたいんですけれども、できれば皆さん自身で《景気の切れない飛行少年たち》の本でも、これ漫画でもありますし、
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確かドラマか映画かなんかそういう動画でもあったと思うので、ちょっと正しく吸収してもらえればなと思います。興味がある人はね。
ここからちょっと農業という部分も入れて、飛行少年とか犯罪抑止にできることとかを考えていきたいなと思うんですけれども、
さっきも言ったように、単純に昔は農業みたいな仕事、大地産業とか職人仕事ですね、大地産業がやっぱり彼らの居場所になっていた面もあるんじゃないかなと思うんですよね。
彼らに対して犯罪者、飛行少年を農業や職人にさせればいいんじゃないかっていう、もちろんそういう単純な話ではなくて、
現代でいうと法人とかは特にチームワークで農業をしているっていうのが実態だと思いますし、大人スキルっていう部分においては、やっぱり相手の気持ちとか未来、この後の作業とかを予想しながら、想像しながら仕事していくっていう部分が必要になると思うので、
そこまで単純ではないですよね。そこに入れれば、じゃあ彼らも学んでいけるかっていうと、やっぱりそういった中でそこにストレスを感じたりとか、
単純に普通に働いている人とかそういう人を入れることでうまくいかなくなったりすることで、またいじめじゃないにしても精神的なストレスを与えてしまうっていうのは、会社にとっても本人たちにとっても特に良くないことになるかなと思うんですよね。
実際に元受験者を雇用しようみたいな動きっていうのは、僕は前いた会社でもそういった話が来たことがあります。そういう動きは現在でも行われているんだろうなぁとは思うんですけども、別になんか犯罪者だから嫌だなとかってその時思った記憶はないんですけども、やっぱりどうしてもどういう犯罪者が来るんだろうとか、
なんか問題が起きたりするのかなとかっていうのは、やっぱりトラブルリスクみたいなところは考えずに終われないんですよね。そういう会社という組織の中で人を入れようといった時に。そういうことを考えると、自分たちだけじゃなくても一般社会においては偏見だったりも含めた時に、なかなか進んでいないような気がします。
そこをうまくやるためには、単純に雇用すれば彼らのためにはなるのかもしれないですけども、そこだけが終わりではなくて、やっぱり受け入れる側もそれなりの心構えとか知識っていうものが必要になる、単純に準備が必要になるんじゃないかなと思います。
とはいっても、元犯罪者であろうがなかろうがですけども、大人でサポートが必要な人たちっていうのは、なかなか見分けがつかないですよね。県庁舎と見分けがつかないっていう意味ですけども。
もちろん見てくれてそれがわかればいいんですけども、決してそういう人たちばかりじゃないし、わかりじゃないというかそういう人たちじゃないし、通常では気づきにくい。
だからこそ、普通に一緒に仕事しててもサボってるように見えたりとか、好き嫌いでやったりやらなかったりとか、とにかく努力してないよねっていう風に見られることが多いんじゃないかなと思います。
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なので、まず雇用した人や同僚などがですね、もしくは雇用主である場合は、そういう上の立場からでもいいので、なんかうまくいってない様子とかがあるなーとか、なんかあいついっつも嘘ばっかりするなーってそういう人がいた場合はですね、
あいつはただ仕事ができないダメな奴なんだっていうレテルを案に張るのではなくてですね、もしかしたらそういうサポートを必要としている奴なんじゃないかっていう部分を気づいてあげることからじゃないかなって思うんですよね。
これただただあいつお前ダメだなーとか、クビにはなかなかできないからいじめになったりとか、嫌な言葉を投げかけたりすることで本人は一生懸命やってるけどもストレスが溜まってどうしようもないところまで行って、それこそ自殺したりとか犯罪に手を染めたりとか、イライラが暴力に出たりとかする可能性って多いにあると思うんですよね。
結構そういうものがほとんどの犯罪につながっていると思っているんですけども、そういう時にもしくは、もし自分がなかなかうまくいかないと、なんか俺ミスってばっかりだなーって自分自身で気づいた時に、俺ダメだーって言って投げやりになるんじゃなくて、自暴自棄になるんじゃなくて、一度なんか客観的に自分の適正を調べてもらったりとか、
単純に人に相談して、それこそ一回適正検査みたいなんであるとか病院に行ってみるみたいなのもありなんじゃないかなと思います。なんかそれ自体が恥ずかしいことみたいに思えるかもしれないですけども、それに気づかずにずっと苦しい思いをし続けるよりは遥かにマシなんじゃないかなと思います。
社会のこととか人から見られることとかを気にしていくよりも、やっぱり第一に自分の人生をよく生きていくこと、幸せになることっていうのを考えていけば別に人から見られるとか恥ずかしいとかっていうのは一瞬で過ぎ去ることだと思うので、胸張って自分自身の人生を生きてればいいんじゃないかなと思います。
あと単純に子供とか若い子に対して考えたときに、一般的で言うとまず褒めることとか、しっかり話を聞いてあげようみたいなことが当たり前になっているような気はします。それ自体は別にそれが悪だとか褒めるのは聞くなとかいうことではなくて、単純にそれ自体は根本的な解決にはつながっていないよねっていうふうにこの著者の文章の宮口さんも言ってはいるんですよね。
前向きになったりとか気持ちを落ち着いてもらったりするっていう部分には一定の効果はあるということは間違いないと思うんですけども、できないことに対しての解決ということにはなっていない。
基本的には根本的な解決という意味ではできないことをできるようにする、そういうふうにサポートすること自体が必要なんじゃないかなと。
でも単純にそれって結構難しいじゃないですか。創生っていうのは簡単だけど、やっぱり生産性とか効率とか農業の視点で言いますけども、生産性効率を結構重んじる業態ではあるかなと思うので、教育っていう部分で1から10、もちろん伝えるんですけども、それを10回20回と続けなきゃいけないっていう部分で考えるとなかなか時間も取れないし、そういう人は取りたくないみたいなところっていうのがあると思います。
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そういった中で、なかなかうまくいかない人への教育のヒントとして、この著書の中に大きく2つ挙げてくれています。
1つは事故への気づきを与えることと、単純に人が成長したいと思うときには、まず適切な自己評価が必要じゃないかなということですね。こういうところがダメだなとかっていうことが自分自身で分かればそこを改善しようとするじゃないですかね。
逆に何がダメか分かんないけど何かやたら文句言われたりとかバカにされるとか、やろうとしてるけどうまくいかへんねみたいな、何かダメか教えてくれよみたいなことになると思うんですよね。
なんでしっかりダメな部分はこういうところだから、ここをちょっと変えてみようとか、適切に言う。
っていうところで、あ、なるほどと。これが変わればいいんだな。ではここをもっと努力しようとか、そこを改善してみようっていう部分で、本人も理想の自分、こういうふうにスパッといくような作業に近づいていくと思うんですよね。
その大前提として適切な自己評価、本人が自分はまだできていないということが分かるように伝えるという部分であったりとか、自分の今の状況、自分はまだできていないんだというところをしっかり伝えること、知ることが大事なんじゃないかなということを言われています。
で、もう一つが自己評価の向上っていうところで、単純にそういうできない人っていうのは多分子供の頃からも成績が悪かったりとか人と同じようにできなかったことが多いと思うんですよね。
なんでそういう人っていつもなんでこんなこともできないの、なんでこんなの分かんないの、みたいなところで分かりされることもだいぶ多かったと思うんですよ。
そういう意味で言うと、やっぱりそういう人たちって人に頼りにされたりとか認められる経験が少なくて、人に頼りにされたい、人に認めてほしいっていう思いが強くあると思うんですよね。
そういう部分をしっかり尊重してあげて、例えばですけども農業の現場でも何か一つやってもらうごとにしっかり感謝の言葉を意識して当たり前にしていく、そういう職場作りっていうのは必要だと思います。
これって別に犯罪者とか障害者とか関係なく絶対こういうふうにしていったほうがいいなと思うんですけども、単純にありがとうっていう言葉が一般というか職場の中で、作業の中でごく普通に使われる職場って絶対健全な気がするんですよね。
そういうことをすることでそれぞれの人間、健常者であろうが、障害を持っていたりとかうまくいかない人であろうが自分の価値が向上するだろうし、もう一つで言うと明確な役割ですよね。
僕がいなければ彼がいなければっていう役割であったり場所をしっかり作ってあげることによってその人にとっての居場所であったりとか存在価値が満たされるっていう部分で、ここは本当に自分がいないとみたいな思いになって責任感を増していい方向につながっていくっていうことはあるんじゃないかなと思います。
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そういったことを意識してかどうかはわからないんですけども、元受刑者、犯罪者を雇用する農家の事例っていうのが結構出てます。
自分が見つけたのは日本農業新聞の論説にあったんですけども、愛媛県の西条市の若手農家さんが、少年院や県所とか官別所の出所者を雇用していると。
働いている元受刑者の子たちなのか人たちも農家で自立するっていう夢を語っていたりとか、また熊本県菊地市の農家さんも同じように出所者をたくさん雇用して、
働いている皆さんも汗を流して働く喜びを感じているということ。綺麗事を言いたいわけではないんですけども、そういう事例もあります。
その他で言うと、茨城県の就業支援センターというところでは、農業を通じた社会復帰を目指して多くの就農者も出しているというところで、実際にもう自立させているという例もこの茨城県のセンターではあるということですね。
農業とは直接関係ないんですけども、山口県美根市では受刑者が道の駅のプロジェクトに取り組んだりとか、島根県浜田市では受刑者がパンを作って、それを小中学校の給食に提供する活動なんかもあるというみたいですね。
ここに書いてあるのは僕がパパッと調べた感じなので、日本全国でそういう事例であったりとか取り組みをしているプロジェクトもたくさんあるんじゃないかなと思います。皆さんの地域でも、もしあったら一回調べてみてほしいなと思うんですけども。
そういう意味でいくと、農業だけではないんですけども、労働力、人手不足というのは日本の企業の全体の問題になっているかなと思うので、そういう先進的な事例から学びながら人材獲得の一つの選択肢として考えてみてもいいんじゃないかなと思います。
そこには偏見をなくすという一つの勇気も必要かもしれないですけども、そこって我々と何か大きく違いがあるかというと、僕はあんまり違わないと思うんですよね。我々のちょっとずれてしまった人たちがそっち側に行ってしまったということだと思うので、まず一度会ってみるであるとか、そういう人たちの元に行ってみる話を聞いてみるというところから始めてみてもいいんじゃないかなと思います。
どうしても会う会わないはあると思うので、無理にということではもちろんないんですけども、調べてみると世界にも何かいろいろ面白い例がありましたので、ちょっと紹介させてもらうと、ブラジルだとどんなイメージですかね。僕の中ではスラムとかがたくさんあって貧富の差がものすごい激しいというイメージなんですけども、そういった中でフードバンクみたいな存在ですね。
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日本でもフードバンクとか他の例だと、子ども食堂とかですね、そういった例でなんとなくイメージはつくと思うんですけども、フードバンクの存在が社会的に重要な役割を果たしていると、ブラジルでですね。
そのフードバンクの食料になっている職員ロスの加工工場が警察機関と連携して、受刑者ですね、元受刑者とか犯罪者の雇用を生んで社会できる、社会復帰できる環境をつくっているという事例があります。
あとスウェーデンではですね、300以上の農場等がグリーンケアというものに取り組んでいるという事であります。じゃあグリーンケアって何だというと、要は農家さんとかがですね、自然環境とか家畜飼育、農産物の生産等を通じて障害者とか元受刑者、犯罪者さんのケアを行っている。
そういう取り組み、グリーン、そういう自然環境とかの第一次産業を使ったケアを取り組んでいて、それにかなり行政も力を入れているということがあるようですね。
イタリアで言うとメイドインカルチェレ、メイドイン刑務所という事らしいんですけれども、簡単に言うと少年院で作られたスイーツのブランドがあってですね、それがめちゃくちゃ有名で、社会貢献もしているし良いものを作っているという部分で国民栄誉賞を取っている例であったりとか、
イギリスだとコーヒーの卸売会社が9カ所の刑務所の中に焙煎場を構えて、バリスタの育成鉱座を運営したりとか、囚人向けの就労支援を行っているという例もあります、イギリスで。
アメリカサンフランシスコにあるガーデンプロジェクトというプロジェクトでは、受刑者向けの園芸プログラムで社会復帰を支援していて、心身ともに健康対応を獲得することで、再販率の減少につながることが実証されていると。
消化が出ているということですね。実際そういう活動をすることで再販率は減るんだということが証明されているということは、かなり心強いですね。日本で今後やろうとしている人がもしいれば。
そういったいろんな例を見ていたときに、大地産業の主催者である農家の役割とか価値とかが、もっともっと日本でも今後さらに広がりを見せてもいいんじゃないかなと思うし、そういうふうになってもいいな、もちろん食料を作るというのは大きな役目でもあるんですけれども、農業という部分の役割というのは他にも使える部分があるんじゃないかなという部分で今回紹介させていただきました。
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単純に農家の皆さんも社会貢献しようよとか、いいことしようぜ社会のためにって言っていることではなくてですね、もちろん社会貢献すればするほどいいとは思うんですけれども、もっとわかりやすいことで言うと、そうすることで我々自身の得にもなるということなんですよね。
単純に例えば受刑者が社会復帰して裁判率が減るということができればですね、1人年間に300万かかると言われているんですね、受刑者、要は刑務所に入れておくだけでも。そういう部分で税金が減らない、使われない、無駄に使われないことになりますし、犯罪者が減ることで被害者になっていた人も社会に出て経済活動も行えますし、マイナスが減って、逆に消費者となってプラスになるみたいなところって言うと、
経済効果もお金が大きいんじゃないかなと思います。単純に被害者への国からの補助金、犯罪被害者への国からお金が出たりするんですよね、何百万円という。そういうものがだいぶ減るというのもありますし、細かいことを全部挙げることはできないんですけれども、犯罪による損失額というのは年間5000億円くらいあるという話なんですよね。
それが10分の1でも500億とかっていう数字になることを考えると、犯罪者をこの社会全体で減らそうという取り組み自体がものすごい経済効果につながるんじゃないかなというのがあるんですよね。
そういう数字とか納税がどうとかっていうよりも、それより何よりという部分で、単純に自分の国とか自分の地域に犯罪者が少ない方がいいじゃないですか。僕も子供3人もいるんで、地域にまあまあ犯罪者がいるとか絶対嫌なんですよね。
そういう意味で、僕一人もなるべく理解を得た上でですね、そういう人がいれば苦しんでそうな人であるとか、犯罪元受刑者っていう人たちにもし会う機会があれば、ただただ怖がるとかではなくて、できるだけ手を差し伸べられるような人間になりたいなと思いますし、ある一定の距離感とかっていうのは考えながらやりますけれども。
そういうふうに考えた時に、まあ皆さんにもじゃないですけれども、単純に犯罪を犯した、彼らは犯罪者だ、じゃあこうしようという対処で考えるよりも、予防という観点で考えた方がはるかに勝ち的だと思うんですよね。
なので、それこそ小学校とか中学校とか高校職場みたいなのを全部含めた時の人への接し方であるとか、教育の仕方っていう部分を改めて見返す機会になればと思って、今回このようなテーマでやらせていただきました。
直接、農業に関わる部分というのは、最後の農業を使った、第一次産業を使った犯罪者の受け入れ方みたいなところになったかなと思うんですけれども、もしよかったらですね、そういう社会の構造であったりとか、犯罪者、受刑者、犯罪に対しての思いみたいなところがあればですね、皆さんの意見も聞かせていただければなと思います。
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だいぶ長くなりましたけれども。ということで、農の掛け算ラジオでは、ご意見、ご感想、その他こんなテーマで話してほしい、などのご要望をお待ちしております。メッセージは、公式インスタグラム、農の掛け算ラジオまでお気軽にお寄せください。それではまた次回。ありがとうございました。
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